14話 十五歳、はじまりの町で (3)
その店はかなり古そうだったが、悪い意味でのボロさはなく、年代を重ねて趣のある建物だった。
掃除も行き届いている様子で、埃臭さはない。内部は様々な品がごちゃごちゃ乱雑に置かれているように見えて、実際は客の目線から選びやすいよう、計算して並べられているのがわかる。
壁にかけられた乾燥ハーブに薬草、所せましと並んだ小さな薬壷や箱、それ以外にも木製の食器や革の道具入れなど、さまざまな雑貨も置かれていた。
客が手に取ることができる範囲にあるのは、安価で、広く知られている品物ばかり。高価だったり、取り扱いに注意が必要な薬などは、カウンターの向こう、おそらく店主らしき老婆の背後、やたら数の多い引き出しの中に仕舞われているのだろう。
店内の雰囲気や、陳列された諸々をひとことで説明するならば、RPG脳ホイホイだった。
間違いなく瀬名の脳内では依存性のある快楽物質が大量に分泌され、一日中眺めていたら危険な状態に陥りそうだった。
≪不審者と思われて出入り禁止にされますよ?≫
≪くっ……仕方ない。今回は許してやるか……≫
出入り禁止で済めばともかく、牢屋にぶち込まれたら洒落にならない。
ひとつひとつ手にしてじっくり眺めたい衝動をこらえ、その魅力的な品々から視線をひきはがした。
「坊や、あんた見かけない顔だね? この町は初めてかい?」
なんと、いかにも偏屈そうな、むしろこちらのほうが魔女らしい風貌の老婆がカウンターから話しかけてきた。
それはもう、万人が〝偏屈〟と評するであろう皺を、いかにもな配置でたっぷりと顔に刻んだ老婆である。
他に客の姿はないので、話しかけた相手は瀬名で間違いない。じろりと睨まれたような気がして内心怯んだが、後退りたくなるのをなんとか堪える。
(やば……怪しまれてる?)
こういう時は焦ってはいけない。いきなり目を逸らしたりなどすれば、ますます相手は疑いを深めてしまう。
背筋を冷や汗が伝うのを感じつつ、私は無実ですと心の中で訴えながら真っ直ぐ見返し……おや? と、首をかしげそうになった。
琥珀色の双眸は眼光するどいが、よくよく見れば、余所者に疑いを向けている様子ではない。
瞳の奥にちらちら瞬くのは――そう、少し前にも見たばかりだ。
あの困ったお喋り兄さんと似たような、純粋な好奇心である。
返事をすれば、何かのイベントが発生しそうな勢いだ。
≪マスター。この女性は元・高ランク討伐者ですよ≫
≪何それもっと詳しく≫
≪名はゼルシカ。地方貴族の末娘として生まれ、両親亡きあと、長兄から強制された財産目的の政略婚を嫌い出奔。実家とは絶縁し、数少ない女性騎士として訓練を積んだのち、討伐者へ転身。たちまち頭角をあらわし、女性としては異例の聖銀クラスまで登りつめ、結婚・出産を期に引退。現役時代の通り名は〝轟雷のゼルシカ〟≫
主人公だ。
ここに主人公がいる。
末期のRPG脳に追い討ちが来た。
≪マスターを警戒する様子がないのは、無法者とそうでない者を見分けられる眼力の持ち主だから、のようですね≫
≪ッそれは是非ともお話させていただかなくてはっ!!≫
女将に声をかけられてから、少し間があいてしまった。奇妙な沈黙を誤魔化すため、店内をきょろ、と見回す。「今話しかけられたのは自分だよね?」というふうに。
そして女将に視線を戻し、なるべく愛想良く笑いかけた――つもりだったが、鈍い表情筋はわずかな微笑みを浮かべる程度だった。
≪却ってわざとらしさのない、ごく自然な表情になったかと≫
≪お黙り≫
自分でもそう思った。
「祭りとは聞いていたんですが、すごい賑わいですね」
「そうだろう。楽しんでいきな」
けわしい顔つきを裏切り、ひょいと片眉をあげて唇の端に笑みを浮かべた女将は、しわがれた声でフレンドリーな言葉をくれた。
(……なんかこの婆さん、漢前の香りがする? 好きかもしれない……)
どこかの町に一人はいそうな陰険婆さんといった風情だが、現役時代はさぞかしブイブイ言わせていたのだろうと勝手に想像。こんなに細くて小柄でしわしわな彼女に、どんな戦歴があって〝轟雷〟などといういかつい二つ名がついたのだろう。
それとも若い頃は、もっとがっちりしたタイプだったのだろうか?
