128話 夜も明けて
どうでもいいことかもしれませんが今話からルビが
エルファス→エルフ、ドヴォルグ→ドワーフに変わります。
瀬名の回のどこかキリのいい所で切り替えるつもりだったのに
ついタイミングを逃してきてしまいました。
贅を尽くした絢爛豪華な皇宮の中に、俺とカリムの部屋はなかった。
いくら皇子の所有物であり、ほかの者とは比較にならない良い暮らしをさせてもらっていても、奴隷は奴隷。その立場を弁えさせるために、自室や寝台は用意されない。
眠る場所は主人の部屋の片隅、床の上だ。それでも俺らはまだいいほうだ、皇子の部屋の絨毯は毛足が長くやわらかで、慈悲深い主は敷き布と掛け布をお与えくださった。
もし皇宮ではなく他の貴族や豪商の持ち物であったなら、むき出しの石床にそのまま寝転がされるか、横になる隙間もない奴隷小屋に全員まとめて押し込まれるか、いずれにせよもっと最低な扱いしか受けない。おかげさまで、どんな悪環境でも眠れるようになる。そのまま永眠する奴が出るのも、俺らの中ではよくある話。
もし奴らの前で「俺ら」なんて言ったら、「おまえらなんぞと一緒くたにされたくない」なんて怒られるかもな。地位が高く人格も素晴らしいナヴィル皇子に所有されるなんて幸せな奴らだと、多分俺もカリムも相当妬まれていただろうから。
そうして奴らの恨みの対象は、奴らの主人でもナヴィル皇子でもなく、俺やカリムといった〝恵まれた奴隷〟にすり替わる。同じ立場のくせに、どうしてこうも違うんだ、とくるわけだ。
それが筋違いだと理解できる奴はできるし、できない奴はできない。俺らに限らず、同じ立場だろうが、違う立場だろうが、平民だろうが貴族だろうが、今まで会って来た多くの連中には、大抵そういった傾向が見られた。だから俺とカリムも、いちいちそいつらの相手をしてやる気にはならなかった。無駄だからだ。
下を向き、俺らよりも地べたに近い暮らしをしているものを見下ろして、ほのかな優越と安堵に身を浸し、苦痛に満ちた今日を耐える。
明日は見ない。目を逸らし、屈辱や怒りなどの感情にできるだけ鈍くなることがコツだ。
そうして、俺らはでかくなった。歳は、実は皇子よりふたつ下。親が不明でも、年齢ははっきりしている。価格に直結するからな。
二十代にも三十代にも見えると言われやすく、仕事の時にはこれがよく役立っていた。カリムは二十歳にもなっていない若造を演じることができるし、俺はまあ老けてるから、四十代のおっさんを演じることもできた。
立ち回りが上手く、有能。ずっとそう言われてきたし、そうあらねばとつとめてきた。
そうでなければ、棄てられてしまうから。
たとえ今は皇子のお気に入りと呼ばれ、厚手の絨毯の上に寝かせてもらえていたってな。
飽きられ、不要の役立たずになれば、処分されちまうんだよ。臣下の褒賞にやったり、親戚の贈り物の中に入れたりと、処分する時も有効活用してたけどな。
皇子殿下からの下賜品って箔がつくから、皆ありがたがってたけどな。
とんだ勘違いだぜ。
俺らの代用品なんぞ、いくらでもいる。そう扱われてるってのに、気付きやしない。
皇子は知恵の働く奴を好むから、手放された奴ってのは要するにその程度の奴なわけで。新しい主人のもとで、勘違いを全面に出さなきゃいいけどな。
名づけの権利は主人にあるから、皇子から賜った名は一旦返上し、そいつは目録の一番最後に、「男奴隷、二」「女奴隷、四」なんぞと番号をふられて読み上げられることになる。
それがどういう意味なのか――早々に気付けなきゃ、あとは地獄界へ向かってまっしぐら。
臣下でも民でもない、奴隷ってのは、そんなもんだ。
◇
身体が、やわらかく包み込まれている。
吸い込む息が、何故かいつもより快く喉を通り、どこからか美味そうな匂いも漂って、すきっ腹がぐぅと鳴った。
「くくくっ……」
「………」
「あ、ごめん。起きた?」
眉をひそめながら瞼をひらけば、正面にカリムの微笑があった。
いつもの笑顔とは違う。どこか余分な力みがなくなった自然な表情に、俺は目をしばたたく。
こいつは、こんな顔をする奴だったか?
「身体、起こせるかな? 痛みとか吐き気はない?」
「ない……」
不調など微塵もないどころか、むしろ気分も全身も爽快さに満ちて、妙な感じだ。
長年の疲れがごっそり、どこかにこそげ落ちたような……これはどうも、結構な時間を寝こけていたかもしれん。
「どのぐらい寝てた?」
「一日半ぐらいかな」
「いちにちはんだぁ!?」
寝過ごすどころじゃないだろう!?
なんだって、そんな長時間寝られたんだ俺は?
