106話 整えられた試練 (8)
危ない、日付が変わってしまうところでした。
アスファ君がそろそろ…。
許容量は既に限界に近い。
ただ、誰も欠けずに一刻も早く帰りたい、それだけに全神経を集中させて前に進んだ。
以降は罠に遭遇することもなく、紛れ込んだ一匹の魔物に見ぬふりをしながら、四人は目的地とされる最奥に辿り着いた。
聖衣の魔物の詠唱で扉が開けば、そこには傷ひとつなく、微塵の消耗も感じられないラゴルスが待っていた。
「よくぞ、無事にたどり着けたな」
ラゴルスは鷹揚に笑みを浮かべて新米神官の肩を叩く。フェロールは満面に歓喜を湛え、こぼれ落ちそうな涙をこらえていた。
互いに無事であったことを心から喜び合う、清らかな衣を纏った神職者二人の姿に、アスファ一行はもはや悪寒しか覚えない。
「では、神の像に祈りの文言を捧げよ。これにて、おまえの試練も完了となる」
「はいっ!」
フェロールは誇らしげに頷いた。
(着いて終わりじゃねえだろ。帰りの行程はどうなんだよ)
この二人が問題のなさをいくら請け負おうが、もう信じられるものか。ラゴルスもフェロールも自分達さえ無事なら、どこぞの若者がいくら無残な死を迎えようが些末事に過ぎないのだ。
(別の出口に向かうんなら、当然さっきとは別のルートを通るんだろ。この広間にそもそも出口があるとか、祈り終われば引き返しても大丈夫になるとかならいいけどよ)
その望みは薄い。これで終わりとは思えない。
サフィークの朗々と響き渡る祈りと異なり、フェロールの祈りは、元気いっぱいな子供が尊敬する人の前で、真面目に頑張る姿を連想させる。
最初に挨拶を交わした時はそれが微笑ましいと感じたのに、今のこの落差――激しい嫌悪感は何だろうか。
(でも神殿の地下に、こんなとこがあるなんてな……ひょっとしてここ、〈祭壇〉の中心部だったりすんのか? すげえ広い……)
あの神様は、何の神様なんだろう。
天井には、今にも降ってきそうな暗闇。じっと目をこらさねば、そこに天井があると気付けないぐらいに高い。
神代の言葉で紡がれている祈りは、回復や浄化の魔術と違い、アスファにはまったく意味がわからない。あの魔法使いならわかるんだろうか――もしここにいたのが魔法使いなら、あいつはどうしたんだろうか。
(や。あいつはそもそも、こんなのっぴきならない状況に陥ったりしねえか。そうじゃなく、今あの魔法使いに助言をもらえるとしたら、どうすればいいって言うかな?)
ここにいる怪物二人の、思い通りにならないようにするには、どうすればいいか。
◇
祈りはつつがなく終わり、静かになった。これほど長い詠唱をそらで唱え切る点だけは、素直に凄いと思わなくもない。
(でもドニ先生だって、もっと長えの暗唱できるぞ。つうか、こんなんと比べたら先生に悪いか)
灰狼の部族の村は、建設途上という割に、アスファの故郷の村より遥かに立派で美しい村に仕上がっていた。
ただ、店はなく、宿もない。部族内で金銭のやりとりがなく、すべては物々交換、捕らえた獲物は皆に分配され、誰か一人が富を独占することはない。
それは彼らが定住地を持たず、各地を転々と渡り歩いてきた狩猟部族だからだという。
けれど、彼らは魔法使いに――黎明の森の魔女に忠誠を誓ったらしい。
魔女の領域を守るため、彼らは森の入り口を守る群れとなった。
つまり定住の地を得たわけであり、そうなればアスファ達のように、町へ出かけて買い物をしたり、何らかの手段で貨幣を稼ぐ必要も出てくる。
そんな時、魔女がどこからかドニ先生を連れてきて、村人達に最低限の読み書きや計算を教えてくれるようになったのだそうだ。
何やら厄介な犯罪に巻き込まれたとかで、所在が下手にバレたら消される心配があるらしい。だから騎士団が一時保護したのを、魔女が引き取ってやったのだとか。
灰狼の村に隠し、守ってやる代わりに、ドニ先生は村人達の先生になった。
実際、教え方は丁寧だし、記憶力もとんでもない先生だった。アスファ達もたまに教えてもらったりしたが、貴族令嬢の教育を受けたエルダさえ手放しで感心するほどだった。
(……つうか、祈りはもう終わったんだろ? 何やってんだ?)
