124話 狩人の月 (2)
あれおかしいな?
長くなりました。
前後でおさまると思ったんですけど(汗)
そんなわけで前話を(1)に修正しました。多分(3)までになると思います。
暮れの空がうっすらと弓を描く頃、指定された宿の扉をくぐり、店番と軽く頷きを交わして、カリムの泊まっている部屋へ向かう。
花街の娼館でも貧民街の裏路地でもない、ごく標準的な宿だ。
疑ってくれと言わんばかりな、いかにも何かありげな雰囲気の場所は滅多に利用しない。
都の外れではあるが人通りは多く、平民階級の者が住まう区画と、商業区画の間に建っているこの宿は、外観も内装も標準よりやや上だ。懐の少々温まった商人などがよく宿泊し、寝台は清潔に保たれ、追加で払えばそこそこ美味い料理が出る。
ただ、もしこれが田舎の地方の宿であれば、充分に高級宿として通用するだろう。都では全体的にどの店も質が高く、物価も高く、このくらいが普通なのだ。
きしまないしっかりとした造りの階段をのぼり、廊下を進んで、奥から二番目の扉を軽く鳴らした。
「やあ、待っていたよ、久しぶり」
「ああ、久しぶりだな」
書簡や極秘のやりとりは続けていたけれど、最後に直接顔を合わせたのは、何ヶ月前だったか……一年は経っているかもしれない。
「座ってくれ。ついさっき茶を淹れたばかりなんだ」
「茶か? また上等なものを……」
「いやこれが結構うまいんだよ。メシは?」
「喰って来た」
カシムは呆れながら扉を閉じ、錠をかけた。
ほがらかな笑顔で小さな卓を示すカリムに、相変わらずだな、と密かに安堵を覚えつつ、それでもこびりついて残る不吉な予感に困惑する。
寡黙で生真面目な、全体的に暗い色合いのカシム。愛嬌があり人に好かれやすい、全体的に明るい色合いのカリム。
同じなのは、この帝国民として一般的な、やや小麦色の肌ぐらいしかない。
並べば正反対な〝兄弟〟だと、よく言われる――だがそれは、自分達の役割を果たすうちに、自然にそうなっただけだ。
むしろこの帝国で、彼らのような立場の者は、カシムのほうがよくいる手合いだった。暗く、陰気で、感情の窺えない……中には本当に、感情を失った者さえいるだろう。
カリムは珍しいのだ。
だが、カシムも、彼らの主君もよく知っている。
本質は二人とも、まったく変わらない。
彼らには、人族と異なる耳があった。
獣の耳だ。
腰からは、毛足の短い長めの尾。
そして背中には、焼き印で描かれた、揃いの隷属紋がある。
奴隷。それが、カシムとカリムの二人だった。奴隷から奴隷として生まれ、親は不明。
色合いは異なるけれど、顔立ちや体格、背丈など似ている部分が多く、だから本当に兄弟なのかもしれない。
毛並みがいいと高値を付けられ、幼い頃に第二皇子の母が息子に買い与えた。以来、彼らは第二皇子の所有物となった。
戦闘奴隷ではなく、皇族に飼われる立場になったのだから、他の奴隷より立場が高く、遥かにマシな暮らしをさせてもらっている。臣民も内心はどうあれ、皇子の持ち物を粗雑に扱ったりはしない。
そして皇子が二人に与えたのは、常に侍って周囲に目を光らせる護衛ではなく、諜報員の役割だった。
鼻がきき、運動能力の高い半獣族の奴隷は、言動が本能寄りになりがちで、あまりおつむの出来が良くない。しかし全員がそうではなく、稀に〝そこそこマシ〟な者がおり、ナヴィル皇子は早々に、二人がそれに含まれる者だと見抜いた。
先日、カシムは帝国に戻り、皇子からねぎらいの言葉をいただいたばかりである。
しかし今夜、カリムの持ち帰った情報次第で、評価は天から地までひっくり返されるかもしれない。
(まさか、そこまでのものはない、だろうが……)
カリムは防音と遮音の結界道具を卓の上に置き、少量の魔力をこめて発動させた。手の平におさまる程度の小さな魔道具だが、二人の周辺ぐらいまでの音は完全に防ぐ。
そしてカリムは茶に口をつけ、ほう、と息を吐いた。この男には珍しく、気分を落ち着けようとしている。カシムは己の器をくんと嗅ぎ、同じようにひとくち飲んだ。
美味い。だが、のんびり感想を告げている場合ではなさそうな空気である。
あちらとこちらを行き来しているカシムと異なり、カリムは日頃から諸外国に潜伏している。潜伏といっても、薄暗い路地でコソコソ身を隠しながら、ではない。
彼は若い行商人として、堂々と各地の人々の中にとけ込み、情報収集を行うのが専門であった。如才ない話術、人好きのする笑顔などは、その訓練で身につけたもの。
