153話 皆が私と御同類になってしまえば良いのに
誤字脱字報告ありがとうございます。
今回はあえて抜いている文字だったので、適用せずにそのままで行きます。
これからもこの字違うぞ、というところがあればご指摘くださいm( )m
この広大な大陸で、大国と呼ばれる国は二つある。
北の大国は〈エスタローザ光王国〉。ほぼ中央に王都が位置し、最北端は険しい山脈に阻まれ、海には接していない。けれど広い湖や大河が各所にあり、水は豊か。
東の大国は〈イルハーナム神聖帝国〉。エスタローザ光王国の最南端、デマルシェリエ地方の国境から中立地帯を経て繋がり、国土は「J」の字形になっている。
その次に大きい国も二つ。
遥か西に〈コル・カ・ドゥエル山脈国〉。国土の全域がほぼ山で、最も謎に包まれた国。神殿の総本山があると言われている。
そして大陸最南端には〈ガラシア都市同盟〉。広大な砂漠を越えた向こうにある都市国家の連合。熱帯雨林が近くにあり、南の海に面し、島国との交易も盛んな商業国家。
光王国や山脈国、都市同盟などとの間には小国がいくつかあるのに、帝国の周りにはひとつもない。
帝国は侵略した国をすべて呑み込み、今の大きさになったからだ。単純に国土面積だけを見れば、間違いなく最大であろう。
精霊族には国家という概念がなく、また彼らは郷の場所を明確にしていないため、人口その他は不明。新しくできた黎明の森の郷は、人族から見れば唯一判明している精霊族の郷だ。
その他、他種族はほとんどが灰狼のように、国土を持たない部族として世界中に散らばっている。
どこかに国があるとしても、彼らはその場所をはっきりさせていない。
帝国の例があり、人族の国家を避けているふしがある。
以前ARK氏が地図を作った時、初めて目にした帝国の形はまるで胃袋のようだった。
天然の壁である険しい山脈に国土がすっぽりと囲まれ、行き来できそうな開口部は二箇所しかない。
ひとつは光王国、すなわちデマルシェリエ地方に繋がる中立地帯と接する箇所。
もうひとつは、海だ。
胃の食道より北東の方角にずれているけれど、一部だけぽっかりと山が切れており、海に接している箇所がある。
瀬名は地図だけを見て、単純に「軍港つくってガラシア都市同盟を標的にしてたりしてねー」とARK氏に言ってみたことがあった。
が、それは無知ゆえに出た発言だった。
貪欲に侵略を続け、他国の土地にがつがつ喰らいついてゆこうとする帝国の動向を、この世界の国々はずっと前から注視してきている。
東の地がすべて帝国領と化す前から、地理条件などについては詳しい調査がなされており、「光王国側しか出入口はない」と、調査に関わった多くの人々が判断したらしい。
ARK氏はもちろん、この世界のトップの人々であれば、口にする前から「それはない」と自分で没にするレベルのものに過ぎなかった。
何故なら北東にあるもうひとつの開口部は、めまいがするほどの断崖絶壁だったのだ。
さらにその下の海は鋭利な岩礁がひたすら続き、地を砕きそうな勢いの波が常時打ち付けている。
いくつもの海蝕柱がそびえたち、海底の地形と海流の影響で頻繁に大渦が発生し。
とどめに、内陸の川に生息する魔魚よりも、海の生物のほうが遥かに巨大で凶暴で危険なのだった。
その場所の立体図を見せてもらい、瀬名は己の勘違いを知った。平面の地図から想像していた、ゆるやかな浜辺のある海岸線とは、様相がかけ離れていたのである。
ガラシア都市同盟の南海岸は、白い浜辺に優しい波が寄せては引く、まさに瀬名の想像する南の海そのものだ。
そこには港があり、水平線には島国の影が浮かび、漁船や商人の船も行き交う。
そういう穏やかな、水深の比較的浅い海域に生息するのは、そうでない海域の生物ほど巨大でも凶暴でもない。
帝国の東の海は違う。
海はつねに荒れ、そして深い。外海へ行くほどに海の生物は凶悪さを増し、そこで船を使うなど自殺行為でしかなかった。
苦労して船を出しても、そこからえんえんと南に下って都市同盟へ向かうまで、どれほどの犠牲と日数を要するのかわかったものではない。大軍を運ぶなど論外である。
軍船の強度。
大渦や暗礁を避ける航海技術。
河川とは比較にならない海の魔物との戦闘。
水や食料の確保。
とどめに船酔い。
北側のルートはもっと駄目だ。光王国の北の山脈から、コル・カ・ドゥエル山脈国の手前まで、山の切れ目がない。しかもそこは帝国の東以上に高い崖になっている。
神話の中に、「神々が大地に斧を振りおろし、北の大地は切り分けられ、不遜な者達の領土は海に沈んだ」というものがあった。
太古の地殻変動か何かで地面がぱっくり割れて、当時そこにあった文明が海底に沈みでもしたのか――瀬名やARK氏からすればそういう発想になるのだが。
ただこの世界、神々が実在するらしいのだ。
となると、神話とは、災害や奇跡を目の当たりにした人々により創りあげられたお話とは考えず、書かれているその通りの出来事がかつて起こった――つまり、史実と認識しておくべきものかもしれなかった。
要するに大昔にどこかの神様が斧でどかんとやったら、地面が割れたのだ。
そして、北の部分が海の藻屑となったのだ。
……切り分けられたパウンドケーキのように、ぱったり倒れてしまったのだろうか?
