9話 十三歳、ジャンルが違う
肉体年齢十三歳。
とうとうこの頃から外に出るようになった。
ARK教授の魔素研究は順調に進み、地球産の人体に対する悪影響はなしと判明した。
それについては安心する一方、やはりあった、危険な病気。
現地住民なら先祖代々から抗体を受け継いだり、幼少期に抵抗力を身につけて平気になっているものでも、瀬名が感染したら致命的、そんな病原体が大量にあったらしい。
もし対策ゼロの状態で「魔法魔法!」と突撃していたら、今ごろ全身の穴という穴から血を噴いたり、皮膚にカビが生えたり、お腹の中から何かがキシャァァァと……
「お外こわい。でたくない」
《ですから、対処いたしました。もう出て頂いても大丈夫です》
弱いものから強いものまで膨大な数の病原体を調べ尽くし、例のごとく瀬名が横になっている間に、ARK氏が何かいろいろ投与して問題を解決してくれた。
それでも宇宙服を要求し、そんなものありませんと突っぱねられ、ほんとかよと食い下がる攻防をしばらく何度も繰り返したのはご愛嬌である。
それから、忘れてはならないのが〝剣〟だ。
今までの練習用ではなく、実戦用の剣を用意されていた。
「おっ! なんか今までのと全然違うね?」
練習用のものよりも、ずっと〝刀〟に近くなっている。身体の成長に合わせて若干長めになり、今まで全くなかった装飾が加わっていた。
といっても、派手なものではない。落ち着いた焦げ茶や、暗いえんじ色を基調とし、要所に鈍い金色の幾何学模様を配した、シンプルでありながらいかにもファンタジー心をくすぐる代物だ。
ぶっちゃけて言ってしまうと〝KATANA〟だった。
忍んでいないNINJAが背負っていそうというか。ファンタジーRPGの和ノ国に出てきそうというか。
ますますゲーム感が増したような気もするけれど、この世界寄りに仕上げた結果、こういうデザインになっただけかもしれない。
《以前青系がお好きと仰っておられましたが、お好みに沿えず申しわけありません》
「いやいや、これでいいって! めっちゃかっこいいよ!」
《ありがとうございます。こちらの標準的な武具において、鮮やかな赤や青や緑といった色彩は、王侯貴族や騎士や魔術士、他種族などの装備に多いのです。今後他者と接触する際、なるべく人族の中で悪目立ちしない色をと考えましたので》
他者うんぬんのくだりには心の耳に蓋をして、何気なく思ったことを口にする。
「ところでこれ、何の合金? 普通に鉄鋼? 手入れはどうやってすんの?」
「表面を簡単に拭き取る程度で、その他手入れはさほど必要ありません。ただ、この国の刀剣類の手入れ方法は憶えておいて損はないかと思われますので、のちほど簡単にお教えいたします。ちなみにこの剣の材料は保管庫に積んでいたのではなく、Betaにより周辺から採掘してきたものです》
「へえ、このへんに鉄鉱脈とかあったんだ」
《いいえ。鉄ではなく、アダマンタイトの鉱脈がありました》
「…………」
…………。
「――何だって?」
《アダマンタイト鉱脈がありました》
「……もう一度?」
《アダマンタイト鉱脈がありました》
………………。
「気のせいだろうか。どこか何かで耳にした鉱物名のような気がしないでもない気がする。耳がおかしくなったんだろうか。耳じゃなく頭のほうかな。教授があんまり酷使させるから……」
《ご安心を。あなたのお好きなファンタジーにおいて、さまざまな作品でミスリル・オリハルコン等に並び常連の金属です。気のせいではありません》
とても安心できない回答が返ってきた。
存在すること自体は知っていた。何故ならこの国の公用語、エスタ語の中にもその単語があったのだから。
ただ、自分には一生関わる予定のないものだと瀬名は思っていた。
ひょっとしたらあれとこれとでは、まるきり別の物質である可能性も皆無ではない。そんな儚い希望を、ARK教授の〝マスターにとってわかりやすい解説〟が打ち砕く。
【聖銀】――最も近い解釈/ミスリル:「決して曇らぬ破邪の白銀」の古語が語源。鍛えれば鋼を遥かに上回る非常に硬い金属。精霊族の生息域で多く産出し、彼らの間では標準的な武具にすら使われるが、それ以外では流通量が少ない。最高級品。
