157話 道の先にて
荷袋の紐を肩からかけ、雪足鳥に乗って早朝に村を出た。
先頭を数名の精霊族が行き、その次を灰狼の族長補佐であるラザックが行く。
そのすぐ後に、年齢を感じさせない騎乗姿でゼルシカが、数歩遅れてカシムとカリムが続き、周りを四頭の灰狼が囲んでいる。
神官のザヴィエは高齢で、乗馬もあまり得意ではない。加えて、ラゴルスやサフィーク達の影響を神殿から完全に払拭するために、彼自身は何度もこの地を離れられなかった。
ゆえに、彼の信頼する若き神官アロイスとメリエが同行者に選ばれた。アロイスは回復全般を得意とする青年で、メリエは補助や防御結界などを得意とする女性だ。危険地帯で治癒士として働くことを想定し、二人とも討伐者ほどではないがそこそこ身体を鍛えている。
一行の中に族長ガルセスはいないと知り、カシムは胸を撫で下ろしていた。
〈黎明の森〉は光王国のみならず他国の間者にも見張られており、大所帯で動くと目立って後を尾けられやすかった。
しかし灰狼の別動隊が不審者をあらかじめ追い立てていたので、あまり神経を使い過ぎることはない。例の森の方角へ消えたことだけ、何者にも悟られぬよう気を付けておけばいい。
休まずしばらく駆け続け、地平に浮かぶ魔の山の稜線が徐々に濃くなってゆく。
大岩を避けながら草地をドッドッドっと駆け抜けると、やがて岩山の奥まった影から、まばらに樹々が顔を覗かせ始めた。
(魔の山が目と鼻の先だって割には、魔物一匹すら遭遇しなかったな……)
いや、違う。先行していた精霊族達が露払いをしていたのだ。わずかに鼻をかすめて消えた魔物の血の臭いに、カシムは勘違いを訂正した。
まばらだった樹々の密度が増え、既に一行は森の中にいた。
そのまましばらく走り続けると、時おりごつごつとした石柱が視界をよぎっては後方へ流れ去り、先頭を行く精霊族の青年が片手をあげ、急に速度を落とした。
(着いたか)
彼らが詠うように唱えれば、目前にあった巨木がざわめき、意思ある生き物のように樹の幹と根を両脇へずらしていく。
その下から現われたのはただの大岩ではなく、明らかに人工物――太古の遺跡と思しきものだった。
初めてそれを目にする者達は、神代の頃に築かれた奇跡を前に鼓動を速める。
天気は良く、危険な森とは思えぬほどにそこは美しかった。
聞き慣れぬ言語の詠唱――おそらくは聖霊言語の詠唱が引き続き流れた。この周辺一帯には、彼らの同行なくしてはこの場所を見つけられぬよう隠蔽の結界を張ってあるという話だったが、たとえそんなものがなかったとしても、この〝入り口〟を偶然目撃しただけの第三者に、たやすく真似ができるとは思えなかった。
扉がぼんやりと白い光で滲み、ずごご……と左右にひらく。
内部は一切の光差さぬ闇だった。
◇
落下していきそうな闇の中を、若干怯みながら進んでいく。
入り口の扉は背後で勝手に閉まった。本物の闇が降りたはずなのに、どういう仕組みなのか、前方を歩く者の姿ははっきりとしていた。
それほど長い時間が経たない内に、行く手に眩しい星が瞬く。
否、星と錯覚したそれは徐々に輝きを増して大きくなり、一行はそれが〝道の終わり〟であることを察した。
「着いたぞ」
実にあっさりと精霊族が告げた。
「聞いちゃいたけど、早いもんだねえ」
全員が光の中に呑み込まれ、〝秘密の道〟の出口から吐き出されると、扉は自然に閉じた。
巨大樹の幹と根が左右から蠢き、その上に覆い被さって、再び念入りに姿を隠す。
「着いた……のか……?」
呆気なく、劇的な時間だった。
「ここはもう帝国なのか?」
「そうだ。帝国の北東部になる」
「前も思ったけど、すっげーよなあ」
「便利なもんだ。こりゃ内緒にしとかないと、確かにやばいさね」
この状況に真っ先に順応したのは、やはりゼルシカ、その次に灰狼達だった。
多分この中で一番まともな人種である神官二人は、ぱっかり口を開けたまま閉じられなくなっている。
「〝鳥〟が出迎えてくれるって話だったが。あんたら、どのへんを飛んでるのか聞いてないかい?」
「我々も、ここに来れば会えるとしか聞いていない。結界の内部にいるせいで見つかりにくいのかもしれん。移動しよう」
「ああ、そうだね。任せるよ」
こちらだ、と先導する者に続き、まだかすかに残る興奮を抑え、他の者達も続く。
森の様子は大きく違っているようには見えない。だがよく観察してみれば、生えている樹の種類はほとんどが光王国では見ないものだった。
やがて小川のほとりに出て、「結界を出た」と先頭の者が告げた。
「しばらくここで待とう」
「だね。こいつらも休ませてやんなきゃだし」
