164話 姫君の奮闘 (1)
誤字脱字報告ありがとうございます。というか何故そんなところを間違えてるんだろうか自分は。
いつも来てくださる方、初めて来られる方もありがとうございます。
多忙な上に風邪引いたりしてました。
クリスマスって何でしたっけ? おいしいもの?
フェリシタはエスタローザ光王国の第一王女だ。
姉である元王女のアレーナが遠くの神殿へ行ってしまうまで、第二王女殿下と呼ばれていた。
幼い頃は虚弱体質で熱が出やすかったけれど、成長してからは滅多に体調を崩さなくなっている。
昔より丈夫になっただけではなく、自身の身体との付き合い方に慣れて、どこからが己にとって〝無理〟なラインなのかを理解できるようになったのも大きい。
けれど多少丈夫になったところで、王女としての順位が二番目から一番目になったところで、フェリシタは己の価値がたいして変動しないことを知っていた。
(少なくともこの国では、王女の地位は低い。王子でなければ、誰であろうと同じなのよ)
子が親の愛情を求めるのは自然なことだ。
けれどフェリシタはただの一度も、父王から愛されていると実感できたことがない。
幼い頃、熱にうなされ、心細さに父を呼んだ時も、完全に無視されて終わった。
感染る病であってはいけないので、直接顔を見られないことに関しては納得できるけれど、見舞いの言葉の伝言、ほんのささやかなカードすらなく。
その理由は、自分が〝王子ではない〟からなのだと、やがて理解した。
(何よりもわたくしは、可愛げがないから)
いかにも女性らしかった姉姫と異なり、フェリシタはこの国の王女として相応しくあるよう、国内外の法律や歴史、言語、経済の仕組みや各国の文化などを積極的に学んできた。
立派な王女になるためには、それらが必要だと考えたからだ。
聡明と名高い母王妃も、亡き王太后もフェリシタの味方をしてくれた。
けれど父王や兄王子達は、努力するフェリシタに冷淡な目を向けた。
王女が学問などを身につけて何になる。おまえに必要なのは歌や音楽や刺繍、美しい衣装で着飾り、話術で場を華やかに彩ることだと。
頭でっかちで面白みのない堅物王女。それが父と兄達の、フェリシタへの評価だった。
たまたま彼女の同席している場所で母王妃が父王に、「アレーナ王女の教育方針があまりにいい加減だ」とやんわり伝えた時、父王が歯に衣着せずはっきり言ったのだ。
『アレーナはあれでよい。むしろ問題はフェリシタのつまらなさであろう。少しはアレーナの愛らしさを見習えぬのか? 見合いの宴の席で政治の話など始めようものなら、相手の男が興ざめするであろうが』
愕然とする母王妃の横で、当時まだ十歳にもなっていなかったフェリシタは、頭をがつんと殴られたような心地を味わった。
そうして、父王に一切の期待をしなくなった。
◇
「わたくしは王女、国を負う者のひとり。――そう信じて努力してきたすべてを、真っ向から否定されたのです。わたくしは間違っていたのだろうかと、あの頃は悩みもしました。けれどお母様や、当時まだご存命でいらしたお祖母様から肯定していただけて、大切なことを見失わずに済んだのです」
そう語るフェリシタに、彼女の相談役となったマイエノーラ――美しい精霊族の女性は、「そうなのですか」とさして興味をそそられていない顔で相槌を打った。
場所は王女宮の部屋のひとつ。来客用ではなく、王女が個人的に使う部屋であり、今は人払いがされて、この場にいるのは部屋の主と、忠実なる侍女、そしてマイエノーラの三名だけだった。
公共の場ではないので、置かれている家具類はすべて王女の趣味に合わせられている。落ち着いた色合いで統一され、知的な雰囲気はあるが少女らしさに乏しく、王や王子達にはすこぶる不評な部屋だった。
「古今東西、身分の貴賤にかかわらず、人族の国ではありふれたお話ですね」
「マイエノーラ様、王女殿下に対しその仰りようは――」
「おやめなさい、ターシャ」
「ですが……」
王女と侍女のやりとりに、マイエノーラはどこか不愉快そうな気配を漂わせ、気怠げに告げる。
「時間の無駄でしかないやりとりですね。ここは外交の場ではなく、わたくしはあなた方とは異なる視点での意見を求められてここにいます。何かを話すたびに『無礼な』『わきまえよ』などとくだらぬ横槍を入れるのは、無意味に時間を潰させたい裏の意図でもあるのでしょうか? そうでなくば、ただの会話と侮辱の区別もつかぬ者は黙っていなさい」
「なッ……!!」
「ターシャ」
「…………失礼いたしました」
侍女は渋々と引きさがった。
普段は決して出過ぎた真似をするような女性ではない。むしろ王女を誇りに想う、有能で模範的な侍女であった。
フェリシタが幼い頃から忠実に仕えており、最も信頼されている侍女でもある。
そんな彼女が、マイエノーラの王女を王女と思わぬ態度に、苦言を呈したくなるのは無理からぬことであった。
