112話 逆鱗 (4)
生存シモン君の一人称です。
ぼくはまだ夢を見ているんだろうか。
恐ろしい遺跡の中にひとりぼっち取り残されて、本当は気がふれてしまったのかもしれない。
だってそうだろう?
こんなにも凶悪な仕掛けをものともせず、不気味な三角帽子の白い石像を、あっという間にすべて粉々にしてしまうなんて、誰が想像できる?
黒髪に黒曜石の瞳。背が高くて、まるで少年のように髪が短くて凛々しい雰囲気の――でも多分、女の人が。
(やっぱり……この人、噂の……)
おとぎ話じゃない。
本物の、黎明の森の魔女、その人だ。
◆ ◆ ◆
ぼくの話を否定して馬鹿笑いするのは、いつものロイク達の〝お遊び〟だ。いつもそうだったから、村では誰も止めてくれなかった。
そう、ぼくとロイクとコルネとヴァノンは、幼馴染みだった。けれどぼくらの関係は、ぼく一人だけが区別されていた。
ぼくら四人はいつも一緒。だけど食べ物をもらったら、ぼくにまわってくるのは一番最後。大人のお手伝いをしてご褒美をもらったら、他の三人で分け合って、ぼくはもらえない。
彼らは大人達に訊かれたら、「シモンにもあげた」って口を揃えた。でも本当は違ってた。
大きくなって、ぼくは四人の中で、ぼくみたいな奴のことをなんていうのかを知った。
使いっ走りだ。
強いヤツの命令を訊いて、守ってもらってる臆病者。
どうしてぼくだけがそうなってしまったのか、いつからそうだったのかはわからない。
ぼくは四人の中で一番小柄で、一番力が弱かったから、多分、それが理由だったんじゃないかと思うけど。
気付いても、もうどうにも変えられなかった。
こんなしみったれた村で一生終わるなんて嫌だ、でかい町へ行ってみたくねえか? ってロイクが言い出して。
それなら討伐者になって成功してやろうぜ、ってコルネが言い出して。
いいね、やろうやろうってヴァノンが言い出して。
ぼくは勇気を出して「いやだ」って反対したけど、笑い飛ばされて聞いてもらえなかった。
ぼくは討伐者なんて無理だ、ぼくを連れて行く必要なんてないじゃないかって何度も言ったのに、無理やり連れ出されてしまった。
貧しいのに飲んだくれてばかりの父さんしかいない家で、おまえはひとりぼっちになるぞいいのか、って脅されて。
ぼくは弱かった。家でも、外に出ても、誰かにいいように使われるしかない。
四人で大きな町に着いて、討伐者ギルドで登録した。そんなことをしたって、ぼくは結局ひとりぼっちだった。
最下位の草ランクから開始して、しばらくは地道に簡単な採集依頼やおつかい依頼をこなすのかなって思ってたのに、やっぱりロイク達がそんなんで我慢できるわけがなかった。
魔物退治の依頼なんかを受けられるようになる石ランクになろうと、昇格試験? みたいなのを受けようとしたんだ。
ぼくはどうせ無理だと思ったから、申請なんてする気はなかったのに、彼らが勝手にぼくの分まで申請してしまったんだ。
そうしたら――ぼくが駄目なのはわかるけど、まさかロイク達全員が却下されてしまうなんて。
受ける以前に、受理っていうのをしてもらえなかったらしい。しばらく草できちんとやれ、ってはねのけられたそうだ。
理由は教えてもらえなかったみたいで、ロイク達はみんな荒れてた。今までよりますますぼくに当たり散らすようになった。
それを見かねてか、上位ランクの討伐者らしい人が、ぼくにこっそり教えてくれた。
ロイク達が申請を受理してもらえなかったわけ。
それは、ぼくを下僕同然にこき使ってるから、だってさ。
そういうことをやる奴は、たとえ昇格させても、パーティメンバーをただの荷物持ちにしたり、自分の査定を良くするために、仲間の手柄を横取りして自分のものにしたりとか、そういうことをやりかねない。
ロイク達は間違いなくそれをやるだろう、って判断されたんだってさ。ぼくをそっちのけで勝手に申請出すところとか、最初にギルドに登録した時のふるまいとかもあわせて、すぐピンときたんだって。
否定なんてできないよ。ロイク達はやるだろうなって、ぼくも思ったもん。
たとえ全員が石に上がれたとしても、ぼくだけを荷物持ちにして、ぼくだけその依頼に〝参加しなかったことにする〟んだろうなって、想像してたんだから。
もしそういう奴が間違って討伐者になったら、自分達も困るんだって、その人は教えてくれた。なんか、複数のパーティの合同で依頼をこなす時とかに、そんなパーティが加わっていたら不安でしかないし、素行の悪い討伐者が依頼人を怒らせて、シワ寄せが他の討伐者にも行ってしまったりするんだそうだ。
だからどうしろとも言わず、忠告するだけして、その人はあっさり別の町に行ってしまった。
――わかっている。ぼくは、ぼく自身が、なんとかしなきゃいけないことなんだ。
ロイク達から離れて。ぼく自身で歩けるようにならなきゃいけない。
でも、どうやって?
