102話 整えられた試練 (4)
「ウォルドから聞いているかもしれないけれど、少しばかり前にドーミアの大神殿に移動してきた、サフィークだ。よろしく」
「はぁ……」
あいにくウォルド自身からはまったく聞いていないけれど、彼らの会話では、確かにそういう話をしていた。
「ラゴルス殿から君の話は聞いている。努力家で、とても将来有望な人物だってね。是非、私とも仲良くしてくれたら嬉しい」
「はぁ……」
かゆい。
褒められているのに、全面好意的なのに、まったく嬉しくないのは何故だろうか。
そして、仲良くなれる気がこれっぽっちもしない。
「君もなんとなく感じ取ったかもしれないけれど、私はどうやら、ウォルドのへそを曲げさせてしまったみたいなんだ。心当たりは、思い付かないんだけれど」
「はぁ……」
「この依頼が終わったらでいい。彼ときちんと話をして、何に腹を立てているのかを尋ねて、なんとか誤解を解きたいと思っている。その時、君にも口添えをして欲しいんだ」
「――……」
なんで俺に? とは訊かなかった。
(「へそを曲げさせた」だって? ……あれは、そんなぬるいもんじゃなかったろ?)
何に腹を立てているのかすら思い付かないくせに、何故〝話せば誤解が解ける〟と確信しているんだ、こいつは。
そもそも誤解と断言する根拠は何だ?
「喧嘩の仲直りなら自分でケリつけてくださいよ。ガキの俺に頼むようなことじゃないでしょ?」
「でも君はウォルドの弟子だろう? 彼が君を鍛えたから、君は強くなれたはずだ。君は自分で考えている以上に、特別な存在なんだよ」
「弟子? ――そんなもん、俺ごときが名乗ったら図々しいっすよ、ウォルドに悪い。それにほかにも、俺を鍛えてくれたすげえ連中がいる。まるでそいつらのおかげじゃねえみてーな言い方、やめて欲しいっすね。気分悪ィ」
サフィークはきょとんと目を丸くした後、
「そうだったね、すまない。そういうつもりではなかったんだ」
と、苦笑いしながら小首をかしげた。
そういうつもりではなかった? 「たった今それを思い出しました」みたいな顔をしておいて?
ならどういうつもりだったと?
――やっぱりこいつ、タチが悪い。
(ウォルド以外に〝誰〟が俺を鍛えたと思ってやがんだ。グレンにローグ爺さんに――あの暗黒魔導士なんだぞ。てめえの善良ヅラなんぞに騙されるか!)
むしろ精神的な比重でいうと、あの暗黒魔導士の支配領域が大きい。
何年も修行させられたわけではないが、短期集中型で徹底的に非情なまでに効率よく鍛えあげられた。そして叩き込まれた中には、〝相手の腹を読む〟という、本来アスファのような単純な性格の少年には向かないワザまでが含まれている。
新人の討伐者が命を落とす原因には、己を過信して突っ走る以外に、無知と経験不足ゆえに騙され利用され……というものも上位に食い込んでいたからだ。
依頼関係で討伐者を騙すと、依頼主は討伐者ギルドから相応のペナルティを科されるのだが、新人には騙されたことにすら気付かなかったり、気付いてもその後の対処がよくわからず、泣き寝入りしてしまう者もいた。
何より、死んでしまったら被害を訴えることもできない。
猪突猛進型のアスファの弱点を潰すことが目的であり、人間不信になりそうだと枕を何度か濡らしたけれど、これも死ぬ確率を下げるためと少年は頑張った。
よりによって清廉な神官という人種を相手に、今それがとてつもなく役立っている気がしてならない。
以前の自分なら、素直にころりと騙されていたはずだ。
ウォルドの様子をおかしくさせた人物が、依頼を受けて断れなくなったタイミングで出てきて、自分のようなガキに口添えをしろと頼んでくる。
(これはあれか、〝周囲から攻める〟ってやつだな?)
