140話 ある日、ある森の【呪術士】が (2)
誤字報告ありがとうございます、いつも助かります。
風の魔術の応用で、離れていてもすぐ近くで聴こえてくる。
――【獄炎の雨】
――【蒼き冥夜の帳】
――【猛き天魔の雷霆】
――【果てなき氷獄の檻】
――【天明の弓よ、かのものに安息を】
――【逃れ得ぬ凄風の槍】
……。
爆風、破砕音、地鳴り、凄まじい破壊の嵐……時おり「ギャッ!!」「うグェッ!!」「ごァあッ!?」「ふぐおぉッ!!」と、蛙の断末魔のごとき悲鳴が交じっている。
(いいんだろうか、これ)
どれかひとつ唱えただけで国際規模の騒ぎになりそうな極大魔術の連続攻撃に、瀬名のチキンハートは竦みあがっていた。
同情の余地もない相手だと重々承知の上だが、知らない第三者がこれを目撃していたらどう映るんだろう……。
どこにでも建っていそうな、ごく平凡な家があった。そこを中心に、シェルローヴェン、エセルディウス、ノクティスウェルの三兄弟は、それを眼下に見おろせる丘の上から、正三角形の配置に密かに素早く移動した。
瀬名の少し離れた所にいるのはノクティスウェル。もっと離れた場所でいいと言ったのだが、誰かひとりは護衛につけろと彼らが頑として譲らなかったのだ。
そして弟二人が「兄上ばかり一緒で狡い!」と謎の文句をつけ、謎の兄弟喧嘩が勃発し、面倒なので適当に「だれにしようかなかみさまのいうとおり」で決めた。
(あれって、一度呼ぶ順番決めたら最終的に誰が指定されるか文字数でわかっちゃうんだよねえ)
幸いこの国にはない選抜方法だったので物珍しかったようだが、二度は使えそうにない。
そんなわけで、標的を確認した彼らは実にいきいきと輝き、決して逃亡を許さぬよう三重の結界を張ったあと、三方から中央に向けてこれでもかと極大の攻撃魔術を連射し始めたのである。
スピードを重視して略詠唱になっているようだが、だから何だと言いたい光景だ。
「……コイツの発見が遅くなってすまんね?」
急かされたことはないけれど、実はじりじりしていたのかもしれない。
「そんなことはない」
「我々が捜しても見つからなかったんだからな」
「数年は覚悟してましたし、むしろこんなに早く機会が訪れて嬉しいですよ」
報復の機会がですか、そうですか。瀬名は無我の境地になった。
ノクティスウェルの美麗なキラキラ笑顔がとても眩しい。レティーシャは女性五人組にお任せしたが、この男が参戦しても余裕で圧勝できたかもしれない。しまった、それはそれで面白かったかな……。
気を取り直して、目前の標的に集中する。どう見てもか弱い女性を男三人が寄ってたかって攻撃する残虐非道な光景だが、実際はもちろん違う。
女――ジャミレ=マーリヤこそが、この三兄弟に陰湿極まりない呪いをかけた張本人だからだ。
若干サイコの入っていたレティーシャ嬢でさえも、本物のサイコパスである呪術士ジャミレ=マーリヤの陰惨な気質とは比較にならない。レティーシャは自分の取り巻き達が、麗しの姫君の御心を曇らせる存在――彼女の陰口を叩く令嬢や、磨けば光りそうな使用人の娘など――を排除してくれるのに気付かぬふりをしていた悪女だけれど、そんな彼女をしてこの女には、敵に回さないため実験材料用の娘を流していたふしがある。
カシムからこの呪術士の人となりを聞けたが、「人となり? それっておいしいの?」という女だとよくわかるエピソードばかりだった。
顔を合わせると病みそうになるので、できるだけ密書でのやりとりに終始していたのだとか。
まあ、只者ではないだろう。何故なら未だに「ひぎッ!?」「うごぉおッ!?」「ほげぁァッ!!」と愉快な断末魔もどきが聴こえてくるのだから。
――つまりこの三兄弟があれだけやって、まだ始末できていないのだ。
(そうだろうとは思ってたけど、こーれは結構な強敵だったんだなぁ……)
精霊族が三人揃って不覚を取るぐらいだ、相当強力な呪術士か、強力な魔道具を所持していたのだろうと予想してはいたけれど。
(雑魚に不覚を取る情けなさに比べたら、相手が強くて良かったっつーのも変だけど、そういう気分なんだろうなあ多分)
いきいきと報復に励む兄弟達を前にして、胸中で溜め息をついた。瀬名としては強い敵なんてお断りなのだけれど、男のコとしては許せない心理らしい。
