113話 穢れた神の【使徒】
例えば、最終的に魔王を倒すゲームがあったとする。
選ばれし予言の勇者が旅立ち、さまざまな出会いを経て、成長し、力をつけ、ラストで魔王に挑むわけだが。
本当に勇者ひとりだけで魔王を倒さなければいけないゲームなんて、普通そうそうないだろう。
勇者の力以外では絶対に倒せないとか。勇者以外は絶対に魔王のもとまで辿り着けないとか。
ごちゃごちゃ何かしらの理由をつけて、ラストバトル直前に、それまで育てに育てたパーティメンバーをいきなり全部外さなければならないなんてことになったら、運営に大苦情が殺到するのではないか。
選りすぐりの精鋭で倒すことを前提に、今まで仲間を集めてきたのに。彼らは結局、勇者のレベルアップと精神的な成長のためだけに存在し、それ以上でもそれ以下でもなく、本番の戦いにおいて誰ひとり、何ひとつできることがない。ただ無事を祈るだけ、なんて。
勇者、仕方ないからおまえ一人だけで倒してくれ。
この世界で、現実にそんな無茶苦茶がまかり通るのか?
(んなわけあるか)
世の中、魔王と勇者だけで回っているわけではないのだ。誰かが何かしら重要な役割を果たして、だからこそ世界はどれだけダメージを与えられようと、戦いを終えた後にもちゃんと未来へ向けて進んでいく。
それをわかっていない馬鹿が――いや、よくわかっている〝賢い者〟が、「危ないものには勇者だけぶつけてしまえ、そのためには有象無象がどうなろうと構いはしない、自分さえ無事でいられればオーケー」と考えた。
それを実行に移したのが、今回の惨状だった。
かつてこの地には神殿だけがあった。
騎士の城も、ドーミアの町もなかった。
本当はただ、危機的な状況から逃れる際、この先の旅路の無事を祈るため、この祈りの間が設けられたはずなのに。
あるいは地上部分がやられてしまっても、地下で祈り続けられるようにと願ったか。
(〈祭壇〉の――竜脈のエネルギーを流用してるんだろうな、とは思ってたけど)
この遺跡のからくりを動かすためのエネルギー源は何か。
それは、本来この町の守護結界へ注がれるエネルギーから、一部をこちらへ回しているのではないか、と瀬名は考えた。
それはある意味正解ではあった。確かに、一部が使われてはいた。
神殿の〝個人的な〟宝物を守るための仕掛けに、〈祭壇〉から力の一部を勝手に頂戴してくるなんて、これだけで充分なスキャンダルに違いなく、「大掃除用に証拠を持って帰れたらいいな」ぐらいに思っていたのに。
おおもとのエネルギー源は、よりによって人の命、だなんて。
この遺跡で命を落とした者の生命エネルギー、それが無駄なくこの遺跡の中心部、すなわちこの場所へ流れ込む仕組みになっていた。
シモンの幼馴染み達はもちろん、フェロール神官とやらも。
《意図的にそのような設計にしたわけではないと思われます。罠を設置した者達も、この展開は予期していなかったのでは》
ここは確かに、ただの〝祈りの間〟だった。それ以上の意味はなかった。
ところが、途中から変質してしまった。
《神々から賜った〝宝物〟を、相応しい場所に隠した――そこから後戻りできないほどに、歪みが加速してしまったのでしょう》
悪しき者どもから隠し、守るために、この場所はちょうどよかった。きっと当初は、単純にそれだけが目的だった。
ところがいつだって、欲にまみれた後世の人間が余計なことをやらかし始める。
彼らはただひたすら、貴重な宝物を奪われまいと腐心するようになった。
キラキラしい伝承だけは残して体裁を保ち、宝物殿の周囲に厳重な防犯システムと迎撃システムをこれでもかと張り巡らせた。それが〝神官さえも殺す罠〟の正体だ。
遺跡全体がおよそ数千年物という古さであるのに対し、正しいルート上に設置された罠の年代は千年から数百年と新しくなり、順次追加されていた様子が伺える。
加えて〝処刑人〟を模した像の存在。
神殿の暗黒時代に存在した〝処刑人〟達は、神敵と見做された者を血も凍る拷問の果てに〝浄化〟し、その魂を神々の御許へ捧げたとされる。
その処刑場が、まさにここであった。
そんな死に方をした連中が、まともに昇天できると本気で信じていたのか?