ぼくは弱い。
一人きりでは生きられない。だから、嫌なのに、こいつらといなきゃいけないんだ。
ぼくは他の生き方なんて知らないから。
――でも本当に、そうなんだろうか?
誰もぼくを助けてくれない。
この日々から抜け出す方法を教えてくれない。
ぼくはずっとそう思って、ずっといじけていた。
多分、だからなんだ。
誰もぼくを助けようとしてくれなかったのは。
だって、こんなぼくに手を差し伸べたって、ぼくはその手をまともに取ろうとしただろうか?
もしも仮に、どこかのパーティがぼくに声をかけてくれて、ロイク達から離れられたとしても。
ぼくは自分が助かりたい一心でその人達について行って。そして、今までと同じように、ぼくは弱いからって言いながら、その人達にずるずるしがみつくようになっていたんじゃないだろうか。
役立たずの、弱虫なぼくのままで。
違うんだ。それじゃ駄目なんだ。
『あんたがそいつを守るんじゃない。そいつがあんたを守る立場なんだよ!! そうだろうが、シモン!?』
ぼくはアスファのことが苦手だった。ロイクと同じようなタイプに見えたから。
でも、アスファはまっすぐにぼくと目を合わせて怒った。あの時、ぼくがそういう立場でそこにいるんだと、迷いなく言い切った。
ロイク達のような嘲笑でも、八つ当たりでもない。フェロール神官の護衛として、ぼくを〝同じ護衛の立場にいる者〟として怒った。
横面を張られたような衝撃で、急激に目の覚める心地を味わった。
ぼくは自分を弱い弱いと、たくさんのことをあきらめながら――その弱さを、口実に使っていなかっただろうか。
強くなろうなんて、してこなかった。なりたいと願いながら、そうなる努力なんて全然してこなかった。
だってどうせ、ぼくなんかが強くなれるわけないから、なんてすぐにあきらめて。
全力で頑張って、そこから抜け出そうなんて、一度だってしなかった――弱いからそんな大変なことはしなくていいんだって。
だから、その後すぐに続いたフェロール神官の言葉に、違和感が半端なかった。
『待ってくださいアスファ君! そんなにこの子を責めないであげてください! 私達よりもずっと細くて小柄なのに、こんなに頑張っているんですよ?』
――この人は。
アスファの言っていたことを、ちゃんと聞いていたんだろうか?
