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空から来た魔女の物語  作者: 咲雲
狩りと獲物
128/316

127話 狩人の月 (5)

ようやく(5)でまとまりました(ホッ)

カシムさんとカリムさんの得意分野は諜報と暗殺です。

奇襲や速さで挑める相手には強いんですが、全方面強い肉体自慢の種族と真正面からやっても勝てません。


(悪あがきにもならなかったな)


 あれは戦闘とも呼べない代物だった。

 子供をあしらう程度の力加減で、あっさり地べたに叩きつけられた。

 せめて足の一本ぐらいもらう勢いだった自分が、実に滑稽で嗤いがこみあげそうになる。

 けれど悔しさはない。力の差は初めから歴然としていたし、これは彼にとって予定調和の流れでしかなかった。


 精神まで絡みつく支配の紋様を背負い、自死すらもできない――ところが、物事には例外がある。敵に利する裏切りの禁止、これに抵触しそうな場合、己の処分という名目で、それが可能になるのだ。

 もし捕虜にされてしまいそうであれば、決して敵へ情報を渡さないために。要は自分ひとりの命が消える損失より、生きていた場合に主人に与え得る損害のほうが重要というわけである。


 誘いを断った。抵抗もした。しかし、敵わなかった。

 これで条件を満たした。

 カリムは怒るかもしれない。泣いてくれるだろうか。それとも幻滅するか。愚にもつかぬ想いに、カシムはきっちりと蓋をする。

 あちらへ行こうと望む声に頷けない以上、これはカシムにとって、己の選択できる唯一の抵抗だったのだから。


 奥歯に仕込んでいた毒薬を、噛み砕く。古典的な手段だ。

 致死性の毒は、舌や口内の粘膜から浸透し、あっという間に全身に回る。

 ただの毒ではない。肉体のみならず、魂をも破壊する猛毒だ。たとえ敵の中に死霊使いがいて、生前の記憶を持つ霊体(ゴースト)を召喚したとしても、精神を破壊されたそれから有益な情報など得られはしない。


「う、あぁあああァ――ッッ!!」


 四肢を内側から破壊される激痛に、狂った獣の咆哮があがる。漆黒に塗り潰された枝葉が風にざわめき、夜空の隅で銀の弓がこちらを覗いていた。

 痛い、痛い、痛い、くるしい、痛い、つらい、苦しい――

 それ以外のすべてが頭から消えた。

 さんざん苦痛にもがいた後、大量の血を吐き出してこと切れる。裏切者への見せしめ、敵対する者への脅し、それを目的として作られた、苦しめて殺すための薬。

 かつて何度も目の当たりにしたそれを、今まさに自身で味わっている。


「――――ッ、~ッッ!!」


 もがきながら地面に爪を立て、かきむしって指先が血まみれになった手を、何故か灰狼達が飛びかかって捕えた。

 そのまま羽交い絞めにし、なおも暴れようとする腕を後ろ手に布で縛り、肩が抜けないよう上半身の全体にもぐるぐる巻きつけた。

 口内にも布を押し込み、くぐもった悲鳴が辺りに響く。これは舌を噛み切る心配をしてのことではなく、聞いていられないほど凄まじい音量だったからだ。この周辺は音が漏れないよう結界で対策を施してはいるが、そうではなく、間近でまともに聞いていると耳がやられそうなのである。

 数人がかりで頭を押さえ、足を押さえる。石柱に縛り付けることも考えたが、この様子では後頭部を何度も打ちつけてしまいそうだった。

 要らぬ苦痛を増やしてやる必要はない。


 ――カシムはしばらく気付かなかった。気付ける余裕がなかった。

 やけに、時間が長引いていることに。

 痛い、痛い、痛い――いったい、いつまで耐えればいい?

 もうすぐ、もうすぐだ、あと少しの間だけ――そう思ってどのぐらい経つ?

 さんざん苦しみもがく様を見せつけ、相手がぞっとする頃には大量の血泡を吐いて絶命する、そういう毒だった。

 多少の間だけ、地獄の苦痛を我慢すれば、後は楽になれる、そのはずだった。

 なのに、地獄がまだ続いている。


 実質、わずか数分ほど。けれどその最中(さなか)にあるカシムにとっては、永遠に等しい責め苦が続いていた。

 やがてようやく、かすかに「?」と疑問がひらめき、己の奇妙な状態に気付く。

 何かやわらかいものできつく縛られ、灰狼達が全力で己を拘束していた。激痛は相変わらず絶え間なく続き、それはつまり、未だに自分が死んでいない現実を示していた。

 とうにこと切れて、(うつつ)とあの世の狭間を彷徨っているにしても、この状況はおかしい。

 だが、気付けたのはそこまでだった。まともに何かを考えてなどいられなかった。ただひたすら激痛に翻弄され、耐えられずに咆哮をあげ続けるしかなかった。


 一度は吐き出した口内の布を、再度押し込まれる。終わりのない苦しさに涙が流れた。叫び過ぎて喉が嗄れ、裂けでもしたのか、びりりと異質な痛みが走った。

 その痛みがス、と消え、カシムは目を瞠る。

 ほかの痛みに紛れただけ? いや、そういう感じではなかった。

 そこに思考が向かうと、初めてほかのことにも次々と意識が向かった。


(おかしい。なんだ? 何が起こってる?)


