142話 ある日、ある森の【呪術士】が (4)
陰鬱な詠唱に大地が共鳴し、さざ波となって森の主のもとへ集まる。
歪んだ存在の森は魔女を守り、その力を蓄えるためだけにある。もとより生命力はなく、単なる器に過ぎなかった。
ジャミレ=マーリヤに力を与え、森は不自然にねじれ、歪んだ本来の姿を取り戻す。
端のほうは奇怪な悲鳴をあげながら、いくらかは枯れたようだった。
(魔素じゃない。魔力だ)
力の流れを慎重に見極めていると、ジャミレ=マーリヤの肉体は仮初でも、ただの器でもないことがわかった。
あそこにいるのは紛れもなく本人だ。
何故そんなことを気にするか?
それは、木や何かで作った傀儡に、自分のふりをさせているかもしれないと思ったのだ。
本人の身体ではあるけれど、心臓をどこか別の場所に隠して不死身を保っている手合いかもしれない。
本体をさがして倒さねばならないとなれば、非常に面倒である。
――そう思ったのだけれど。あそこにいるのは倒せばちゃんと倒れてくれる存在だと判明し、これで杞憂がひとつ減った。
《その方法を使って復活する魔族や魔女の退治される伝承が、世界各地に残されているせいではないでしょうか》
中には、こっそり隠していた魂あるいは心臓を、素朴な村人の青年にたまたま偶然発見されて、ろくな活躍もできずに冒頭で死んでしまったちょっぴり可哀想な魔族の物語さえある。
そういうリスクを考慮すると、自分と離れた場所にむき出しの弱点を隠しておくのは一長一短なのだ。
いや、割合的には五分五分ではなく、デメリットのほうが大きいか?
「みんながその倒し方を知っちゃってると、あんまり強みにならないよね」
物語として広まっているせいで、意外性が薄れてあまり脅威に感じられないのだ。
《王侯貴族や騎士階級の方々はまず知っておられるでしょう。足止めをしながら心臓を探して潰す、方針が決まっていれば後は早いでしょうから、今の時代では悪手でしかありません》
ARK氏も肯定してくれた。復活の術や不死身の呪法などは思わぬ落とし穴があるものなので、過信は禁物なのである。
「!」
目が合った。
瞬間、呪術士の身体がふ、と消えた。
――どおぉん!
すぐ目前で凄まじい衝撃波が発生し、消えたのではなく、こちらへ跳躍したのだと遅まきながら気付いた。
「ノクト……」
「大丈夫、さがって」
交差させた双剣が大砲並みの威力を受け止め、ノクティスウェルのかかとが地面にめり込んでいた。
(げっ)
憤怒の形相でジャミレ=マーリヤが邪魔者を睨みつけていた。
さすがと言おうか――彼女は己の精神攻撃が、誰によって妨害されているのか気付いたのだ。
そうして一瞬視界から消えるほどの瞬発力をもって、一直線に妨害者の排除に動いた。
(これまさか、身体強化ってやつか! うわ、びっくりした……!)
初めて見たが、想像以上に凄まじいインパクトがある。
ノクティスウェルがすぐ近くにいなければ痛い目を見ていたかもしれない。
冷や汗がたらりと流れた。ジャミレ=マーリヤの体形にはまったく変化がないのに、成人男性の靴がジリジリ地面に沈んで土が盛り上がっている。
巨大な魔獣並みの膂力、そこから発生するパワーに耐えうる肉体。
グラマラスな美魔女による、一撃が大砲並みな物理攻撃。
怖い。
兄弟達はジャミレ=マーリヤを始末する決定打を欠き、ジャミレ=マーリヤのほうも己の得意とする呪いが兄弟達に通じなくなっている。
この状態が長引けば、お互いジリ貧になるのは目に見えていた。
そのための接近戦なのだろうが、あの武器はいったいどこから出したのだろうか。
マンモスの牙のごとき、大きく湾曲した無骨な武器である。手で持つ部分だけを削り、持ちやすくしただけのような。
むしろ半獣族が持っていたほうが自然な、打撃を与えるタイプの武器だ。
《死霊術の一種ですね。南方に生息する魔獣の牙をこのあたりの土で模しています。実物より多少劣りますが、かなりの強度と重さを再現できているようです》
「げ。ちょっとARKさん、このあたりの土って……」
問いかけてやめた。――何がまざっているのか、なんとなく想像がついてしまった。
多分いろいろ、詳しく知らないほうがいいものをたくさん混ぜたり埋めたりしているのだろう……。
しかし字面からして不穏な死霊術とやら、たまたま彼女があまり得意ではないのか、武器の形成以外は使えないようだった。
そこらじゅうから土人形がドロドロ湧いてくる光景を想像してみるも、この兄弟達の怒涛の極大魔術で粉々にされる未来しか浮かばないので、やはりつまるところ、行き着く先は接近戦というわけなのだった。
ノクティスウェルが競り勝ち、ジャミレ=マーリヤを弾き飛ばした。
墜落する魔女めがけて、長兄が巨大な氷柱を大量に放つ。
敏捷性を何十倍にも増した魔女はひらひらと避け、しかしそこにノクティスウェルの双剣が追い打ちをかけた。
瀬名の動体視力の限界を超えるような戦いが展開する。凄まじい音と衝撃。
シェルローヴェンは末弟のサポートに徹していた。――おそらく、強化された魔女の相手をできるのがノクティスウェルだけなのだ。
次兄エセルディウスが末弟に代わり、瀬名の傍を護り立つ。
言葉はなくとも、彼らはおのおのの役割を即座に理解し動いていた。
もはや無様な悲鳴はない。ジャミレ=マーリヤはまさに勇猛なる戦士であった。
銀虹色の髪が翻り、普段の穏やかさが鳴りを潜め、野性的な荒々しさで敵を追い詰める青年の姿も。
≪ARKさん――≫
瀬名は打ち震え、己の相棒に懇願した。
≪これぜんぶ録画しておいて!! お願い!!≫
≪もちろんです、マスター≫
都合の悪いことは念話で叫ぶに限る。
己にこの手段があってよかったと、今日もまた思う瀬名であった。
◇
やがて、勝敗は決した。
ジャミレ=マーリヤは恐るべき呪術士であった。
ただしやはり、肉体メインでの実戦経験が足りなかったのだ。
対して、ノクティスウェルは長命種である精霊族の王子であり、同時に優れた戦士だった。
無骨な骨の武器は砕かれ、そしてノクティスウェルは敵に一切の容赦をしなかった。
聖銀の輝きが一閃、二閃――無数の斬撃が無慈悲に魔女の身体を襲う。
森が共鳴し、主にどんどん魔力を送り込み、集めたその力で傷を高速で癒やしながら、それでも間に合わぬほどの勢いで攻撃が送り込まれていた。
ねじり切られたような枯れ木と、乾いた土の地面だけがいつの間にか周囲に残り、呪術士はとうとう膝を突いた。
荒い息をつきながらうなだれるその顔は、数十年ほども老け込み、まるで老婆のようであった。
げっそりジャミレさん。しかしまだ隠し玉があります。
そして仕上げ担当の瀬名がまだ残っています。