明るくて優しくて、ぼくみたいなのにも気さくに接してくれるいい人だと、最初は思っていたのに。
だからアスファ達の一行が、やけにこの人に対してピリピリしてるのはどうしてなんだろうと不思議だったけれど、その理由があの瞬間、はっきりと理解できた。
彼らは気付いていたんだ。フェロール神官が実はこんな人だって。
口先ばっかりで、誰の話にも本当は耳を傾けちゃいないし、誰のことも見ていない。
みんな平等のように、公正のように言いながら、その実あのフェロール神官は、アスファ達のことも、ぼくらのことも、〝自分より下の者〟扱いしてたんだ。
だから護衛として来ているはずのぼくらに対して、あんな台詞を平然と吐けたんだ。
本当はあの人こそが、ぼくに対して「真面目にやれ!」って怒らなきゃいけない立場だったのに。
『生き残れシモン!!』
無情にも目前で出口が閉ざされ、頭の中が真っ白になった。
何を考えることもできず、ただ反射的に何かを避けて、何かから必死に逃げた。
そうしているうちに、いきなりガコンと足もとに出来た段差でバランスを崩し……転んで、意識を失ったんだろう。
全身の痛みと、空腹で瞼を開けたら、祈りの間はしんと静まり返り、すっかりもとの姿になっていた。
こんな場所でひとり取り残されてしまった恐怖がじわりと忍び寄り、歯の根が合わず、気がふれそうになった。
けれど、ぎゅっと荷袋を抱え込んで――それが、アスファが最後に投げてよこした彼の荷物だと気付いた。
そうして、思い出した。ぼくは既に一度、頭がおかしくなりかけて、とんでもない迷惑をかけてしまったことを。
深くゆっくり息を吸い込み、時間をかけてたっぷり吐いて、ほんの少しだけ心を落ち着かせて。
狩りで獲物を狩る時のように、気配を殺し、音を殺し、あの巨像の視線に怯えながら、壁際の隅っこにうずくまった。
ぼくが今やるべきことは、無茶をせず、生き残ること。
手には、アスファが放り投げた彼の荷物。
指先がかすかに震えて、冬じゃないのに寒く感じる。これは怖いだけじゃなく、おなかがキュウキュウ引き絞られているからだ。
ぼくはよくおなかをすかせていたから、皮肉にも〝ここまでは大丈夫〟と〝これ以上は危ない〟の見極めがつけられるようになっていた。今は、〝これ以上は危ない〟のところにいる。
三日分の荷物と言っていた。中身をごそごそ漁り、アスファとエルダとリュシーの食べていた量を思い出しながら、ぼくにとって充分な量を分けて食べた。
携帯食はマズイってよく聞いてたのに、美味しくてびっくりした。しっとりサクサクで、木の実の食感と塩の味ぐらいしかわからないけれど、他にも何かが入っている。何が入っているんだろう。
水筒もあったので、ひとくち、ふたくち含んだら、全身に沁みわたる心地だった。こっそり懐に隠し持ってた硬い干し肉を少し、だいぶ前に食べたきりで、その直後に全速力で駆けまわったりしてたから、ぼくは思っていた以上にギリギリだったみたいだ。
疲れ果て、食欲も少し満たされて、ぼくはちょっとだけ、うとうとしてたらしい。
◇
頬をぴたぴた触られて、ふと目を覚まして。
ぼくを覗き込んでいるその二人が、現実の存在だと最初はわからなかった。
「シモン?」
無表情なのに、どこか心配そうな黒曜石の瞳が、とてもきれいだった。
「左足を骨折しているな。それに全身強打……発熱しているようだ」
「ARK、頭部は?」
《異常ありません。シェルローの見立て通りです。精神的ショックと過労と発熱のために、意識が多少もうろうとしているようですね》
「過労ダメ、絶対。それ一番やばいやつ」
「栄養状態も悪そうだな。……鎮痛と解熱、体力回復の薬だ。水はあるか?」
「アスファの荷物に……っとこれだね」
「ありがとう。……シモン、これを飲め」
「は…………え…………精霊族…………なんで?」
尖った耳に、かすんだ視界の中でもわかるぐらいの、とびっきりの美形。
こんなのを間違うはずもない。
「飲め」
「は、はい」
イラっとした声で言われ、慌てて受け取った。薬をくれるって差し出したきり、お礼もないままジロジロ観察されたんだ、そりゃあ怒るよね。
飲みくだすと、さっきまで一生懸命無視していた痛みが徐々に消えて、かすんでいた視界がさあ、と晴れた気がした。
おかげで、これが夢じゃないってことまでわかってしまったんだけれど。
「気分はどう?」
「あ、えと、はい、……あの、……あ、ら、ラクになり、ました……ありがとう、ございます」
「そっか。――大丈夫っぽいね?」
《視線も定まっていますし、意識は明瞭、受け答えもはっきりしています。問題ありません》
「あー、よかった! これであいつらにいいニュース持って帰れるわー」
ほー、と息をつき、おもむろに立ち上がる。
