146話 悪徳貴族の令嬢、その末路 (前)
誤字脱字報告ありがとうございます、いつも助かります。
というか、よく使ってる字なのに何故憶えてくれないのだ変換機能よ…。
かつてレティーシャ=エーメ=グランヴァルと呼ばれた美しい令嬢の終焉について、歴史家は伝える。
地獄界の入り口と呼ばれた元グランヴァル侯爵領。その領主家に相応しい心の持ち主でありながら、さも聖女のごとく振る舞っていた彼女が、どのようにして転落の道を突き進んだのか……。
◆ ◆ ◆
レティーシャは、それでも「まだどうとでもなる」と信じていた。
ガスパール=エーメ=グランヴァルとその妻イヴェットは、まるで彼らの犠牲者の亡霊が乗り移ったかのように、良識に唾を吐いた凄惨な栄華の道のりを、自ら、洗いざらい暴露した。
複数の精霊族と、親族とはいえ他家の者が複数目撃する中での大暴露であったため、隠蔽することなど叶うはずもない。
グランヴァル家には国の調査が入り、行われた尋問でおぞましい悪事が次から次へと判明。夫妻は身分剥奪の上、監獄送り。そしてグランヴァル侯爵家は取り潰しとなった。
あまりに不吉で汚らしい、貴族を名乗らせたのが間違いと罵倒される家をそのままにはしておけず、さらに親族の誰もこの家を欲しがらなかった。
レティーシャは、それでも「まだどうにでもできる」と信じていた。
両親が貴族の身分を剥奪されたので、その娘である彼女も、もはや貴族令嬢ではなくなってしまった。グランヴァル家の財産はすべて没収され、いずれ国の寄越す誰かが新しい領主となる。
疲弊した土地を罰として押し付けるか、それともこの領地を立て直せる有能な人材を選ぶのに時間がかかるのか、いずれにせよ次の領主はすぐにはやってこない。
それまでが、かつて侯爵令嬢と呼ばれ、今はただのレティーシャとなった少女に残された期間だった。
ああ、どうしてこんな恐ろしいことになってしまったのかしら、わたくしこれからどうすればいいの――……?
と、以前ならば悲しげな伏し目で、周囲の人々に哀れを訴えたであろう。
ところが、ここで大きな誤算があった。
今や彼女には、それを目にする〝周囲の者〟自体がいなくなっていたのだ。
従順か否か、それ以前の問題であり、仕える人々自体がいなくなってしまった。
観客がいなければ演じても無意味なのである。
あれほど令嬢を褒めそやしていた侍女達も、金目のものをかき集めて姿をくらましていた。
幽鬼のごときガスパールの有様に、現実を思い出してしまったのかもしれない。誰も彼もが令嬢のもたらすフワフワとした夢から覚めて、「それはそれ、これはこれ、我が身第一!」とばかりに、さっさと沈みかけた船を放棄してしまった。
広い広い館――グランヴァル〝元侯爵邸〟と呼ばれる建物の中に、残ったのは長年勤めてきた生真面目な使用人達と、既に彼らの主ではない〝元令嬢〟だけであった。
レティーシャは愚かな両親のせいで、僻地の神殿へ送られることが決まった。領民の大多数は、この美しい少女の不運を同情とともに噂している。
しかし。
現在残っている使用人達と、そして新領主が決まるまでの一時的な管理者として送り込まれた人物は、レティーシャに同情など一切しなかった――このあたりから、少女はようやく焦りを覚え始めた。
ガスパールの〝事業〟から派生し、その娘に傾倒した組織の者達は、未だ誰ひとり連絡が取れない。
帝国の間者も、鳥を送ったきり返事の来る様子がまるでなかった。……この男に関しては、潮時と切り捨てられた可能性が高い。
数日後に迫った出発を控え、レティーシャはそれまでの間だけ、お情けとして〝館の一室に滞在させてもらう〟立場に成り下がっていた。
着替えは町娘と変わらない粗末な服が数着、美容液や化粧品や香水はすべて取り上げられ、食事も使用人と同じメニュー。あてがわれた世話係は最低限のことしかしてくれない――無感動な鉄仮面女で、泣き落としも説得も通用しない強敵だった。
そして手紙を書くことすら許されなかった。
レティーシャの栄光は、父親が高位貴族であり、王太子の想い人という、力ある者の存在が前提となって成り立つ砂の城に過ぎなかったのだ。
彼らの失敗や気まぐれひとつで、簡単に崩れ去る。
