139話 ある日、ある森の【呪術士】が (1)
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のどかな森の最奥に、唐突にぽっかりとひらけた荒野があった。
いや、逆である。もとよりそこには切り立つ岩や、乾いた土、不健康な干からびた雑木しか生えていない土地であったが、ずっと昔、その一軒家を囲むように森が湧いて出て、しかしそれを長らく誰も気付くことがなかった。
領主の地図にも描かれていない、いつの間にかそこに出現していた森。
健康的な枝葉が陽射しを反射し、どこにでもありそうなごく普通の森の中、不自然にひらけた場所の中央に建つこぢんまりとした家の中からは、時おり家の主の鼻歌が聞こえてくる。
波打つ黒髪を後ろでくるりとまとめ、白い首筋にぱらりと流れる幾筋かのおくれ毛が実に色っぽい。赤くつやつやと潤う唇、ふっくらと豊かな胸、きゅっと細い腰。町娘のごとく素朴な装いに、白いフリルのエプロンの組み合わせは、どこかのパン屋の若女将のようでもあり、貴族の邸宅で使用人として働いていそうな風情でもある。
もし館の主人が好色な人物なら、間違いなくお手付きになっていそうな美女だ。豊満な肢体を纏う素朴な衣服が、豪奢なドレスよりむしろアンバランスな可愛らしさと色気を絶妙に融合させ、大概の男の情欲を刺激するだろう。
「おいしくな~れ、おいしくな~れ♪ ふんふんふふん♪」
時おり調子が外れるのはご愛敬。
湯気の立ちのぼる鍋を機嫌よくかきまぜながら、あらかじめ準備しておいた草や粉末をひょいひょいと放り込む。
にこにこ楽しそうに鍋をかきまわし、早く出来ないかな~、楽しみだな~、と、ジャミレ=マーリヤは口ずさんだ。
◇
ある日突然、何もなかった荒野に森が唐突に湧いて出たのは、およそ六十年ほど前のことである。
見捨てられた不毛の土地を気にかける者はなく、街道からも遠く離れていたので、森の出現に気付く者は当時誰もいなかった。
その森はマーリヤと呼ばれる呪術士によって作り出されたものだった。禁呪と呼ばれる闇の魔術を得意とし、おもに呪詛による暗殺を生業としていたため、人のいない土地を転々としながら隠れ住んでいた。
マーリヤは老いて引退を考え、素質のありそうな幼い娘を数名さらってきて、己の後継としての教育を施し始めた。その中のひとりにジャミレと名付けた。
ジャミレはとても従順な出来の良い弟子だったので、マーリヤは彼女にさまざまなことを教えた。そして少女が十二、三歳になる頃だったろうか。ジャミレは他の少女達に足もとがおぼつかなくなる薬を盛り、崖下へ蹴落として、師には「みんなおつかいに行きました」と言った。
さらに、「パン焼き窯の様子がおかしいから見てくださいませんか」と騙し、身を乗り出した師を突き飛ばして、鉄蓋を閉じて外側から閂をかけた。
その日からジャミレは師の名と力を奪い、呪術士ジャミレ=マーリヤとなった。
優秀な少女は彼女らを殺める前に、力をまるごと我が物とする【魂喰い】の術を仕込んでいた。本来ならば暗殺対象を呪殺する目的で使われるはずのそれを、己の姉妹と呼べる弟子達や、師を相手に躊躇なく使ったのだ。
特段、彼女らを憎んだり恨んだりしていたわけではない。生活が苦しかったわけでもない。ただ、少女にはひとつだけ不満があった。
禁呪を習っている割に、憶えることも使うことも禁止されている術が多かったのだ。それも、彼女が本当に欲しいと思うような種類の術ばかりが、である。
マーリヤはその知識を持っているくせに、弟子達には決して教えようとしなかった。
その最たるものが、精神支配による【魅了】、若さと美貌を保つ【若還りの秘薬】。これらはマーリヤによって「できる」と聞かされてはいたが、「危険なので決して手を出してはならない」ときつく禁じられていた。
とりわけ若い弟子達はそういった術に興味を持ちやすい。ジャミレ以外の姉妹はみな興味津々で、しつこく聞きたがったために師からきつい折檻を受けていた。
ジャミレだけが従順に、師マーリヤの忠告に従う態度を見せていた。マーリヤの目が曇っていたか、ジャミレの大人しげな素振りが上手だったのか、その両方か――まさか彼女こそが最も強い関心を持っていたなどと、ついに誰も知ることはなかった。
【魂喰い】によって師や姉妹弟子達の魔力を己のものとした少女は、師の封印していた蔵書の中から該当の禁術に関するものを発見し、欲しかったものを手に入れてぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
姉妹達と仲が悪かったわけではない。師を憎んだり恨んだりしていたわけではない。実を言えば、さらわれる前の親の記憶もあったが、ごく平凡で、とりたてて悪い親ではなかった。
マーリヤのもとで恐ろしい呪術士の修行をさせられながら、それを苦に感じたことはなく。
――ひとことで言えばジャミレは、最悪なほどに水が合っていた。
持ち込まれるおぞましい仕事も師以上に難なくこなし、奪った禁呪の身の毛もよだつ内容に平然としてその通り実行する。
