10話 十四歳、下準備は念入りに (1)
※お食事中の方はちょっと避けたほうがいいかもしれません。ご注意願います。
ジャガイモと霊泉人参の粉末、タマネギのみじん切り、グロッタ豆、それぞれ重さを量った後にすべて一緒にすり潰し、小さな土鍋に投入。少量のオリーブ油を徐々に加えながら丁寧に練り合わせる。
別の土鍋の半分ほどまで水を入れ、ラシャの樹皮を煮出し、取り出した後でひと匙の塩と、レモン汁とケラトスの茎の搾り汁を一滴ずつ加え、さらに三分ほど煮立たせたら先ほどの鍋にゆっくりとそそぐ。
よく混ぜながら弱火で煮込み、ブランネシアのドライフラワーの花弁、金柑の皮を乾燥させて細かく刻んだものをひとつまみずつ投入。水分が蒸発する手前で火を止め、余熱でざっくり混ぜ合わせる。
小麦粉とアリドネの樹蜜を定量加えながらしっかり混ぜ合わせ、まな板に型枠を置き、練ったものを落として平らにならす。
ある程度乾いたら五ミリ四方に切り分け、丸めて一時間ほど乾燥させた後、ニ~三秒ほど軽く火で炙れば完成。
湿気の多い場所を避けて保管してください。
《なんでこの材料とこの手順で魔力回復薬なんぞできるんスかねマスター?》
「私に訊かないでくれるかね? Betaくん」
【持久戦型魔力回復薬ファイトA錠】
一回一錠、一日三回を限度とし、咽に貼りつかないようなるべく水分とともに服用する。
胃にやさしく、空腹時でも服用可。消耗した魔力がおよそ十分経過するごとに、最大量の二割から三割以上のペースで徐々に回復する。
平均的な人族の成人の場合、およそ三時間ほど効果が持続。
お薬は用法・用量を守って正しく飲みましょう。
畑に植えておよそ一ヶ月後、ほぼすべての野菜や穀物が収穫できるようになっていた。
果樹類を入れても、およそ二ヶ月。脅威の成長速度である。
加えて、Betaが森の中のあちこちで採集してきた、あれこれやそんなこんなの栽培も順調に進み、それらを調合して、あやしげな薬を作るのが最近の瀬名の日課であった。
ここの土地に植えた地球産の作物は、土中に含まれる魔素を吸収して成長し、見た目は完全に以前と変わらない普通の作物だが、中身が若干変質しているらしい。
が、具体的に魔素がどう影響し、どんな過程を経てどんな変化をもたらしたかは理解不能。
何も手を加えなければ、とくに何も変わらない、普通の野菜に果物なのである。特定の手順を踏み、なおかつこちらの薬草類と組み合わせて調合しなければ、それらに強い薬効は発生せず、普通に料理するだけでいきなり妙なものができる心配はないのだった。
強いて言うなら、ここの土で育てた作物によって調理した食事には、何故か微弱な〝精神・体調補正〟効果が付加されるぐらいか。生野菜サラダにしてそのまま食べても何ら変化はないけれど、複数の食材や調味料を投入してぐつぐつ煮込んだり炒めたりする作業が、どうやら魔女の鍋よろしく、不思議な化学反応をもたらすようだ。
どんなレシピで作っても人体に悪影響はなく、副作用も依存性もない。
いいこと尽くめなのだ。
〝体調補正〟は、回復系の魔術に似たような性質のものがあった。睡眠不足や数日間排泄が行えない時など、体内に蓄積する悪い物質を除去できるらしい。
だからといって、永遠に不眠不休でいられるわけでもなく、短期間で何度も繰り返すたびに効果が薄れてくるとのこと。それでも万人に扱える魔術ではなく、使い手は重宝されるらしい。
一睡もせず健康を保ち続けた人族の最長記録が五日間。健康を損なうまで無理をすれば十日。その後しっかり睡眠をとって回復し、さらに十日ほど間をあければ、また今までと変わらない程度の魔術の効果が出るようになるという話だから、多方面であらゆる使い道があるのだろう。
ブラック企業に拉致監禁されそうな人材である。
「でもこの国で一番凄いのは、やっぱトイレいらずってとこだよね! これは実に素晴らしいよ!」
《まあそうっスね。魔力とかピンとこないスけど、それはなかなかに凄いっスよね》
そんなことで一番感動するのは如何かと思うが、感動せずにいられない。
なんとこの世界には、体内で吸収しきれなかった不純物を完全に分解し、無駄なくエネルギーに変えてしまう薬草が存在した。
その名も【シュネーヴェンエルティスノータス】、略して【シュネーヴェン】または【ノータス】。ある程度魔素の高い地域でなければ生えていないらしく、採集には多少の危険を伴うので、ランクの低いハンター達にとって良い小遣い稼ぎになるそうだ。
無駄に長い正式名称が略称に変更されない理由は、嘘か真か、学者達の間で【シュネーヴェンエルティス派】と【エルティスノータス派】の譲れぬ戦いが勃発してしまうからだとか。
小さい子だけが【おなかきれいのはっぱ】で許される。
