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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
東の地へ
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156話 帝国製獣人の情けない現状


 薄く軽い鎖帷子を着込んだ。細かい金属の輪を連ねているので、ものによっては肩にかかる重さに辟易させられるが、普通の衣類と変わらないぐらいの軽さに目を瞠る。

 その上に防刃素材の服を着込み、動きやすさ重視の軽鎧を装着。

 剣は巻いた帯にそのまま差した。

 黒紅色の鞘と軽鎧は、全体的に目立たず闇に紛れやすい色合いで、そこそこランクの高い討伐者あたりが身に着けていそうだ。

 上から下まで血の気が引くような最高品質などと、ぱっと見ではわからないだろう。


「着心地はどうだい?」

「悪くない」

「どころか、すっごくいいですよ。あつらえたみたいにピッタリです」


 既製品の防具は、似たような背丈、体格であれば多少サイズが違っていても着られるよう、調整がきくようになっている。

 それでもここまでしっくり体形に合うものとなると、安物であればよほど運が良くなければ見つからない。


「本当にいいんですか、これ……」

「払えと言われても払えんぞ?」

「構わんぞい。ちゅうか、見た目があんましパッとせんちゅうて、しばらく売れ残っとったもんじゃからのー。鎧なんぞ身に着けてなんぼじゃろに、飾っときたい金持ちの阿呆が難癖つけてくるんよ」

「討伐者でも高ランクの連中となりゃ、貴族やら豪商やらと付き合い出てくることもあるからね。あんまりみすぼらしい格好だと舐められちまうってんで、それなりにハッタリききそうな意匠の防具や武器やらを欲しがるようになるんだよ。中には全然気にしない奴もいるけどねえ」

「買える金持っとる奴は、実戦で使わん奴がそこそこ多いっちゅーのがジレンマだわな」

「そうですね……」

「いるな、そういう輩が」


 カシムとカリムも、そういう連中をかなり知っている。イルハーナムの皇子達も、その取り巻き達もその手合いばかりだった。

 自身では戦わない皇族と大貴族が、最も良い装備を所有しているのだから皮肉なものである。


「んで、こやつを作った奴も、『埃被らせたまんまだと勿体なかろ』つうて気前よくくれたんよ」

「それに将来的な身の安全のための投資って意味もあるだろうしね。気にせず使わせてもらいな。自分の作ったもんが何かの役に立ちゃあ、作り手も喜ぶだろ」

「婆ァの言う通りじゃの。せっかく鍛えたもんが活躍せんまま、自分の骨と一緒にゴミの中に埋もれっちまうんは切ないからのー」

「……」


 もしも帝国がこの国まで侵攻してきていたら、従わない者は必ずそうなる。

 失うのが惜しい腕前ならば、隷属具をつけられ、強制的に従わされる運命も考えられるが、矜持の高い職人達にとっては死よりも苦痛な生を送る羽目になるだろう。


「今日はそれを着て動くのに慣れておきな。出発は明日の朝だ」

「……了解した」

「わかりました」

「よし。じゃあ簡単に今後の流れを伝えとくよ。――爺ィ、卓の上の邪魔なもんを退かしな」

「あいよ」


 たまたまそこに大切な工具類は置いていなかったので、バルテスローグは特に文句もなく、加工した後に出た余分な木片や削りかす、散乱していたクズ石を羽箒でささっと脇へ追いやった。

 ゼルシカは荷袋の中から筒状にまるめた皮紙を取り出し、その上に広げる。


「……!」

「こ、れは――……」

「イルハーナム全土の地図さ」


 カシム達は絶句した。行商人であれば、目ぼしい町や村の場所などは頭に入っているだろう。けれど街道を逸れた場所についてまで詳しい者はいない。

 地理情報は、戦の際に勝敗を左右し得る。だから、こんなにも細部に至るまで完璧に描きこまれた地図など、極秘中の極秘。

 今後その可能性は薄いとはいえ、過去に光王国側から多種族の軍勢に攻め込まれた経験のある帝国では、許可なき地図の作成は違法であり、破れば死罪か、犯罪奴隷に落とされるほどの重罪だ。

