134話 美しき猟犬達 (4)
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『そんなに大層なこと言ってないよー?』
私、底浅いし。別に驚くほどのことじゃないよねぇ?
魔女は心底、不思議そうに困った顔で言った。
注目を浴びるのは苦手、仰々しく持ち上げられるのも苦手な魔女は、ことさら己を小人物と主張したがるが、あいにく真に受けている者は誰もいない。
(むしろ何故、これを驚くほどではないとお考えなのか)
自分自身については不思議と鈍く、無知とさえ言える魔女。彼女が他者といかに隔絶しているか、例を挙げればいくらでも出てくる。
どこまで及んでいるかも不明な膨大な情報量。それらを難なく呑み込める理解力。そして何より、情報を得る速さについては、他のどんな諜報機関の追随も許さない。
瀬名はぴんときていないのだ。彼女がグランヴァルについて語った情報、それをもとにラフィエナ達に出した指示は、誰がどう聞いても〝大層なこと〟でしかない。間者でもない平凡な庶民はもちろん、そこらの貴族でさえ容易には知り得ないそれらを、ほぼ時間をかけず次の瞬間には何故か知っている、それがどんなに驚異的なことなのか。
(あの方の基準は、どうやら我々とは――この大陸のどんな人々とも、だいぶズレているようだ)
遥か遠い別の郷へ一瞬で手紙を転送する、精霊族に伝わる水鏡の魔導陣。
大陸の端と端にある森でさえ、ほんの一日もあれば行き来できる神々の通り道。
彼女はそれを初めて利用する際、まるでどこかで見た経験があるかのように無邪気に楽しみ、そしてすぐに慣れた。
彼女はドーミアに姿を現わす前、どこで何をしていたのか、足跡がまったく掴めない。謎に包まれた過去に対する詮索は厳禁、あの王子達は真っ先に同胞へそう厳命し、むろんラフィエナ達もそれを破る気はさらさらなかった。
ただ、興味が尽きないだけだ。王子達はきっと、あの魔女の不思議さの原因を、すべてではなくとも片鱗ぐらいは知り得たのだろう。
彼らが呪いによって幼児と化していた時、魔女は子供達を大切に守り、可愛がり、よちよちとてとて歩く相手に、きっと何も隠していなかったはずだ。
だからあの王子達は、あんなにも強い魔女を守るべき存在と迷わず認識し、いつでもそのために動いている。
己の時間の大半を彼女の傍で使い、たとえ彼女が何者であろうと、そのままを受け入れている。
もしも彼らがいなければ、あの魔女の傍には、きっと誰ひとり――
【ふふ……いけませんね。ついいらぬことを考えてしまいました】
【ラフィエナ】
【ええ、わかっています。いけませんね。どうしてかあの方は、妙に郷愁を掻き立てるといいますか、お顔を思い返していると感傷的になってしまって……なんなのでしょうね?】
この曖昧な感覚をもてあましているのは、ラフィエナだけではない。あの王子達は筆頭であろうし、今ここにいる同胞達にも共通している感覚だった。
ひょっとしたら、あの魔女は。
その問いの先へ、誰も踏み込めないでいる。
大切なものを壊してしまいそうな恐怖を感じて。
【さて。せっかくあの方からご指名をいただいたのです。皆、張り切ってまいりましょう】
仲間達から笑みが返り、ラフィエナも楽しそうに頷いた。
さあ、獲物を追い詰めに行きましょう。
◆ ◆ ◆
「………」
グランヴァルの聖女レティーシャ。一流の画家にさえ描ききれないと評判の美貌は、たったひと目で胸に杭打たれたかのように夢中にさせられ、視線をそこから外すことができなくなる。
ところがその日、グランヴァル侯爵邸にかつてない災厄が来訪し、絶対であったはずの――少なくとも、彼らがそう信じて疑わなかった理を覆した。
王太子シルヴェストルは、未だ謹慎が解けていない。恋焦がれるレティーシャは、想いをこめた文を何度か送っているけれど、返事は一通も届いていなかった。
ちゃんと届いているのかしら。お返事はくださらないのかしら。お身体は大丈夫なのかしら。心から案じている彼女のために、親切な者が教えてくれるには、やはり途中で握り潰されていたらしい。
親切な者が王子に届けると請け負ってくれて、ようやくそれは相手の手もとに着いたらしく、今は彼からの返事を、ただ切なく待っているだけだ。
そんな娘を元気づけるために、侯爵邸では親しい貴族を招いての盛大なパーティーが行われていた。
以前、彼女と親しくしていた貴公子達は、家が没落したり、若気の至りで悪さに手を染めて投獄されたりと、ほとんどが残念なことになってしまった。ただでさえ王子とろくに会うことも叶わず、健気なレティーシャは寂しい思いをずっと我慢しており、どうか娘を笑顔にしてやってくれないかと、侯爵夫妻は幾人かの信頼できる友人やその息子達に招待状を送った。
ガスパールの従兄弟である伯爵の青年。
イヴェットの叔父の息子であり子爵の青年。
レティーシャのはとこであり伯爵家の長男。