ならば、自分はウォルドへの伝言を絶対に受け取ってはならない。アスファは決意した。
もしそんなことをしたら、ウォルドはアスファの顔を立てるために、嫌々この男と会わなければいけなくなる。
(そうなんだよ。自分で直接本人に訊きゃあいいってのに、間に俺を――他人を挟もうってのがおかしいんだよな。これはあれか、自分の味方をしてくれる人はこんなにいっぱいいるぞアピールってやつか?)
堂々と味方宣言はしなくとも、「会って話すぐらいしてあげたら?」と仲介してやった時点で、味方寄りになったと相手には見える。
もちろん、頼まれたら断れない立場だから、仕方なく伝えるだけは伝えましたという状況だってある。それを突っぱねるか無視するかは相手次第であり、そしてウォルドはどちらもできない人格者だった。
下の者に優しく懐の広いアニキ、それがウォルド。教官四人組の中で唯一まともな良心の保持者、最後の心の砦、それがウォルド。
サフィークが意図してやっているのか、無意識な言動がたまたまそうなっているだけなのか、アスファにはそこまでは読めない。
けれど、気を許してはいけない人種というものが世の中にはいて、こいつはきっとそれだということぐらいは判った。
「ウォルドという男はサフィーク殿の旧友なのだろう? それが、ちゃんと話したいと望んでいるのだ。私の顔を立てて、伝えるぐらいはしてやってもいいのではないかね?」
「……」
ラゴルスが参戦してきたせいで、アスファの旗色が悪くなる。
自分の顔を立てろとはっきり要求してきた、裏返せば「私にはそれだけの価値がある」と言っているも同然だ。
「ちゃんと向かい合って話をされたいと仰るのなら、余計にアスファを間に置かないほうがよろしいのではないですか?」
「その通りですわね。ところで、まさかそれを言いたいがためだけに、わたくし達を呼び止められたんですの? 先ほどドアを出られた方々を、いつまでお待たせすればいいのかしら? わたくし達は仕事に来ているんですのよ。関係のないお話はいい加減、後にしていただきたいですわね」
「これは、失礼を――フラヴィエルダ嬢の仰る通りですな」
「そうでしたね。申し訳ありません」
「っ!」
神官二人は、リュシーにはかすかに不愉快そうな一瞥を向けただけで、エルダには殊勝な態度を見せた。
サフィークとラゴルス神官、二人とも、である。
それに、わざわざ〝フラヴィエルダ嬢〟という呼び方をした。何だかんだで、未だに実家と完全に絶縁しているわけではないエルダに対し、高位貴族令嬢への礼を取った――ように見えて。
(あんたら、エルダとリュシーのこと、両方とも見下してやがんな……!!)
パーティを組む時、リュシーの〝血族〟の話は本人から打ち明けられている。黙っていてもどうせ、いつかそれを知る者に聞かされることになるだろうから、と。
彼女が、何と呼ばれている一族に生まれたのか。
アスファだけではなく、エルダも〝咎の末裔〟とやらの話については初耳だった。
あの時、ほかの誰かではなく、直接リュシーから教えてもらえてよかったとアスファは思っている。口が裂けても認めないだろうが、おそらくはエルダも。
まあ彼女は、「おまえが怖い女だなんて常識過ぎて今さらですわ。黒い背景のひとつやふたつ、ないほうがむしろ不自然で不気味ですわよ」などとまったく素直でない言い方をしていたけれど。
けなされてちょっと不愉快そうにしながらも、その時リュシーは、肩の力を抜いたように見えた。
アスファにとって、この二人はもはや大切な仲間だ。
その仲間を舐められて、怒らないほうがどうかしている。
神官達は、当然リュシーの血族のことを知っているのだろう。加えて元奴隷だ。だから存在自体を無視した。
公正で善良を謳う神官でありながら。
そう、神殿の者は魔術士や魔法使いなどよりも遥かに、〝咎の末裔〟という存在が嫌いなのだ。――人々を裏切った魔族の末裔だから。
そしてエルダにのみ言葉を返した。それも、「やれやれ、我が儘なお嬢様だ」とでも言わんばかりの、ご機嫌取りでしかない本音が透けて見える態度で。
(どうせ大人の腹なんぞ、ガキにゃバレやしねえと馬鹿にしてんのか? それとも、バレても構やしねえって高くくってんのか? くそ、難しい……俺苦手なんだよこーゆーのは!)