エスタローザ光王国で活動を始めたのは、だいたい五年ぐらい前だったか。かの国を本格的に崩すため、王国のさまざまな領地を行き来し、かの国の事情を本国に流してきた。
デマルシェリエさえ潰せたら、あの国は落ちる。それは間違いない。魔術士団と騎士団の確執が深まり、長年に渡って内部分裂してきた王国軍の質の低下は、先代国王の時代から急激に進んでいる。
だから今まで、皇帝も阿呆な将軍どもも、デマルシェリエを潰すことに躍起になってきた。連中のくだらない自尊心が根底にあるとはいえ、それは確かに理にかなっていた。
だがナヴィル皇子は彼らのやり方を見て、カシムにこっそり、呆れた口調でぼやいたものだ……「正面突破にこだわるから、失敗続きになるのだろうに」と。
敗戦の屈辱を何度も重ね浴びるぐらいなら、つまらぬ自尊心など、ひとまず脇に置けばよかろうに。
それは、視野の広いナヴィル皇子だからこそ、口に出来た言葉だとカシムは知っていた。皇族、貴族どもの虚栄心は、まるで呪いの一種ではないかと思うほど強烈で、手の付けようがない。
「久々に会ったんだから、和やかに近況報告といきたいんだけどね。悪いけど包み隠さず本題にいくよ」
「構わん、話せ。何があった?」
伝書鳥に持たせる小さな紙片には書ききれない。すれ違う同業者に情報を持たせるのも、できればしたくはない。
伝聞ではなく、これは直接伝える必要がある――カリムがそう判断したのだから、相当のことが起こっているはずだ。
「デマルシェリエ領のドーミアに、〈黎明の森の魔女〉と呼ばれる者が住んでいる。それは憶えているかい?」
「奴らの好きそうな偏屈魔女、という噂だったか。面倒ごとを嫌い、森に隠居し出てくる様子はないと」
「そう、だから我々にも絡んでこないだろうと判断していた。地位ある魔術士でも、討伐者として成功しているでもなく、ただの野良の自称魔法使い。デマルシェリエ領の運営にも関わっていない。危険視するほどの存在でもないと」
カシムは頷いた。実際、今まではそうだった。すべての報告がそう伝え、カシム自身も直接かの地へ足を運び、確かめたことだ。
〈黎明の森の魔女〉とやらに、野心はない。市井の噂話からも、むしろそういうものを嫌う人種だと窺えた。
魔法使いならば、そうでなければおかしい。
「その〈魔女〉には、使いの少年――いや、今は青年か――セナ=トーヤという人物がいる。これも知っているだろう?」
「もちろんだ。だが、同様に野心など皆無という印象だった。……違ったのか?」
〈黎明の森の魔女〉の使いとされる小柄な青年、セナ=トーヤ。
そのセナ=トーヤなる人物こそが、精霊族の王子達を保護した張本人だった。しかしドーミア騎士団にあっさり手柄を譲ったことから、警戒対象から外れたのだ。
野心はなく、注目を望まない。どこかの間者であるならば、そんな変わった〝設定〟など用意しない。
加えて、おとぎ話の魔法使いもどき、民草には好意的に受け入れられようが、上流階級の者達からは生ぬるい視線しか得られないだろう。デマルシェリエの変わり者親子は、個人的な友人として親しく付き合っているようだが、明確な地位を与えるでもなし。
所詮は他者に使われる従僕に過ぎぬと、甘く見ていた。
「いや、違わない。……けれど我々は、この人物こそを警戒しなければいけなかったんだ。それがよくわかったんだよ」
「なんだと?」
カリムは順を追って話し始め。
そのあまりに有り得ない内容に、常に無感動なカシムでさえ、動揺と驚愕を抑えきれなかった。
◇
精霊族の予想外な出現によって、【イグニフェル】の幼体を使ったドーミア襲撃は失敗に終わった。
しかしその後はいずれドニが捕えられ、デマルシェリエの矛先はグランヴァルに向かうであろう。そこまでは計画の予定内、カシムはそう判断し、念を入れてナヴィル皇子にも確認したが問題視はされなかった。
ところが。
そもそも、精霊族どもがドーミアに訪れる前に何があったのか。
実は奴らはその直前、違法奴隷騒ぎの大元をことごとく突き止めており、光王国の王宮に直接殴り込んで、どんな交渉をしたのか、ごっそり引き渡させていたのだ。
――あの三人の王子は、生きていた。
呪いで幼児と化し、先は長くないはずだったのに、どうやら解呪されてしまったらしい。
そこからあっという間に、実行犯も、糸を引いていた者も、ずるずる根こそぎ、だったという。
しかも発芽騒ぎの前段階で、誰あろうセナ=トーヤが大金をはたいて高位討伐者を大量に雇い、ごく短期間で驚くほどの入念な対策を施していた。
