11話 十四歳、下準備は念入りに (2)
気を取り直して。
年齢については身体年齢をそのまま採用。
光王国や近隣諸国の人々は西洋風の外見で、記憶にある西洋人と背丈はほぼ変わらない――が、遠近感が狂うほどの巨体でのっしのっしと歩く男もたまにいた。しかも全身筋肉のかたまり。頭蓋骨の中身が気になるところである。
市場の食材に魔獣や魔魚の肉が並んでいたりするので、食文化が体格に影響しているのかもしれない。
他種族との混血という線もありそうだ。
ともかく、こちらから年齢を言わなければ、瀬名はおそらく二~三歳くらい童顔の異国の少年に見られるだろう。
尋ねられた場合だけ身体年齢を答えればいい。精神年齢だの外見年齢だのを細かく言い始めたらきりがないので、シンプルでいいのだ。
決して年齢詐称ではないのだ。
そして名前。
通常は名前が先、家名が後に来る。
ほとんどの国の平民には家名がなく、エスタローザ光王国も例に漏れない。王侯貴族のみが家名を持ち、普通は名前と家名の間に家格を示すミドルネームが入る。
例外は魔術士の名前。優れた弟子がまれに師から〝名〟を授けられる風習があるらしく、家名のように後に名乗る。
たとえば森の魔女の使いと申告し、セナ=トーヤと名乗った場合、「師から【トーヤ】を授けられた優秀な魔術士」と受け取られやすい。
名前というより、魔術的な称号の意味合いが強く、その称号に含まれた意図は秘匿されるのが一般的。
無理に訊き出そうとする行為はマナー違反になる。ただし、なんとなく想像がつく分には構わない。
これは単純に〝セナ〟とだけ名乗るより、民間では説得力と好印象を与えるらしい。さらに他国の貴族の名前と混同されないよう、最後に賢者や魔法使いを意味する古語の〝レ・ヴィトス〟を付けて呼ばれる。
つまり瀬名の名は、大半の人々に〝セナ=トーヤ=レ・ヴィトス〟と認識されるそうだ。
……いきなり仰々しい名前になってしまって、正直びびっている。凡庸な弟子設定でいいよとARK氏に進言したが、好印象は大事ですと却下された。
(だから偽物とバレた時のペナルティが怖いんだと何度言ったら)
ただ、最近では魔術士の貴族化が進み、この風習は廃れかけているそうだ。
この国は優れた魔術士の活躍によって発展を遂げた歴史があり、他国より魔術士の地位が高い。王侯貴族はより強い魔力の持ち主をせっせと己の家にとりこみ、今や高位魔術士の大半は身分の高い者で占められていた。
必然的に態度が巨大で高圧的な魔術士が増え、王宮でも魔術士団内で派閥を形成、派閥争いが勃発し始める。国が栄えるのは我らのおかげと公言して憚らず、本来同格であるはずの騎士団を見下し、多方面で軋轢を生んでいるらしい。
そんな状況は市井にも伝わり、今や貴族出身の魔術士達は、国民から白い目で見られるようになっているのだとか。
逆に、確たる地位を求めない野良の魔術士は〝魔法使い〟と呼ばれ、裏家業に足をつっこんでいそうな空気でもない限り、平民の間では親しみを集める傾向にあるらしい。
討伐者ギルドに登録している魔術士は〝魔術士〟であり、〝魔法使い〟とは呼ばれない。彼らは成功を求める野心家だからだ。
平民限定の好意的な愛称が〝魔法使い〟。
どこでも通じる正式な呼称が〝魔術士〟。
規格外の天才が〝魔導士〟。
そういう認識でいいだろう。
(ていうか王宮内の派閥間の諍いとか、そんな情報が市井に筒抜けになってて大丈夫なんだろうかこの国?)
ネタを嗅ぎつける嗅覚は猟犬並み、不法侵入スキルは諜報員並みと揶揄されていたマスコミなど存在しない世界だ。
王宮の内部事情など一般人にまで正確には伝わらないはずなのに、ARK・Ⅲの調査結果と、市井で流れているらしい噂の内容がほぼ一致しているなんて。
(……きなくさい)
情報がどんどん漏洩しているのに、それに気付かないほど国の中枢にいる人間の危機管理能力が低下している可能性。
そして、他国の放った間者が何やら工作している可能性。
魔術大国の切り崩し?