【神輝鋼】――最も近い解釈/オリハルコン:「神の与えし至上の金属」の古語が語源。精神感応金属とも呼ばれ、鍛えればミスリルに匹敵する強度を誇り、武具以外にも魔道具など利用法は多岐に亘る。魔素の多い危険地帯で産出しやすい。最高級品。
【天魔鋼】――最も近い解釈/アダマンタイト:「神にすら支配し得ぬ」の古語が語源。太古の神々が武具に使用していたとされる金属。ミスリル・オリハルコンより希少で、鍛えた際の強度も上回る。産出する地域は特定されていないが、まれに古代遺跡やその近辺等で発見される。加工前の鉱物の段階では、周辺地域の広範囲で、方向感覚が狂わされる現象が発生するとされる。国宝級。
「……〝迷いの森〟の原因て」
《アダマンタイトの地下鉱脈が原因と判明しました》
「……なるほど、そうだったのか。こいつぁびっくりだ。……うん、ホントに……」
そしてそれを発見したのはいつで、これを作ったのはいつだ。瀬名は無言で剣を見下ろした。
たびびと・レベル1の初期装備は〈木のぼう〉あたりが妥当だろう。ちょっと頑張って小金を貯めて、せいぜい〈銅のつるぎ〉か〈鉄のつるぎ〉だ。
どこのダンジョンにも潜らず、何のイベントもクリアしていないたびびと・レベル1が、初っ端から〈聖剣エクスカリバー〉や〈魔剣カラドボルグ〉を装備するのはいかがなものか。これではゲームバランスがおかしいと、運営に苦情が殺到してしまいかねないだろう。
《なお、魔素や魔力、さまざまな魔術体系の情報を集め研究しました結果、既存の魔術式の再現や独自の魔導式の構築に成功しました。それに伴い魔素を魔力に変換・蓄積・運用する〈人工魔導結晶〉の開発に成功、刀身から鞘に至るまで各部位に埋め込んであります》
続く解説に、見下ろす目で凝視した。
《加工の段階で各種魔導式とともに内側に埋め込みましたので、外側からは見えません。なお、アダマンタイトにも微弱な精神感応性があると判明し、そもそもこの星において精神感応と呼ばれる現象が具体的にどのような性質のものかも分析しましたところ――》
その後ひたすら延々と小難しい話が続いたので、お馬鹿でもわかるように簡略化してもらえば、要するに〈スフィア〉内の万能設備で神話級の鉱物をなんとかどうにかして、瀬名の波長でなければ使えない性能をいろいろ付加した武器に仕立て上げたらしい。
瀬名自身に魔素や魔力の受容体がないので、人工魔導結晶とやらで大気中の魔素を吸収、魔力に変換・蓄積し、独自の魔導式とやらを組み合わせ、瀬名の精神波に呼応して起動する仕組みにしたのだそうな。
(――えっ、まさかマジで魔剣!? 魔法放てるとか!?)
しかし教授は果てしなく教授だった。
さらに解説を聞き、呆けること数秒。
「……それ、高周波ブレード?」
《正しくは限りなく近いもの、です。非常に危険ですので、使用時にはくれぐれも周囲の状況に注意願います。使用者たるあなたを切断させない魔導式も組み込んではいますので、うっかり手が滑ってもご自身の指を落とすような事故は起こらないはずですが、隣にいる人体の胴を両断する危険性はあります》
「さりげに怖いことゆーな」
《ちなみに、あなたに敵対意思を持つ者が手にした場合は急激に重量を増し、あなたが「戻れ」と念じれば手元に戻るようにしています。戻る際の速度は念じる強さに応じて速くなり、手元付近で減速する仕組みですが、これは言葉で説明するより実際に試して頂いたほうがいいでしょう》
「…………うん。そうだね。そうする」
《実のところ、浮遊して戻るのではなく、物質転移で瞬時に戻る仕組みにしたかったのですが、それには課題としてアダマンタイトの》
「いやいやいやいやいや、これでいいから! これで充分だから!」
たいがい瀬名も実利を優先する傾向にあるが、ARK博士に比べれば可愛らしいものだと悟った。
もしこの人工知能様に表情があれば、とてもマッドな笑顔を浮かべていたに違いない。
(SF、大好きだ。ファンタジー、超好きだ。うん、それでいいじゃないか!)