未だ会ったことはないし、ウォルドにとってもおいそれと会えるものではないらしい。
けれど、列島を大陸から分離させるレベルの神が、ここには本当にいるのかもしれないと思うと……。
(これが片付いたらヒキコモリ生活に戻りますから、どうか神罰だけはやめてください)
瀬名は内心で手を合わせた。
日々それを目標に邁進しているのだから、むしろ助けてくださいとお願いしたいぐらいである。
しかし、贅沢を言ってはそれこそバチが当たりそうだ。
第一、青鹿のゼルシカ婆様から始まり、辺境伯親子やグレン達、精霊族に灰狼と、初日から現在に至るまで、瀬名には有能で強力な味方ばかりひたすら増えていった。
間違いなく、出会いにかなり恵まれている。
もしもそれが、どこかにいるかもしれない運命の神様やご縁の神様による采配だったなら、心から感謝を捧げるべきであろう。
しかしお供えをしようにも、神々の実態がどのようなものかいまいちわからない。加護を授かったというウォルドでさえ、すべての問いに答えが返るわけではないらしく、未だ不明なところのほうが多いということだった。
やはり、精神生命体のような方々なのだろうか。
加護を与えた者達を通して、数々の奇跡を起こすのか。
(まあ、正体なんて追究しなくていいかもだけど)
神秘的なものはそのままにしておきたい。
それにこの世界の神々は、神話やウォルドの話から察するに、不条理系の神々ではなかった。
生贄を要求したり、次から次へと愛人を作って隠し子をこさえたり、嫉妬して旦那のほうではなく愛人のほうをこれでもかと痛めつけたり、そういう「ちょ、なんで!?」系の神々は、幸いにしていないようなのだ。
加護を与えた英雄に、カタギの皆さんをあんまり傷付けるなよと釘を刺した軍神の話さえあり、ほかにも人道を外れたサフィークやラゴルス達から、すっぱり神聖魔術を取り上げたりと。
もし何かの拍子にうっかり会うことがあったとしても、普通に感謝や尊敬ができそうな相手なのではないか、そんな気がするのだ。
事情があって表に現われないのか、出ることができないのか、いずれにせよ無理に暴きたてる必要はないだろう。
話は戻るが、要するに帝国の東から海に出るのは自滅以外の何でもない。
だから、海からのルートはない。貪欲な帝国がこれ以上の領土を望むなら、まず光王国を攻め落とすしかない。
それは誰にとっても明白だった。
ゆえにARK氏も、海側からの可能性は低いと除外していたらしい。可能性の高いものから優先的に検討するのは当然のことだ。
けれど瀬名から素朴な思いつきを投げかけられ、風向きが変わった。
――もしや、と。
停戦条約を結んで以降、今まで武力一辺倒だった帝国が、代替わりによって搦め手に転向したのだとすれば。
皇帝も過激派の重臣達も高齢で、敗北の責を負わされ失脚した者も多い。
もしも瀬名やARK氏が帝国側の者であったなら――皇帝とその周辺を黙らせて平和的に国交を結ぼうとしそうだが、仮に敵対していたとして――相手がまったく警戒していないところを突くだろう。
そこから攻められる可能性は限りなく低い、相手がそう考えている場所を突くのは基本だ。
ただし、それならばどうやって突くのか。その方法がないと誰にとっても明らかだからこそ、警戒されていないそれを。
「自国の戦闘奴隷は減らしたくない。それに戦闘奴隷を大勢動かしたら、国内外にバレてしまう。……だから余所の国から密かに運んできた人々を、北東に送り込んでいたんですよ」
EGGSがその現場を押さえ、撮影した映像を〈スフィア〉に送った。
その記録映像を小鳥が流す。
「うわっ!?」
「なっ……!?」
「こ、これは!?」
「せ、セナ殿、こ、これは……」
「いったい……何が……」
「すいません、深く訊かないでください。ここだけのお話ということで」
「…………」
「……、…………」
いきなり何もない空間に出現した映像に、瀬名と三兄弟以外の全員がぎょっとしている。
反射的に立ち上がった者もいたが、深呼吸をして、胸をおさえて再び腰をおろした。
(しまった、心臓に悪かったかも?)