何故かフェロールはきょろきょろとし、「あれ?」と困惑している。
「あの、ラゴルス様……」
「ふむ。――アスファ」
「な、なんだよ?」
「あの神の御姿に近付き、調べてもらいたい」
アスファは即座に「やだね」と突っぱねた。
「絶対に断る」
「おまえ達はフェロールの護衛を引き受けたのではないのか?」
「罠避けを引き受けた覚えはねえよ」
「護衛対象を危険から守るのがつとめなのだろう? 罠からは守る気がないなどと、我が儘な子供のごとき言い訳が通ると思うか?」
「てめぇの屁理屈はまず通らねえだろうなと思ってるぜ、ラゴルス」
呼び捨てで吐き捨てたアスファに、ラゴルスは眉をひそめた。
「罠のありそうな場所には下手に近付かない、討伐者の基本だ。必要もねーのに危ねえ真似を強引にやらせようとすんなら、それは契約違反てやつだぜ。従う義務はねえよ」
「そのためにフェロールが危険な目に遭っても構わないと?」
「構わなくねえよ? だから忠告しとくぜ――護衛対象のフェロール!!」
「うぇっ、はいっ!?」
「自分から危ねえ場所に突進すんな!! いいか俺は忠告したぜ、自分で自分を危険にさらすよーな真似は絶対にやめろよ!! しつこく繰り返すんなら、それも契約違反だからな!! ――だったよな?」
「ええ、依頼遂行の妨害行為で訴えられますわ。あの魔法使いもそう仰っていたはずです。依頼人が自分を人質にして無理な要求をしてきても、従う必要はないと」
「ふ……魔法使い、か? そのようなうろんな輩が紡ぐ言葉に、どれほどの信があるというのかね」
「んだと……?」
「なんですって……?」
「私は五位を授かった神官だ。偉大なる神々の神殿にて献身を認められ、その位を授かった者として、断じて妨害行為などという浅ましい真似はせん。神々を侮る罪深い魔術士や、あやしげな魔法使いなどを引き合いに出されたくはないものだ」
「てめえ……」
「あ、あの!」
険悪なやりとりにまるでそぐわない、無邪気なフェロールが割って入った。
「ラゴルス様、私が神の御姿をお調べします! ――アスファ君、私がやるから、そんなに怒らないでください。大丈夫、危険なんてありませんから!」
「……」
危険かどうかを判断するのは、護衛だ。フェロールではない。
アスファ達はもう、何も言わなかった。彼らの目的から〝新米神官の護衛〟は削除され、〝自分達が生きて帰ること〟へ完全に移行する。
忠告はした。聞かなかったのはフェロールのほうだ。
フェロールは神像に近づいて行き、その足取りに迷いはない。虚勢を張っているのでもなく、本気で安全だと信じている。
実際、彼は神官だ。道は彼らのために無駄な横道を隠し、罠は彼ら以外だけを犠牲にした。
「ええと、ラゴルス様。どのようにお調べすればいいんでしょう?」
「……そうだな。まず、ぎりぎりまで近くに寄れ」
「はい。……ええと、それからは?」
「何かないか、注意しながら慎重に御姿の周囲を回るのだ」
「はい!」
絶対服従。疑いのかけらもない。逐一、何をどうすればいいかラゴルスに尋ね、迷わず指示通りに動く。
「ううん……変わったものは、何も……」
「そのようなはずは――そうか。フェロール、次は、御姿に触れて調べてみるのだ」
「はい、わかりました。神よ、失礼いたします」
「……おい! あんたらいつまでやってんだ? 俺、早く帰りてーんだけど!?」
「そう急くな。――伝承では、祈りを終えれば、帰還の道が開く仕組みになっていたはずなのだ」
「伝承……?」
「その道には、おまえ達の心配している罠などは存在しない、間違いなく安全な通路だ。ところが、通路の扉が開く様子はない。ゆえに、調べている」
「んだよそりゃ…!」
げんなりするどころではない。
「アスファ。文句は、帰ってからたっぷり吐き出すことにしましょう……」
「リュシー……そうだな。ここで騒ぎ疲れたら――」
「あっ!? あった、何かありましたよ!?」
神像の手の部分に触れながら、フェロールが叫んだ。
「この御手、何かを差し招いているようですが、手の平の上に何かがあります!! 何か、長い棒のようなものですよ!!」
棒のようなものなど、何もない。だが、その手つきは芝居には見えなかった。
「うーん……これは……剣、みたいですね? かなり作りが細かいみたいです。質感から、石ではありませんね。金属です。何かの金属ですよ。おそらくここに、本物の剣がはまっています」
「そうか。……ためしに、抜いてみることはできるか?」
「はい、やってみます。…………うううー……こ、これは……」
「無理か?」
「いえ、ぬ、抜けそう、ではあるんですが……お、重い……」
「そうか」
ラゴルスはアスファを見やった。
「フェロールを手伝ってやってくれんか。あれが出口の仕掛けかもしれん」
「……チッ!!」
自分達の帰り道を盾にされてしまっては、従うしかない。
アスファは嫌々、神像のもとへ行き、フェロールの隣に立つ。
無邪気な子供そのものの笑顔で、「手伝ってくれてありがとう、やっぱり君は優しい子だよね」などとほざかれ、鳥肌が立った。両手を使うので耳を塞げないのがつらい。
(うお……マジで、なんかある……触っても何も視えねえのって、妙な感じだな……)
この時、アスファはイライラしていた。
エルダもリュシーもイライラし、不愉快極まる精神状態にあった。
だから、つい失念していた。そもそもラゴルスが、この遺跡に入る前、「ためして欲しいことがある」などと言っていたのを、すっかりと。
これがラゴルスにとって、不測の事態などではなく、密かに〝予定内〟だったことを。
ただ、思い出せたところで、結局はラゴルスの目論み通りに動くしかなかったのだが……。
「お、動いた」
「重いでしょ?」
「いや、そんなには……」
柄と思しき箇所をアスファが掴み、力を入れれば、さほど抵抗もなくずずず……と移動する感覚があった。
重い? これのどこが?