むしろ応急処置的な面の強い魔術より、こちらの方がメインだった。常飲しても副作用はなく、乾燥させた葉を煮出し、お猪口一杯程度の量を日に一回飲めばいい。
太古から主に戦士が重宝していた歴史があり、当時は草をそのまま噛んで飲み下していたらしいが、生のままでは苦味と渋みが強すぎる上に、一時舌が麻痺するほどの刺激があるので、現代ではよほど切羽詰まった状況でもなければ直接食べたりはしないそうだ。
ちなみに魔力の強い種族には、飲み食いしたものを完全に消化・吸収し、無駄なくエネルギーに変換できるため、そもそも排泄器官自体が存在しない便利種族もいるとのこと。
実は某惑星から訪れた異邦人も、魔力など欠片もないにもかかわらず、とあるマッドドクターの魔改造による無駄のない肉体強化の一環で、出す必要がなくなっていた。
これに関しては素直に溢れんばかりの感謝をドクターに捧げている某人物だったが、それはともかく、当初覚悟していたより、この国の衛生観念がまともで嬉しい誤算だった。
町なかで汚物がそこらじゅうに撒き散らされ、どこへ行っても悪臭が鼻を突くようなおぞましい光景に直面する恐れがない。
さすがARK氏いわくの万能物質〝魔素〟、いい仕事をしている。この国に対する好感度は鰻登りだった。
ところで、補助脳はあくまでも脳本体の補助を行うものであり、思考速度を速めたり物事を憶えやすくさせたり、考えていることを情報化して送受信――つまりテレパシーのような〝思念通話〟を行えるが、それ自体を純粋な辞書や記録装置として使うことはできない。
脳への負荷の大きさから、言語情報以外ではインストールを行わない方針だったが、ARK博士は例外をもうけた。それがいわゆる薬効成分や、調合などに関する知識である。
通常そういった知識や経験は、何年もかけて徐々に蓄えていくものだが、何年もかけたくないARK博士は、潔く時間短縮を取った。
大陸のあらゆる言語を限りなく近い概念で解釈し、段階的に補助脳を通じて瀬名の頭に読み込ませたように、もともとこの世界にあった薬だけでなく、ARK氏独自の調合法まで編み出して読み込ませたのだ。
ただでさえ瀬名は、ここで生きていく上でのハンデが大きい。単なる一般人を装うには無理があり、ならば単なる一般人ではないが、不自然ではない人物設定を創りあげて演じる必要があった。
その設定に必要なのだという。
「それで何で魔力回復薬なんぞいるのかね? 私が持ってても無用の長物なんだけどなあ。魔力ゼロだし。回復以前に減るものがないっての」
《そりゃARK・Ⅲのコトだから、また何かしら物騒な裏技考えてんじゃないッスか?》
「うっ、不吉なこと言うんじゃありませんよ。……まあ、調合って意外と楽しいからいいけどさ」
調合用の道具はすり鉢、天秤、土鍋その他。精密機械を一切使わず、どれも原始的なものを使うやり方だ。
この世界のどこへ行っても、簡単に手に入るような道具でなければ、もし〈スフィア〉が近くにない場所で調合が必要になった時に困るからである。
〈スフィア〉の万能設備を一切頼らない地道な作業は、意外と性に合っていたらしく、退屈でつまらないと感じたことはない。思い返せばRPGでも、様々な素材を集めて武具やアイテムを作る〝錬金〟のシステムが好きだった。
――ひょっとして薬師の設定でいくつもりなのだろうか?
売るだけならばいいが、医師の真似事をやれと言われたらどうしよう。
製薬作業は楽しいが、つくる過程が楽しいのであって、患者の診察などできるとは到底思えないし、そんな責任の重そうな仕事はしたくない。
せいぜい田舎の薬屋さんで勘弁してほしいところだ。
一抹の不安を覚えつつ、【短期決戦型魔力回復薬クイックA散剤】、【持久戦型体力回復薬ファイトB錠】、【超速再生キュアC軟膏】などと手を出すうち、いつの間にやら夢中になって、そんな懸念などすっかり忘れていた。
使いもしない薬がどんどん増えていく。
インドア派の趣味にはままあることである。
◇
いずれ来る日帰り大冒険の全容が明らかになった。
まず重要なのは、世界観に適したキャラクター設定である。
名前:セナ=トーヤ
性別:男性
年齢:十四歳(身体年齢/現時点)
居住地:黎明の森
職業:森に移り住んだ魔女の使い
現在の瀬名の身長は、本来の百六十センチを大幅に超え、既に百六十五センチ。明らかに背が高くなっており、まだ伸びる気配がある。
さらに以前は髪を伸ばしていたのに対し、今は少々長めのショートカット一択。ヘアスタイリストはもちろん、万能お手伝いさんのAlphaだ。
スカートは目覚めた直後の乙女趣味なワンピースシャツ以来、ただの一度もはいていない。
「毎朝めんどくさいストッキングにスーツのスカート、ハイヒールで出勤してた平社員が、よくもこうまで変わったもんだ…」
心からの賞賛を呟いた。ARK氏の手腕は本当に素晴らしい。
