115話 まがいものの【神】の鉄槌 (後)
小さな者どもがある日、彼らが【剣】と呼ぶ宝物を預けていった。
誰にも奪われぬよう、大切にお守りください。真摯にそう願うので、慈悲深い【神】は聞き届けてやった。
己の手の中で大切に隠し、大切に守った。奪おうとする者には容赦をしない。
すべて滅ぼしてくれよう。
けれどある日、変わった小さな者どもがやってきて、【剣】は自ら【神】の守りの手から離れた。
その者は別に〝奪おう〟とはせず、【剣】も自らその者の手を求めた様子だったので、【神】は当初、何もせず放置するつもりだった。
しかし小さな者のひとりが突然それを〝奪おう〟とした。
【我】の領域で、【我】の守護する宝物を〝奪う〟者など、なんぴとたりとも許さぬ。
【神】は【白き使徒】を呼び寄せ、その者どもを痛めつけ、こらしめ、慮外者はいなくなった。
静けさが戻り、【神】は満足した。
しかしすぐに、小さな者どもがまた現われる。
黒いのと、金色の。いつの間にそこにいたのか、それらより細く小さな者が一匹。
これはなんだろうか。
黒いのは、まっすぐに【神】を見据えた。
そこには信仰も敬愛もなく、それは【神】たる【我】を恐れすらしていなかった。
それどころか、爆発的に高まるそれの中身は。
破壊、破壊、破壊――ただひたすら、あろうことか、【神】に対する攻撃意思のみ。
なんと、不遜な。
なんと、愚かな。
もしやこのような者がいるなどとは。
矮小な存在よ、その魂の浄化によって救い出してくれよう。
再び従順なる【白き使徒】どもを呼び出した。
ここは【神】の城。すべてが【神】の思い通りになる世界。
その怒りを買った者は、何者も生き延びることはできない。
そのはずだった。
小さな金色の者が何ごとかを口ずさみ、【使徒】も【神の間】も、何もかもが一瞬で硬く透明な何かに閉じ込められてしまった。
それはとても頑丈で、すべてが硬直し、動けずに外すこともできない。
そうしているうちに、小さな黒い者が、巨大な〝刃〟を次々に放った。
おそるべき太陽のごとき光――【神】は太陽を見たことがなく、それがそのような色であることを知らなかった。
ただ、黒い瞳が今やぎらぎらと輝いて、【使徒】も【神の間】も無残に切り裂き、粉々に破壊してゆく光景に、初めて【神】は戦慄した。
自身の中に芽生えたそれに、また驚き、そして生まれて初めての〝屈辱〟を覚えた。それをそう呼ぶとは知らぬままに、己の衝動に従い【神】は叫ぶ。
オロロロロン……オオオオォ……
永き時を、腹の底に溜め続けていた敬虔な者どもの魂の力を、かき集め、練り上げ、新たな使徒が誕生した。
暗黒の衣を纏い、暗黒の巨大な鉄槌を掲げ、門番のように両脇に立つそれらは、まさに【神】の眷属と呼ぶに相応しい威容であった。
罪深き者どもを叩き潰すべく、闇色の眷属は巨大な槌をふりあげ、ふりおろした――はずだった。
「こけおどし、って知ってる? ……知らないかな、その様子じゃ」
愕然とした。
闇色の眷属でさえ、その小さき者の放つ惨忍な刃を止めることが叶わなかったのだ。
それだけではない。小さな者は微塵も怯まず、避けもしなかった。そして、何故か眷属どもは苦しげにもがき始め、どんどんその姿を薄れさせていった。
武器も、衣も、その身体の端から徐々に、どんどん崩れて拡散してゆく。
何故だ? 何故このようなことが起こっている?
