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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
東の地へ
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163話 南へ


 その怪物は小さな獲物には興味がなかったのか、食い出のある大猿を手に入れ、悠々と去っていった。

 水底から移動する黒い影の大きさに、見下ろす者達の肝がぞっと冷える。


「あの化け物もしや、俺達が何をしてるのか理解できていたんじゃないか……?」

「かもな。俺らが朱猿を攻撃してる間、ずっとちょっかいをかけてこなかったしな」


 カシムが不意に思いついて言うと、ラザックが相槌を打った。

 カリムが嫌そうに「えええ…」と顔をしかめる。


「狙った獲物を落とそうとしてるのに気付いたから、俺らに手を出さなかったって? ……俺、海はもういいかも」

「まあ、あれぐらいのやつはそうそういないんじゃねえか……と、思う、ぞ?」

「つうか、いて欲しくねえ」


 灰狼達がうんうんと頷いていた。


「のんびりすんのは後だおまえら、さっさと行かねえと姐さんにどやされるぜ」

「おうよ!」

「了解。でもさ……これだけのことができるんなら、最初からゼルシカさんがこっち来てたらよかったんじゃないかなあ? あの猿ぐらい、一撃でのせたんじゃない…?」

「そうしてたら、あの怪物が俺らを放置して退散してくれたかわかんねえぞ? ほんのこれっぱかしでも攻撃が当たっちまったら、怒らせたかもしんねえし」


 ラザックが親指と人差し指で小さな隙間をつくり、カリムが「それもそうだね」と頷いた。

 触れれば煙が出るほどに、魔鉄鋼が熱せられている。

 怪物が余計な〝手〟を出さずにすんなり去ってくれたのは、それを知っているからでもあるだろう。

 

「あれが熱々のうちに急ぐぜ。ぐずぐずしてたら舞い戻って来るかもしれねえしな」





 階下に降りて数名が先行すれば、完成した通路の終点あたりで、残りの労働奴隷達がひとかたまりに身を寄せ合っていた。

 ここまで咆哮が届いていたのだろう。一様に怯え切っている。

 命令を発する者がいなくなった今でも、黙々と働き続けている者さえいた。とうの昔に考えることをやめた、生気のない瞳で。

 ゼルシカにもの言いたげな視線を向けつつ、今はこちらが優先と、アロイスとメリエは彼らに仕事をやめさせ、怪我や疲労の回復につとめた。

 待機させていた馬車も呼び、ゼルシカ達と砦の前で合流する。


「悪いがあんたら、こっからは降りて歩いてもらうよ。こいつにそこらの資材を積み込んで運ぶからね」

「へい、姐さん」

「俺らすっかり元気にしてもらいやしたからね、任せてくだせえ」


 気力の充実している何名かが力こぶを作り、率先して積み込みを手伝い始めた。

 この連中を手伝えば早く自由にしてもらえると理解したためか、みな生き生きとみなぎっている。

 神官達がひととおり治癒をかけ終え、携帯糧食で人々の飢えを満たした頃、全員が集合して移動を開始した。

 資材を運ぶ馬車を護るように整然と歩く仲間達を前に、先ほどまで絶望の極致にいた労働者達が目をまるくしていた。


(わかるぜ、その気持ち…)