魔術士と騎士達の不和を煽って分断し、頃合を見計らって――
…………。
「やーめーてー、ほのぼの系スローライフがいいんだよう! 一歩踏み外したら終わりの心理戦とか避けられない戦とか、そんなシリアス要素いらないんだ……!」
《突然どうなさいました》
「何でもない。人は時々ちょっと叫んでみたくなる生き物なんだよ」
ファンタジーやSFは好きだが、敵が裏でネチネチ糸を引いている謀略展開は嫌いだった。敵の陰湿さにイラッとするし、腹が立って全然楽しめない。
単純明快な勧善懲悪ものが好きなのである。
それは自分の地頭が悪いので小難しい話には苦手意識があるからだと胸を張って言える。
最終的に主人公やその仲間達が、敵に大どんでん返しを食らわせ、すっきり爽快感を味わえるラストならまだしも、せっかく最後の最後まで付き合ったのに、やられっぱなしで終わる鬱エンドだったら最悪だ。
「そうだ、ARK・Ⅲならとっくに調べて知――あいや、やっぱいいわ」
《なんでしょうか》
「いえいえ。なんでもありませんよ。気にしないでくださいな」
深入りしても確実にろくなことにはならない。いかにもどうでもよさそうに、瀬名は手をひらひらと振った。
自分は何も知らない。それでいいのだ。
決してついうっかりで訊いてはいけない。できるだけ平穏な日々を送りたいのなら。
◇
インドア派の趣味に没頭するあまり〈スフィア〉に籠もり過ぎ、ARK氏から心を的確にえぐるお小言を連打され、再起不能になる前に森の散策を始めた。
魔物や魔獣はもちろん、人が侵入できないような森は、余所では見られない珍しい植物や鉱物が手付かずで、いざ重い腰を上げてみれば案外楽しかった。
腰を上げるまでの心理的な道のりが、一番長くてつらい。お約束なのである。
例の鉱物を発見した場所の入り口までBetaに案内してもらったけれど、想像していたトンネルのような洞窟ではなく、地面を深く切り裂いたような亀裂になっていた。
雑木に隠れ、よくよく注視しなければ素通りしてしまいそうな隙間は、横幅が数メートル、高さは大人が四つんばいにならなければ通れない程度だった。
それも真横や真下に伸びているのではなく、およそ三~四十度前後の傾斜が、立って歩ける空間に到達するまで、何百メートルも続くらしい。
垂直に掘られた落とし穴より、急角度の天然滑り台になっているほうが気分的に怖い。瀬名は大概のホラーやサスペンス映画は平気だったが、狭い地下空間に閉じ込められたり生き埋めになったりする、暗くて息苦しい圧迫サバイバル系は大の苦手だった。
(入れって言われても絶っ対、入りたくないわ。もしARKに命令されても断固ことわる!)
今はBetaによって即席の扉が取り付けられており、うっかり足を滑らせて落ちる危険はない。
それに入り口の亀裂は、この一ケ所しか発見できなかったそうだ。
《なもんデ、別の場所でうっかり、てな心配も現時点デハないッスよ》
「ほほう。そいつぁ朗報だ」
《ためしにちょいトのぞいてみまス? 命綱あるッスよ~》
「絶対やだ!!」
原石や水晶柱など神秘的で好きだが、地下に潜ってまで自力で採りに行きたくはない。
(だってさ? 身体が隙間に嵌まって身動きできなくなったりとか、天井崩れてきたりしたらどうすんのさ?)