「相性が悪いんだよ。――魔力の塊なんて、私に通用するか」
ただ単純に、練って形作ったものをぶつけてくるだけなんて。
小さな者が何かを言っていた。
黒き眼差し――いや、黒ではない。
はぜる松明、溶解した金属、似ているけれどどれでもない。その小さな者の瞳の輝きが、かつて見た何者とも違うことを、この時【神】は改めて思い知った。
いや。これは小さな者ではない。小さな者のふりをしている何かだ。
そうでなければ、【神】たる【我】の力を、これほどに。
屈辱と怒りと、初めて味わう焦燥のまま、再び叫んだ。
ヴォロロロロ……オオオオォ……
うつろな空虚な〝声〟に地の底が共鳴し、すべての〝道〟に行き渡り、すべてが恭順の意を示した。
この世界すべてが、【我】のものである。
この聖域すべてが、【我】に従うものである。
この愚か者を永遠なる闇の中へ幽閉してくれよう。
かつて多くの小さな者達がそうであったように、【我】が慈愛でもって罪深き魂を浄化してくれよう。
そうして【我】の地を守る力の、それを構成するひと欠片として迎え入れてやろう。
人が祈りの道と呼び、あるいは地下遺跡と呼ぶすべてに己の意思の鞭を振るい、【神】はそのすべてを集め、使い、己ごとその者を捕えようとした。
全力で。完膚なきまでに。
【我】に無礼を働いた愚かさを、永遠の牢獄で後悔させてくれよう。
悔い改め、おまえも【我】に従うのだ。
さすれば――この楽園の中、それを支える柱のひとつとしての栄誉を与えてやろう。
喜ぶがいい……
《いいえ、押し売りは結構です》
【……!?】
突如、それまで従順であった地の世界が、まったく応えなくなった。
掴もうとする指先をするする通り抜け、神託に聞こえぬふりを返してくる。
なんだこれは。何が起こっている? 混乱し、慌て、驚愕した。
いや、本当は気付いている。
何者かが、この聖域の支配権をかすめ取った。
奪い取られてしまったのだ。
小さな者どもより、さらに小さな何かが視界の端でちらりと揺れた。
それはまるで天空のような、大海のような青さだったが、全能にして無知なる【神】はどちらもその瞳に映したことがなく、その存在さえも知らなかった。
それが〝鳥〟と呼ぶ生き物の形をしていることさえも。
なぜだ?
なぜ?
なぜ邪魔をする?
おまえも、【我】と同じものであろうに……!?
小さくて恐ろしい黒い姿が、気付けば目前にあった。
闇の淵よりもなお恐ろしい黄金の眼差しが見据えている。
これほど近くに寄って来るまで、その歩みを防ぐことが一切できなかった。
【神】は己が動けないことに気付いた。己の手で阻止できないことに気付いた。
そうして、自分が一歩たりとも、ずっと昔から、最初から、その場から離れられない事実にようやく気付いた。
いや、それどころか。
今や、誰よりも大きかったその身体が、たくさんの部分に分かれ、バラバラになり、床石の上に無様に転がっているのだった。
かつて、【使徒】どもが捧げた小さな者達のように。
囚われていたのは。
支配されていたのは、誰だったのか。
黒い小さなふりをしている者が、異様な刃を抜き放った。
【使徒】どもを殲滅した巨大な半円の刃より、ずっと細く小さいのに。
何故こうも、恐ろしいのだろう……。
◆ ◆ ◆
「うーん……」
手の平でころころと〝それ〟を転がし、瀬名は首をひねった。
巨像の瞳の中央にはめ込まれていた、神輝鋼だ。
丸く加工された青みがかった金属は、妙にくすんで汚らしい。洗って磨けばちゃんと綺麗になるのだろうか?