そして思考を放棄した。
やはり、地頭はどんどん悪くなっていく一方かもしれない。
◇
〈スフィア〉が盛大にえぐった地面は、Alphaが農耕用ロボットを遠隔操作して耕し、碁盤の目状の綺麗な畑に変えていた。通路や水路には明るい乳白色の石英のような舗装材が使われ、人工物でありながら周囲の景色とぶつかることなく、むしろ互いを引き立て合っている。
土に触れれば、しっとりとしてやわらかい、独特な香りが鼻腔をくすぐる。
これが土の香りか。記憶にある限り、初めて嗅ぐ匂いだった。
正方形の畑がいくつも整然と並び、それぞれ異なる種類の野菜や穀物を植えられている。
今後、徐々に拡張していく予定らしい。
(なんか気持ちいー。嫌いじゃないな、これ)
好きなゲームはSF系や冒険ものRPGだったが、ファンタジー世界で畑を耕す牧場経営シミュレーションゲームも結構好きだった。
「私もなんか育ててみていい?」
《スミマセン~、もうゼンブ植え終えちゃいましタ。今後マスター用の畑も準備しますノデ~》
「あ、そうなんだ。別に急がなくていいよ、ちょっとやってみたいかなって思っただけだし。ところで何植えたの?」
《コッチから順に、タマネギ・ニンジン・ジャガイモ・サツマイモ、次の列がブロッコリー・ハクサイ・ホウレンソウ・カボチャ、次の列がキャベツ、キュウリ・トマト・ナス、次の列がイチゴ・木イチゴ・メロン・スイカ、次の列がブルーベリー・小豆・トウモロコシ・サトウキビですヨ~》
…………。
「……ん?」
《それからアッチの別区画は、リンゴ・ナシ・ミカン・オレンジ・キンカン・モモ・サクランボ・ウメ・アンズ・クリ・カキ・レモン・オリーブで~ス。今後拡張したらスモモ・ヤマモモ・ブドウ・マスカット・ライム・グレープフルーツ・イチジク・ライチ・マンゴー・バナナ・パイナップル・コショウ・カカオも増やす予定で~ス》
「種類が豊富とかって次元じゃない!?」
《アト難しいんですケド、きのこ類の栽培デハ…》
「まだある!?」
それ以前に季節感だ。季節感はどうした。
確かに地球にいた頃は、毎日いつでもあらゆる作物が店に並んでいた。通信販売で全季節の野菜や果物を取り寄せることも可能だった。
だがそれは生産工場内で育てていたからであって、実際の農耕は植えるタイミングやら場所やら気候やら、いろいろ蔑ろにしてはいけないことがあるはずではないのか?
牧場シミュレーションゲームではそうなっていた。
《大丈夫デスヨ~、何故かこの国の土壌っテ、地球産の作物がいつでもどこでも平気デ育っちゃうミタイなんですヨネ~》
「え、なにそれ。マジで?」
《マジなのデス。さすがに毒草の群生地ミタイな汚染サレタ土地トカは無理っぽいですケド、〈スフィア〉で再生シタ種をコッチの土壌で育てられるカ、イロイロ試してみたら判明したのデス》
特にこの森は余所とも違う不思議な土質らしく、季節感など丸無視ですくすく元気いっぱいに育ちやすいらしい。
普通、見知らぬ土地でいきなり開墾しても、最初は芽すら出ないものだが、その逆の現象が起こっているわけだ。
《時期トカ気にせずいつでも植えたいものをバンバン植えちゃっていいデスし、気温トカ湿度トカ植物同士の相性トカも、な~んにも気にしなくてオッケーなのデス。近くの川から水引いて適量あげるダケで勝手に育ってくれちゃうのデ、肥料作って与えたりスル手間もかかんないのデスヨ。ほんと、すっごくラクチンで大助かりデス~》
「へえ……」
ちなみにこの星従来の作物の場合、天候や気温など諸条件で収穫量や出来栄えが変わり、間違った栽培方法ではまともに育たず、枯れたり根が腐ったりするのだそうだ。
つまり普通の育ち方をする。
(こんなところに異世界特典もどきがあったとは……)
異世界に召喚された勇者は、たいてい何らかの特殊能力を授かっているものだが、地球産の作物が授かるのってどうなんだろう。
「つまり私はタマネギ・ニンジン・ジャガイモにすら勝てない脇役……いや、考えるのはよそう……ふふ……」