鏡を前にすれば、アイドル系と言って差し支えない程度の、違和感のない〝少年〟が立っていた。見た目の性別を反転させたら、却って以前より見栄えの良くなった己の姿に、目から鱗が落ちる。
いや、単純にイメージを変えただけではこうはならない。髪を切って男装さえすれば、万人が男っぽくなるわけでもないのだ。
自分で自分の化粧を施すより、メイクアップアーティストに頼んだほうが美しく仕上がるのと同じ理屈で、食事・生活・運動・服装その他、どうすればごく自然で見栄えの良い〝少年〟に仕上がるか、ARK氏の指導を受け続けてきたからこそ、仕上がりも格段に違うのである。
「さすがだARK・Ⅲ」
《おそれいります》
大変身を遂げた己の姿に、照れて謙遜するような純情さなど、精神年齢およそ三十歳には持ち合わせがなかった。
風呂あがりにシャツ一枚の格好であぐらをかき、ミリタリー系アクション映画を鑑賞しながら枝豆をつまみつつビール一杯ひっかけていたような女に、隠しても隠し切れない女の子らしさの滲み出る心配など皆無である。
とはいえ、中身はともかくとして、実際に性別が男性ではないことも確かだ。
女性は女性というだけで舐められやすく、人身売買目的の誘拐や性暴力の被害者になるケースが非常に多い。それがこの姿の理由であった。
「つーかさ? はるばる別銀河系から来たってのに、お約束的に男尊女卑ってどうよ?」
呆れまじりにぼやく。
かつて故郷でも、男女差は根強く随所に残っていた。過去の時代と比較すれば大幅に改善されていたのだろうが、ささやかでも理不尽な目に遭えば、誰だって不愉快になるだろう。
「しかも一夫多妻って何さ? たまには男も逆の立場になってみたらいいんだ」
――そう。この大陸の国々は一夫多妻制だった。なんと、エスタローザ光王国もその内に含まれている。
脳裏に浮かぶのは某・倉沢博士の気弱そうな顔。
親しい知人だった頃なら「優しげな人」と表現しただろうが、今やそんな善意解釈の余地など微塵もない。
もし時代が時代で、父親の命令であの男に嫁がされていたとしたら?
しかもそこには既に複数の妻がいて、自分が第五夫人や第六夫人で迎えられ、さらに「夫の機嫌をとって早く子を作れ」などと実家から急かされようものなら――
想像するだけで臓腑が煮えくり返るほどの怒りを覚えるのだ。
《ごもっともですが、これについてはある程度仕方がないかと。他種族については一概に言えませんが、人族に関しては限りなく地球人類に近い以上、そのあたりも似通ってしまうのでしょう》
「そうなんだろうけどさー……」
《強い魔力持ちの割合も少なく、戦闘になればどうしても最終的に腕力や体力頼みになります。有事の際に減りやすい男性が妻を多く迎えたり、力ある男性が己の力を誇示するためにより多くの女性を侍らせる。共通点が多ければ、辿る道筋も結果的に似たようなものになるのでしょう》
ただし、西洋諸国の暗黒時代のような魔女狩りはこちらには存在しない。悪魔の手先だの怪しい魔女だのと追い立てられる心配はなく、逆に〝魔法使い〟が歓迎される風土は、正体不明の異邦人である瀬名にとって僥倖と言えた。
そのかわり、偽物とばれた時のペナルティが怖いのだが……。
《光王国について申し上げれば、身分にかかわらず上限を第三夫人までと制限している分、他国と比較すれば節度を保っています。第二・第三夫人も立場は若干低いものの正式な妻ですから、日陰暮らしを余儀なくされる不遇の女性が減るという見方もあるでしょう》
「あー……、言われてみればそうかも?」
《それに南方諸国など、妻の数が両手の指を超えるケースがザラですし、王に至っては数百名規模の後宮がありますよ》
「それ一番むかつくわ! そんなもんに国民の血税を浪費する愚国なんぞ滅びてしまえ!」
《全面的に賛同いたします。飢饉対策や治水工事を二の次にし、後宮から一歩も出ない妃数百名分の衣装の新調に莫大な国家予算を割くなど、無駄の極みとしか言いようがありません。質素倹約主義のどなたかがさっさとクーデターを起こし、中枢で怠けている首をあらかた落としてしまえば状況は改善するでしょう》
クーデターを起こしそうな〝どなたか〟に目星がついていそうな口ぶりである。「首を落とす」はただの比喩だろうか、それとも物理的に――
(いや、関係ない。私にゃ関係ない。知らないったら知らないんだ)
心の中で魔法の呪文を唱えた。どうせそんなふざけた国には、今後も絶対に関わらないと決めているのだから、何が起ころうと知ったことか。
だって、誘拐された女性が強姦されて無理やり妾にされたり、売り飛ばされた先で稼いだ金を誘拐犯に全部持っていかれても、被害を訴える権利自体がないというのだ。信じられない。
ARK氏も行く必要なしとすっぱり斬り捨てているし、無視でいいだろう。