ゼルシカはぽんぽんと雪足鳥の背中を叩き、嬉しそうな鳴き声が返った。
今後の行動は、白い小鳥とやらに会ってから決まる。皆がそれぞれの騎乗鳥から降り、彼らがめいめい水を飲む間、小腹を満たすべく携帯食を取り出そうとした。
――刹那。
精霊族達がするどく視線を走らせた。
【何者だ!】
【いるのだろう、出てこい!】
何を言っているのか彼ら以外にはわからなかったが、逆らうことを許さぬ強い声音。
それに対し、周辺の草むらがサワサワ、ひそひそ、とさざめいた。
【きゃ、見つかった?】
【や~ん】
【こわぁい】
【どうする? どうする?】
くすくす、きゃっきゃ……あどけない幼児の可愛らしい声。
「えっ、こんな所に子供が…」
「シィッ」
きょとんとする神官達を、ゼルシカが剣呑なまなざしで黙らせた。
カシムとカリムも顔をしかめる。こんな場所であちこちから響いてくる幼児の無邪気な笑い声など、不吉でしかない。
精霊族の誰かが懐から小瓶を取り出した。
【従わぬ者どもを、ここへ】
力をこめた聖霊語を再度紡ぎ、周囲の草むらがザワリとひときわ大きく揺れる。
そして。
【っきゃぁ~ん!】
【ぺも~!】
【ほえぇ~っ】
気の抜ける悲鳴だか歓声だかをあげながら、握りこぶし大の光る塊が次々と引き寄せられ、精霊族の小瓶の中、明らかに小さなその中に吸い込まれた。
すべてが「ぎゅむっ」と入ったのを見て取り、逃さぬように即座に栓をする。透明な瓶の中、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたそれらは窮屈そうに輝きながら蠢いていた。
もとの大きさは握りこぶし大ほどの、小さな子供。薄く透明な翅の生えた……。
「妖精族か…!」
「妖精族?」
初めて目にする妖精の、愛らしい子供姿に胸を撃ち抜かれたか、神官二名はどこか嬉しそうだった。
けれど、すぐに自分達以外の面々を見て喜色を引っ込める。
精霊族が問答無用で捕獲し、瓶に閉じ込め。ゼルシカはいまいましげな表情を浮かべているし、半獣族の誰もが小瓶の中身を睨みつけている。
「さすが、灰狼と元間者は知ってるか。――アロイス、メリエ、こいつらは下手すりゃ魔物より性質悪ィもんだと肝に銘じときな」
「えっ、これらが、ですか?」
「可愛らしいのに」
「だから余計に、さ」
精霊族は小瓶に向けてささやくように唱え、瓶の中身は【きゅうぅ~!】と潰れ、ひときわ大きな光を発して消滅した。
「け、消してしまったんですか?」
「そんな、そこまでせずともよろしいのでは…?」
ザヴィエにより誠実さと優秀さはお墨付きの二人だったが、やはり経験の少なさはいかんともしがたい。
「おまえ達の人としての誠実さに疑いはない。だが時として、正しい認識を得る邪魔をする。我らの話に納得がいかずとも、ゼルシカ殿の忠告は聞いておけ」
アロイスとメリエはばつが悪そうな表情を浮かべ、「ゼルシカ様だけでなく、あなたがたの忠告もお聞きします」と返した。
「その、つまりこれらは……性質が悪い、のでしょうか?」
「わたくしどもは、子供の姿の妖精族がいかに愛らしいものかという噂程度にしか存じ上げません。退治したほうがよいものなのですか?」
慎重に確認する姿勢を見せた二人に、精霊族らは神妙に頷く。
「普段は害のないものもいるが、群れを成した途端、始末に負えんほど暴走するものが多い。区別は簡単につけられる。上位種族である我らの命令をすぐに聞くか、聞かないかだ」
「――……」
「これらは聞かなかった。だから始末した。放置してずっと纏わりつかれていたら、害悪にしかならない。……こんなところにいるとはな」
「たとえばおまえ達が敵に奇襲をかけようと、姿を隠して接近を試みているとする。この者どもは背後から足を引っかけ、あるいは突き飛ばして転ばせようとしてきたり、わざと大声で騒ぎ立てたりするだろう。愉しいお遊びでな」
「えっ」
アロイスとメリエは口角をひくつかせた。
お遊びでそんな真似をされてはたまったものではない。
「っと、そんな話をしてる内に、どうやら来たみたいだよ? あれじゃないかね?」
「!」
ゼルシカが指し示す方角に、白い塊が浮いている。
それはゆっくり音もなくすう……とおりてきて、彼らの目前の空中で静止した。
菱形の薄い玻璃の板が、卵にくっついているかのような。
「……これは……鳥、なのか?」
「……飛んでるし、羽? っぽいのもあるし、そうなんじゃね?」
確かにこれなら、一発でわかる。
タマゴ鳥さん、皆さんに初お目見え。
自立した意思はないけど超有能な諜報鳥です。