けれど彼女は、断じてそんなことなど認めたくなかった。
(おかしい、おかしいわ。なんとかしなきゃ)
待ち続けても一切好転しない、どころかどんどん不都合な方向へ転んでゆく事態に、ようやく少女は立ち上がった。
座って微笑んでいるだけでは、何をどう好転させられるはずもない。
しかしどうすればいいか。改めて考えれば、レティーシャに可能な手段は恐ろしく少なかった。
貴族令嬢という価値を失った瞬間、かつて彼女に心酔していた男達の大半が目をそむけ、あるいは存在をなかったことにした。貴族である彼らにとって身分なき娘など、いくら美しかろうとそれだけで価値が激減する。
ガスパールがやらかし、何らかの罰を課される想定はしていたけれど、自分の身分までなくなる日が来るなどと、レティーシャはまったく想定していなかったのだ。
父親が危うくなれば、己に恋焦がれる数多の男の誰かを選んで嫁いでしまえばいいと。
美貌と身分を過信し、その挙句の神殿送りであった。それが嫌なら平民として働きながら暮らすしかないのだが、むろん彼女に労働などできるわけがない。
(おかしいわ。こんなはずがないわ。……いいえ、大丈夫よ。わたくしにはできるの。神殿になど行かないわ。俗世から切り離された場所なんて、このわたくしに相応しくないのだから)
清貧を旨とし、民を守る神官達は人々に愛されているが、貴人女性が神殿へ送られるとなれば、上流階級の者にとってそれは追放と同じ意味になる。
身分剥奪を言い渡された後、まださほども経っていないのに、平民レベルに落とされた館暮らしが、既に彼女には耐えられなくなっていた。
◇
チャンスが訪れた。
レティーシャに恋焦がれながら、相手にしてもらえなかった子爵の青年が、密かに接触をはかってきたのだ。
身分が低く、容姿もさほどではないので適当にあしらっていたけれど、これを逃してはならない。
「ご安心くださいレティーシャ嬢、僕があなたを神殿送りになどさせはしません!」
「まあ……嬉しいわ! そんなにもわたくしを想ってくださるなんて……!」
神殿からの迎えの馬車が訪れる前夜、忍んできた子爵とともに、こっそり館を出た。
少女の価値のなさを示すように、見張りらしい見張りはおらず、脱出は容易かった。
「ひとまずは隠れ家にお連れいたします。僕は家人を誤魔化す必要がありますので、先にお行きください」
「はい、お待ちしておりますわ、子爵様。本当に、なんとお礼を申し上げればよいか……」
「お礼など。愛しいあなたのおためなら、何でもいたしますとも」
闇に紛れて目立たないみすぼらしい馬車に、レティーシャだけが乗り込み、頬を紅潮させた若く単純そうな子爵に見送られて、ゆるやかに――……
いや、ガタガタガタ、と、やけに揺れながら馬車は進み始めた。
騒音をたてない技術は進んでいるけれど、目につかない古ぼけた安物馬車となれば、乗り心地に犠牲が出る。揺れが酷かったり、座席が硬かったり、およそ今までのレティーシャが乗ったことなどない酷さだった。
しかし、こればかりは我慢せねばならない。ほんの少しの我慢だ。
いや、ほんの少しで終わらなかった。丸一日もひたすら苦痛を我慢し続けた経験などなかった少女は、隠れ家とやらに到着した頃には、足元もおぼつかない状態になっていた。
足も腰も背中も痛い。揺れに耐えるために全身を緊張させ、こわばった姿勢で長時間。立派な筋肉痛に襲われていた。
「どうぞ」
「…………」
少女に色気を出さぬようにか、不愛想な従僕が手も貸さずに隠れ家まで案内し、さらにその粗末さに唖然とする。
はっきり言って、館暮らしのほうが遥かにマシと思えるほどの酷さだった。
――ごく平凡な平民の暮らすような小屋なのだが、レティーシャには馬小屋にしか見えなかった。
そして食事も、粗末さと味の酷さが増している。ごく平凡な平民の家庭料理であり、貴族の館の料理人と比較してはならないのだが、レティーシャがそれを許せるはずもない。
けれど不愛想な従僕には、とりあえず気合で微笑み「おいしいわ、ありがとう」とお礼を伝えるのを忘れなかった。
美しく愛らしいレティーシャは、高慢ちきな貴族令嬢とは違うのだ。
そうでなければいけないのだから。
副題・悪徳元令嬢転落物語。