 どうして自分はこうも、こんな状態なのだ?

 もっと短いはず。こんなに長くはかからないはず。

 短時間でまわる致死毒なのだ、一人たりと生きていられるものか。

 まさか違う種類の毒を渡された? どんな理由があって?


「偉大なる神々よ、いと気高き御名において、我が祈りを聞き届けたまえ――」


 男の声が朗々と響いた。ぐちゃぐちゃになった頭で、それが治癒の祈りだとカシムはぼんやり認識する。


(無駄だ。これにそんなもんは効かない)


 治癒も、解毒も、不可能。そのように念入りに作られた、と聞いた。

 第一にそんなもの、唱える前にみな死んでしまうのだから。

 そうだ。唱える時間がある。それを思いついた頃にはもう遅い、そんな毒なのに、つまり自分は、つまり、……どうなっている?

 未だに痛みが襲いくる。全身に。つまり、身体がまだ生きている。だから痛い。

 カシムは鈍い頭で、少しずつ自身に意識を向け、少しずつ〝それ〟を感じ取れるようになっていった。


 肉体も、魂も破壊する猛毒。

 毒はカシムを内側から破壊し。

 それを追う勢いで、破壊された部分が治ってゆくのだった。


 治る、という表現は生やさしい。それは暴力的な勢いで、急激に破壊されたそばから急激に再構築していった。

 再構築された部分がさらに壊され。壊された部分がさらに再生し。その繰り返しが、恐るべき速度で全身を巡っている。

 地獄だ、とカシムは泣いた。

 ひとおもいに()ってくれ。

 はやく終わらせてくれ。


 そこに神聖魔術の光が降りそそぎ、苦痛が若干薄れてゆく。

 効きはしないと馬鹿にしたのは撤回する、何度でもかけて欲しい。

 だが灰狼達は非情だった。


「悪い、神官さんよ。間隔が短いぜ。もうちょい()ぁあけてくれや」

「あんたが先に治し過ぎると、()()()()()が治らねえっつー結果になりかねねえらしいんだわ」

「ええ……申し訳ありません。つい、見ていられず……」

「気持ちわかるけどよ……酷ぇよな、こんなもん考えついた野郎は」

「てめえが飲みやがれってカンジだよな」


 酷いのは貴様らだ、とカシムは頭の片隅でののしった。





 静かになった。

 とても、静かだ。

 恐ろしい悪夢の時間は過ぎ去り、まるで永遠のように思われたそれは、あっけなく過去形に追いやられた。


「…………」


 ぐっしょりと汚れた無様な顔を晒しているのに、それをぬぐう気力も残っていない。

 口内から赤い唾液で染まった布がぼとりと落ち、拘束されていた布も解かれ、白い衣装を纏った男――老人が浄化を唱えた。

 血と涙と土汚れで酷い有様になっていた全身が、あたたかな魔力で洗われても、カシムはひとことも発することができぬまま、力なく地面に崩れ落ちた。


「カシム……!」


 駆けつけたカリムの頬も、負けず劣らず濡れていた。ぬぐってやったところで、またすぐに滂沱と流れて台無しになるだろう。

 それにあいにく、指一本動かす気力もない。カリムの肩に額を押しつけられ、どうやら抱きしめられているらしいとぼんやり思った。


「そのまんま抱っこしといてやんな、カリム」

「ちょいと背中見るからよ」

「わ、わかった。ごめんカシム、あとちょっとだから」


 背中? 背中がなんだというのだ。

 あとちょっと? 何が?