 なのに、こんな地図をいつ、どうやって、何者が描き上げたのか。

 しかも、鮮明な色つきである。

 まるで絵画のような、貴族の館の壁に額縁で飾られていてもおかしくない、美しい図面だった。


「……この線は何だ? あちこち大量にあるが」

「川、じゃありませんよね? 道でもないし」

「土地の高低差を示す線、つってたさね」

「高低差……」

「線の脇に、ほら、時々数字が書かれてるだろ。こいつは、海面からどのぐらい高さがあるか、ていう意味らしい」

「海面から!?」

「そんなのどうやって調べたんです!?」


 荒れ狂う凄まじい海を思い浮かべ、兄弟達はぎょっとした。


「こういうのを調べる〝鳥〟がいるんだとさ」

「鳥?」

「ってあの、青い使い魔の小鳥ですか?」

「あいつじゃなく、あれと同じぐらいの大きさで、白い〝小鳥〟がいるんだそうだよ。高速で空を飛び、深い海の中にも潜れて、誰にも見つからない。それが帝国の上空にも一羽飛んでるんだとさ」

「そん……」


 そんな馬鹿な話があるか。カシムは叫びたかった。


「――いや、待て。呪術士には、鳥や弱い魔獣に一時的に意識を移し、遠方の情報を密かに入手できる術があると聞いたが。もしやそういう術を使えるのか?」

「あ、それは俺も聞いたことがある……でもそれって、意識を移している間に宿った獣が傷ついたり死んだりしたら、術士も結構なダメージをくらうから危険だって話じゃなかったか? 術を行使してる間は自分の身体が無防備になるし、操ってる獣は術士の気配も帯びるから、勘の良い者には気取られるっていう意味でも危険だったはずだけど」


 さすが、もと諜報員であった二人は裏の事情に通じている。

 しかしゼルシカは首を横に振った。


「そういうニュアンスじゃあなかったね。文字通りの小鳥――あの使い魔みたいなのが、ほかにもいるんだろ」

「あれと似たようなのがほかにも……?」

「信じられん……」

「信じようが信じまいが、あたしらのやるこた変わらないよ。向こうに着いたら、その白い小鳥とやらに出迎えてもらえる予定だ。丸くて可愛らしい形の、青いヤツと違って喋れないけど有能な鳥で、見たら一発でわかるってさ」

「はぁ……」

「それよか、着いた後の話をするよ」


 二人は表情を引き締め、動揺を押し殺し、詳細過ぎる地図に視線を戻した。

 寂れた村から細い小川、それこそ鳥でなければ見に行けないような場所に至るまで、おそろしく細部まで描きこまれている。

 密集した線は勾配のきつい土地で、逆に線の幅が広いところは傾斜がゆるやかな土地ということらしい。


「ここが国境線。ここが皇都。この線が街道、これが河川だね。でもあたしらはここを通らない。すっ飛ばして北東の地の手前、このあたり、濃いめの緑で塗られた箇所があるだろ? これは森なんだそうだ」

「森……」

「ここに、精霊族(エルフ)の〝秘密の道〟が繋がっているらしい。デマルシェリエの魔の山近くにある森から、一日と経たずに直通で行けるそうだ」

「はぁ!? ちょ、っと待て!! いくらなんでも――冗談だろう!?」

「理不尽だよねえ。どきどきハラハラの国境越えとか、途中の関所で警備兵に見咎められやしないかなとか、そんな心配いらないんだよ?」


 カリムがカシムの肩にぽんと手を置いた。


「そうか、おまえ、そういえば……」

「うん。俺が皇都に戻った時も、おまえを連れてここに来た時も、『今は内緒だけど裏技使ったんだ』って言ったろ? これだよ。森の場所は違うけどね」

「…………そんなもんが、複数?」

「うん。不条理だよねえ。でも考えてみたら、かつて帝国が多種族連合軍との戦で負けた時も、どのルートを通って来たのかわからない軍勢が存在したって聞いたことあるじゃないか。敗戦の記録なんて不名誉なもの、公式にはあんまり残ってないけど、これのことだったんじゃないかなぁ」