神敵とやらが〝神殿にとって都合の悪い者〟という定義だった場合、冤罪は相当数にのぼっていただろう。
処刑場と化したのが先か、何ぴとも接近を許さぬ宝の隠し場所と化したのが先か。
当時の神官達が、いつまで神聖魔術を失わずにいられたのか、当然ながら記録になど残っていない。
腐っているのは一部であり、大多数の神官はまともな人間だった。
治癒院などで活躍する者達は、下位から中位の神官がほとんどを占め、高位神官が民草のためにその力を振るう機会は滅多にない。
つまり、腐敗した上の連中がその気になれば、誤魔化しがきくということにほかならなかった。
中には詳しい事情を知らされぬまま加担し、生涯〝資格〟を失わずに済んだ者もいるかもしれない。フェロールが死の直前まで、紛れもない神聖魔術の【浄化】を失っていなかったように。
歪みを自覚していた者、自覚できていなかった者、いずれにせよ彼らは〝宝物〟を守り続け、自分達の行いの正当性を後世へ伝えるために、輝かしい物語を伝え続けた。
それが〝奇跡の剣〟に関する伝承の正体なのではないか。
真実その剣が勇者のために存在するのか、その剣があれば本当に魔王を倒せるものなのか、真偽のほどはあやしい。
ただ、もうすぐ魔王が出現するとの噂が出回り始めて、もう何年も経過している。じりじり迫るその時に怯え、焦れた誰かが〝剣〟の存在を思い出したのだろう。
勇者にそれを与えよう。相応しい者に相応しい武器を与え、この世の脅威に立ち向かわせよう。
そのために他者の命がどれだけ失われようとも、些細な問題に過ぎない。
失われる些細な命の中に、我々の命は含まれない。自身の安全をきっちり確保した上で、それ以外の民草を死地に送り込めばいい。
勇者が魔王の脅威から守ってくれた世界の中で、今まで通り平穏を享受し続けよう。
神殿の中、選ばれし我々のみが、ずっと。
歪み。汚れ。
それが何百年もの歴史の中で積み重なり。
(後でサフィークとラゴルスにも教えてやろう。さて、どんな顔するかな?)
ここに恐るべき悪魔が生まれかけていたことを。
おまえ達は、そいつに気前よく贄を与えていたのだと。
苦痛と恐怖をこれでもかと味わわされた果てに捧げられた人々の魂は、凄まじい憎悪の塊でしかなかった。
この遺跡そのものが広大な餌場。
神殿の地下に、よりによってそんなものを育てていた事実を、まあどうせ、そう簡単に認められはしないだろうが。
(ははは……なんかもう、あんたらほんと、ムカつき過ぎて笑えてくるわ……)
腹の底から噴き出してくるこの怒りを、どうしてくれよう。
この怪物の存在を知りもせず、気付きもせず。
自分達の正当性と綺麗さばかり主張し続けていた、あの厚顔な聖衣の馬鹿どもを、いっそ首輪でもつけてこの場に引きずって来ればよかったかもしれない。
◆ ◆ ◆
巨神の像の瞳がほの青く輝いた。
途端、地の底が蠢く音。――話に聞いていた、祈りの間の〝罠〟が発動するのだ。
「もしや、あれも神輝鋼か!? 愚かな、よりによって瞳に使うなど!」
精神感応力を帯びた物質を、何かの生き物を象った像に埋めこむと、その埋めた場所によって像の性質が変わってきてしまう。
あれはもはや、ただの神像ではない。
いや、神像ですらない。
《この場に存在する者の精神を見通し、悪意、たとえば奪う、破壊するといった感情などに反応させるようにしていますね》
青い小鳥が、シェルローの肩にとまった。
苦手な小鳥だが、もたらされる情報はつねに貴重で有用なものだ。
「愚かな……負の感情に晒し続ければどうなるか、想像もしなかったのか?」
《しなかったのでしょうね。あなた方ほど取り扱いには慣れていない者が手掛けたのでしょうから。人族の王侯貴族は、人形の瞳の部分に宝石をはめ込ませることがよくありますので、それと同じ感覚だったのでは》
「宝石などとはモノが違うというのに」
小さく舌打ちし、怯えて縮こまるシモン少年の首根っこをつかんで、シェルローは場所を移動した。