その他、数名。
たまたま男性しか集まらなかったのは偶然である。ほぼ身内だけのささやかなパーティなので、かしこまってパートナーの同伴を強制する必要はない。
料理人の腕を尽くした美食が並べられ、侯爵の呼んだ旅芸人や吟遊詩人が宴席を賑わせ、少数でも華やかで豪勢なひとときであった。
何よりもレティーシャが、嬉しそうに微笑みを浮かべてくれている。――かつて少女に恋焦がれながら、縁談を断られた男どもにとって、愚かな野心を再燃させるには充分だった。
(ぐっふっふ、罪な娘だ)
(おっほほほ、ほんとうですこと)
侯爵の〝事業〟に有益な役割を果たしていた駒どもが思いがけずごっそり退場してしまい、しばらく大人しくせざるを得なかったが、これならばすぐに立て直せるだろう。
愛しい娘の家を、両親を破滅させぬためにと、愚か者どもは率先して隠れ蓑になってくれる。
侯爵夫妻はほくそ笑み、美しい娘は己を元気づけようとしてくれる優しい人々に、瞳を潤ませて感謝していた――……
の、だったが。
夕暮れ前、芸人達は報酬を受け取り、優しい令嬢や使用人達に見送られながら侯爵邸を後にした。
すると急激に暗雲が垂れ込め、ぽつりぽつりと水滴が落ち始めた。これは純粋に偶然なのだが、侯爵一家にとっては、その恐るべき厄災の前触れでしかなかった。
夜のごとく空は暗くなり、「あの芸人達はちゃんと宿に着けたかしら」とレティーシャが案じるのを、寄ってたかって男達がなぐさめ、元気づけ、賛美を連発していた時である。
平素は人形と区別がつかぬほど完璧な無表情を保っている執事が、蒼白になって侯爵に新たな来客の訪れを告げた。
思いがけぬ客人達――そのまさかの〝種族〟を伝えられ、侯爵夫妻のみならず、近くで聞き耳をたてていた貴族達も浮足立った。
そして実際に〝彼女ら〟の姿を前にして、こぼれ落ちそうなほどに目を見ひらくのだった。
「わたくしはラフィエナ。そして彼女らは、わたくしの姉妹同然の者達です。申し訳ありませんね、雨にうたれてしまって……」
「大人数でおしかけて申し訳ありません。なにぶん来たばかりですから、土地勘もなく……」
「ご親切にありがとうございます」
「数日の間だけで結構ですので、こちらで宿をとらせてくださいな」
濡れそぼった精霊族の、妙齢の女性が、五名。
そしてその全員が、声を失うほど凄絶な美女であった。
艶やかな髪の先から雫がぽたり、ぽたりと煌めきながら落ちる様でさえ、えもいわれぬ美しさがある。
ラフィエナと名乗った女がさりげなく前髪をかきあげ、その妖艶な表情に伯爵の青年が「うっ」と鼻をおさえてのけぞった。
濡れてはりつく胸もとを凝視している彼らに、二人目の女がくすりと微笑みかけ、子爵の青年が真っ赤になった。
「これは……お美しいですねえ。是非とも、親しくお話しさせていただきたいものです」
伯爵家の長男は、女性を見下す男の矜持半分、下卑た本能半分で、圧倒されそうな己を奮い立たせた。口調は丁寧だが、隠しきれない厭らしさが滲んでいる。
しかし。
「あらあら、うふふ……せっかちさんだこと」
ふわりと流し目を送られ、堕ちた。
「……………」
その時レティーシャは、とても困惑していた。初めて出会う精霊族に緊張している――そんな表情を浮かべていた。
の、だが。
その瞬間、ただのひとりも、彼女に注目している者はいなかったのだ。
すべての者達の視線は、意識は、突然やってきた女達にのみそそがれていた。そこにレティーシャがいることを、信じられないことに、その瞬間だけは誰もが忘れ去っていた。
それほどに、ラフィエナをはじめとする女達の一行は、どんなに賛美の言葉を尽くしても陳腐になり果ててしまうぐらい、この世のものとも思えぬ美貌を誇っていたのである。
そして皮肉にも、レティーシャに注目が戻ったのは、そのうちの一人が彼女に話しかけたからであった。
「はじめまして、わたしはアルセリア。あなたはこちらのお嬢様ね?」
「えっ……は、はい……」
「うふふ、可愛らしい方ね? わたし一番年下で、お姉様達よりもずっと小さくて気弱だから……お友達が欲しかったの。ここにいる間、仲良くしてくださったらとっても嬉しいわ」
「――……」
少し背が高めのラフィエナ達とは異なり、確かにアルセリアと名乗った〝少女〟は、彼女らの中で最も小柄で細身、レティーシャと同じぐらいの年齢に見えた。
そして五人の中でも、華奢で儚げで、どこか無邪気で、つい守ってあげたくなるような雰囲気の、つまりレティーシャと被った雰囲気を纏っており。
二人が顔を合わせた姿を前にして、侯爵夫妻は「ぐう」とうなり、客人の男どもは微妙な表情をつくり、使用人達は気まずそうな気遣わしげなまなざしを令嬢へ向けていた。
勝敗が誰の目にも明らかだったのである。
破壊班がそろそろやって参りました。
館をドカンと吹き飛ばすだけでは修理すれば終わりなので、別方向で攻めます。