 ゼルシカを「姐さん」と呼び、きびきび働く彼らの姿に、カシムは何ともいえない微妙な表情になるのだった。



 通路は七~八割がた出来上がっているとの話だったが、それはあくまでも〝完成している部分の割合い〟だ。

 壁や天井がまだ出来上がっていないだけで、足もとだけはかなり先まで組み上がっている。

 予備の資材を積んだ馬車の重量でも、余裕で通過できるほどだった。

 一行は早歩きで進む。大所帯になったので歩みは遅くなったが、むしろここまでが異様に速かったのだ。

 問題といえば、壁や天井がないので、妖鳥が集まってきたことぐらいか。


「慌ててバラけんなよおまえら、はぐれた奴は真っ先に狙われるぞ!」

「止まらずに歩け、止まってちゃあ安全圏にいつまで経っても着けねえからな!」

「ひいい…!」


 非戦闘員の人々は、半泣きで震える足を叱咤しつつ、言われた通りに先を急ぐ。

 灰狼達が弓で迎撃し、強力な魔石の矢で次々と射落とすも、どんどん数が増えてきた。


「はん、うっとうしい奴らだ――しゃあない。我が神【エル・フラーマ】、嵐の王よ。今一度、力をお貸しくれでないかね」


 ゼルシカの手に、三叉の槍が出現した。

 白金色の美しい槍が強い光を帯び、きらめく黄金の粉を放って見える。

 アロイスとメリエが「やっぱり!」「ゼルシカ様って…!」と驚愕し、周囲の面々がざわめいた。

 体格に見合わないと思われた槍を軽々と扱い、ゼルシカは叫んだ。


「ご覧あれ【エル・フラーマ】よ、仇なすものどもを――ったく、タルいねえ――卑しい羽虫どもよ、一羽残らず海へ墜ちな!!」


 なんだそれは、と誰かが突っ込むのを余所に、小柄な老婆の周辺に雷光が走り、ひときわ強く輝いた槍を、虚空へ向けて勢いよく一閃した。

 ――雷光とともに局地的な竜巻が発生し、腹の底に響くような恐ろしいうなりをあげ、大量の〝羽虫〟に襲いかかる。

 切り裂き、引きちぎり、それが通り過ぎた後の空は、羽根一枚もなく綺麗になっていた。

 かろうじて難を逃れていた数羽が、あからさまに怯えて「ギャ、ギャ!」と鳴き合っている。


「すっげー!」

「うおお姐さんすげえええ!」

「何だありゃ何なんだありゃあ!」

「やっかましいねえ馬鹿ども、油断すんじゃないよ! キリキリ歩きな!」

「へい、わかってまさあ!」

「一生ついて行きますぜ……!」


 全員が興奮状態になり、打って変わってキビキビと歩み始めた。妖鳥の襲撃に遭ったほうが、別の意味で進みが早くなった。


「あ! 姐さん、あいつら岩持ってやがるぜ!?」

「野郎、こっちへ投げる気じゃねえか!?」

「はッ! 羽虫ごときが、いっぱしに知恵働かせたつもりかい? 舐めんじゃないよ!!」


 豪快な突風が見えぬ刃となり、縦横無尽に襲いかかる。

 派手な光を放ちながら、雷が空へ向けて放たれる。

 どおん、ずどおん、……知らずのこのこ接近してきた後続の妖鳥までをも呑み込み、吹き荒れ、そのたびに野太い男どもの歓声があがる。

 魔力もそうだが、槍をふるう動きの切れの良さは、か弱い老婆のそれではなかった。


「しつこい奴らだ。年寄りをあんま働かせんじゃないよ」


 ふうやれやれ、などとぼやいているが、もはや誰も騙されない。


「すげええ! すっげええ!」

「婆さん、いや姐御、あんたいったい何モンだよ!?」

「はん。たいしたモンじゃないさ。ただのしがない薬屋のおばちゃんだよ」

「やべえ、痺れる……」

「お、俺も、ついてっていいかな……」


 いつの間にか女将が場を掌握していた。彼らの間に、悲壮感はもう微塵もない。

 カシムが遠い目になるのを余所に、カリムが「やばい、俺いますっごく楽しいわ…」とニヤニヤ笑っていた。

 真面目なカシムは、後で兄弟の脳天に拳を落としてやろうと心に決めた。

 しかし、気がかりはまだある。カシムは白1号が近くに来たのをいいことに呼び止め、小声で尋ねた。歓声にかき消され、周囲には聞こえないように。


「あの怪物……去ったフリをして、俺らの後をつけてる、ってことはないか?」


 頭のいい怪物は、時にそういう行動をとる。

 果たして、白1号は目立たない小さな文字表示で答えた。



 ――〝途中まで尾行を確認 女将:ゼルシカは感知していた様子〟



 やはりか。ほかの者の目に映らないようにか、表示されたそばから消える言葉の意味に、カシムは密かに戦慄する。

 しかし。



 ――〝途中から水深浅 岩礁増加 海面に姿を現わさず接近は困難 引き返した模様〟



「そ、そうか…」

「カシム?」

「いや、なんでもない」


 聞き咎めたカリムに怪訝そうに尋ねられ、カシムは首を横に振った。

 振った向こうで、何名かの灰狼がちらりとこちらに視線をよこすのが見えた。


(こいつら、やり辛ぇ…)