けれど、と、ほかでもないフェリシタが諭す。
「ターシャ。マイエノーラ様は、ご厚意でわたくしのお話を聞いてくださっているのよ。この方がこの場に縛り付けられる義務などなければ、わたくしが何かを命じる権限もないの。それを忘れてはならないわ」
「…………」
「そういうことです。ターシャ殿、はっきり申し上げておきますが、人族の理に従う必要など我々にはありません。わたくしはフェリシタ様の〝お話相手〟を引き受けるにあたり、同席する侍女に対して条件をつけました。――わたくしがひとこと喋るたびに無礼者などと罵ってきたり、頻繁に会話の邪魔をしてくるような者は除外せよ、と。そうして残ったのがあなたです」
「それは……!」
ターシャはハッとして青ざめた。つまり先ほどの自分の言動は、己を選んでくれた王女の顔に泥を塗る行為にほかならない――。
「申し訳ございません!」
「いいえ、わたくしがもっときちんと説明しておかねばならなかったのよ。ごめんなさい」
「いいえ、そのような……」
「反省なさっているのはわかりましたから、今後気を付けてくださればもう気にしませんよ?」
主従の謝罪合戦が始まる前にばっさりと切り捨て、マイエノーラは涼しい顔で茶を飲み始めた。
「あ、美味しいですね。何の銘柄でしょうか?」
「…………」
「…………」
微妙な表情で沈黙する王女や、困惑と恨みがましさの混ざった侍女の視線など、どこ吹く風である。
「……マイエノーラ様」
「言っておきますけれど、これがわたくし達の一般的なペースなのですよ?」
え? これが?
二人は思った。
「ターシャ殿もそうですが、フェリシタ様も慣れておくことをおすすめいたします。だってあなた方、いずれデマルシェリエへ生活の場を移すのでしょう?」
「え、ええ……いずれは……」
辺境伯の息子、ライナスのもとへ嫁ぐのだ。
フェリシタの頬がポ、と紅潮したのを、侍女は見逃さなかった。
内心にんまり笑いながら、しかし有能な彼女はおくびにも出さない。本来は出来る女性なのである。
なお、国王は以前、フェリシタを異国の女好き王子と婚約させようとしていた。ところがアレーナ元王女の一件があって、顔良し頭良し性格良しと揃いまくったデマルシェリエ伯爵公子との縁談がまとまった日には、王女宮の侍女一同、こっそりガッツポーズを作って喝采をあげたくなったものだ。
はしたないので実行には移さなかったが。
「辺境伯家は、〈黎明の森の魔女〉と親交があります。必然、我が同胞とも付き合う機会が多くなるでしょうね」
「そ、そ、そう、ですね……」
「ですからあなたも、〈魔女〉と親交を持つことになるでしょう。あの御方との付き合い方を間違えないよう、わたくしで慣れておくべきです」
「――――」
浮き立つ胸が、別の意味でどくんと鳴った。
デマルシェリエ地方における〈魔女信仰〉――。
他地域では「たかがおとぎ話」と軽く見られているが、かの地域では〈魔女〉の地位が高い。
とりわけそれが〝魔法使い〟であれば、神殿で神々が崇められるように、魔術士達が聖霊へ助力を乞うように、信仰に近い感情がその〈魔女〉には抱かれる。フェリシタは教師からそのように学んだ。
本当に祭壇を作ったり祀ったりするわけではなく、あくまでも心情的なところで、土地神や放浪神に近いぐらいに恐れられ、敬われ、そして好まれるのだとか。
その話は決して誇張ではないと、彼女はライナス本人からも聞いている。
当初は不思議なおとぎ話の感覚で耳にしたそれと、紛れもない現実として向き合わねばならなくなってきた。
フェリシタはここ最近、痛切にそれを感じ取っていた。
(王家は――〈魔女〉から、見放されている……)
父王よりも母王妃を信じ、己を誇りに想ってくれる侍女達を信じ、そうしてフェリシタは迷走せずに、聡明な王女としての道を歩めてきた。
だからこそ彼女は気付けてしまった。
祖母から譲り受けた〝目と耳〟によってもたらされる、さまざまな〝風の噂〟――この数年、〈黎明の森の魔女〉が関わって起きたあれこれを彼女はかなりの精度で掴んでおり、それゆえに気付いてしまったのだ。
(我が王家は、完全に蚊帳の外にされているのだわ)
いずれこの世界に及ぶであろう危機。精霊族や、その他さまざまな種族の間で語られている噂は、既に人族の国々にも広まりつつあり、その対処に乗り出すべく動き始めている。
そう。
ようやく動き始めたのだ。
それが単なる噂ではなく、れっきとした〝情報〟として王宮までもたらされてから、どれだけ経っているのだろう?
しかも、本腰を入れているわけではない。ようやく腰を上げようか、という段階なのだ。ひょっとしたら、やはり上げるのは億劫だからと、そのまま下ろしてしまうかもしれない。
その程度でしかないのだ。
王侯貴族の中に、本気でそれを案じている者がいったいどれだけいるのだろう?
