133話 美しき猟犬達 (3)
誤字脱字報告ありがとうございます。
本当に助かります。自力ではなかなか見つからないので。
その地の支配者に挨拶をするのは新参者の義務であり、早ければ早いほどいい。
長引かせていいことなど何ひとつない。
夕食を終えたのはしばらく前のこと。世界が寝静まろうという夜更けに、突然、灰狼の村人が魔女の帰還を告げ、カシムとカリムは彼女が待つという広場へ向かった。
カリムは既に顔を合わせているが、対峙するならば二人揃ってのほうがよかろうと引きずってきたのだ。
本音を言えば、そんな女の相手など自分ひとりでしたくはなかった。おどろおどろしい闇色のドレスを纏い、血のごとき艶やかな唇、妖艶な美貌と残虐な気性――〝魔女〟と聞いてカシムが真っ先に思い描くのはそういう姿であり、自分達をまんまと捕獲してのけたことからも、そういう恐ろしい女だろうと勝手に想像していたのだ。
魔女と呼ばれるものは、善き魔女と悪しき魔女に大別されるもので、帝国では悪しき魔女のおとぎ話の比率が高く、怪しげな美貌で厄災を振り撒く美女か、毒薬の鍋をかきまぜる醜悪な外見の老婆のイメージが強い。
だから、広場で本人と思しき人物に対面した瞬間、カシムは「え?」と声を発しそうになった。
(これが、魔女…?)
樹と樹の間に魔石灯がともり、幻惑的な明るさの根の下、黒曜石の髪と瞳の〝少年〟が立っていた。
左右を固めるのは複数名の精霊族。立ち位置からして、〝彼〟がここの重要人物で相違ないはずなのだが、想像とまるで異なる姿形に困惑を隠しきれない。
すぐ傍らに立つ三名が、かつて始末されたと思い込んでいた王子達だと気付き、カシムの鼓動が緊張で速まる。
(そうか。「使いの少年を装っていた」んだったな。聞いてたってのに、とんだ間抜けぶりだ)
このところ、己のポンコツぶりは我ながら目に余る。カシムは自己嫌悪に陥りながら、失礼と思われない程度にさりげなく相手を観察した。
どの国でも女にとっては生きづらいものだ。男を上手く装えるなら、それだけで女を標的にしたゴロツキや奴隷商などの大半は避けられる。
だからこの〝魔女〟も、いらぬ厄介ごとを回避するために最初は男のふりをしていたのだと、カリムから耳にして日数は経っていないのに、つい失念してしまっていた。
つい己の抱く魔女の印象ばかり先行してしまっていたのは、少なからず、カシムが突然の謁見に動揺していたせいでもあるだろう。
しかし、確かにこれならば誰にも疑われなかったろう、そう思える外見だった。この森の魔女――セナ=トーヤは、まさに少年と呼んで違和感のない人物だったのだ。
実年齢は十七という話だったが、男ならば十五歳程度に見える。青年と呼ぶには、少々童顔と思われる程度だ。
立ち姿に芯が通り、腰の革帯から剣を外す様が自然で馴染んでいる。細身なのに、弱々しさを微塵も感じないのだ。
ところが、セナ=トーヤが胸当てを外したあたりから、また印象が変わった。
根がちょうど台になっている箇所に腰を落ち着け、だらりと足を伸ばし、剣と一緒に胸当てをそのへんに立てかけた。
どうやら忙しかったのか、「ん~」と猫のように両手も全身も伸ばし切り、ゆったりというか、どことなくグッタリしている。
――その胸もとに、カシムの視線は固定された。
微妙にふくらんだ、その部分。
先ほどよりも強い困惑に襲われ、まずいと自覚しつつも視線を動かせない。
一度それを見てしまうと、次は腰の細さや、すっきりと通る首筋の輪郭などを強く意識させられた。
違和感のない〝男〟だと感じたばかりだというのに、急にわからなくなってしまったのだ。
(これは……どっちだ……?)
いや、女だろう。それ以外にないではないか。
だが、性別が急にあやふやになったような奇妙な感覚がぬぐえないのだ。
これが女だとすれば……小柄どころか、背が高い。十七歳と言われて納得するどころか、もっと老成した大人のようにも見える。
性別だけでなく、年齢までもが曖昧な。
「ごめんね、遅い時間なのに来てもらって。もう休んでた?」
ややかすれた、低めの声質。幼子に添い寝をしながら物語を語り聞かせれば、あっという間に安心して寝付いてしまいそうな、不思議と心地良さを感じる声だ。
「いえ、二人とも起きておりましたので。むしろまたあなたにお会いできて光栄です」
如才なくカリムが世辞を――いや、違う。カシムは隣に立つ男の頭をどつきたくなった。
(てめえな! 相手を考えろ……!)