そして〝轟雷のゼルシカ〟と結婚できた英雄が誰なのか、激しく気になるところである。
その後も何の違和感もなく挨拶とお喋りを交わし、思いがけず用意してきた薬もすべて捌けて、懐も温まった。
銀貨三枚、銅貨二十枚、也。
ヴィナール硬貨、すんなりゲットである。
表面には、神々の横顔とそのシンボル。裏面には、やや上寄りに大きな太陽があり、その下で豊かな葉のついた枝と三日月を模した杖が交差し、小さな文字が時計の文字盤のようにぐるりと囲んでいた。
太陽と、世界樹の枝と、月の杖。
エスタローザ光王国の紋章のデザインだ。
紋章の下部には大きく〝ヴィナール〟の文字が配置され、さらにその下に小さく王国暦と、通し番号らしきものが書かれている。
金額はない。これが〝エスタローザの発行するヴィナール硬貨〟という事実が重要で、それがわかれば役割を果たすからだろう。
自分の作った品が評価され、対価を支払ってもらえた事実に、ふわふわとした嬉しさが全身を包みこむ。
ただし、油断するとゲームの仮想通貨と錯覚してしまいかねないので、慣れるまでは「これはお金だ、玩具じゃないぞ」と、己にしっかり言い聞かせておかねばなるまい。
≪入町税の確保、しばらく困らないよ。お試し販売だったのに≫
≪そうですね。私の想定価格では、トータルで銀貨二枚強になれば上々と考えていたのですが、かなり色をつけてもらえましたね≫
≪祭り期間で在庫が不足しやすいからかな?≫
≪それもありそうですが、この店はそもそも、日頃から利益を出せているのでしょう。確かな品質のものを適正価格で販売していると見受けられますし、町の住民からの信頼も厚いのだろうと思われます≫
≪ほほうほう≫
ちなみに瀬名の作る薬は、森に自生していた薬草と、地球産の作物を使用している。
容器は森に落ちていた小枝を板状に加工して作った箱や、そこらの土を練って焼いただけの、ごく簡単な小さな壷だ。
元手が無料なのはさておき、いくら中身の品質が良くとも、容器が素人の工作、しかも日頃から取引を行っていない余所者が売る以上、初めはお試し価格で安く設定すべきと瀬名もARK氏も考えていた。
それが銀貨三枚以上。レートがピンとこないなりに、銀色のお金が結構なお値段であることぐらいは想像がつく。そんな金額を迷わずぽんと出せるこの女将、店構えからは想像できないほど、懐豊かだったようだ。
さすが元・高ランク討伐者。最初に買取を持ちかけたのがもし別の店だったなら、こうはいかなかったに違いない。
さらにこの女将、現役時代の名残でモノの良し悪しだけでなく、毒の有無までかなりの精度でわかるような、恐るべき勘の持ち主だった。
――勘である。されど勘。魔素だの魔力だのが存在する世界において、経験豊富な実力者の勘は馬鹿にできないのだった。事実、彼女は瀬名の持ち込んだ薬がすべて上質のものであり、粗悪な混ざりものや毒物のたぐいは仕込まれていないと、一発で見抜いた。
にもかかわらず性別を欠片も疑われない件について。
「もし腹すいてんなら、はす向かいの通りの屋台で売ってる串焼きがおすすめさね」
「串焼きですか?」
