159話 必ずしも近付くほど厳重になるとは限らない
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種を植えても作物は育たず、水は余所から運び込むか、水霊魔術士でもいなければどこにもない。
昔はかろうじて地下水を掘り当てた場所に井戸を作り、いくつかの集落が点在していた場所もあったらしいが、とうの昔に滅びて消え去った。
見渡す限りの土と砂と岩――
何の娯楽もない乾燥した毎日を、訪れもしない不審者に備えて漫然と消費する。
そんな日々の数少ない楽しみは、時おり通過する馬車を引き留め、決まりきった型通りのやりとりを交わすことだった。
見慣れたいつもの型の馬車だ。大量の荷を積み、長距離を移動することができる。
張られた布の下には鎖がかかり、頑丈な錠前があった。
積まれた荷の正体は噂でしか知らない。彼らは今後もそれを知る必要などないのだ。詮索好きなところを見せた途端、消えた仲間は何人もいる。
中身の確認と嘯いて、荷をちょろまかそうとした命知らずが過去に存在するらしく、彼らが鍵を持たされることはない。多分そういう危険なものか、高価なものが積まれているのだろうと想像するだけだ。
実際、こんなところまで辿り着ける不審者などそうそういやしない。
簡単に挨拶を交わして、さっさと通過させる。
こんな出来事さえも、無味乾燥な日々の中では数少ない楽しみだった――何せこの辺りには本当に何もなく、何も起こらないのだ。
高度な対魔の結界魔道具もあり、効果範囲からうっかり出てしまわない限り、魔物の襲撃の心配もない。
「柵を開けた、通っていいぞ」
「あいよ」
今日の御者はしわくちゃの婆さんだった。御者席の向こう側には用心棒らしき半獣族の男も座っている。
男が腕にはめている腕輪も見慣れたものだった――ここを通過する半獣族は、必ずといっていいほどそれを装着している。
隷属具ではないようだが、知りたがったりはしない。それがここの掟なのだ。
すると、婆さんが何やら半獣族に指示を出し、男が荷袋を差し出してきた。
「なんだ?」
「差し入れだよ。皆で飲みな」
「――――」
飲む。
その単語に反応し、背後からいくつか「ごきゅり」と聞こえてきた。
男は内心の期待を押し殺し、荷袋を開けてみる。
果たして、想像通りのものがそこには入っていた。
自身も喉が鳴ったのを自覚し、ばつの悪さを押し隠して、できるだけ剣呑な声音を作った。
「なんでこんなもんを俺らに?」
「あン? こういうモンは普通どこでも渡すもんだろ? ここじゃ違うのかい?」
逆に不思議そうに問い返されてしまった。
ここを通過する御者の顔ぶれは毎回同じというわけではない。雰囲気からして、この老婆はやり手の商人風だった。
商売を円滑に進めるために、気前よく何かをふるまうのは、よくあることなのだろう。
(それに、俺らは既に通っていいと許可してある。後ろ暗いことがあるんなら、その前に出すよな……)
強引に通過するための賄賂ではない。
この婆さんは、単に気前のいい婆さんなのだ。
男は結論づけた。
「ひょっとして、こういうもんを受け取っちゃいけない決まりとかあんのかい? なら仕方ないね、それは片付け――」
「ああいや、そうじぇねえ! 賄賂はやべぇが、これは差し入れだろ? なら別に構わねえよ」
老婆が袋を回収しようとした瞬間、背後から凄まじい殺気が集中するのを感じ、男は焦った。
「そうかい?」
「ああ、ありがたくもらっとくぜ、婆さん」
無事に受け取り、全員がほっと安堵する。
馬車が柵を通り抜け、再び扉を閉じると、そこかしこで歓声が上がった。
◇
「順調過ぎて怖いんだが……」
御者席の用心棒、ことカシムは、充分に柵から遠ざかったのを確認して呟いた。
随分対応がおざなりで、警戒心の低い連中ばかりだった。しかしそれも考えてみれば当然かもしれない。
このあたりは僻地の中でも僻地だ。例の地点に到着するまで、いくつもの封鎖地点があり、先ほど通過したのは最後の難関と言っていい場所だった。
そんな場所まで入り込める猛者など滅多にいない。「ここまで来られたような連中だから問題ない」と、油断している様子がありありと窺えた。
まさか最初の封鎖などすべてすっ飛ばし、その内部の森から現われる連中がいるなどと思いもしないだろう。
それに、この馬車。例の労働奴隷を運ぶための専用の移送馬車は、細部に至るまでその外観は完璧に真似て造られていた。
加えて、カシムとカリムのつけている腕輪。これは隷属具ではなく、隷属の首輪をはめられている労働奴隷達に、命令を聞かせるための魔道具だという。
くだんの監視役の半獣族にはすべて腕にこれがあるらしく、先ほどの男も、明らかにこれを見て納得の表情を浮かべていた。
実際にいま装着しているのはカシムとカリムのみだが、今回の一行には全員に配られている。
いざという時、隷属化された人々が勝手な行動を取らぬよう、こちらの指示に従ってもらうようにするためだ。
何より、腕輪のない者の指示には従えないようにされているはず。
(馬車はまだわかるが、こんなもんを複製できるって、いったい何者だ……?)
この腕輪に関しては、見た目を似せただけでは意味がない。
監視人の目を誤魔化すための偽装ではなく、効力までしっかり複製されている〝本物〟なのだ。
しかしゼルシカは何でもなさそうに、フンと鼻で嗤い飛ばした。
「全然順調にいかなくなった時、今の台詞が甘ったれた贅沢モンの台詞だったってのが痛いほどわかるよ」
「…………」
「なにごとも波ってもんがあるのさ。上手くいく時ゃあ、遠慮せずそれをがっつり享受しな。でもって、上手くいかない時のためにしっかり備えとくんだよ。あんたが不安になってんのは、備え足りないからさ。崩れた時に立ち上がれる、立て直せる自信がない」
耳に痛い台詞に、カシムは苦々しい顔を作り、カリムはどこか輝いていた。
(この野郎)
内心で〝弟〟に八つ当たりの罵倒をかまし、カシムは果敢にも反論を試みた。
「備えなら、魔女の備えがこれだけあれば充分、どころか過剰なほどだろう」
「それをあんたが信頼できてりゃね」
あっさり返り討ちに遭い、うぐ、と詰まった。
要するに、そういうことだ。初めて目にするあれこれに圧倒されると同時に、カシムはあの魔女のことも、与えられた道具の数々にも、まだ疑心を捨てきれない。
「あんたのソレは、〝理解できないものを容易には受け入れられない〟っつーヤツさ。理屈じゃあない。こればっかりは人によるがね」
「……そうか」
苦々しくも腑に落ちた。
ゼルシカの言葉を反芻してみると、すべて図星だったのだ。
「自分がすべきことは何かってのを、ちゃんとわかってりゃ充分さね」
「そうだな……ああ、そうだ」
今さら、「すべきも何も俺は問答無用でわけのわからん内に連れて来られたんだが」なとど言いはしない。
いい加減に腹をくくるべきだろう。その覚悟が足りないから、不安になっているのだ。
己の感情に一旦は説明がつき、カシムは少しだけ心が楽になっているのを感じた。