116話 奇跡の証と少年の葛藤
アスファ君の一人称です。
『アスファ!! 神はおまえに何と語りかけた!? 加護は!? この偉大なる神の御名は何と仰るのだ!?』
『神はお与えくださっただろう!! 魔王など恐るるに足りん、偉大なる御力の一端を、おまえに!!』
喜色満面で叫ぶラゴルスのおかげで、あの時の俺は結構、冷静になれたと思う。
まあ、腹が立ったおかげで頭が冷えたってのも、なんか皮肉だけどさ。
――絶対に。なんとしても。
てめえの思い通りになんざ、なってやるもんか。
この時、もしあの魔法使いだったら、どうするか。
この相手が一番、嫌がることは何か。
『……何言ってんだ、あんたら?』
『語りかけるって、なんだよ? 何であんた騒いでんの?』
なんもなかったけど?
えっ!? て間抜け面を晒したラゴルスの反応を見て、俺はそれが大正解だったことを知った。
それから、内心で舌を出した。
ざまあみろ、ってな。
◇
もしも。
もしも、以前の俺だったら、あの時どうしていたんだろう。
調子に乗ったガキのまんまの俺が、もしあの依頼を受けていたら?
それだったら討伐者自体になれてなかったんだろうけどさ、そうじゃなく、そう……たとえばシモン達みたいに、上のランクに行けるよう推薦してやるってそそのかされて、あの遺跡に入ってたとしたら。
もしかして俺、普通に有頂天になってたんじゃねえかな?
神官に導かれて、伝説の剣とか手にしちまって。
まるで物語の英雄みたいな展開に、「うおおすげえ!?」ってなってたんじゃねえかって、それを思うとちょっと怖い。
俺は世間知らずのガキだった。
世の中の厳しさも、世界の広さってもんも何も知らなかった。
無知で無謀で、いつだって何でも成功する未来しか描けてなかった。
親から聞いたおとぎ話と、街道を通りかかる旅商人が教えてくれたデカくて怖い魔物の話、たまに訪れる吟遊詩人の詠う華々しい英雄譚。それが俺達、小さな村の人々にとって、世界のすべてだった。
それ以外、外の情報がたいして入ってこなかったんだ。
もしも、あのままの俺だったら。
神々のためにその力を使ってくれとか、我々とともに魔王の脅威に立ち向かおうとか誘われてたら、ドキドキしながら頷いてた気がする。
ラゴルスのことも、フェロールのことも、サフィークのことも、誰の言葉も疑わないで。
だって神官だぞ?
神官が人を騙すわけないだろ? 常識なんだぞ?
そうして奴らの、耳に甘ったるい称賛ばっかり鵜呑みにした挙句、「俺は英雄になるんだ…!」とか、馬鹿みたいに本気で信じ込んじまったんじゃないかって気がする。
あ、危なかった……。
あの時、道の先導をしていたのは神官ではあったけれど、本当の意味で俺を導いていたのは、あの魔法使いだった。
あの魔法使いの存在がつねに俺の頭にあったから、奴らの〝裏〟にすんなり気付けた。
そう、あいつのこれでもかと厳しい教育を、枕濡らして死ぬ気で受けてなかったら、それこそ今頃――ただ死ぬよりも、もっと酷ぇことになってただろうな。
俺は騙された道化のまんまで。
リュシーは、エルダは、シモンは、どうなってたんだろう。
それ以前に、仲間自体がひとりも出来てなかったかもしれない。
俺は魔法使いに導かれた。
そうして、決定的な間違いを犯さずに、仲間達と生きて帰ることができた。
たとえこの先誰に訊かれたって、俺は胸を張ってそう答える。
それはいいんだけど……どうすりゃいいんだ、これ?
無意味な「俺スゲエ!」状態にならずに済んだのはいいんだけどさ。
その代わりに、すげえ困ったことになった。
だって、剣が、今も俺の手もとにあるんだぞ?
てっきり、誰か偉い人が出てきて、取り上げられちまうもんだとばっかり思ってたのに。
もしくは俺、拘束とかされんじゃねえかって、実は覚悟もしてたのに。
そういうの全然なくて、俺は自由にさせてもらってるし、剣も相変わらず、俺の手の届くすぐ傍にある。
マジで大丈夫なのか?
だってこの剣――俺が言うのもなんだけどさ――
本物なんだぞ?
マジでマジに本物なんだぞ?
あの時。ラゴルスの声で正気に戻る直前に、実は、聞こえてたんだ。
本当に。
【 我が名 は エル・ファートゥス …… 忘れ去られし 果ての 神 …… 】
【 汝 〝アーゼン〟に 仕え …… 調停を もたらす 者 …… 】
――はい? ナンダッテ?
あの瞬間、俺の心境はこんな感じだった。それ以外になかった。
神様!!
人違いです!!
俺ぜったいソレと違いますから!?