魔道具でもこれほど鮮明な映像の記録装置などない世界で、刺激が強過ぎたかもしれない。特に高齢の方々には要注意案件だった。
ゼルシカ婆様や騎士達はともかく、ここには老神官のザヴィエもいるのである。
神殿の者がとんでもない不始末をしでかしたせいか、神官達は余計な口をはさまぬように自重している様子だった。瀬名が最初に言った通り、疑問点は後で訊くつもりなのだろう、準備しておいたメモ用紙を活用してくれている。
そのザヴィエ達も胸をおさえて目を見開いていたので、さすがに心配になってきた。
「びっくりさせてすいません、ただでさえ内容が内容なのに、配慮が足りませんでしたね。――ごめんエセル、皆さん用に桃を切り分けてきてくれる?」
「わかった。茶の追加も運ばせよう」
この地で育てると、何故か微弱な精神安定や体調補正効果が付与される地球産の食べ物。
微弱といっても効果はピンからキリまであり、いろいろ試してみた結果、桃は一番効果が安定して高かった。
不意に、瀬名は念話でARK氏に尋ねる。
≪そういや、桃の旬っていつだっけ?≫
≪夏ですね。早ければ春の終わり頃でしょうか。しかし我々は年中収穫が可能ですし、こちらの方々はご存知ないのですから、気になさらずともよろしいかと≫
先ほどの食事会でも、旬を知っていれば季節感を大いに取り違えたメニューばかり並べてしまっていた。
だがARK氏の言う通り、こちらの人々は旬を知らない食材ばかりなのだし、さほど気にせずとも構わないだろう。
ちょっと、瀬名だけが気分的にどうかなあと感じる程度のことだ。
流し続ける映像を、誰もが食い入るように観ていた。
ぼろぼろの服を纏い、危険な工事に従事させられる人々の首には、隷属の首輪がはまっている。
驚愕しながらもいち早く我に返った面々は、苦々しそうな表情で唇を引き結び、あるいは歯ぎしりをしていた。
デマルシェリエの国境と帝国方面の行き来は、完全に途絶えているわけではない。許可を得た商人や外交官の行き来はあり、何よりこの国の王太子が仕事を怠け、側近に己のサインを書かせていた不祥事などは記憶に新しい。
いくら下の者が警戒を強めていても、上にそんな真似をされてはどうしようもない。
そうしておそらく何年も前から、労働力がせっせと帝国に提供され続け、ゆっくり、着実にその通路の建設が進められていったのだ。
岸壁を這う、とても危険な工事現場――劣悪な労働環境。
足をすべらせ。病に倒れ。資材の下敷きになり。妖鳥の襲撃に遭い。
そうして誰かが減っても、また新たに誰かが補充される。
代わりはいくらでもいた。
失われても帝国は痛くもかゆくもない。
帝国にとって、純然たる帝国民以外は無価値なのだ。
静かな怒りが辺りに充満し、息苦しさを覚えるほどになった頃、ちょうどいいタイミングでエセルや助手達が桃を運んできた。
手の平ほどの器に盛り、小さなフォークを添えて。
「じゃあ、いったん小休止としましょう」
映像がふ、と消え、目をしばたたく人々の前に器が配られる。
その香りに頬をゆるませ、どこかホッとした様子の客人達に、「どうぞ食べてみてください」と促した。
口に含んだ者から次々と、思わずといったふうに溜め息が漏れ聞こえてくる。
あの映像の後では、あからさまに歓声をあげられる者はいないけれど、かなり浮上してくれたようだった。
≪んー……やっぱり結構、衝撃が強かったか……映像はさすがにやり過ぎだったかな?≫
≪一発で納得していただけますし、危機感を抱いていただく意味でもこれでよろしいでしょう≫
この国の王族が絡んできたとしても、今後は下手に遠慮をせず、後手に回る心配は少なくなると期待したい。
野心のない優秀な臣下が身分に遠慮をし、困った王やお馬鹿な王太子の暴走が結果的に放置されてきたせいで、今日のこれに繋がっていると言えなくもないのだから。
≪しっかし、どうすんのよ。このあと、もっとアレな爆弾が控えてるんですが?≫
≪さらっと行ってしまいましょう。それしかありません≫
七割ほど完成している道よりも、比較にならない大問題がある。
これからそれを告げねばならないのだ。皆の受ける衝撃と動揺を想像しただけで、今からうんざりする。
「人類みな私と御同類になってしまえば良いのに……どいつもこいつもなんで面倒なことばっかりすんの? 『みんな仲良くしようね、無理なら迷惑かけないように引きこもってようね』でいいじゃない……?」
うんざりするあまり、声に出てしまった。
瀬名の発言に全員が顔を上げ、なんとも言えない微妙な表情で見交わす。
「まあ……引きこもりは容認できんが……」
「何故だ。つうか、小鳥さんみたいなことを言うんじゃありませんよ」
「瀬名が引きこもるのはだめですよ。まあ、皆が瀬名みたいな考え方になったら、間違いなく世界中に平和が訪れるでしょうけど……」
誰にも迷惑かからないし平和なんだからいいじゃないか、と瀬名は思った。
さて。
長らく鎖国状態が続いており、神殿の総本山があると噂のコル・カ・ドゥエル山脈国について。
――滅びているんだが。
これ、どう説明したらいいんだろう……。