ほかにも気になるところがある。彼らの攻撃頻度と威力に対して、地面のえぐれ方が小さいのだ。周辺に張り巡らせた結界は逃亡阻止用のものであって、土地の強度を強めるたぐいの性質はない。
青い小鳥の頭を撫でつつ、念話で確認した。
≪ARK。なんかこのあたりの森、おかしくない?≫
≪通常の森ではありませんね。森そのものがあの呪術士に有利な環境をつくりあげています≫
やはりか。瀬名の眉がほんのかすかにひそめられた。
≪自然発生した森ではなく、竜脈のエネルギーの真上に人為的に発生させた森です。一見すれば普通の樹木ですが、呪術士に共鳴して土地を保護し、破壊の度合いを最小限に抑えるだけでなく、修復も行っているようです≫
≪修復って――あ、ほんとだ≫
盛大にえぐられた地面の一部がボコボコ泡立って蠢き、ゆっくりもとの姿に戻るのを偶然見てしまった。
魔素の流れをよく観察すると、あらかじめ決まった形に修復しようと機械的に動いているのがわかる。どうやら辺り一帯の土地そのものに、形状記憶の性質を持たせているのだ。
加えて、本来ならば森は精霊族にとっての庭、これ以上なく有利な状況であるはずなのに、この場所に限っては不利になってしまっている。樹々は彼らに応えず、まったく共鳴せず、むしろ彼らの敵を守る存在として立ちはだかっていた。
(……こいつ、もしかして)
竜脈。そして魔素の流れ。これだけ徹底的にやられながら、まだしぶとく元気に踊っている標的……
(〝魔法使い〟か?)
不意に閃いた。
もしや、精霊族にかつて存在した天敵とは――魔女、だったのではないだろうか。
他の魔術士とは隔たりがあり、彼らの庭をも己の領域へと変質させてしまう恐るべき存在。
ジャミレ=マーリヤはどちらかといえば、瀬名のほうにこそ近いのかもしれなかった。性格や好みうんぬんではなく、なんとなくそう感じて――
「違いますよ」
「それは違うぞ」
「これと一緒にするな」
口にしてもいないのに、速攻で三兄弟が否定してきた。そのおかげで一旦攻撃がやみ、静けさが降りる。
「いや、私もこれと同列にされたくはないけどさ、比較したらどっち寄りかっていう話で……」
「隔たりが遠大過ぎて比較にもならん。魂の波動からしてまるで違うだろう」
「兄上の仰る通り、存在力も異質だ。あなたが湧き出でる澄んだ泉なら、奴は魔物の死骸でよどむ汚泥の沼だ」
「さらに言えばエセル兄様が全力で腕を振るうご馳走と、エルダ嬢の手になる斬新な挑戦作です」
息の合う兄弟に、瀬名は呆気にとられる。
そこまで断言してもらえて、嬉しいというかこそばゆいというか呆れるというか。……とりあえずエルダには、基本を大事にして凝ったものは作るなと言い含めておこう。頑張る姿勢は認めるけれど、彼女が張り切って立った厨房には、高確率で惨劇が訪れるのだ……。
それはともかく。瀬名は最近まで、魂というものに対する実感が薄かった。この世界では実在が前提として何もかも語られており、調合する秘薬の中にも〝魂にうんぬん〟という効能を持ったものがある。
それは高価な武具や魔道具にもあり、精霊族の日常会話にも魂の親和性だの魂の傷だのといった単語がごく当たり前に出てくる。
知識としてそれらが存在する世界だとわかってはいたけれど、存在しないとされていた世界の出身者からすれば、なかなか実感が湧くまでに時間を要するものだった。魂の波動はもちろん、自分自身の存在力というものも正直よくわからない。これは自分の体臭が自分でわからないのと似たようなことかもしれなかった。
「う、……ぐ、ぁ、ぁああああああーッッ!!」
「!」
ぼふん、と強い上昇気流が立ちのぼり、土煙がすべて上空へ追いやられ、視界が一気に晴れた。
「いいいいい加減にしなさいよおおおおおーッッ!! ああああもおおおうッ、服がずたっぼろになっちゃったじゃないのおおおおッッ!!」
「――……」
服なのか。怒るのはそこか。
しかし確かに、さんざん攻撃したはずの地面はゆっくりとだが平素の姿に修復されてゆき、仁王立ちになった美女には傷ひとつ、血の一滴も見当たらなかった。
(あらまあ、素敵なお身体ですこと…)
一糸まとわぬ美女の裸体をつい凝視してしまう瀬名であった。実に見ごたえのあるグラマラスな脳殺ボディである。腰がきゅっと細いので、豊かなお胸と形の良いお尻がとても際立ち、頭の中身さえ忘れれば眼福なお姉様であった。
残念ながら、般若の形相がその魅力を半減させてしまっているのだけれど。