 なるほど、と思いつつ、カシムはあまりの理不尽さに、なかなかその現実を呑み込めない。

 カリムは意識がある時に実体験済みなので、この不条理な現実をどうにか受け入れる時間が、幸か不幸かカシムよりもたっぷりとあった。


「じゃ、さっさと話を進めるよ。――見ての通りここが山の切れ目だ。この手前が平地になっていて、ここからぐるりと山肌を外側に伝い、南下する通路が建設されてる。まともにやろうと思ったら、とてもじゃないができやしない狂気の工事だ。危険過ぎるし、工事費も膨大、何年かかるかもわかりゃしない。それをもう何年も前から、ほとんど自腹を切らずに、余所から運び込んだ金や労働力でゆっくり進めてきたってわけだ」


 ゼルシカは不愉快そうにふんと鼻を鳴らす。


「違法奴隷や犯罪奴隷の居住地はこのへんらしい。遠大な距離だから、通路内で寝起きしてる奴も一定数はいるだろう。問題はこいつらの監視人だね。全員が半獣族(ライカン)の奴隷で、気性が荒い」

半獣族(ライカン)、か。部族はわかるか?」

半獣族(ライカン)としか聞いてないね。……あんたらにゃ言いにくいんだけど、今回のあたしらの仕事は、建設用に連れて行かれた奴隷すべてを〝盗む〟ことだ。監視役の奴隷達は対象に含まなくていいって話だが、こいつがいたら助けてやりたいっていう奴がもしいるんなら……」

「いや、必要ない」


 カシムは食い気味に否定した。

 痛いほど理由を理解できる弟は苦笑をこぼし、補足する。


「気遣ってくださってありがとうございます。でも冷たいと思われるかもしれませんが、俺達には積極的に助けたいと思うような者、あちらにはいないんです。だから必要ありません」

「へえ?」


 ゼルシカは片眉を上げた。


「広義的な同族として、お恥ずかしい話なんですが。力自慢の半獣族(ライカン)て、頭の良い者が少ないんですよね……そのせいで、頭を使う種族に負けを喫したぐらいでして」

「ふん、それで?」

「奴隷同士の間でも、序列争いしてたんですよ。使い潰されて終わりの労働奴隷は最下位、そこそこ大切にされる戦闘奴隷は上位。俺やカシムは第二皇子のお気に入りっていう立場だったから、かなり妬まれてました」

「へええ、そいつぁ…」

「実質、便利で使い勝手のいい諜報〝奴隷〟に過ぎなかったんですがね、そいつらにはそれが理解できなかったんです。どころか、『戦闘の役にも立たないくせに、尻尾を振って可愛がられている愛玩獣人』って陰口を叩かれてました。もし隷属具や呪印で支配されていなかったとしても、あいつらが協力して共通の敵を倒そうとしたのか甚だ怪しいんですよ」

「それが出来んから滅ぼされた連中だ」


 カシムは吐き捨てた。この国の連中にとっては、半獣族(ライカン)の性格は「お馬鹿で単純だけれど憎めない」となるのだろう。

 裏社会に与していたら脅威でも、ほとんどは討伐者ギルドにいるような、平和的な半獣族(ライカン)を思い浮かべるはずだ。

 しかし帝国にいた頃、二人の周りには、その単純さが悪い方向に出た連中しかいなかった。


「まともな奴もどこかにはいるかもしれん。だがそういう奴は、ほかの奴隷に足を引っ張られる。裏切者と呼ばれてな」

「なんだい、そいつぁ?」

「細かい理屈が理解できないんですよ。共通の敵は本来、自分達を奴隷化した連中のはずでしょう? でも奴隷はハッキリそう口にできないから、曖昧にぼかした言い回しで指摘するしかない。ところが、遠回しな伝え方したって、相手に伝わらないんですよ。きょとんってされちゃうんです」

