121話 Day 4/5
瀬名は今、この世の果てまで轟くほどの大音声で叫びたかった。
――フラヴィエルダ嬢のお父様、お母様、本当にごめんなさい。
心から、まことに、申し訳ございませんでした。
宅の大切なお嬢さんをお預かりしている身でありながら、みすみすこのような、このような……。
瀬名の〝いつか菓子折り準備してお詫びしなければいけない迷惑をかけた方リスト〟において、未だ挨拶も交わしていないバシュラール公爵夫妻の名が、辺境伯をおさえて頂点に躍り出た。
◇
油断によるツケは、大抵取り返しのつかなくなった後から判明する。
異変は、すぐに表面化していたわけではなかった。
その日の朝、ウェルランディアまで一時帰郷していたシェルローヴェンの弟達が戻ってきた。
次男のエセルディウス、三男のノクティスウェル。
彼らは母である女王ラヴィーシュカに近況報告を済ませ、移住者の第五陣を選定し、一緒に連れて戻ったそうだ。
「ちょーっとお待ちなさいキミ達?」
「なんだ? その果物は好みじゃなかったか?」
「気に入っていただけると思ったんですが……」
「や、美味しいよ? 甘くてさっぱりしてるし、こういう味好きだってば」
「そうですか、よかった」
「甘味は強いがくどくないだろう? これは生だとまろやかな味だが、干せば甘酸っぱくなり、焼いたらほくほくになってまた別の旨味があるんだ」
「え、それ全種類食べてみた――いやだからそうでなく!」
〈スフィア〉の前にある広場。この兄弟のみと食卓を囲む時の定番の場所で、さっそくウェルランディア土産の中から変わった果物を切り分けてくれたエセルとノクトは、わざとなのか天然なのかいまいち掴めない顔で、美味しいもの談議に話を持って行こうとする。
「あちらでしかとれない花の蜜酒もたくさん分けてもらって来ましたから、後で飲みましょうね」
「え、マジで――ってだからノクト君そうじゃなくてだね! いやそれも後で飲みたいけどね!? ――第一陣は初期メンバーのあんた達として、第二から第四はいつの間にどうやって増えた?」
なんとなく人が増えたなあ、でさらっと流してきたけれど、流してはいけない気がしてきた。彼らの往復の移動時間が短過ぎるのだ。
彼らは自分達の森の場所を大っぴらにしていないので、瀬名も詳しい位置を尋ねてはいない。けれど叡智の森ウェルランディアは、イメージとしてはかなり遠方にあり、そうたやすく行き来できない距離にあると思い込んでいた。
だが、よくよく考えてみればおかしかった。彼らが騎乗する雪足鳥を全速力で駆けさせたとして、数日で行って戻って来られるとなれば、相当近場にある森でなければならない。
規模が大きいと耳にする精霊族の都、さらにそこは〝迷いの森〟。少なくともデマルシェリエ領の周辺には、黎明の森以外にそんな森はなかった。
おまけに、彼らはとてつもなく目立つのだ。夜間、とりわけ森の気配の濃厚な所では、たまに皮膚の内側から滲み出る魔力がぼんやり発光し、まさに幻想的な精霊そのものの姿となる。
魔力の強い種族が、自分のテリトリーや親和性の強い場所にいる時などに稀にある現象らしいが、意識すれば抑えて消すこともできるそうだ。
輝こうとしなくても勝手に輝く、それが精霊族。
要するに、とにかく、何もかも目立つ連中なのだ。集団行動していればなおさらである。
光っていなくとも、真昼間であろうとも、存在自体に無視できない力がある。
そんな連中が何度も行き来しているのに、移動する光景が一度も人々の噂にのぼらず、今日とて彼らが戻って来るまでの間、先触れが届く直前まで気付かなかった。
強力な結界で姿と気配を隠している?