「水洗いだけではどうにもならんな。この遺跡そのものに、穢れが染み込み過ぎている」
最初のうちならば、この〝瞳〟を取るだけで、神の像は何ごともなく普通の像に戻っただろう。
しかし時が経ち過ぎて、神輝鋼を介して流れ込むさまざまな負の感情、負のエネルギーは、もはや〝瞳〟を取り外すだけではどうにもならない怪物へと、この地下迷宮そのものの性質を変えてしまっていた。
「こいつが放置されたまま経過した年数を鑑みれば、〈祭壇〉の影響下にあったからこの程度で済んだ、ってことかね……?」
「むしろ、〈祭壇〉の影響下にあってなお、ここまで育ちかけていた点を問題視すべきだろうな」
「げげ……」
どうしようこれ。瀬名は手の平の物体を見つめた。
棄てて帰ったら駄目かな。駄目だな。
「ここに棄てていったら、おそらくあれが復活すると思うぞ?」
「うんわかってる知ってた! しくしく…」
長年、この神輝鋼の感応力によって、つまるところ邪悪な力をたんまり吸い込み続けた巨像は、バラバラに解体してやった今でも、まだその残滓がこびりついている。
「すみずみまで徹底的に浄化し尽くしたほうがいい。ウォルド殿はもちろんだが、ドーミアの神官も動員して、高位神聖魔術をかけてもらおう」
「神官かぁ…」
「苦手意識があるかもしれんが、まともな神官も多いのだから安心してくれ。そのあたりの判別はわたし達がする」
「ん、頼むわ」
しかし、瀬名の顔色は晴れない。
シェルローの目利きを心配しているふうではなく、別の何かで気がかりを残している様子だった。
「どうかしたのか?」
「んー……なんか、妙だなあ、て気がするんだよね」
「妙?」
「途中でさ、こいつ――このでっかい石像が、なんか音出してたじゃん? 笛みたいな、空洞を響かせるみたいな、不気味な音」
「ああ、あったな」
「そん時に、『何か来る』って思ったんだよね。『こいつ何かやるな』って感じがして。――でも、なんにもなかったんだよね。気のせいだったかなぁ? なんか、でかい隠し玉っつーか、必殺技的な何かがありそうだなって思ってたのにさ」
「ああ……」
首をかしげる瀬名に、そういえばそんな雰囲気だったな、とシェルローも記憶を辿る。
だが瀬名の言う通り、結局たいしたことは何も起こらなかった。
もちろん何もなければそれに越したことはないのだが、妙な肩透かし感があった。その後、瀬名が巨神を思い切りよくバラバラにしたので、些細な違和感など、胸のすっとする爽快な気分に取って代わられてしまったのだけれど。
《必殺というほど大層なものは持っていなかったのでは? 幸いこれは無知で経験不足な様子でしたし、敵が常にお約束を踏むとは限りませんよ》
「まあ、そだね」
ゲームのボスモンスターではあるまいし。内心で独りごち、瀬名は神輝鋼のかたまり二つをウエストバッグに仕舞い込んだ。
「さて、シモン君……あれ、シモンくーん?」
「は……はひ……」
「あ、大丈夫だったか。目ぇあけたまんま気絶してるかと思ったよ。ちゃんとまばたきしなさいね? 視力によくないよ」
シモン少年はこくこくこくっと頷いた。
小動物みたいで可愛いな。そんなふうに思いながら瀬名はシモン少年の傍にしゃがみ、背と膝裏に手をまわそうとして。
「待て瀬名、それはやめろ。わたしが運ぶ」
「えー?」
シェルローが有無を言わさず、少年を荷物のように軽々と肩へ担ぎ上げた。
まさか精霊族に抱えられる日が来るとは。遥か想像外の出来事が次々と己に降りかかり、シモン少年は、自分が実はとっくに命を落としており、あの世とこの世の狭間を彷徨っているのでは、と本気で疑った。
「ああああのあのあのあのっ!?」
「さあ、帰るか」
「えええぇぇぇえぇええ!?」
「シェルロー、荷物運びはちょっと可哀想なんじゃない? 怪我人なのに。面倒なら私が運ぶよ?」
「……同じ男として言わせてもらうが、瀬名がさっきやろうとした運び方のほうがよっぽど残酷で可哀想だぞ。だからシモン、心から忠告するが、今は抵抗しないほうがおまえの身のためだ」
「えー?」
「は? あのー……?」
瀬名がさっきナチュラルにやろうとした運び方。
その名を、〝お姫様抱っこ〟と呼ぶ。
シェルローから簡単に説明され、女性にそんな運ばれ方をされている己の姿を想像し、シモンはザアアアッと青ざめた。
そんなことになったら、人生おわる。
そして心から精霊族の青年に感謝の念を抱いた。
「落とさないよ? けっこう力持ちだし」
「そんな問題ではない」
「そんな問題じゃないですよッ!!」
この短いやりとりだけで、男達はわかり合った。
◇
来る前とは打って変わって和やかに、かつて祈りの間であった広間を一行は後にする。
その際、シェルローは険しさを帯びた視線を、一瞬だけ青い小鳥に向けた。
瀬名の耳には届かなかっただろう。戦いのさなか、ほんのかすかな、誰に聞かせるでもない独白めいたあの言葉。
――失敬な。
一緒にされたくはありませんよ。
呪いのオリハルコン、どうしようかな…。