「そんじゃ悪いけどシェルロー、ちょっとの間だけシモンの様子見ててもらえる?」
「構わんが――瀬名、一応頼むだけは頼むが、危ない真似は控えてくれ」
「私はいつだって、平和主義で穏便志向で、この世のありとあらゆる危険を避けてのんびり生きたいと思ってますが何か?」
「……すまない」
精霊族の青年が苦笑した。
ぼくはつい、二人のやりとりをポカンと見上げてしまった。
(精霊族と……黒髪、黒曜石の瞳の……女の人、だよね? 微妙に胸のとこが……)
そうしてふと、ドーミアに着いたばかりの頃、酒場で聞いた話を思い出した。
黎明の森には魔女が住んでいて、その魔女には精霊族の騎士達と、灰狼の戦士達がたくさん従っているんだって。
精霊族やら灰狼の部族がまるごと従うっていうのも「まさか」だったし、しかもその魔女は〝魔法使い〟だっていう。
当然ながら、ロイク達は頭から信じなかった。鼻で嗤っていたら、「余所者だな」って一発でバレて、その後なんだか、遠巻きに哀れまれるような視線を感じていた。
でもロイク達は気付かなかった。酒場に入ったのは、あの一度きりだったし。
ぼくらは――そう、ぼくらは、本当は討伐者なんかじゃない。
なりそこないにすらなれなかった、ただの雑草だ。
しかも最近、ロイク達はまるで真面目にやっていなかったから、草の資格すら剥奪されそうになっていた。生活のために仕事はしなきゃいけないんだけど、受けた依頼を適当にやってたから、「やる気のまったくないガキはギルド証を持つな」って怒られて。
ロイク達が腐って荒れている時に、その町の神官に声をかけられた。「誰にでも機会は与えられるべきでしょうに」と、神官はとても同情的で――そうして、今回の〝依頼〟の提案をしてくれたんだ。
試練に挑む新米神官の護衛をして欲しい。他にも低ランクの討伐者に依頼を出す予定であり、協力してこなして頑張っている姿を見せれば、彼らも納得するだろうし、神殿からもお礼にランク昇格の推薦をしてあげよう、って。
それを誰も疑わなかった。だって相手は神官なんだから。
ドーミアの酒場で、聖銀ランクの指導を受けて青銅になったっていうアスファ達の噂を耳にして、ロイク達は腹を立ててた。
でも、どうせすぐ会って、一緒に仕事をすることになる。
ひょっとしたら俺らもひとっ飛びで青銅になれるかもな、なんて言ったのはヴァノンだったか。
とんだ勘違いだ。
「やっぱり遺跡内部の構造が変化するみたいだね。アスファは例の石像がぞろぞろ出てきた、その亀裂から出たようなこと言ってたけど、ここに来るまで私ら、いっぺんも会わなかったし」
《普段は壁の内部に収納されているものが、からくり仕掛けの罠の発動によってスライドし、亀裂を開けてこの広間に吐き出される。そういう仕組みでしょうね》
精霊族の青年が足に添え木を当てて応急処置をしてくれてる間、魔女と、使い魔なんだろうか……青い小鳥が喋っていた。
使い魔って、初めて見た。それを言うなら魔女も精霊族も初めて会うけど。
普通は庶民が一生涯、一度だって会えるもんじゃないはずなのに、どうしてぼくは同時に全部会えちゃってるんだろう。一生分の幸運をこれで使い果たしちゃってたら嫌だな。
(あ……アスファ達って、聖銀ランクだけじゃなく魔女の指導も受けたって……まさか、あれも作り話じゃなかったのかな?)
薬のおかげか、痛みは感じないし、苦しさも消えた。その代わりに身体が少しだるい感じがする。
精霊族に手当をしてもらって、おとぎ話の存在って言われてる魔女が目の前で何かをしてて。
なんだかやっぱり、これは夢なのかな。
魔女は広間の真ん中あたりをうろうろしながら、見下ろしたり見上げたり、……何をしているんだろうか。
すると精霊族の青年が教えてくれた。
「あれは、この遺跡を調べているのだ。……かなり、きなくさい場所なのでな」
きなくさい。
そうなのか。……うん、そうだ。
ロイク達は……みんな、死んでしまった。この遺跡に、殺されてしまったんだ。
そしてあの、フェロール神官も。みんなこの遺跡に食べられてしまった……。
「――――」
それは漠然と、無意識に、心の中で選んだ言葉。
精霊族の青年が、いきなり何か呪文を唱えた。
ぼくらの周囲を、やわらかい膜のような光が包む。
何事かとびっくりしていたら、その厳しい視線の向こう、魔女の周辺が――いや、魔女の全身が、不思議な陽炎の中でゆらめいていた。
ぼくには強い魔力なんてない。心を読む能力なんてないし、あんまり鋭くもない。
なのにどうしてか、わかってしまった。
地の底から、果てなく噴き出す闇のような。
凄まじい怒気。
魔女が、怒り狂っている。
アスファ君の荷物は無駄ではありませんでした。
次回、戦闘回です。