それもありそうだが、それだけではないはずだ。
仕掛けはきっと、彼らの移動手段にある。
「……すまん、兄上かノクトが話してるとばかり思ってた」
「わたしも……兄上達のどちらかがお話ししてるとばかり思い込んでました」
「…………」
長兄は弟二人のどちらかが説明してると思っていそうだな。瀬名は額をテーブルにゴツンと打ち付けた。
「すみません、他種族の方には隠していることだったので……」
「ほかの連中の耳がある所ではおいそれと話せないし、それで言いそびれている内に、誰かが話していると思ってしまったな……」
「っと、そういう事情があるんならいいよ。無理して話さなくても」
慌てて顔を上げた瀬名の前で、二人は顔を横に振った。
「瀬名なら問題ない。実は我々の移動手段なんだが、行程を短縮できる我々だけの通り道があるんだ」
「……ほう?」
「世界各地の森の中に出入口が繋がっているんです。ほら、デマルシェリエ領内に魔の山と呼ばれる場所があるでしょう? あのあたりに、小さくて目立たないけれど森があって、そこにもひとつあるんですよね」
「なんと」
「出入口は必ずしも迷いの森内にあるとは限らんから、それを隠蔽するために強力な結界が張られている。神代の頃に通された〝道〟で、我々の祖先ではなく神々が繋げたらしい。だから我々が勝手に潰すことも、新たな〝道〟を繋げることもできない。ゆえに、隠しているんだ。便利だが、危険でもあるからな」
どう危険なのか。
すなわち、それは。
「つまり――その〝道〟を通れば、本当なら何ヶ月もかかるような遠大な距離を、一気に短縮できてしまう、と」
「そういうことだ」
「そしてその〝道〟は――あんた達限定じゃなく、別の種族でも通過できてしまう、と?」
「そうだ。入口を発見し、決まった文言さえ唱えたらその扉は開く。もとより我々のためだけに設置されたものじゃないんだ。我々の祖先が、それを造った何者かに使用方法を教えてもらい、現代に至るまで利用させてもらっている。我々にとってだけではなく、悪意ある輩にとっても便利だろうな」
「……地下遺跡の話を、聞きました。それと似たような感じだと思いますよ。一人二人ではなく、そこそこ大人数でも通過できるんです」
「へー、ほー、ふーん……」
なるほど、なるほど。
だから精霊族の大移動がまったくニュースになりもせず、彼らは悠々とこの森へ移住できてしまったのか。
もし敵国などにもその〝道〟の出入口があり、所在をつきとめられ、利用方法を知られてしまったら、間の行軍をショートカットし、直通で軍勢を送り込まれてしまう恐れもあるわけだ。おいそれと漏らせないのも納得である。
が、しかし。実感が湧かないせいか、それとも思考の偏ったRPG脳のせいか、瀬名にはさほどの驚きはなかった。
おそらく、この世界の人々が聞いたら仰天ものの新事実であろう。だが瀬名にとっては「この連中ならそのくらいできそうだよね」程度でしかなく、事前に想像していた〝呪文を唱えて瞬間移動していた〟ケースから、〝太古の魔術的な道を通って瞬間移動していた〟ケースに修正されるぐらいで終わった。
――ところが。
ARK氏が意外なほどの食いつきを見せた。
《この国のみならず、世界各地にそういう〝道〟が伸びているのでしょうか?》
「ああ。森がある所は、大概な」
《ならば関所も国境も丸無視し、目的地へ到達できるわけですね?》
「そうだな」
《行き先は固定されているのでしょうか? 決まった場所にしか行けないものですか?》
「扉の前で唱える文言の中に、行き先を含めておけば、その場所に繋がる仕組みになっている」
《つまり魔の山近辺にある出入口とやらを使えば、ウェルランディア近くの森のみならず、別の場所にある森を指定することも可能であると?》
「そうだ」
質問攻めである。エセルとノクトは軽く目を瞠っていたが、瀬名もこれにはびっくりしていた。
何がそんなにARK氏の興味を刺激したのだろうか?
《その〝道〟の仕組みについてですが、それは物質転移か空間転移かわかりますか?》
「それは――太古の記録によれば、空間転移の仕組み、だと書かれていたと思うが」
「あ。ARKさんの訊きたいことがなんかわかったかも……」
そういえば、以前も何かしらそんな話をしたのだった。結論として、この地上でその手の仕組みを開発することは非常に困難であり現実的ではない、という結論に落ち着いたのではなかったか。
(さりげに〝空間転移〟があっさり通じちゃったし)
考えるまでもなく、魔導科学文明とやらの遺産である。
《何故それをもっと早く教えてくださらなかったのですか》
性別不明な低い声色で、ARK氏が文句を言った。
相変わらずの抑揚のない口調だったが、どう聞いてもそれは文句だ。
「あ、ARKさん?」
《今後の計画を取り急ぎすべて見直します》
「はいいい? ちょ、今から!?」