彼女はそれを楽しんでやっていた。
ジャミレ=マーリヤがこの家の主に成り代わってから、およそ五十年ほど経つというのに、彼女は未だに若々しく、二十代半ば頃にしか見えなかった。
◇
「さぁーて、もうちょっとでできるかな~?」
毒蟲と腐った茸と魔獣の骨の粉末、それから若い娘の血と心臓を七日七晩壺の中に漬け込み、どろどろになるまで煮溶かせば【若還りの秘薬】の出来あがり。材料になる娘は依頼人が提供してくれるので、ジャミレ=マーリヤはこの土地での暮らしをとても気に入っていた。
もちろんこの薬の材料にするなどとは教えておらず、研究で人体実験に使いたいとだけ説明してある。ピーク時の若さを保てる薬の存在など、自分だけが知っていればいいのだから。
「うん、いい感じ♪ あと少ぉし煮つめれば~、ぷるぷるピチピチのお肌復活! 保湿軟膏より効き目ばつぐん! 素敵なお薬の出来あがり!」
定期的に飲まなければいけないのだけれど、そろそろ残りが少なくなってきたので補充したいのだ。
呪詛の中には相手を幼児に変えてしまうものがあるけれど、この薬はまったく別物である。副作用がなく、発狂したり命を落とす心配がない。
(なのにどうしてこれが禁呪なのかしら? とっても良いお薬じゃないの)
ジャミレ=マーリヤは首をかしげた。作り方だってとても簡単。呪術式を描いた床に壺を置いて、材料を入れて、七日ほど放置して、あとは煮込むだけ。
それだけで簡単にできるのに。
(ひょっとしたらその方法を発見した誰かが、自分だけ若くいたいから研究成果を広めたくなくて、適当に嘘ついただけなのかも。お師様は堅物だったから真に受けて、せっかく若くいられる手段があるのに使わなかったのね。可哀想に)
ちなみにジャミレ=マーリヤの夢は、人を蛙や蟲や獣に変える術の研究を成功させることだ。
物語の魔女が不思議な呪文を唱えて、お姫様や王子様を蛙に変身させるあの魔法。
なんて胸躍る素敵な魔法だろう。いつかあれをやってみたい。悪い魔女はだいたい最後には退治されるものだけれど、実は退治されていない魔女だってたくさんいるはずだ。
露見したものだけが悪者に書かれてしまうだけ。
「さぁて、完成するまでにちょっと時間あるし、お外も見てこようかなっ」
呪術具の素材にするために、魔獣や人の皮を剥がしてたくさん干してあるのだ。周辺には臭い消しの香草や花をたっぷり育てており、色とりどりでとても綺麗な庭である。
扉に向かいながら、ジャミレ=マーリヤは不意に思い出した。
隣の貴族領で出会った、美しい精霊族の青年――それも三名。
何やら精霊族が各地で調べ物をしていて、裏の方々が自分達に目をつけられないよう、その地の領主に疑いをかけたいとの依頼だった。
例のごとく呪詛によって殺すよう注文されていたけれど、精霊族は【魂喰い】が効かない。殺めたら即座に犯人がバレて、一番の目的である〝疑惑をその地に向ける〟という点が達成できない。
何より、その青年達はとても美しかった。今まで虜にしてきたどんな男よりもいい男ばかりだった。
なので、いっそ自分のものにしてしまえないかと、駄目もとで【魅了】をかけたのだが……あえなく失敗。
さすが精神攻撃耐性の強い精霊族である。抵抗の段階で精神力をかなり疲弊させるのに成功したが、それ以上はどれだけ時間をかけても駄目だったのだ。
強固な結界を張っていたものの、時間をかけ過ぎると彼らの同胞に察知されてしまう。
ものすご~く惜しい、ものすご~く勿体ない……でもやはり始末するしかない――そうして仕方なく、弱ったところに【心身退行】の術をかけた。
これならばすぐには死なない。厳密には精神支配ではないので、成功の確率が高い。放置しておけば一年経つか経たないかで発狂する。狂った精神波から術士を追うことはできない。
とても疲れたが、ちょうど十名ほど魂を生贄に補充したばかりだったので、魔力は豊富に蓄えていた。
おかげでそれは成功し、実に愛らしいちびっこの姿に、ジャミレ=マーリヤは再度「あああもったいない…!」と悔しさに悶えたものだ。
(すんごおぉぉぉくカワイイちびちゃん達だったのに……おうちで飼えたら良かったのになぁ~)
でもそうすれば確実にこの場所を嗅ぎつけられてしまうだろう。たった三名、しかも奇襲で【魅了】をかけたので何とかなったけれど、それ以上の数となればさすがに無理だ。
――たったひとり相手取れるだけでも凄まじい種族を、三名も一度に戦闘不能にしてのけたこの呪術士は、外見や言動からは想像もつかぬほど、紛れもない実力者であった。
(ま、いっか。いつかそのうち機会もあるかもしんないし。その時の楽しみにしておこうっと♪)
そんなことより、今は魔道具の作成である。最近は帝国からの知識もいろいろ手に入るので、新しい魔道具を試してみたいのだ。
ジャミレ=マーリヤはウキウキと扉に手をかけ、元気いっぱいにひらき、お天道様の下へ一歩を踏み出した。
瞬間。
どごおおおおん!!
家ごと吹っ飛んだ。
ジャミレは本物の悪い魔女、良心の呵責とか一切ありません。