驚き過ぎて声には全然出てなかったけど、あん時、俺は心ん中で叫びまくってたぜ……。
だって有り得ねえだろ、俺だぜ……?
あの暗黒魔女に「甘ったれた根性叩き直してくれるわ」って有言実行された俺だぜ?
初日に鼻をバッキリ折られて、その後も反抗心を粉々にされまくって、自分の黒歴史を思い出して恥ずかしさのあまり悶絶してた俺だぜ?
おかげでたくましくなりました。
いや、マジで昔の俺のアホぶりってなかったからな、うん、あれはねえよな……。
じゃなくて。
だから、なんでそんなもんが俺の手に入って、未だ俺の手もとにあんのかってこと。
俺まさか英雄だったんかヒャッハー!? ってなるより、真面目に人違いされてねえか不安なんだけど。
でもさ。それを訊いてみたらさ?
【否】って、あっさり答えてくれちゃったわけよ。
【人違いに非ず】ってさ。
えええええ、マジでええええ?
やめてくれよ。マジねえよ。だってそれが本当なら、ラゴルスの言ってた「魔王など恐るるに足りん」が俺に適用されちまうじゃねーか!?
無理だから!? 俺そんな器じゃねえから!?
こんな話、誰にも相談できねえ――なんてことはなく、一切合切あの魔法使いに喋った。
多分、普通は隠すんだろうし、下手すりゃ誰も信じちゃくれない話なんだろうけどさ。
なんか、ちゃんと聞いてくれそうって思ったんだよな。
『ほほう、〝アーゼン〟ねえ? 君がそうだと言われたと』
『うん。……それって、光の神子とか半神とかって意味の、おとぎ話の〝勇者〟でよくある設定だろ? んなわけねえよなぁ……俺がさぁ……』
『…………そうか』
『うん……』
『………………お母さんが旦那さんのいない間にこっそり……』
『んなわきゃねーだろおおぉ!? なんっつーこと…………え!? ち、違う、よ……な!?』
《違います。からかうのはやめてあげましょう、マスター》
『いやあハッハッハごめんごめん、ついびっくりして~』
いやあハッハッハじゃねえよ、小鳥のアークがばっさり否定してくれなかったら、俺あの台詞でしばらくウンウン悩んでたぜ!?
嘘だよな母さん!? って……。
最初から真面目に説明してくれてたら――いやまあ、説明されても、先祖返りとか血の中に因子の可能性がどうとかって難しい話だったし、正直、半分も理解できなかったけどさ。いきなりそんな話されても、余計にこんがらがってただけかと思うけどさ。
茶化されたおかげで、あんまり深刻な雰囲気にならなかったし。
それに、ちゃんと聞いてもらえた。話がしっかり相手に伝わってた。
ドーンと受け止めてもらえたのが、何より嬉しかった。
安心してつい泣きそうになっちまったの、気付かれてなきゃいいんだけどな……。
◇
ドアがコンコンと鳴った。
「アスファ、いいですか?」
リュシーの声だ。
なんだかトーンが落ち着くというか、いつまで聞いてても飽きない声音だと思う。
まあ、リュシーはそんなお喋りじゃねえんだけど。最近は二人で長く喋ることが多いから、気付いたら耳澄まして聞き惚れてたりすんだよな。
「もうすぐ夕食だそうです。皆が集まるからおいで、だそうです」
「わかった。……疲れとか、もうすっかり取れちまってんだけどな……」
「そうですね……気を遣っていただいて、少々申し訳ないですね……」
リュシーの顔が、わずかに曇った。
きっと俺も、似たような顔をしてるんだろう。
あの日から数日が経った。
魔法使いと精霊族の王子さんが迎えに行ってくれて、シモンは無事に帰ってきた。
俺が咄嗟に渡した荷物、あれで助かったって礼を言われて、涙が出た。俺の持ってた食べ物と水が命を繋いだんだと。それから、きっと助けに来てもらえると信じて、心のよりどころになってたって。
ありがとう、なんて、俺のほうこそ、だ。
俺もリュシーも疲労困憊になってたから、後始末ってやつは全部ウォルドや魔法使いがしてくれることになった。
それから、精霊族の王子さん達と、灰狼の部族さん達、デマルシェリエの騎士団も、合同でこの問題にあたるらしい。俺らの出来ることは、とにかく休むことしかなかった。
サフィークの腕は完全に切り離されてなかったおかげで、ウォルドの神聖魔術で完治した。治ってほっとしたのか、神聖魔術を使えなくなっちまった事実に打ちのめされてんのか、ぼろぼろ泣いてたけど。
自分がエルダにやったのは、つまりそういうことなんだってのを、少しは理解してくれりゃあいいと思う。
そいつらは騎士団と灰狼の連中が捕らえて、どこかに連れて行った。
俺とリュシーとシモンはひとまず、その日は治癒院で眠った。よっぽど疲れ果ててたのか、次に目が覚めた時はまる一日が経っていた。