《はい。――そんなものがあるのでしたら、短期間での移動手段がないことを理由に除外していたあらゆる方法の再検討が行えます。とりわけ、マスターが長期間〈スフィア〉を離れられることを容認できませんでしたが、空間転移を活用できるならば前提がすべて覆ります。ですので申し訳ありませんがマスター、明日お集まりの皆様に説明される予定であったシナリオとリストは、すべて破棄してください》
「なにいいいいいいッ!?」
「……すまん」
「……ごめんなさい」
ARK氏の食いつきに戸惑っていたエセルとノクトだったが、瀬名のいつにない絶叫を耳にして、本気で謝っていた。
……極秘だった彼らの〝道〟を、彼らの許可もなく計画に組み込む気満々なのだが、それについてはいいのだろうか。
しかしこうなってしまったARK氏は、もはや誰にも止められない……。
◇
そしてこの日、これだけでは終わらず、冒頭に戻るわけである。
少なくとも、ARK氏が妙な真似をしでかさないよう、逐一見張って様子を確かめていた、はずだった。
あやしげな物体を埋め込んだり、あやしげな構造体と骨格をすり替えたりしていないか、しっかり警戒していたはずだった。
しかし、甘かった……。
「な…………なんですの、これ……」
「………………ナンダロウネ?」
ここは灰狼の村近くに設けられた訓練場。精霊族によってぐるりと設置された結界装置が、何やらストーンヘンジのようだ。
そこでエルダが、まずは軽くと、右手をかざして初歩魔術の【雷華】を唱えた。
これはさほど強くない電流を走らせ、相手を気絶させたり一時的に麻痺させたりするものだ。
何故。
エルダの右手の前に、輝く円陣が出現したりするのだろう。
どう見ても魔法陣である。
しかもその魔法陣、妙に回路チックなデザインに見えるのは気のせいか。
この世界の詠唱魔術は、放つ際に魔力が反応し、術士の周辺が光る発動光という現象が起こる。
つまり普通なら、光る魔法陣なんて現われない。
繊細に噛み合う歯車にも似たデザインで、最初エルダはどきりとした様子だったが、それ以上にそんなものが出現した事実に目を丸くしていた。
瀬名も目を丸くしていた。
だって前は、そんなもの出なかったよね?
声を大にしてどこかの誰かにそう問いかけたかった。
光の円陣は見掛け倒しではなかった。ほかにもいくつかの術を試し撃ちしてみたところ、エルダいわく、狙いが段違いに正確になっているらしい。
おまけに、以前より少ない魔力で高威力の魔術を放てるようになっているそうだ。制御に補正がかかっているのか、無駄な魔力の消費がなくなっているのだと。
魔術の規模に応じて円陣の規模も変わる。要するに高度の魔術ほど円陣がより豪華になる。
エルダの得意な攻撃魔術を放つ際、円陣のみならず、薔薇の輪郭をなぞったかのような光の線や、鳥の翼が羽ばたくかのような光の線、しなる巨大な蠍、馬上で槍を構えた騎士なんてのもあった。
しかも、不定形な水や炎の術などにも、さまざまな色合いの光が絡みついていたりと、明らかに以前と違い過ぎる。
《もとより手が魔術発動の補正に役立っているようでしたので、ついでに少々補正を強化しておきました。腕そのものの耐久力と回復力も高めてあります》
「あああぁぁああ~くぅぅううぅううぅ~ッッ!?」
これのどこが「ついで」で「少々」だと!?
どこの部分をどういじってこんなふうにしてのけた貴様!?
《何か問題でも》
「ないと何故思ったあぁぁ!?」
エルダや見物していた面々が、瀬名の剣幕にぎょっとしていたが、気に留めていられない。
瀬名は今、この小鳥さんに言ってやりたいことが山ほどあるのだ。
山ほどあり過ぎて、何から言ってやればいいかわからないほどなのだ。
とりあえず、これだけは言わせてもらいたい。
≪何故〈グリモア〉もこんな仕様にしてくれなかったのだARKよ!? こんな格好良いエフェクトの設定が可能なら、何故……ッ!?≫
≪自由度と威力において〈グリモア〉のほうが圧倒的に上なのですよ。魔術士は自らの魔力の性質に沿う必要がありますので、使える術の範囲が限定されます。それゆえの補正であり視覚効果です。あなたは魔力の質など一切気にする必要がありませんし、術も限定されません。ですから〈グリモア〉にあれは必要がない上に、そもそも設定できないのです≫
無理に設定させようとしたら、〈グリモア〉の弱体化という妥協が必要になるそうだ。
落ち着き払った念話の返答に、どこか「やれやれ」と副音声が混じっていたような気がするのは被害妄想か。
いや妄想なわけがあるか。
いたいけな少女がこのマッドな小鳥の餌食になってしまった、その現実は変わらないのだ。
「ほんとうに……ごめん……ごめんようエルダ……うちの小鳥が……」
「いえ、あの…………お気に、なさらず…………」
彼女も何が何だか、ほかに言いようがないのだろう。
エルダは呆然としながらも答えてくれた。
マッドドクターARK、今回は自重したように見せかけて実はしっかりやらかしてました…。