カリムは正真正銘、本気で言っていた。にこにこ愛想よく浮かべた笑顔は本音全開であり、心なしか頬も赤い。
この男の数少ない悪癖だ。――強い女が好きなのである。
弱い女はすぐ死んでしまうからという身も蓋もない理由であったが、二人のような人種には割と真面目な問題でもあった。心身ともに弱い女にうっかり心を傾けたが最後、あっさり死なれるか、裏切られるか……運悪くそんな苦い経験を重ねてしまったカリムは心底懲りて、女と親しくなるなら強いほうがいいと嘯くようになった。
それが自己暗示になってしまったか、カリムは本気で強い女を好むようになってしまったのである。
気持ちは理解できなくもない。だが無謀はよせとカシムは叫びたかった。
セナ=トーヤの脇をかためる精霊族どもの視線が恐ろしい。何故ここに灰狼どもがいないのだ。こんな時こそ、この空気を盛大にぶち壊しに来てくれればいいものを。
すぐにでも部屋へ戻りたい願望を押し殺し、カシムは重い口をひらいた。
「……とうに知っているんだろうが、俺の名はカシム。あんたが、黎明の森の魔女か?」
名乗ると同時に、一応尋ねた。すると魔女は、「あー、まあねえ…」と曖昧に言葉をにごした。
ぼんやりした言い方に少し苛立ち、カシムは普段どおりの口調で続ける。魔女の寛容さを試すなど、大概自分も無謀だと思わなくもなかった。けれどいきなり灰狼どもに囲まれ、奴隷の証が消え、こんな所まで連れて来られたのである。
自分達はこの魔女に感謝すべきなのか、それとも、何か目的があって連れてこられたのか、とにかくはっきりさせたいのだ。
「無礼を承知で訊く。あんたは俺達に何をさせたい? どんな思惑があって連れてきた? ドニいわく、俺らは単なるイヤガラセであり、それ以外の意味はないって見解だったが――……」
「さすがドニ、わかってるなあ」
気の抜ける軽い口調で、魔女はあっさり肯定した。
「おい、待て。俺らを活用せずにどうする? 俺とカリムは……」
「帝国の元間者。現在は亡命成功した自由民だね。ほとぼりが冷めるまでは外に出ないようにね、危ないから」
カシムは絶句しそうになる。灰狼どもも大概だったが、この女の厄介さはそれ以上だと悟った。
「俺らの持っている情報は、どうでもいいと?」
「無理に役に立とうとしなくていいよ、ていうのは侮辱にあたるのかな? 腹芸とか、まわりくどい言い方って苦手だからぶっちゃけておくけど、〝グランヴァルの関連情報〟なら間に合ってるんで気にしなくていいよ」
「――――」
気にしなくていい。すなわち、カシムらにとって交渉材料にはなり得ないという意味でもある。
「グランヴァル侯爵家は、代々が悪党を輩出する家系だったらしいね。とりわけ酷くなったのが先代の頃からで、当代はもう最悪。胸糞悪い商売にはことごとく手を染め、領民が命を削りとる勢いでおさめた税を自分達の贅沢で浪費する。昔っからそんな噂が流れてるのに、どうにも捕まえようがない」
そう。グランヴァル侯爵は、下劣で品性のかけらもない最低な男であったが、悪党としてはそれなりの手腕を持っていた。
「何故なら拠点はそもそも、グランヴァルの領地にはないからだ」
「……っ!」
「余所の土地にこっそり犯罪組織を作らせ、侯爵領内で〝商売〟をさせる。そいつらは治安の劣化したグランヴァル領内に侵入し、うまうまとやっているつもりで、実は自分達の頭がグランヴァル侯爵その人とは知らない。万一そいつらが捕縛されても、疑いはそいつらの組織のある領地に向かう。グランヴァル侯爵はせいぜい、『自領の統治をちゃんとしないから余所の連中に好き放題されるんだ』と嘲られる程度で終わるだろう」
その余所者どものあげた利益が、最終的に侯爵の懐に流れ込んでいるとも知らず。
「たやすく自分へ繋がらないよう、間に仲介を挟んで指示を出している。組織そのものはグランヴァル領内にはない。そのからくりは今まで誰にもばれなかった――ところが、レティーシャが気付いた。侯爵はおそらく、娘に知られていることに気付いていない。違う?」
「………っ」
「悪名高いガスパール=エーメ=グランヴァル、妻のイヴェット。正しくそいつらは下劣極まりないクズの中のクズ、加虐趣味の悪党なんだろうね。でもってレティーシャは……」
――サイコ入ってるお嬢さんだよね。
知らぬ言語で魔女が呟き、カシムは己が聞き逃したかと勘違いして、反射的に「何だって?」と尋ねた。
二人のやりとりを心配そうに見ていたカリムも、首をかしげている。
「いや、なんていうか。一家の中で、多分一番、このお嬢さんの気質が猟奇的だよね。弱い者が自分に傅いて、自分を崇拝する状況を作るために、弱い者を量産する親を止めずにむしろ助けている。邪魔者を片付ける時も、自分の手を汚さず、好印象を崩さないやり方を知ってる。自分の崇拝者の見ている前で、ほんの少し〝傷付いて悲しそうな表情〟で瞼でも伏せてやればいい、そうすれば何も命じずとも、狂信者が邪魔者を排除してくれる。――ガスパールの〝商売〟は、レティーシャが生まれた頃から、日を追うごとにどんどん大きくなっていった」
そう。その通りだ。
カシムは、老いて引退することになった前任者からレティーシャの件を引き継がれる際、警告を兼ねてその話を聞いた。
あの姫君を決して甘く見るなと。
「あんた達はガスパールの飛ぶ鳥な勢いの大成功に、レティーシャが関わってると調べ上げて、接触をはかったんじゃない? でもって、敵対するより、友好関係を結んだほうが得だと判断した」
「…………そう、だ……」
ああ、なるほど。カシムは心から納得せざるを得なかった。
こうも知られているのなら、確かに自分達に利用価値などありはしない。
「あんたは、グランヴァルを……あのおぞましい姫君を、どうする気だ?」
あえぎながら、カシムは怖いもの見たさ半分で知りたくなった。
それに対する魔女の返答は、あっけらかんとしたものである。
「どうする気も何も。破壊活動ならもう始めてるけど?」
「は?」
外見だけは奇跡の聖女、ところが中身は…というお嬢さんです。