想像だけでも怖くてゾッとせずにいられない。これはホラー映画などとは異質の怖さだ。
素直にBetaに採ってきてもらったほうがいい。いつもと違うリスクを伴った冒険なんて、下手に手を出さないが吉だ。ARK先生だって大冒険は不要と仰ってくださっている。
それよりも瀬名の興味を掻き立てたのは、亀裂の周辺に生えているキノコの群れだった。
その名も【夢見茸】。字面からして幻覚作用系の毒キノコっぽいが、実際は毒にも薬にもなるかなり希少なキノコだった。
きらきら飛ばしている胞子のような光の粒は、実際は胞子ではなく、催眠作用のある魔力の粒だそうな。おまけに、風もないのに常にゆらゆら揺れている。
傘の部分が色鮮やかな青や黄色やオレンジなどの縞模様で、まるで熱帯魚のように可愛い。まばらな傘のつぶつぶが、ちょこんと付いた目と鼻と口に見えて、それがあちこちで群れを成し、ふよふよぴょぴょ揺れている。
まさに絵本の中のファンタジー。
「か、かわええ……こんな可愛いと、可哀相で採れんよ……ってうわっ!?」
ニマニマ相好を崩していた瀬名の目の前で、いきなり二本、三本と、キノコが根元から自分でもげた。
文字通り、自主的にもげた。
ARK氏による薬草系知識によれば、【夢見茸】は自分を食べたり採取しようとする敵に精神攻撃を行うが、時には「自分を使ってもいいよ」とばかりに、自発的にもげてくれる個体もいるらしい。
「どーゆーキノコだと思ってたら……」
《こーゆー感じだったんスねえ》
横たわるキノコ達は、安らかに動かなくなっていた。
なんだか罪悪感を覚えつつ、ありがたく感謝の言葉を告げて回収させてもらった。
そうして瀬名は、このキノコでなければ作れない非常に珍しい薬――【夢見の雫】を調合した。
眠る前に服用すれば見たい夢を見ることができ、眠っている相手の唇に垂らせば、自分が指定した夢を見せられる不思議なお薬だった。
ただし、起きている相手に服用させたら、少々危ない作用があるみたいなので、決してこれを人に使って実験したいとか思ってはいけない。
希少な材料で、また使いどころのない薬を作ってしまった……。
◇
「でもマジ可愛かった。この世界の生き物がみんな、あんなんだったらいいのに」
《残念ながら、こんなのもおりますしね》
「はい?」
夕食時、キノコ達のつぶらな瞳をホワホワ思い返していると、ARK氏がおもむろに記録映像を流し始めた。とても嫌な予感がする。
どこかの嶮しい雪山が映し出され、瀬名は「げっ……」と呻った。
実は昨年の冬、自分の背を越すほどに積もった豪雪にはしゃいで埋もれかけ、瀬名はちょっぴり雪がトラウマになっていた。
(また何の嫌がらせを……)
半眼でARK氏を睨みつけ、次の瞬間、瀬名はぎょっと目をむいた。
「うおっ、なんじゃありゃ!?」
《今年の春に捉えられた希少な映像です》
一面の銀景色と思われていた映像の中、どどおん、とあちこちで爆発が起こり、雪と土が舞い上がった。
「え、まさかダイナマイト!? ――この世界、火薬ないんじゃなかったっけ!?」
《はい、火薬はありません。それっぽく見えますが別物です。ちなみにこれは魔術でもありませんよ》
この世界には火薬が存在しない。魔術で似たような効果を発揮できるものがあるので、当初は単に火薬を開発する必要がなかっただけなのかと思われた。
が、ARK氏の調査により、そもそも必要な材料自体が一部存在していないとすぐに判明した。
作る必要性を感じなかったのも間違いではないだろうが、もし作りたい者がいたとしても不可能なのだった。
珍しい天然魔石の中には、自然に爆発する物質が確認されているらしい。けれど当然ながらそれは火薬とは別物であり、扱い方もまるで違う。
魔力のない素人が触れると暴発させやすく、危険極まりないので、魔術士のいない場所での取り扱いは禁じられているそうなのだが、映像の中に人の姿はどこにも見当たらなかった。
(じゃあこれ、噴火? いや間欠泉か?)
――しかし。雪と土煙の中から出現したのは、蠢く蔦に絡まれた巨大なアーモンドもどきだった。
さらに。雪煙の向こうから、角の生えたピンク色の可愛らしい兎の群れが、モソモソと慌てて逃げてくる。
ガバァ!
『ピギィィッ!?』
割れたアーモンドの中にバクリ、バクン、と飲み込まれ、彼らは悲痛な叫びをあげながら、次々と消えてゆくのだった……。
…………。
「…………ナニアレ?」
《魔性植物です。冬の間は一部を除いてほとんどの魔物が冬眠しますが、あれは種の状態で冬を越します。気温が高くなってきた頃に芽吹き、冬眠明けの獣よろしく、春先は空腹でより凶暴化するようですね》
「…………肉食アーモンド…………まさかこのへん、いないよね?」
《おりません。生息域は遠方の魔素が濃厚な地域です》
それを聞いて安心した。
が、瀬名の雪嫌いは一層深く刻まれてしまったのだった。