「王都で料理人やってた爺さんが、引退して孫夫婦と住んでんだけどね、趣味で屋台やってんのさ。秘伝のタレに一年漬けといた魔鳥の肉を、炭火でじっくり焼くんだよ。奇岩鳥のかったい肉がとろっとろになっててねえ。この期間しか店出さないから、逃したら損だよ? 祭り終わったら食べらんないからね」
期間限定品か、やるな――さすがだ。
瀬名は女将に礼を告げ、店を出た足で真っ先に屋台を目指した。
◇
結論から言えば、残念ながら期間限定品は逃した。
異国風の少年がふらりと紛れ込みやすいということは、ならず者が紛れ込みやすい環境も整っているわけである。平時より厳重な警備態勢だったようだが、それでもすべては防ぎ切れない。
馬並みの巨大な鳥が荷車を引き、さまざまな種族が大勢行き交う雑踏を、縫うようにすり抜けている最中、ローブを身に纏った二人連れの女性が、背後から男に口を塞がれ、引きずられて行くのを目撃してしまった。
(あー、あの二人かぁ)
見覚えのある姿に、瀬名のこめかみがぴくりと波打った。
〈青い小鹿〉に入る直前、露天の小物売りの前で、きゃっきゃうふふとお喋りしていた二人組ではないか。
――まあ、これは何かしら? こんなものも売っているのね! ほら、ご覧なさいな、とっても面白くてよ!
――さようでございますね。ですがひ……お嬢様、そろそろお戻りになりませんと……。
お金持ちのご令嬢とその侍女がここにいますよ! と、自己申告しているこの会話。
通り過ぎざま耳に入り、「え、ちょっと待って。え、もしかしてこれで忍んでるつもりなのこいつら? え、正気で?」と三度見ぐらいしそうになった。
(あのー、お二人さん? 声をひそめりゃいいってもんじゃありませんよ? 目の前の店主の耳がダンボになってますよ? 通りすがりのダンボじゃない僕の耳にも入っちゃってますよ?)
明らかに、どこぞのお嬢様が、侍女を巻き込んでお忍び見物を楽しむの図であった。
(深く被ったフードで顔を隠すより何よりもまず、その服を隠せ! ローブの下から豪華なドレスがばっちり見えてるぞ! 多分おまえの顔よりドレスのほうが目立つぞ!?)
おまけに侍女の身のこなしは、戦闘訓練を受けているようには到底見えず、護衛の姿も見あたらなかった。いくらお忍びであろうと、最低限の護衛は必要だろうに、無用心極まりない。
もちろん瀬名はこの二人を無視して通り過ぎ、まっすぐ〈薬貨堂・青い小鹿〉へ向かった。だって厄介ごとの臭いしかしないではないか。
そしてどうやら、彼女達はまんまと犯罪に巻き込まれたようだ。
「うーわぁー、めんどくさ……。あれどう考えても自業自得だし、放っときたいなぁ…」
他にも気付いた者はいたかもしれない。
しかし面倒ごとを避け、見ぬふりをする可能性大だった。瀬名のように。
……仕方がない。
≪捨て置かれても問題ないのでは? あまり同情の余地はないように見受けられますが≫
≪うん。でもあのお嬢さん達はともかく、誘拐犯グループは放置しない方がいいかなと。手際が常習犯ぽいし≫
今後もこの町へ定期的にお邪魔する予定なのだ。我が身の安全はきっちり確保しておきたいし、何より、見捨てると後々とても寝覚めが悪そうだ。
それにこの先、自業自得ではないどこかの娘さんが被害に遭うかもしれない。
瀬名は溜め息をつき、美味しそうな香り漂う魅惑の串焼き店から、嫌がる足を無理やり方向転換させた。