 確かに味方ならば頼もしいが、内緒話ひとつできやしない。

 けれど行動をともにしている以上――今後も何だかんだで付き合わされそうな予感がする以上――慣れるしかないのだろう。





 しばらく進めば、岸壁に突き立てられ固定された道も、馬車が通過できない骨組みのみになる。

 乗り物はここで捨て、積んでいた資材で広い足場を確保しながら進む段階になった。

 薄い金属板だが、かなりの重量まで耐えられるそれを、手際よく次々と敷きながら進む。

 作業員用の狭い足場ならあるが、そこを使うとどうしても隊列が細長い線になってしまう。

 動きが制限される上に、誰かが足をすべらせたら助けようがない。


 そこそこ広さのある金属板を何十枚も敷けば、結構な距離を稼げたが、むろんそれだけで残りの行程に足りるわけではない。

 なので、最後尾の者が通り過ぎた金属板を、前方にリレーで運びながら新たな足場にするという方法をとった。


 歩みはさらに遅くなった。さすがに途中から日も暮れ、危険な闇の中の作業をするわけにもいかなくなり、波のぶつかる音を聴きながら夜を過ごした。

 神官達が強力な結界を張っていた上に、聴覚と嗅覚のすぐれた灰狼達が夜通しの番をした。しかし、とぼしい灯りのせいで却って濃くなる闇に包まれて、労働者達の間にはじんわりと恐怖がよみがえっていた。

 それでも迂闊な行動をとらないよう、身を寄せ合って目を閉じ、できるだけ体力を温存した。


(とにかく、この人達について行けば大丈夫だ)


 命を削る命令を強制されていた以前とは違う。

 ここで頑張れば、自由になれるのだ。

 そうして、何事もなく夜が明けた。――拍子抜けするほどに何事もない夜だった。

 ほっと安堵する人々はその理由を理解できていないが、ゼルシカや半獣族(ライカン)の戦闘員達にはわかっていた。


(このあたりはもう、魔物の縄張りじゃない)


 人の縄張りだ。

 彼らは既に、そこに入っていた。

 あの砦のあった場所に比べ、このあたりはもうずっと水深が浅い。むろん彼らの足がつかないぐらい深さはあるけれど、怪物が潜めるほどの深みがない。

 波もずっと穏やかだ。


「こんなとこまで、手が伸びてたとはねえ……」


 ゼルシカがどこか感心したふうに呟いた。

 そうだな、とカシム達も頷いた。

 とうとう骨組みが途切れた。まだ先は遠く長いのに、どうすればいいのか――そんなふうに不安げな表情の人々をよそに、カシム達はただ感心するばかりだった。


 こんなに近くまで、足場を作りかけていたなんて。

 南の国々は、もはや目と鼻の先の距離であった。

 

「そろそろかね?」

「そうだな」


 ゼルシカが言い、ラザックが相槌を打つ。

 やりとりの意味がわからない労働者達が困惑の面持ちで尋ねようとした――直後。

 遠方から、雷鳴が轟くかのような音。聞き間違いかと思うほど初めは小さく、やがて明らかに聞こえると自覚したあたりで、それはぴったりとやんだ。


「……あっ? あの、ゼルシカ姐さん、なんか煙があがって」

「さっきの音は、いったい……」

「大丈夫さ。ちょいと狼煙をあげただけだよ」

「?」


 うっそりと不敵に嗤うゼルシカに、困惑しつつも問うのをやめる。

 何かあるのだろう。それだけはわかったので。


「じゃ、ここいらで小腹を満たすとするかね」

「は、はあ……」


 携帯食で小腹を満たし、水を飲む。そろそろこれらも尽きてきたのだが、ゼルシカ達の表情に心配はまったくない。

 やがて、どのぐらいの時間が経ったのか。


「ほら、来たね」

「結構早かったな?」

「あっちの面子が頑張ってくれたんだろうさ」


 岸壁の向こう、水平線上にぬう、と現われたその姿に、人々の間から歓声があがった。

 彼らは知らなかった。地形の関係で彼らの視界には入らなかっただけで、ちょうど目隠しになっている岸壁を越えると、遠く霞む島影や、港らしきものが見えるようになるということに。


 徐々に近づいてくる船――その上で、誰かが手を振っている。



「おおーい! ゼルシカさーん!」

「来ましたわよー!」



 ゼルシカはにっこりと笑んだ。

 元気のいい小僧がひとりと、小娘ふたり。

 それに、大柄な銀色の〝同業者〟の小僧の姿。


「頼もしくなったもんだねえ」


 どいつもこいつも、ゼルシカからすれば、子供に変わりないのだが。




到着、合流しました!

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