107話 整えられた試練 (9)
連日遅くなってすみません。
ようやくです……!
神像の瞳に青い炎が灯り、ギロ…と小さき者達を見下ろす。
アスファは咄嗟に跳ねて後退し、ラゴルスも慌ててそこを離れた。
「あ、あの? いったいどうし――ぷぐゅッ」
フェロールの立っていた床の石材が突然ガコン、と突き出し、その拍子に転んだ彼は、だしぬけに飛び出して回転する巨大な歯車に胴から上を巻き込まれた。
それがさんざん神経を逆撫でしてくれた新米神官の、あっけない最期だった。
からくり仕掛けの蓋のように、石材の形に沿って床や壁のあちこちがへこみ、横にずれ、突き出し、小さき者達を翻弄する。ときおり出現する歯車は、アスファの村にあった水車よりも遥かに大きい。
ガコン、ゴガン、と移動する足もとを跳躍してしのぎながら、空いた壁の隙間から、ぞろぞろと何かが吐き出されるのが見えた。
足もとまで覆う白いローブ。首まですっぽりと覆う三角帽子。ちょうど顔のあるであろう部分に緋色で描かれた、何かの紋様。
(あ、れって……処刑人……!?)
神敵を葬る、神々の処刑人――この国では何百年か前に禁止された、神殿の暗黒時代の象徴とされる〝拷問人〟だ。
挿絵でしか知らない姿が、どうしてこんな場所に、こんなにたくさん潜んで――
「……あ、アスファ!! あいつら、人じゃない!! 石だ!!」
シモンが叫んだ。――なるほど、それらはよく目をこらせば、白っぽい石を彫った石像であった。
しかも人喰い巨人のように、一体一体が尋常ではない巨体。
石とは思えぬなめらかな動きで、ずしん、ずしんと移動する。帽子で表情は見えないのに、冷ややかな殺意に満ち、彼らが侵入者達を排除しようとしているのは明白だった。
単に歩くだけでも、その一歩の威力さえ大きく、少しぶつかるだけでも致命的である。
「エルダ!! なんかぶっ壊す系の魔術ねえか!?」
「だめ――魔術が使えませんわ!!」
「んだとぉ!?」
「この広間全体に、魔封じの結界張られてるんですの!!」
「なんてこった……!!」
不思議な話ではない。城や大きな神殿では、攻撃系の魔術を使えないようにしていることが多い。
「神よ!! どうかお怒りをお鎮めくだ……」
ずどぉん!!
さきほどまでラゴルスの立っていた場所へ、巨大な槌が振り下ろされた。――その音、その衝撃の凄まじさ。
いったいあの一撃に、どれほどの威力があるのだろう。
鈍かったフェロールと違い、ラゴルスの現状認識と割り切りは早かった。嘆願など通じない相手と見て取り、即座に逃げと保身に徹した。
その逃げ方が最悪である。
「こっち来んじゃねえよ!? なんでついて来やがる!!」
「その剣を渡すのだ!! おまえが持っていていいものではない!!」
あの処刑人は、〝剣〟に対しては攻撃をしてこない。衝突しないよう避けている。既に一度すれ違い、素通りしていくのを呆然と見送った。
つまり、それを持っている限り、アスファも攻撃されないのだ。
ゆえにラゴルスは、それを奪おうとした。相応しくない者が手にするべきではない、正しき者に渡さねばならない、だからそれを寄越せ、と。
「ふざけんな、誰が渡すかこの野郎!!」
「この、若造が……!!」
互いに頭に血がのぼっていた。
誰もが、逃げるのに必死だった。
前触れもなく移動する床に足をとられぬよう必死になり、歯車に巻き込まれぬよう必死で避け。
だから、気付くのが遅れてしまった。
アスファはその光景を、やけにゆっくりと遅くなった時間の中、呆然と目を開いて見ているしかなかった。
リュシーの背後、歯車が回転しながら地中に潜り込んでいくその裏で、一体の処刑人が鎌を振り上げて――
「っっあああああぁぁあぁあ――ッ!!」
悲鳴をあげたのは、エルダだった。
噴水のように鮮血が溢れ、何かがごろりと転がってゆく。それが彼女の腕だとわかっていても、頭が理解を拒絶した。
「え……エルダ様ぁ!!」
横から突き飛ばされて難を逃れたリュシーが、跳ね上がって少女に駆け寄る。
「どうして!! どうして!? 何故です!? 何故あなたが私を庇うんですか!?」
半狂乱になりながら、とどめを刺そうとした処刑人の刃の下から、エルダの身体を掻っ攫う。
鎌の先が床に食い込んでガキンと耳ざわりな音をたてた。
アスファは真っ青になりながら、二人のもとへ全力で急ぐ。
「ラゴルス!! 治癒を!! エルダを治してくれ、早く!!」
「そ、そんな、余裕は……くうっ!!」
「ちくしょう、いい加減にしてくれよ、なんなんだよこれは――俺らはただ、みんなで帰りたいんだよ……ッッ!!」
叫んだ直後だった。アスファの手にある剣が淡い光を帯び、すう、と細く伸びて、壁の一点を指した。
そこは、処刑人の石像が吐き出された壁の亀裂のひとつ。奥は深い闇になっている。
だが……
「リュシー、シモン、あそこだ、あん中だ!!」
あれが出口だ。あそこが出口に通じている。
直感だった。
「どこですか!?」
「だからあそこだって!! 光の――……」
「ですから、どこなんです!?」
アスファはハッと口をつぐんだ。もしかして、この光が視えないのか?
