161話 海洋の【悪夢】 (前)
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※魔物の名前変更しました。
※本日中は難しいので次話は明日に更新いたします。
2019.12.19
今はもうどこにもないプルヴィア王国の、没落しかけた貴族の家にゼルシカは生まれた。
幼い頃に両親が事故で他界。当主の座を継いだ兄は質素倹約の意味を知らず、末の妹を金持ちの老人へ売って凌ごうとした。
ゼルシカは兄を殴り飛ばし、家を飛び出した。
近所の悪ガキに〝怪我をしない上手な殴り方〟を教わっていたので、体格差があったにもかかわらず、なかなかいい手ごたえがあった。
旅路の果てに、国境沿いにある大神殿へ転がり込んだ。そこで見習い神官の修行を始めたが、腕白で暴れん坊な少女は神兵に目をかけられ、武力のほうで才覚を示し、やがて正式に神官騎士の位を得た。
ところが数年後、プルヴィア王国は戦に突入する。
かつてプルヴィアは大陸で、一、二を争う大国と呼ばれていたらしい。しかし魔王【ファウケス】の暴れた時代に甚大な被害を受け、大国の地位から退かざるを得なくなったそうだ。
その後はエスタローザ光王国の支援によって衰退を免れたものの、王も高位貴族達も、肥大した自尊心のために素直に感謝などできなかった。
挙句、軍部から絶大な支持を得ていた王族のひとりが、己に賛同する者をまとめあげ、あろうことか光王国に宣戦布告をした。
完全に恩を仇で返す行為――それ以前に、どう勘違いをすれば「勝てる」と思えたのか。
神殿騎士団は王国騎士団に組み込まれてしまった。
国が一方的な思惑によって神殿を動かそうとするなど、信じがたい暴挙だ。
なのに大神官をはじめ高位神官達は反発する姿勢を一切見せず、逆に下の者の反発を抑えつける始末。
『もし国が潰されてしまえば、我らもこれまでのようにはいられないのだぞ!』
長い者に巻かれたがる上層部のおかげで、神々を祀る大神殿は、王国の軍事拠点に数えられることになってしまった。
そしてゼルシカ達の指揮官に、口だけは偉そうな貴族の男が据えられた。
『栄光あるプルヴィアの騎士として、この地を死守せよ!』
さほど経たぬうちに敗戦の気配が濃厚となり、戦場は神殿の周りにも押し寄せてきた。
国に明け渡してしまった以上、そこはもはや相手にとって不可侵の領域ではない。
指揮官は側近ともども忽然と姿を消した。
ゼルシカは己の部下とともに、消えた腰抜けを罵倒しつつ、可能な限り仲間を逃がして、最後に神殿へ立てこもろうとした。
けれどやっとそこに帰り着いた時、部隊の中で生きているのは彼女だけだった。
『おい……寝たふりをするなよ。答えろ……』
『………………』
『目を覚ませって言ってるだろうが……!』
やがて、抱えていた部下をゆっくりと床におろし、静かにマントをかぶせた。
どれだけそうしていたのか、ゼルシカは顔を上げ、ふらりと立ち上がった。
目の前に佇む神の彫像へ向け、あらん限りの罵倒をぶつけた。
何を言っていたのか、詳しくは憶えていない。喉が嗄れるほど叫び続けていたことだけは憶えている。
――突然、ざわりと皮膚が逆撫でされるような感覚が走り。
足もとの感覚が消え失せ、凄まじい〝力〟の奔流に呑み込まれていた。
真っ白な光を全身に叩きつけられ、息もできず、瞬きすらできない。
やがて何者かの〝意思〟が頭の中に響き、彼女は理解した。
理解して――やはり罵った。
『今さら遅いんだよ!!』
なんでもっと早く。
今頃こんなものをくれたって、もうみんな、いなくなってしまったのに。
◇
「――まあ、あっちにとってはとんだ言いがかりさね。小賢しい人族どもの戦なんぞ、神々には何の関係もないだろ? 後になって頭が冷えて、さすがに反省したさ」
神妙な顔で話に耳を傾ける生真面目な男に、ゼルシカは苦笑を向けた。
「自分がいざ〝味方される側〟になってみて、彼らがどういう者に特別に目をかけるのか、だんだんわかってきたのさ。――無闇やたらと妄信しない者、祀ってさえいれば何をしても許されるなんざ妙な勘違いをしない者、与えられても増長しない者。思えばあの大神殿の、とりわけ高位者の中にゃあ、それとは真逆の輩が結構いたんだよ」
