110話 逆鱗 (2)
ラゴルスや神官達が、大きく口をぱかりと開け、言葉を失っている。
まあそうだろう、あれだけ自信たっぷりに「他に方法はない」と言い切っていたのだから。
そもそも、ARK氏がドーミアの地下を調べないわけがないのである。
瀬名が初めて〈スフィア〉から出るずっと前に、小型探査機EGGSが放たれ、その時真っ先に調べ尽くされたのが最も近い人の町、すなわちドーミアだった。
幻術は人の精神に干渉するものと、視界を誤魔化すタイプに大別され、どちらであってもEGGSやARK氏の障害にはならない。ましてや魔術封じなど問題外である。
そして神殿の建設された場所は山の頂ではあるが、山頂が霞むほどの高山ではない。神殿も騎士の城も、町のどこにいても明瞭にその姿を臨める高さにあり、まるごとARK氏の探知可能圏内に入っていた。地下構造物はもちろん、人や実体を持つ魔物がいてもわかるのである。
立体図面で空間に描き出された通路を辿れば、不自然な穴があり、底の部分はギザギザで、ご丁寧に回転式の蓋らしきものがついているとなれば、そこにあるのは再利用可能な落とし穴だ。中には軸が古くなったせいか、半回転してもとに戻らなくなった様子のものもある。
壁に不自然な蜂の巣があったり、一部分だけ吊り下げ天井になっていたり、人を象った物体の背後と壁の接する部分に何故か鎖が通っていたり、内側に大きな歯車や重りがあったり。
凶悪な仕掛けが満載の地下遺跡の最下層には、広大な祈りの間らしき場所があり、そこには神の巨像が佇んでいる。何やらその神の手に、神殿という場にそぐわないデザインの〝剣〟があるとなれば、この遺跡が何らかの宝物を厳重に守るためにあるのだと一目瞭然。
日々〈スフィア〉で引きこもり、勉強漬けでショートしかけていた頭には、そういった記録映像が良いストレス発散になった。
そして、ひととおり映像を観て楽しめば満足し、自ら足を運んでみたいとはついぞ思わなかった。現実世界で大冒険などしたくない主義だからである。
ARK氏いわく、随所で魔術的な彫刻や構造物も見られるとのことから、どのみち当時の瀬名にその気があったとしても、遺跡へ侵入することなど叶わなかっただろう。扉の開閉自体に神聖魔術を必要とするなら、無理に入ろうと思ったら、それこそ破壊するしかない。
誰にも見咎められずそれをこなすのは、非常に困難で危険を伴う。
ただ、扉の問題さえ解決したならば、侵入者撃退用の罠など何ら脅威ではない。隅から隅まで全構造が丸裸なのだから。
ARK氏はもとより、瀬名自身も〈グリモア〉によって魔素の流れを感知できるようになった今では、たとえ罠の中に攻撃系魔術が含まれていたとしても、それがどんな条件で発動しどんな効果を発揮するものなのか、遥か手前から読み取ることも難しくはないだろう。
(まあ確かに、こういうのは反則ワザなんだろうけどね――人命に反則ズルイもくそもないでしょ)
いや、反則とも言い切れない。瀬名もARK氏も、たまたま彼らの知識にはない手段を持っていて、彼らと異なる方向からのアプローチが可能だっただけだ。
誰かが決定打を気付かぬままに持っていて、すべてが片付いた後になってそれが判明することなどままある。瀬名やARK氏に限った話ではない。
本当に「他に方法はない」のか、せめてそのぐらい調べるべきだった。そもそもこの連中がそれをまともに調べていたのなら、必然、瀬名にもその情報が回って来ていたはずなのに、そんな様子はなかった。
広く知識を、最善の方法を求めることもせず、彼らは神殿内だけで完結させようとした――それは断じて〝人々のために〟ではない。
自分達だけで、〝それ〟を独占したかったからだ。
他人の命に勝手に値段をつけ、死なせても神殿に影響はないだろう面子を死地に追いやっておきながら、いつまでも〝神官様〟でいられると思い込むのが間違いだ。
彼らは震え、喘ぎながら、必死で言い訳を探しているように見える。
違う、そんなんじゃないと言いたそうだが、言える者はいなかった。サフィークやラゴルスでさえも。
◇
「――教官ッ!!」
「おわっ、え?」
突然、アスファ少年が凄まじい勢いで縋りついてきた。
「シモンをッ!! 助けてくれッ!! 俺あいつを、あいつ置いてきちまったんだッ……!!」
「え――ああ、そうか……」
もちろん、聞いていなかったわけではない。
ただ、状況的に、生き残っている望みは限りなく薄そうに思うのだが。
言いにくい……。
《――マスター、これを》
「ん?」