「よかった、元気そうだな。なんとなくおまえの目が覚めそうだなって気がして、二人分の食事をもらってきといたんだ」
脚の短い食卓に、湯気の立つ食器を乗せた盆が二つ分ある。
さっきの美味そうな匂いはこれか――ちっ、また腹が鳴りやがって。
だから、笑うんじゃない。
腹をさすって、俺のものではない部屋着を身に着けているのに今さら気付いた。
寝台のちょうど下には、革製の室内履きが揃えられている。
足を入れてみると、しんなり柔軟な革の内側は肌触りのいい布になっていて、溜め息の出そうな履き心地の良さだった。
脚のない座椅子に腰を下ろすと、詰め物を入れた布の適度な沈み心地が、控えめに言っても最高。
なんだここは。どこの高級宿だ?
「……なんだ、これ?」
「雑炊。カシムも初めて見る?」
「喰ったことねえ……つか、喰えんのか?」
「俺も初めて見た時は驚いたけどねえ。身体が弱ってる時とか、長く喰ってない時にいい食べ物なんだってさ。食感が苦手な奴もいるかもだけど、俺は美味かった」
「ああ……力がなくても飲み込みやすいのと、吸収がいいってやつか。ミルクの匂いはしねえな?」
「この白い粒々はコメっていうらしい。魔女と精霊族はこれを好んで食べるみたいだ。本当はもっと水気を少なめにして、弾力のある状態なんだよ。これは病人食だから、穀物とか野草とか細かく切った肉と一緒に、形が崩れるまで煮込んでてこうなってる」
どろっとした見た目は、カリムの言ったように、この見た目や食感で拒否する奴もいるだろうな。
ただこの、やたら食欲をそそる匂いからして、多分これは美味いんだろうと俺は思う。
「コメってのも初めて聞くな」
「いや、それがね、聞いて驚け。正体はあの〝畑潰し〟なんだよこれ」
「――冗談よせ」
「俺もからかわれてんのかと思ったよ」
畑潰し。それは、あまりの繁殖力と生命力の強さで、ほかの作物から畑を奪い取ってしまう害草の代表だ。
麦に似て大量の小さな粒がなる。けれど、ためしにそれを粉にして焼いたパンは、味も食感も悪く、土臭くて喰えたもんじゃないと聞いたが。
「育て方が違うんだ。これは、ほかの土地に繁殖しないようしっかり区切られた場所で、大量の清水と泥の中に植えて育てると、全然くせのない甘みのある実ができるんだって」
「へえ……大量の清水ってとこで、まず難しいな。湿地帯なら水はあるだろうが」
「他と区切るのも難しいだろうね。それに清水とは言えない。土や水の質がそのまま風味に反映されるから、そのへんでボウボウに生やすと不味くなるんだ」
見本を示すようにカリムが木の匙で器の中身をすくい、何度か息を吹きかけて、口の中へ運ぶ。
要はスープと同じ喰い方でいいんだろう。真似て一口含めば、とろりと舌の上に流れ、想像した以上に美味い。味付けは塩のみ、それだけでも穀物や葉、肉の風味が合わさって、かなり美味く感じる。
腹が減ってるから、余計にそうなんだろうが。
皇宮にいない時の食事は粗末なもんだったから――くそまずいと悪名高い携帯食なんぞ日常食だ――俺らは間違っても美食家じゃあない。
そういったのを除いても、この料理が美味いもんだってことぐらいはわかる。
――要するに、つまるところ。
ここは、どこだ?
魔女と精霊族?
さっきはつい聞き流したが、なんでそんな話が出てくる?
「灰狼の村だよ」
「は……」
灰狼、だと?
……そうか。そういや、そうだった。思い出してきた。
俺が寝かされていたのは、帝都の宿にあるような上等な寝台だった。清潔で、すえた臭いもない。
陽光に照らされて明るい室内。どっしりとした石造りの壁には、色鮮やかなタペストリー。
部屋着も、室内履きも、この座椅子も、食い物も、安宿じゃあ有り得ないんだが。
あいつら、こんないい暮らしをしてたのか?
「……半獣族の集落は、もうすっかり帝国領になっちまったと思ってたが、村なんぞ残ってたのか? 帝都から見て、ここはどこらへんにある?」
「帝国領じゃないよ、ここは。――黎明の森の端にある、〈門番の村〉だ」
「――――」
は?
なんだって?
つい手を泊めてカリムを見るが、からかっている様子の欠片もなかった。
「……俺が寝てたのは、一日半、と言ってなかったか?」
「一日半だよ」
「…………おい。どれだけ距離があると思ってやがる?」
「さあ」
「さあ、じゃねえ」
馬車を使わず一日じゅう魔馬で駆けたとしても、一日ちょっとで着くような距離では――
いや、待て。
寝ていたのが一日半、だ。
「……え? どういうことだ?」
カリムが、微妙な笑みを浮かべ、ひょいと肩をすくめた。
この村にはあの人が…。