「ひえっ、うわっ」
「あの場所からは、例の像が出てくる。下手に動かず、離れるなよ」
「はっ、はいっ」
床石が右へ、左へと移動し、へこんだり突き出たりと、見覚えのある現象にシモン少年は青ざめる。
しかし精霊族の青年が、まるで意に介さずひょいひょい〝歩いて〟いくのを見て、目をまるくした。
「このあたりで良いか」
「うわぁっ?」
いきなりぼとりと落とされた。その直後、突然ぬう、と出てきた巨大な歯車が青年の目前に迫り――
腰に佩いていた二振りの剣を、目にも止まらぬ速さで抜き放ち、いっそ無造作に見えるほどの動作で、歯車がバラバラにされていた。
「……うそ……」
「出てきたぞ。あれだな」
肩のあたりまでを三角帽子ですっぽり隠した、不気味な白い〝処刑人〟の像が、壁にひらいた隙間からぞろぞろと出てくる。
「なんとまあ、趣味の悪いことだ。あれを神々の御業と言い張る連中の感性は、やはりおかしいな」
《明らかに魔化しかけておりますしね。下位神官の浄化程度では歯が立たないでしょう》
「……瀬名のあれは、わざとこの罠を稼働させるためのものか?」
《罠と呼ぶより、防衛機構と呼ぶのが正確でしょうね。この広間で破壊活動や略奪行為に及ぼうとする者の精神に反応し――》
「それはわかっている。アーク、誤魔化すな」
《さようですか。――マスターのお怒りは義憤や計算ではなく、純粋に個人的感情です。こちらで贄にされた方々が他人のように思えず、「むかつくからぶっ飛ばす」そうですよ》
「……そうか」
他人と思えない。その理由を小鳥は語らず、シェルローは深く尋ねて良いものか判断がつけられなかった。
(後にしよう。今はそれどころではない)
シェルローは周囲の風を操り、からくりの騒音の隙間をぬって、己の声を離れた場所にいる瀬名に届けた。
「我々が生き埋めにならん程度に、まあ好きにやってくれ」
「ぅおっ、びっくりした…………あー、うんわかってる」
気まずそうな返答が返ってきた。
とはいえシェルローは実のところ、本気でその心配はしていない。ただの軽口だった。
彼女はキレていても、周囲の者を巻き込まない程度に加減してくれる。
「ていうかあんた、魔術封じは?」
「効かん」
「でしょうねーわかってた」
「お互い様だろう。というわけで、支援する」
シェルローは周囲を見回した。
「とりあえず、足場が動くのは鬱陶しいな。――【氷獄の檻よ、かのものどもを捕らえ戒めよ】」
高密度の魔力が渦巻き、壁、床、歯車に至るまでが一瞬にして氷の中に閉ざされた。
ぎりぎり歯車がきしみ、懸命に床の中に戻ろうとするも、分厚い氷に阻まれて叶わない。逆に出てくることも叶わなくなった。
動く石像群は下半身が氷に埋もれ、上半身が間抜けにジタバタもがいている。
「はっははは、最高! あんた後でギューしてくれるわ!」
「膝枕もつけてくれ」
「任せろ、ブラッシングもつけてやる!」
《マスター、また勢いでそんな約束を》
小鳥の声は届かなかった。
瀬名の全身に有り得ないほどの魔力が集まり、シェルローは知らず息をつめた。
軽口を叩きながらも、薄れず、揺らがない純粋な〝怒り〟――あまりにも鮮烈で、呑まれそうになる。
瀬名自身から微塵の魔力も感じられないのは何故なのか、かつて兄弟達で頭を悩ませたことがあった。
しかしこの光景を前にすれば、「なくとも問題ない」という至極単純な答えに行き着く。
瀬名の瞳が琥珀に輝き、巨神の像に微笑みかけた。
彼女の周囲に、半月状の鎌に似た巨大な刃が生じる。
地下空間内で、それは太陽のごとき眩さで照らし、無数のそれが回転しながら、辺りをなぎ払った。
突き刺さり、両断し、歯車も白い石像も区別なく、嵐のごとき暴威の中で等しく破壊されてゆく。
鍛えた聖銀でさえ容易に傷付けられない己の氷の檻に、平然とざくざく突き立つ刃を目にして、シェルローは何度目かの苦笑を浮かべていた。
うごくせきぞ…いえいえ。別物です。