少なくともフェリシタの父と兄達は、そして彼女の把握している貴族の大半にとって、その問題は対岸の火事のような感覚でしかなかった。
自分達の国が被害を受けることはないだろうと、根拠もなく楽観視している。
危機感の欠如。
世界が滅茶苦茶に破壊され、恐るべき暴威によって己の国が滅亡するかもしれない――もしそれを声高に訴える者がいれば、「無粋な輩だ」と忌々しそうに遠ざけられるか、「そんなデマを信じているのか」と嘲笑を浴びるか、そのどちらかでしかないだろう。
いざそれが目前まで迫らなければ、誰もまともに捉えようとしない。
幸い、地位ある臣下には、優れた者達が多く揃っている。
けれど彼らは臣下であり、肝心の王族が彼らの行動に上から待ったをかけてしまうと……。
(きっとお父様は、そうなさってしまうわ。お兄様達も。だから、はなから期待されていない。むしろ余計な邪魔をされないようにと、そう思われているに違いないわ)
フェリシタは唇を噛みたい衝動をこらえた。
彼女はいずれ降嫁することになるが、今はまだ王女なのだ。たとえ軽んじられていようと、王家に生まれた者としての責任があると自負している。
王族としての矜持と、無力感。これまでずっとその二つにさいなまれてきたけれど、今回のこれは己の胸の内だけに仕舞って終わればいいものではないと強く感じていた。
父や兄達がもし短慮な行動を取れば、エスタローザ光王国の歴史に終止符が打たれてもおかしくない。
その危惧を少しでも減じるために、彼女は最も信頼する〝目と耳〟に頼んで、〈魔女〉の宴に参加してもらった。
そうやって、かろうじて繋がりを確保できている。
そうでなければ――もし父王達が何かをしでかし、ライナスとフェリシタの婚約が撤回されてしまう事態にでもなれば。
王家側から見れば、きっと「無礼者どもへの制裁の一環として話を白紙に戻した」程度の認識しかないだろう。
しかし現実には、その時、世界から切り離されるのは王家側だ。
グランヴァルが陥落した。いともたやすく、実にあっさりと。
無数の犯罪組織が混乱もなく解体され。
大勢の囚われ人が救い出され。
ある者は家族のもとに戻され、ある者は災害復旧やさまざまな公共工事の働き手として、既に今後の生活のめどが立っていると聞く。
これらに関し、国は一切、何の役割も果たさなかった。
何ひとつ期待されていなかった。
気付けばすべてが解決していた、そんな状態だったのだ。
いざ世界が激動に呑まれようという時に、このままでは王家は――最悪、見捨てられる。
無事に永らえたとしても、「何もしなかった」という不名誉な実績のみが残るだろう。
そうなれば、何を主張する権利もなくなってしまう。
もはやその状況に片足を突っ込みかけていると思って間違いはなかった。
「マイエノーラ様。わたくしの浅慮に過ぎなければ、容赦なくご指摘をいただきたいのですが」
「何でしょう?」
「これから、世界は……いいえ、もう既に……〈黎明の森の魔女〉を中心に、動いているのではありませんか?」
ターシャが息を呑んだ。
マイエノーラは謎めいた笑みを浮かべ、否定も肯定もしなかった。
付き合いはまだ短いけれど、フェリシタは彼女の表情の意味が、少しだけわかった気がする。
「……マイエノーラ様。わたくしが、〈黎明の森の魔女〉様にお会いして、お話をさせていただくことは可能でしょうか?」
ターシャが「殿下」と言いかけ、唇を引き結ぶ。
「その場合、この王宮にお呼び立てするのは無しですから、あなたにあちらへ出向いていただくことになりますが?」
マイエノーラはこともなげに言い、フェリシタはぐ、とつまる。
「わたくしのお茶会にお招きする、というのはいけませんか?」
「あなたに限らず、王宮そのものが全面不可です。ご存知でしょう? 『魔女を呼び寄せろ』などと偉そうにほざいている輩があちこちにいることぐらい」
「そ……う、でした、ね……」
王女の茶会に招こうものなら、噂の〈魔女〉とやらをひやかしたい、自陣に引き込みたい、そんな思惑を持った連中がこれ幸いと食らいついてきそうだった。
辺境は遠く、そして優秀な騎士団と討伐者達が目を光らせているので、彼らは好き勝手できないのだ。
「……では、わたくしが〈森〉へ足を運べるならば、お会いしていただくことは可能でしょうか?」
「で、殿下?」
さすがにターシャは声を挟むが、それ以上は言葉を紡げなかった。
マイエノーラはにっこりと笑み。
「可能も何も、辺境伯と御子息が歓迎なさっている婚約者殿ですから、門前払いにはならないでしょう。ただ、所用で遠方へお出かけする予定がありますので、今のうちですよ。というわけでターシャ殿、お忍びの準備をお願いします」
「ええっ?」
「はい!?」
仰天する主従に、マイエノーラは人をくった笑顔でくつくつと笑った。
お姫様の1話目。
小柄で可愛らしい女の子ですが、父親と兄達のせいで自己評価あんまり高くありません。