「場所はおまえさんにあったやつと同じ、だったよな?」

「そうだよ。俺らの手の平ぐらいの大きさで、心臓の真上あたり」


 無骨な手が首の後ろから上着を掴み、押し下げようとする。それをカリムが、服の前をくつろげて助けても、カシムはされるがままだった。

 背が涼しくなる。何をしているんだ、こいつらは……


「――うん、ねえな」

「さっぱり消えてら」

「……よ、」

「よかっったぁぁあーっ!!」

「うわっ!?」

「おい長、そこはカリムに言わせてやれよ!! なに人のセリフを横取りしてやがんだ!!」

「すすすすまんッ!! でも、よかった、よかったなあああ……!! 俺はもう心配で心配で……」


 図体のでかい男が涙声になっていた。さすがにカシムの理性も戻ろうというものだ。

 とはいえ、凄まじい疲労感と、今は眠気も襲ってきて、相変わらず平素の十分の一も頭が仕事をしていないのだが。


「……カリム?」

「うん……ごめん。苦しかったろ? 実は俺も、前にやったんだよな、これ。だから、こうなるのわかってた……ごめん」

「前に、って……」

「情けないけど、早い話が、あっちで捕まったんだ、俺。でもって、『寝返らない?』って誘われて、突っぱねた……あとは、おまえと同じような展開」

「……」

「負けて、毒を噛んだ。苦しんで苦しんで苦しみまくって――でも俺は、死ななかった。この通り。目が覚めて呆然として、鏡を二枚渡されて、背中を見たら」


 消えてたんだ。隷属紋がどこにもなかった。

 もとのように服を着せかけながら、泣き笑いで告げられたその言葉に、カシムはこれ以上なく眼を大きく見開いた。


「そ、……そん、……まさ……」


 そんな、まさか。ろれつが回らず、うまく紡げない。


「おまえの背、今は何にもないよ。俺のも後で見せてやる」

「ま、まさ……か……なん、で……どう……」

「どうやって? 俺も信じられなかったよ。俺を捕まえたのは、なんと例の〝魔女〟本人だったんだけどさ……聞いてびっくり。彼女は、あの毒の特効薬を持ってたんだ」

「な……なん、だと……!?」

「それ用の解毒薬じゃないから、語弊があるかな。あの毒の破壊力をも上回る、超強力な回復薬。その処方を編み出してて、こっそり俺に飲ませてたんだ。俺もおまえも、毒を盛られてたら大概気付けるだろう? でも彼女が俺に盛ったのは、害なんて微塵もない回復薬で、変わった味もにおいもなかった」

「それを……おれに……?」

「プラメア茶だよ。あの中に仕込んだ。ちなみに俺の時は酒場のカウンターで、隣に座った奴から情報収集してる時、注文した酒に入ってたらしい。だから店主もグルだったわけだね」


 あの茶、結構いけただろ? 全部飲んでたしな――


 あれは、合図だった。「つづがなく飲ませたから大丈夫」だと。

 それを受けて灰狼達は、一芝居打ったのだ。

 いや、族長に関して言えば芝居ではなかった。彼は予測される展開と、喋ってはいけないタイミングを言い含められており、それをきちんと守っていただけだ。

 周りはそれに合わせた。計画通りに。


(よまれて、いた?)


 すんなり敵の思い通りにはならない、なれない。

 抵抗し、敗北し、その末に自害しようとする。そのすべてを読まれていたというのか。

 そうか。カリムが既にあちら側にいるのだ。そんな事情、こいつから聞いていてしかるべきだ。

 カリムの言葉は淡々と続く。


「精霊族の秘薬を分けてもらって調合した、肉体のみならず、魂をも回復する薬なんだってさ。一瞬で破壊される範囲が大き過ぎたり、もともと欠けている部位は治せないらしいんだけど、徐々に蝕むたぐいの毒薬には効果てきめんらしい。完全に破壊し尽くされる前に治してしまうから、結果的に破壊の〝範囲〟はそれだけ狭くなる、っていう理屈らしいけど、そのあたりはさっぱり、何がなんだか」

「……わけが、わからん……」

「俺だってわかんないよ。後から服用しても効かないから、事前に飲んでおくのが重要らしい。効果は数時間。俺の身体も魂も、あちこちを壊されて、治されて、壊されて、治されて……崩壊と修復をひたすら繰り返すうちに、毒の成分のほうが先に消えた」


 そうして、思わぬ事態になった。幼い頃に焼きつけられ、一生涯消えない奴隷の紋様が、跡形もなく消滅していたのだ。

 これは、たとえば皮膚をはがしたり、上から別の焼き印を押して誤魔化そうとしても意味がないたぐいのものだ。ただの焼き印ではなく呪術で刻まれたものは、無理に消そうとしても何度でも下から浮かびあがってくる上に、その間の効力も一切失われていない。

 逃れる方法は存在しなかった。その常識を、例の〝魔女〟は覆した。


 いざという時、奴隷が確実に死ぬように、死したのちも余計な情報を漏らせぬように、そう念入りに凶化された猛毒が、皮肉にも彼らを解放する決め手になったのだった。

 もしも肉体のみに作用する普通の致死毒だったなら、この結果にはなっていなかったろう。


 魂をも破壊する毒により、穿たれた隷属紋の支配ごと魂が破壊され、魂の傷をも癒やす強力回復薬により、魂は健やかな状態を取り戻し。

 そうして、幼少期からずっと彼らを縛り続けていた呪いは、魂からも肉体からも駆逐された。


 そこまで説明されても、カシムの頭には、ろくに入ってこなかった。


「爺さん、今なら治癒魔術ばんばんかけてくれていいぞ」

「つうか、あんたも疲れたか? 夜中にこんなとこまで連れてきちまって悪ィな」

「いいえ、お気遣いありがとうございます。……我が神殿の者がろくでもない真似をしでかした分、わたくしどもにも名誉挽回の機会を与えてくださらねば、気になって眠るどころではございませぬよ」

「大変だなあ、あんたらも…」


 浄化と治癒の魔力に包まれ、己の疲労を思い出したカシムに、心地良い眠気が訪れる。



「で、もう一度質問するよ。……あちら側へ行こう、カシム?」



 本格的に瞼を閉じる前、少しだけ弾んだカリムの声が、その日の最後の記憶だった。



「……勝手にしろ……」



 あとはもう、どうにでもなれ。




血の繋がりがあろうとなかろうと、感覚的には兄弟と二人とも思ってます。

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