神々は欲望に基づいた戦には決して関わらない。関わる者に味方をすることもない。
妄信し、「祈りさえすればいつか与えられる」と勝手に期待する――そんな連中にどうして助けてくれないんだと文句をつけられても、いい迷惑だろう。
大神殿が陥落し、祈りの間へ真っ先に突入した光王国の部隊の者が、血まみれで横たわる女性騎士を発見した。
彼女が神官騎士の装備を身に着けていたため、扱いには頭を悩ませたという。
神殿がプルヴィア王国へ強引に吸収されたくだりは光王国にも伝わっており、議論の末、ゼルシカは釈放されることになった。
何より国の押しつけた指揮官は、さっさと彼女らを見捨てて逃げた。そんな状況にありながら、なお神殿に留まったことから、ゼルシカは「敵国ではなく神々に仕える者」と判断されたのだ。
プルヴィア王国は滅び、エスタローザ光王国の領土の一部となった。
王族はもちろん、親戚筋にあたる公爵家まですべてが処刑。
侯爵以下、降伏した貴族家は光王国の貴族となり、ひとつ下の爵位を授けられ、かつてプルヴィアの王都のあった場所は現在、デュカス伯爵領と呼ばれている。
ゼルシカは大神殿に復帰したが、そこにはもう、彼女の知る顔はどこにもなかった。
それどころか、新たな神殿騎士団のトップは、かつて自分達を見捨てて逃げた輩と言動がそっくりだったのだ。
栄光ある「国」の部分を「大神殿」に言い換えれば、そっくり同じ台詞になる。
「いやあ、あんまり腹が立ったもんで、八つ当たりも兼ねてやんちゃをしちまったさ。とりあえずあの馬鹿の性根は徹底的に叩き直したし、もう心残りはないさね。――あたしは神殿の騎士団をやめることにした」
「……いいのか? おまえは……」
「どこにいたって、あたしはあたしさ。神殿にこもる必要はない――いや、こもらないほうが本当はいいのさ。それにあたしは、〝世界で唯一の貴重な存在〟でも何でもない。どうやらあたしみたいなのは、途切れないよう、程よく散らばってるみたいだからね」
どの時代にも満遍なく、どこかの地に何名かが存在する。
神々でさえ未来の出来事はわからない。だからどの時代で何が起こっても対処できるよう、偏りなく定期的に〝加護〟を誰かに与えるのだ。
ゼルシカの〝神〟は、彼女にそう教えた。
「そうか。……王都騎士団に入る気はないのか?」
「あんたんとこの上の御方が困るだろ、一時的にとはいえ敵国の軍勢のもとにいたんだから。討伐者ギルドに登録でもして、しばらくはのんびり好きにやるさ」
「……実家に戻って、結婚などは?」
「はああ? 喧嘩売ってんのかい? 戻るわきゃないだろ。だいたいこの歳でもらい手があるもんかい!」
「すまん」
失言だった、と男は神妙に謝る。
彼はようやく二十歳になったばかり。なかなかの美丈夫で、最初は近衛にと求められていたが、寡黙で大柄、生真面目な性質が近衛騎士団には向かず、固辞して王都騎士団に入ったという。
本来なら近衛にこそこういう男がいるべきであろうに、先王の頃から虚飾の色が強くなっていると聞く場所は、確かにこの男には合わないだろうとゼルシカは思った。
「ちなみに先ほどの話だが、俺はもう王都騎士団の者ではない」
「え。どういう意味さ?」
「言葉の通りだ。あの戦で、俺は侯爵家の息子として身の丈に合わない地位につけられていた。実戦にも参加していない。王都騎士団は、大神殿の制圧がほぼ完了してから真っ先に入り、手柄を自分達のものにした」
「そうらしいねえ。実際に戦功をあげてたのは旧国境沿いの連中と、辺境からも一部呼ばれてたんだっけ? どこも腐った話が多くて嫌んなるね。……で、あんたは後継ぎじゃあないんだろ? 分家でも立ち上げるのかい?」
「それはない。俺は確かに侯爵家の息子だが、母親は父の四人目の妻、つまり愛人だった」
「あらま。そりゃ、分家つったが最後、家庭内で泥沼の戦が勃発しそうだねぇ」
「父は白旗をあげた」
「早! ――で、これからどうすんだい?」
「デマルシェリエの辺境騎士団に入る」
「おお。思い切ったことをやるね。噂じゃあ実力主義って聞くし、あんたにゃ向いてそうだが。まあ、しっかりやんな」