「まだ死なんのか」
「しぶといですね……」
「やぁかまあしいいいいいッッ!!」
般若が手をかざせば、近くにあった布やちぎれた紐がひゅん、と彼女のもとへ吸い寄せられた。
その布をぐるりと巻きつけ、胸から太腿までを覆い、ウエスト部分を紐で縛る。
「……吐き気のする女だな」
「本当に趣味の悪い……」
兄弟達は顔をしかめた。それもそのはず、ジャミレ=マーリヤが着込んだそれは、粉々になって跡形もない家の前に干されていた、若い少女の皮膚だったからだ。
≪殺された後に着られるとか……全部まとめて消し炭になってりゃ良かったのに。つうか、家は戻らないんだね?≫
≪家そのものは大地ではありませんから、修復の範囲内になかったようです。防御結界で守っていたようですが、王子達の攻撃魔術で吹き飛びましたし、内部にあったものは地下室まで含め、すべて消滅しております≫
≪それはよかった≫
禁断の書や呪殺用の魔道具、言葉にもできない気色悪い薬やその材料などが大量にあるらしいとカシムに聞いていたので、この世から消え去ってくれて良かったと心底思う。
「よぉぉくもやってくれたわねえええ!? あたしのお家も壊してくれちゃって、どうしてくれんのよおぉ!? せっかくお薬つくってたのにいいい!!」
「…………」
「って、誰かと思ったらあんた達、あん時の精霊族じゃないのよッ!! このあたしの趣味が悪いですって!? 趣味悪いのはあんた達でしょ!? こんな美女の素敵な身体に全然これっぽっちも興味ないとかどーゆー男よッ!!」
ばぁんと胸を張って怒りまくるサイコ美女。しかし瀬名は「あー…」と口をあけそうになった。
その前に兄弟達が畳みかける。
「きさまの身体などに興味なんぞ湧かん。スレンダーなほうが好みだ」
「同じく。全体的に引き締まっているほうがいい」
「無駄な自惚れを押しつけてくる方も好きになれませんね」
「なっ、なっ……」
陸に打ち上げられた魚のごとく口をバクバクさせる美女に、瀬名は「あー…」と額に手をやった。
彼らは悪意全開で言っているが、内容そのものは事実なのだった
精霊族の女性は、背の高い低いはあれど、スレンダーで引き締まった体形の女性がほとんど。
すなわち三兄弟は、「体形は平均的な女性が好み」と言っているに等しいのである。
人族や半獣族の一部女性の豊満な胸は、瀬名からすれば見ごたえのある素晴らしいフォルムとなるが、彼らの感覚では大き過ぎて違和感が先に立つらしい。はっきりそれを口にするとセクハラになるので誰も言わないだけだ。
しかしそういう種族間の感覚の違いを知らず、野心家の美女などが自信たっぷりに身体で迫ろうものなら、嫌悪感たっぷりに拒絶されるのがオチなのである。
つまり、交流をもって初めて気付けるポイントなのだ。やはりジャミレ=マーリヤは、精霊族という種族について、そこまで詳しいわけではないらしい。
(殺害したお師匠さんから耳にした話と、書物から得た知識、それに噂話。多分ほかの人より詳しいけれど、実際に交流して研究したことはないんだろうな。つうかこのマッドなお姉さんと交流なんて、こいつらだって願い下げだろうし)
美女のプライドは家同様に木っ端みじんにされ、般若の形相がますます凶悪になっていった。
ただでさえ強そうな相手なのに、こんなに怒らせて大丈夫なのだろうか。
基本的に仕返しは三兄弟に任せておいて、瀬名は保険の仕上げ担当で控えているのだけれど、何もない所に森を生やすような魔女の弟子を相手にして大丈夫なのか、少々心配になってきた。
精霊族だって、自然豊かな場所で森を拡大するのは得意でも、本来不毛の地であったこんな荒野に、いきなり大樹を新しく育てるのは難しいと聞いている。
いくら自分でも、そんな芸当は――
(ん? ……できるんじゃん?)
成長促進剤と遺伝子組み換え植物を用意し、竜脈からエネルギーをちょちょいと引っ張ってみたら――
≪できますね≫
≪うん。ARK君、それみんなにはナイショにしておこうね≫
失敗したら〝畑潰し〟と呼ばれるお米様のごとく、普通の森を侵食する勢いで拡がってしまうかもしれない。
恐るべき未来予想図を脳裏に描き、この思い付きは胸にそっと封印しておくことにした。
瀬名の性癖は一応これでもノーマルです(本当に)。
純粋な芸術鑑賞、有体に言えば萌えに素直なだけなのです。