どうもその間、灰狼の連中が俺らの護衛をしてくれてたらしい。起きたら腹が減ってて、食べ物は彼らが運んでくれた。一服盛られないように警戒してたってことを、後になって知らされた。
俺達はすぐにドーミアを出て、その足で灰狼の村に――この〈門番の村〉にやってきた。
しばらくの間、ここで暮らすように言われている。
何日かかるかは未定だけど、最低でも、エルダの腕が治るまで。
「……本当に、治るでしょうか……?」
リュシーが不安そうに呟いた。
最後に見たエルダは相変わらず意識のない状態で、魔法使いと精霊族達が連れて行き、今どうしているかわからない。
「治ればいいよな……」
「はい……」
「でも、もし治らなかったとしても、文句は言わねえって決めてる。だからリュシーも、文句言いたくなったら俺に言ってくれよ?」
身体の一部が完全に失われた場合、百年にひとりっていう天才でもない限り、神聖魔術でも治せないらしい。でもって、今はその天才が生まれてない時代だと、ウォルドから聞いた。
加えて、精霊族の王子さんから直接、クギを刺された。
『セナがリスクを負う。そうなることを理解しておけ』
彼らは神官達に口止めの魔術をかけたそうだ。灰狼の部族にも箝口令が敷かれ、騎士団の人達でさえ、エルダが腕を失くしちまってた事実を知らない。
すべてをなかったことにするために。
きっと、エルダの腕は、本当に治る。
あの魔女は、治せてしまうんだろう。
ウォルドが重々しく話してたように、それはきっととんでもないことなんだ。
だからもし事情が変わって、治してはいけない状況になったとしても、俺は文句を言わない。
言ってはいけないんだと、肝に銘じた。
「……言いませんよ。エルダ様にも言わせません。私なんかを庇った、あの方が馬鹿なんですから」
「おいおい……」
憎まれ口を叩けるようになったんだから、いいことかな?
俺もまさか、エルダがそんな行動に出るとは思わなかったしな。
でも俺がエルダの立場だったら、やっぱりリュシーを庇ってたと思うぞ?
迷惑です、って怒りそうだから黙ってるけど。
「顛末を、聞きましたか?」
「だいたいの話だけな。これからどうなんのかは、まだ詳しく聞いてねえ」
「そうですか……」
俺のほうがリュシーより早く起きたから、簡単に説明されたんだ。シモン救出の時に、そこで何があったのか。
――〝悪魔〟が、生まれかけていた。
それは魔物とは違うんだそうだ。どう違うのかよくわかんねえけど、魔物よりよっぽどヤバいらしい。
要するに、それをたった二人がかりであっさり倒しちまった魔法使いと王子さんのほうがヤベェ生物ってことでいいよな。
「っと、遅くなっちまうから行こう」
「ええ。そうですね」
ここに着いた直後、俺らの顔色はよっぽど酷かったんだろう。手伝いもせずにずっと休んでばっかりなのに、灰狼の人達は全然気を悪くしたふうもなく、むしろ手伝おうとすると「もっと休んでろ!」と仕事を掻っ攫われてしまう。
でも身体を動かさないと、余計なことばっかりあれこれ考えちまうから、そろそろ何か仕事させてもらえねえかな。
何気なく、俺は剣を手に取った。村を出る時に持ってた剣じゃなく、あの遺跡にあった剣のほうを無意識に持っていた。
手入れせずに放置されて何年経ったのか、古ぼけてくすんだ剣。
そうか。俺が自由にさせてもらえてんのって、ここが灰狼の村だからだ。
今さら気付いた。ここの連中はみんな一見のんびりしてるけど、住んでるのは全部灰狼の部族なんだよ。
黎明の森の端っこにあるし、森の奥へ行けば精霊族の住んでる〈聖域の郷〉もあるはずだ。
何かあったら、すぐにこの二つの種族が共闘する場所なわけで。
だからドーミアにいるより、遥かに守りが厳重な場所なんだよ。
俺達は、もしあのままドーミアにいたら、しばらくどっかで監視されながら、軟禁生活を送らなきゃいけなかっただろう。何か思惑があって俺に寄ってくる奴とか、剣を盗もうとする奴とか、そういうのを防ぐために。
ここではそういう心配がない。だから俺が寝こけてるような部屋に、そのまんまこの剣が放置されていても、誰も突っ込まないんだ。
ていうか。奇跡の剣とか神の剣とか、全然まったく、これっぽっちも、だーれも興味ねえんだな、ここの連中って。
つい乾いた嗤いが漏れちまって、聞き咎めたリュシーにそれを言ったら、「ああ…」って遠い目で相槌を打ってた。
そんな目になるよな、うん。
なんか俺もいま、そんな目ぇしてそうだな…。
今はエルダさんが優先なので、小鳥さんの毒牙はまだかかっていません…。