不可解な疑問に首を傾げる間もなく、――凄まじい閃光がアスファの手もとから放たれた。
「うおわぁああ!?」
「わぁあっ!?」
「きゃあっ!?」
「アスファ!?」
「……!?」
それは一瞬だったのか。
数秒だったのか。
数刻だったのか。
数日か。数年か――
混乱する人々などどうでもいいと言わんばかりに、太陽のごとき光はやがて収束し、愕然とする少年の手元で、〝剣〟の形をとる。
少年の背丈、体格にちょうどいい長さ、大きさ、重さの、手の平にしっくりと馴染む剣――。
「……素晴らしい!! 伝承の通りだ……!!」
「ら、ラゴルス様!? これはいったい……!?」
「喜べフェロール、我らは今、奇跡を目の当たりにしているのだ!!」
ラゴルスは歓喜に天を仰いだ。
「アスファ!! 神はおまえに何と語りかけた!? 加護は!? この偉大なる神の御名は何と仰るのだ!? ――神はお与えくださっただろう!! 魔王など恐るるに足りん、偉大なる御力の一端を、おまえに!!」
「――な……なに、仰ってるんですの……」
「……アスファ」
ラゴルスの唐突な狂喜に、エルダとリュシー、シモンは目を見開く。
「奇跡? 奇跡って……凄い、凄いなアスファ君! うわあ、嬉しいな、まさかそんなところに居合わせることができるなんて!!」
無邪気に喜ぶフェロール。
まるで、物語の中に出てくる勇者ではないか。
勇者と一緒に来たのだから、自分やラゴルス様は物語の賢者!? 本気でそんなふうに夢想さえした。
だが、アスファは依然、沈黙したままだった。
無言で、突然己の手に出現した〝剣〟を見下ろす。
彼には、わかった。
今、何が最善か。
絶対に。なんとしても。
ラゴルスの思い通りになどならない――おまえの思い通りになどなりはしないと知らしめるために、どうすればいいか。
「……何言ってんだ、あんたら?」
「……?」
「語りかけるって、なんだよ? 何であんた騒いでんの? なんもなかったけど?」
「――な、なんだと? そんなはずがない!」
「はずがねーって言われても。ビカーッ! て光ってびびったけど、そんだけだったぜ? なんも変わってねーけど?」
「そ、そんな……嘘をつくな!!」
「しつけえぞてめえ!? 神だの加護だの、さっきから何の話だよ!? これが出口の仕掛けっつーから抜いたんだぞ!? つうか出口どこだよ!?」
「そ……んな、はずが……」
ラゴルスが足早に近寄ってきた。
「そんな、そんなはずがないのだ」
「だからしつけえって……」
「これは確かに、神の御力のはず! ――そうか。聴こえなかったならば、抜けはしても、所有するのに相応しい者ではなかったということか?」
「んだって?」
「ならばおまえには不相応だ、アスファ。渡せ!!」
「あ、ちょ、何を……!」
先ほどまでの落ち着きぶりが別人の勢いで、ラゴルスが剣をひったくろうとした――刹那。
ズン……
足もとから伝わる、かすかな振動。
殺気に似た気配の放射。
皮膚の表面を電流のように走り抜け、粟立たせる。
「――アスファ!!」
「いけませんアスファ、像から離れて!!」
「ッ!!」
石像の内側から、じわりと、青い炎に似た輝きが浮かび上がった。
脱出までおさまりませんでしたので、次話で脱出します。