「ああ。それで、ゼルシカに言いたいことがあるんだが」
「なんだい? 恨みごとでもあったんなら聞くよ? あんたにゃ初っ端から迷惑かけてるしね」
「結婚してくれ」
◆ ◆ ◆
神官メリエが神聖魔術を唱え、戦闘員の攻撃力と耐性を強化し、さらに全員へ守護結界の重ねがけをした。
神官アロイスはメリエに対し、補助の術を複数かける。神聖魔術は自分自身にかけると、若干効果が薄れてしまうからだ。
通常ならば連発できないようなものでも、潤沢にもらった回復薬のおかげで魔力切れは起きていない。
非戦闘員はだいぶ手前から馬車と一緒に残し、ゼルシカ達一行のみが砦へ向けて雪足鳥を走らせた。
近付くにつれ雪足鳥も何かを感じ取ったのか、徐々に足音を潜ませている。
――〝訂正 砦 敵性反応:二体〟
白1号の報告に、全員が顔をしかめた。
ややして、前方に目的の場所が現われ――
「うおおおッ……!?」
「はあッ!?」
予想だにしなかった凄まじい光景がそこにあった。
「な、なんじゃありゃ……!?」
「どうなってんだ……!?」
通路は波や強風、外敵などを防ぐために、窓は設けられていなかった。
内側に月輝石を含む石材が使われており、灯火がなくとも淡く光っている。
その通路の先、砦らしき一帯の壁と天井が、最も頑丈な足場だけを残して消えてなくなっていた。
おかげで辺りをはっきり見渡せるのはいい、が。
石造りの建造物――小領主の館ほどの大きさはあるだろうか。地上ならばさほど大きくもない、しかしこんな場所によく造ったと言わざるを得ない規模のものであった。
その砦が、無残にも半壊している。
しかし一行を絶句させたのは、建物の有様だけではない。
巨大な朱い猿が、するどい歯をむき出しにしてうなっていた。
荒れる海の中から何かが伸びて、猿の巨躯に絡みついている。
蛇に似た光沢の、無数の吸盤を持つそれに抵抗し、朱い猿は崩れかけの壁や柱に必死の形相でしがみついていた。
「あ……れは、朱猿?」
「こんなとこにいるような魔物じゃねえだろ?」
「何がどうなってやがる?」
凶暴な上に賢い大猿は、遠目に姿が紛れやすい赤土の荒野の、岩場や洞窟に群れを成して住む。
それが何故こんな所にいて、あんな状況になっているのか。
「白や。あれ、海ん中のやつ、何かわかるかい?」
――〝推定 厄災種:海洋の悪夢【クラーケ】〟
「厄災種だあ!?」
「なんだってそんなもんが……!」
「静かにおし! それで? あれはどういう状況かわかるかい?」
――〝推測 軍事目的で魔獣:朱猿を捕獲 調教目的の薬剤で凶暴化〟
「……確かに、潮に混じって甘ったるい嫌な臭いがしやがる。こいつぁ、魔物の誘引香みてぇだな」
「誘引香……!?」
「なんですって!?」
アロイスとメリエが驚愕した。世界各国で調合も売買も禁じられている、恐るべき薬ではないか。
人が酒に酔うように、魔物を酩酊させ、引き寄せる効果がある。魔性植物が他の生物を捕食する時に放つ香りと似て、とりわけ獣タイプには効果てきめんだったはずだ。
しかしあの大猿は、酔っているふうには見えない。
――〝推測 調教に抵抗し凶暴化 檻を破壊 監視役をすべて殺害し捕食 壁・天井等を破壊 逃亡を試みるも待ち構えていた【クラーケ】により捕獲 抵抗中〟
そして白1号は端的に、判明している限りの【クラーケ】の特徴を高速で羅列した。
知能:非常に高い
視界:非常に広い
力:非常に強い
再生速度:非常に速い
魔力:低い
毒:一部有り(危険回避の際に噴出)
口:複数確認
心臓部:複数確認
――〝戦闘は推奨せず 討伐は困難〟
「どうすんだよ……」
「こ、こんなのって……」
それ以上、誰もが二の句を告げられなくなる。
――こんなものを、どうすればいいと?
ゼルシカは「ふむん」と口もとに手を当てた。
「やりようはあるさね。要は、海のヤツとまともに戦わなきゃいいんだろ?」
若かりし頃のゼルシカさん、「若造がなに言ってんだい」とこの時点では断り、しかし旦那あきらめず。
討伐者のランクをぐいぐい上げていくゼルシカさんにプロポーズし続け、晴れてゲットしたのでした。