ARK氏がおもむろに、祈りの間の部分を拡大した。
「ん? ……んんん?」
「なっ、なんだ? どうしたんだ?」
必死さと困惑がないまぜになった顔で、アスファは瀬名と立体図面にきょろきょろ視線を移す。
しかし、瀬名は断定を避け、念話で慎重に確認した。
≪サーモグラフィー?≫
≪いえ、視覚的にわかりやすいかと色の表示を似せましたが、これは魔素による熱分析です≫
≪なぬっ、じゃあやっぱりこれ……≫
隅のほうにぼんやりと、赤や黄色のグラデーションのかたまりがある。
≪過去の調査記録映像じゃなく、リアルタイム?≫
≪はい。アスファ少年の話にあった、移動するブロック体や歯車、〝処刑人〟を模した動く像などは、既にすべてもとの位置、壁や床の内側に戻っています≫
瀬名が〝過去の記録〟と誤認したのは、それが原因だった。
≪この広間のみ床下内部に魔術封じの術式が埋め込まれており、属性魔術のみならず神聖魔術も使えない場になっているようです。それとは別に、精神波に干渉する微弱な魔素の流れが観測されました。侵入者排除の罠が沈静化したのは、おそらくシモン少年が意識を失い、〝外敵がいなくなった〟と判断されたためではないかと≫
瀬名は魔導刀の一振りで血露を残さず払い、素早く鞘におさめる。
遺跡は外から眺めて感動するものであり内部に入るもんじゃない、などと言っていられない状況になってしまったようだ。
≪こいつらなんかの相手してないで、さっさと向かってりゃ良かったかな!?≫
≪いえ、もっと早く判明していたとしても、それは推奨できません。――こちらを後回しにしてしまうと、マスターが不在の間、この者達が己の罪状に無自覚な状態で野放しになります≫
≪……エルフさんとオオカミさんがいっぱいいても駄目かな?≫
≪高位神官を複数名拘束する大義名分がありません。騎士団が見ぬふりをしてくださるのにも限界があるでしょう≫
≪あああああカルロさんセーヴェルさんごめんなさいごめんなさいごめんなさい、いつもいつもぉぉ……≫
≪ですので、徹底的に精神的ダメージを与え、大人しくさせておくことは重要だったと思われます。幸いこの連中が〝資格〟を失っている事実は明らかにできましたから、騎士団が我々に協力的でも、どこからも問題視されないでしょう≫
≪あううう……≫
ひとまずそれらは脇に置いて、目の前の問題を片付けよう。反省とお詫びはその後だ。
「行くだけ行ってみる」
「お、俺も! 俺もつれてってくれ!」
「あんたは寝てなさい。エルダの意識が戻った時、交代であんたがぶっ倒れてたら格好つかんでしょうが」
「で、でも……」
「や、す、め。命令。それがシモンを迎えに行く条件だ」
「うう――……」
理屈では理解していても、感情が納得できないのだろう。あからさまな反抗はしなくとも、むずかる子供のような表情である。
目の前で置き去りにしてしまった。どうしようもなかったとはいえ、それがかなりこたえているようだった。
「ったく……」
瀬名はひとつ溜め息をつき、アスファ少年の後頭部をがっとつかんで、ぎゅうと胸もとで抱きしめてやった。
鎖骨のあたりで前髪が擦れてくすぐったい。
(おんやあ? また背が伸びたっぽいね。成長期かねぇ)
そのまま、頭をぽんぽんと軽く撫でてやる。
――よくやった、頑張った。本当によく粘って頑張ったよあんた達は。
帰ったらもっとがっつり褒めまくってやるから、今はただ、しっかり休んでおきなさい。
「ま、行くだけ行ってはみるけど、結果は期待するなよ。わかった?」
「……………………」
「ん?」
いきなり、シェルローがアスファの首ねっこをひっつかんで「ばりっ」とひっぺがした。
「うおっ、なんだいきなり……あれ、なんか機嫌悪い? 何で?」
「……瀬名。今さらなんだが、胸当てはどうした?」
「胸当て――あ。忘れてた。最近、外してる時が多かったからなー…」
性別を大暴露され、ヒキコモリに回帰して、防具をつけずに〈スフィア〉周辺でごろごろ怠惰にやさぐれる日々が多くなっていたので、ついうっかり装着するのを忘れて来ていた。
「あれ、アスファまでどうした? って、あんたひょっとして熱が」
「いいいあ違、ち、違、ち……」
「何でもないそうだ。行くぞ。一刻を争うのだろう?」
「あ、うん、そうだった――って、あんたも行く気?」
「もちろんだ」
至極当然だろうと言わんばかりの表情で頷いた。
「扉を開けねばならんのだろう。――わたしが開ける」
ふに。
アスファ君:「――~ッッッッ!!!!!?????」