エルダの機嫌が急降下し、眉間に盛大に谷間を刻み、ギリギリ歯ぎしりを始めそうな勢いである。
彼女の怒りは正当だ。だからアスファも、「まあまあ」などと止める気は微塵も湧かなかった。これほどの憤怒を抱えながら、どかんと暴発しないエルダがよく我慢していると感心するぐらいだ。
しかし悔しいが、自分達ではどうも、この神官どもを相手取るには経験が足りない。
「リュシーやエルダの言う通りだぜ。世間話だけだってんなら、後にしてくれよ。つうか、もう行っていいか?」
「ああいや、待ってくれ」
少し慌てた様子で、サフィークが言った。
「つい個人的な話を先にしてしまってすまない。君達への用事はもうひとつあるんだ」
「もうひとつ?」
「神官位を授かったばかりのフェロール君の試練だけれど。実はこの神殿内に、太古の遺跡の入り口があってね」
「この神殿内に?」
秘密の場所とは聞いていたが、まさか神殿内の遺跡だったのか。道理で、日帰りできる近場だの、そう危険はないだの言っていたはずだ。
「つうか神殿内に、邪霊の出る場所なんてあっていいのか?」
「普段は扉を厳重に封印している。定期的に浄化もかけているから心配ない」
ラゴルスが何でもないように言い、サフィークが頷いた。
「遺跡という性質上、どうしても邪霊や、小物の魔物が棲みついてしまうことがあるんだ。けれど、浄化をかける者がまったくいない、放置されている遺跡が危険なのであって、管理されている場所なら大丈夫なんだよ。今回のように討伐者に護衛依頼を出したりして、弱い段階で祓ってしまうからね」
「そんなもんすか……」
「それにフェロール君が浄化しながら進むだけじゃなく、ラゴルス殿もいるから安心だよ」
「ラゴルス様も?」
「ああ。私も同行する」
ラゴルスが頷いた。
心強いどころか、アスファの不安はいや増す。
「護衛対象を増やすんですの?」
エルダが不機嫌そうに突っ込んだ。
そう、これは〝新米神官の護衛〟依頼だ。彼が試練の道を進み、目的地で祈りを捧げるまで、邪霊以外の魔物が出てきたらそれを倒す。
護衛対象を後出しで増やすのは契約違反ではないか?
しかし。
「私の護衛はしなくていい。単に、フェロールの教育者として、近くで彼の様子を見るだけだ」
「屁理屈ですわね……!」
「まあまあ、そう尖らないでください。本当に、フェロール君の護衛だけでいいんですよ。それよりも――」
「サフィーク殿。やはり言わなくていい」
ラゴルスが遮り、サフィークが「え?」と振り返った。
「神官たるもの、誠実にお願いするべきと考えていたが、この調子では屁理屈だなんだと、いらぬ言いがかりをつけられてしまいそうだからな」
「言いがかりですって……!?」
「もののついでに試してみて欲しいことがひとつあっただけなのだが、やはり頼むのはやめておこう。それから、フラヴィエルダ嬢。神官には位が一から七まであり、サフィークは四、私の位は五だ。護衛を依頼するなら最低でも鉄ランクのパーティが相場であり、ゆえに青銅である君達に依頼をすることはない。おわかりいただけたかな?」
「ッ!!」
明らかな呆れと侮辱に、エルダの顔が真っ赤に染まる。
アスファとリュシーは憤りのあまり、真っ赤を通り越して青ざめていた。
だが、せっかくエルダが見出した契約違反という理由は、残念ながら使えそうにない。
やはり自分達から依頼を破棄することはできず、アスファ達は神殿の最下層、遺跡の入り口まで案内されるしかなかった。
咎の末裔の血族に関しては、忌まわしい話題なので教えられなかったエルダさん。
アスファ君は平凡な村出身なので知りませんでした。
ちなみにリュシーは無事、約束通り隷属契約は破棄してもらえてます。