やはり事前に何者かが漏らしたと考えるべきか。おそらく裏切者はドニではない、もし奴であれば発芽自体が防がれていなければおかしい。
恐るべき報告はまだまだ続く。
・その一、灰狼の集団がドーミアへやって来た
待ち構える彼らのもとに訪れたのはセナ=トーヤ、しかも何故か彼には精霊族が複数名付き従っていた。
灰狼がいきなり彼に対し、「黎明の森の魔女セナ=トーヤに忠誠を誓う」と叫んだ。
つまりセナ=トーヤは。ドーミア中が大騒ぎになった。
・その二、セナ=トーヤと精霊族が黎明の森を買った
精霊族の王族が光王国の王宮を再訪し、セナ=トーヤとの連名で、森を即金で購入。
即日黎明の森は彼らの領土となった。
・その三、黎明の森に精霊族の郷と灰狼の村ができた
灰狼の村は〈門番の村〉と呼ばれ、森の端に建設。部族まるごと移住し、人口はおよそ七百名。幼子や老人を除く現役の戦士は男女問わず、五百名ほどと推測。
精霊族の郷は〈聖域の郷〉と呼ばれ、人口は不明。
・その四、グランヴァルは無視
デマルシェリエが何らかの働きかけをグランヴァルへ行った様子は微塵もない。気にしている気配も皆無。
さらに、件の令嬢の味方をしていた貴族の中、違法奴隷に何らかの形で関わっていた者はことごとく失脚、投獄、行方不明。
王太子は側近に己のサインを書かせていた旨を厳しく叱責され、謹慎。
・その五、ドニは行方不明
そのはずなのだが……〈門番の村〉から初めてのお使いでドーミアに来た灰狼の子供達が、「ドニせんせいにおみやげ~」と言いながら屋台で買い物をしていく微笑ましい姿が目撃されている。
単なる偶然の一致だろうか……。
◇
「…………」
「…………」
「……事実、か?」
「こんな壮大にして荒唐無稽な嘘をつけると思うかい? 全部、事実だよ」
「…………嘘だろう」
つい口からそんな否定が出てしまっても、カリムは気を悪くしたりはしない。
むしろこういう反応をされないと、逆に大丈夫かと不安になってしまうところだろう。
「俺の得た情報はここまで。実はほかにも、誰かが神の奇跡の剣とやらを入手したとか、その経緯で神殿に粛清の嵐が吹き荒れたとかいろいろあったんだけど、そのへんはさすがに……作り話なのか否か、俺でも判断つかなかったからね……」
「……有り得ん」
「うん、そうだよね。俺もそう思うよ……」
【イグニフェル】をドーミアに送り込んだ日から、いったいどれだけ経過した?
発芽してから、いつの間に何十年も経ったのだ?
「はは……発芽からは、一ヶ月ちょっと、かな?」
「有り得ん」
「そうだよね。俺もそう思うよ」
カリムが乾いた笑いを漏らした。
高位討伐者を大量に雇い、森を即金でぽんと購入できるなど、決断力や行動力もそうだが資金力も恐ろしい。
何者だ、いったい。
「そんなわけで、今あちらは短期間で状況が目まぐるしく変化し過ぎるものだから、収集活動も報告も到底追いつかないんだよ。慌ててこっちに流した後で『昨日のあれ間違ってました!』なんて言おうものなら首が飛ぶだろ。だからこっちに戻って、直接話したかったんだよ」
話しているうちに疲れたのか、茶で喉を潤した。
それを見て、ほどよくぬるくなった器の中身に視線を落とし、カシムも喉の渇きを覚える。
「……美味い。これは茶なのか?」
「なかなかいけるだろう? 塩気があってスープみたいな味だけれど、プラメア茶っていうらしい。中に入っているのは干し果物で、それを湯で割っているんだ。花蜜を入れて甘酸っぱい味にしているものもある。酒で割ってもいい」
「香りがいいな。花茶よりも鼻にくどくない」
「あれは、茶葉に香料かけて香りつけてるやつも多いからなあ……これは素の香りなんだ」
ほんの一時、和やかな会話に逃避する。
しかし現実は非情だ。
「もうひとり、情報を持ち帰った者がいる。そいつと今夜待ち合わせをしているから、カシムも同席してくれ。相手の了承は得ている」
「俺も、だと?」
「俺がそいつから聞いて、さらにお前に話すという手順を踏んでいたら二度手間だ。時間の無駄なんだよ。そんなことをしていたら、あちらの変化には対応しきれない」
「そんなにか……」
「そうだよ。――とんでもないことになっているんだ」
「…………」
この干し果物を酒で割らなかったのは、そういう理由か。
理解が胃の腑に落ち、なんともいえない気分で器を干した。
実はそれっぽっちしか経ってないのでした。
ドーミアにこっそり潜んだスパイの皆さん、頑張って報告してるのに信じてもらえるかあやしいものばっかりで大変そう…。