考える暇はない。言葉で説明するよりも、行動したほうが速い。目線でリュシーに合図を送れば、彼女は即座に理解し、アスファの向かう方向へ急いだ。
ぞりぞり、と嫌な音が耳に届く。壁が徐々に狭まって、亀裂が閉じようとしていた。――侵入者を閉じ込める気なのだ。剣を手にした少年ごと。
しかし、今度は間一髪で間に合ったらしい。アスファは無事そこに飛び込み、エルダを抱きかかえたリュシーも荒い息を吐きながら続いた。
激痛のためか、少女の意識はない。
残念ながらラゴルスも間に合った。アスファを追い回していたのだから当然ともいえる。だが……
「シモン!!」
少年の姿が遠い。この出口へ通じるはずの亀裂から、彼が最も遠い場所にいた。
「くそ、閉じるんじゃねえよ!? もうちょっとぐらい待ってくれよ!!」
非情にも、左右から徐々に壁が近付き、望みを叶えてくれる様子はない。今は剣もまったく反応しなかった。さきほどのあれは、まぐれだったのだろうか?
心臓を握りしめられるような苦痛を覚えながら、アスファは己の背負っていた荷のベルトを外し、シモンへ向けて放り投げた。
これが何の役に立つのかと。
こんなことをして、だからどうなるのかと、頭の片隅で突っ込みながら。
「生き残れシモン!!」
「…………っっ!!」
ごぉん……。
重々しく、扉はぴったりと閉じ合わさった。
泣きそうなシモンの表情が、脳裏にこびりついている。
こんなことをして、本当に、何になるんだろう?
「はあっ、はぁっ、……はあ、ふう…………間に合ったか……」
「……てめえ……」
「ラゴルス神官! 治療を、エルダ様を治してください、早く! 治癒魔術を!!」
リュシーが叫んだ。
ラゴルス神官は――不愉快そうに一瞥をくれ、「ふん」とそっぽを向いた。
◇
よくぞ、この男を殺さなかったものだと思う。
憎しみだの殺意だの、既にそんな気力が湧かないほどに、アスファもリュシーも疲れ果てていた。
この男の存在自体が、もうどうでもよかった。
リュシーは「無能に期待した私が馬鹿だった」と吐き捨て、睨みつけてくる男を無視し、手早くエルダの腕の止血をした。
そしてアスファが先に立ち、喉が切れそうなほど息切れしながら、もう言葉もなく、全速力で通路を駆けた。
途中で少女を運ぶ役割を何度か交代しつつ、時間が経つほど失われていく血の量に怯え、もつれそうになる足を叱咤して急ぐ路に罠はひとつもなかった。
ぼんやり発光する壁は、松明もいらない。
どのぐらい走り続けたのか、まっすぐに伸びた通路の彼方に、大扉が浮かび上がる。この遺跡に入る時に目にした、あの扉とそっくりだった。
背後から嬉しそうな神官の詠唱が流れてきて、紋様が燐光を帯びる。
「おお。戻られたか……!」
扉が完全に開ききると、外側から声が聞こえた。
数名の神官が並び、労りの声をかけてくる。
リュシーが乾ききった唇に笑みを浮かべ、「エルダ様を…」と言いかけた。
だが、矢継ぎ早に嬉々とした神官達の声がかぶさり、背筋を凍り付かせる。
「ラゴルス殿、よくぞお戻りになられた!」
「おお、さぞお疲れでしょう……!」
「して、いかがでございましたか? あなたがご無事でいらっしゃるということは、つつがなく〝試練〟は終えたということなのでしょう?」
「どうぞ我らにも、神の奇跡を見せてくだされ」
「おお、もしやその少年ですな?」
「その手にある剣……もしやそれではないか?」
アスファとリュシーは顔をこわばらせ、ザッと後退った。
この連中も、ラゴルスと同類だ。
出口で待ち構えていた。フェロールがいたことを知っているはずだ。雇われた護衛の人数を知らなかったはずはない。なのに誰も、減った人数について尋ねてこない。
そしてこれほど、全身が血濡れになったリュシーを、腕のないエルダを目にしていながら、それについては無関心だと?
「おや、どうされた?」
「ささ、それを我らによく見――ふぎォッ!?」
アスファの剣に手を伸ばそうとした神官が、突然横から吹っ飛んだ。
「いい加減にせんか、貴様ら……!!」
重量を感じるほどの怒気が放たれ、数名の神官が「ひぃぃ…」と情けなく尻餅をついた。
「あ……」
アスファもリュシーもその男の登場に、安堵のあまり涙をこらえきれなかった。
「ウォルド……!」
怒り心頭のウォルド登場。