「苛立つし、歯がゆいったらないぞ、あれは……直接的な言い方をしない限り、まるで伝わらん。力の強い奴が弱い者を憂さ晴らしで痛めつけるのを、どうやって止める? 俺が言っても聞かんなら、主に報告して止めてもらうしかない。だがそうすれば『裏切者、チクリやがったな』となるわけだ」

「うひょ……救いようがないのう……」

「あっちにいる半獣族(ライカン)てのぁ、そんなのばっかりなのかい?」

「相当な数に会ったが、大半がそうだ。まともな奴は無駄な喧嘩を避け、そのせいで奴隷内の序列ではどんどん下に追いやられ、挙句の果てには労働奴隷に落とされる」


 ゼルシカとバルテスローグは、呆れ果てた様子で顔を見合わせた。


「とりわけどうしようもないのが、腕に覚えのある戦闘奴隷の中でですね、自分が上に行けるって勘違いしてる奴がいるんですよ。ご主人様にいつも褒められて、美味しいことばかり吹き込まれて、良い働きをしていたらそのうち隷属状態から解放してもらえるとか、側近に取り立ててもらえるとか、それなりの地位をもらえるとか、ですね。そんな野心持ってる奴が結構いるんです」


 主が空約束をしたケースもあれば、中には勝手にそう思い込んだ奴もいる。

 そういう連中はほかの連中に対し、「俺のほうが上だ」と高圧的な態度をとり、主が命じずとも、自主的に周りへ睨みをきかせようとしたりする。

 実に愚かで理想的な働き者に成り下がるわけだ。

 主に内心で嗤われているとも気付かずに。


「戦闘奴隷には、残念ながら、そういうのが多いんですよ……。魔女殿は、無理して助ける必要なしって仰ったんでしょう? 監視役やってる奴ら、そんな連中なんじゃないですか?」

「ああそうさね、そうなのかもしれない。でなきゃ、必要と判断すれば助けてもいい、ぐらいは付け加えそうだしね」

「セナじゃったら、調べた上で言ってそうじゃのう」


 少し重くなった空気の中、全員が頷いていた。


「んじゃあ、当初の予定通りに行きゃいいってことさね。――そうそう、セナから預かってたものがあるんだよ。必要になるとは限らんが、念のために持ってけってさ」


 ゼルシカは地図を仕舞いがてら、荷袋から小瓶をいくつか取り出した。

 丸薬の入ったものと、液体の入ったものと二種類ある。透明で頑丈そうな硝子の小瓶に、毒々しい朱い色合いが栄えていた。


「これは、なんだ?」

「何かの血、ですか?」

「いや、セナの調合した毒薬だよ」


 毒という単語に、かつて地獄の苦痛を味わった二人は反射的に震えそうになる。

 あやうく取り落としそうになったものの、なんとか耐えた。


「な、なんの毒ですか?」

「知らんよ。材料と調合法は門外不出だそうだ。名前は【キャロライナ=リーパー】っていうんだとさ。いざって時は敵の目や口なんかに放り込めばいいらしい」


 粉末もあるけれど、自分の目に入る危険性が高いので、丸薬と液剤のみになった。


「致死毒じゃあないが、取り扱い要注意の劇薬だとさ。気を付けな。液体のほうは少しばかり弱めてるらしいが、絶対に素手で触れるな、目を近付けるなってことだ」

「わ、わかりました……」

「わ、わかった……」


 うっかり素手で触れたら、自分もこのように朱く染まるのだろうか。

 不吉な小瓶から、二人はしばらく目を離せなかった。




密●国し放題。ずるいです。昔の大戦でもそういう裏技を使って連合軍が余裕の勝利をおさめたのでした。

赤々しいのはあれです。使うとは限らないけれどいざという時には役に立つ…かも?

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