《すんなり食べ物確保デキル環境でラッキーでしたネ!》
「あ、うん、まあ、そうか。それもそう、かな?」
言われてみればその通りだ。
植え方の節操のなさにちょっと驚いたが。
そして今後、もし真面目に働く農家の方々に知り合う機会があったとしても、決してこのことを知られてはならない。
きっと刺される。
「にしても、これだけの種類いつから植えてたの? 結構あるよね」
《植え始めたのは先月からデスヨ~。マスターが寝てらっしゃる間に、地道に作業を進めてきたのデス》
「そうだったんだ。お疲れさん」
《ハイ♪ 大きなモノから小さなモノまで石コロや根っこを排除シテ、土の状態整えるだけで一年近くかかっちゃいマシタ。苗トカ種トカの再生ヨリモ、植えられるようになるトコまでが長かったのデスヨ~。今後はBetaが採取してきた現地の作物トカ、いろんな薬草栽培なんかもチャレンジしてみますデス。目指せ、お日サマの下で完全自給自足~!》
Alphaはおどけた調子でくるくる回った。邪魔な障害物が出なくなるまで綺麗に掘り返しただけでなく、さらに水路や道を引く必要があったのだから、純粋な労働量として考えれば、かなり大変なことだったろう。
ただし疲れを知らない農耕ロボットを使ってもそんなにかかるなら、自力で開墾してきた人々などは、比較にならないほど大変な苦労をしてきているはずだ。
ますます、今後農家の知人ができたとしても、永遠にここへ連れてきてはならないと再認識する。
「でもさ、〈スフィア〉の食糧供給システムって、ずっと自動的に食べ物を作り続けられるんじゃなかったっけ?」
土ではなく培養液内で成長させ、いくらでも増やし続けられる。
収穫はロボットアームが自動で行い、常に一定量を冷蔵室、または冷凍室に保管する。
そういう設備があるのだから、食料に困るような状況にはならないはずだが。
《理論上では半永久的に保つってコトになってマスねえ。でもホントにそんなに保つか証明できたコトって実際ないんデスよネ~。長期的に見れバ、食糧確保の手段はたくさんあるに越したコトはないのデス》
「なるほど」
――一瞬、あの太陽と月はいつまで保つんだろうと疑問が浮かんだ。
が、超古代文明の遺産とこれを一緒にしてはいけないと結論付け、頭の隅に追いやった。
「なにごとも万一に備えたほうがいい、ってことかね」
《そうデスヨ~。それに全自動生産工場って、知らない作物育てられないデメリットありますからネェ。ぶっちゃけ地球産の作物しか作れマセンですよ》
「そうなの?」
《実はそうなのデス。もともと〈スフィア〉は緊急脱出時を想定して作られてるノデ、宇宙空間で地面がないトカ、着陸できたケドたまたま不毛の大地だったトカ、そういうとき用の最低限の設備しか入ってないのデス。地面があって農耕できる環境ナラ、そっちを重視したほうがよいのデスヨ》
「へえ…」
言われてみればもっともである。
それに、培養液内で増やされた食材より、〝お日様の下で大地の栄養をたっぷり吸収し〟育った食材の方が、遥かに美味しそうなイメージだ。
そう考えると、Alphaの言う通り、これはかなりラッキーな状況なのかもしれない。
◇
この星の一日は二十四時間。
大陸の暦は一ヶ月三十日、十二ヶ月ある。
エスタローザ光王国には四季があり、春は三~五月、夏は六~八月、秋は九~十一月、冬は十二~二月だ。
冬の直後に〈創生の日〉と呼ばれる祝日が五日間あり、一年はぴったり三百六十五日。
うるう年はない。
共通点が多い上に、単純明快でありがたい限りである。
〈スフィア〉が森の中に墜落――着陸した日は、ちょうど三月一日。
一年の始まりとされる、春の一日目だった。
かつて古典好みの同僚に薦められ、ためしに観賞した古いSF映画で、宇宙船が人類の生存可能な惑星に不時着したところ、そこでは人類とそっくりな生き物が誕生しており、似たような文明が興り似たような発展を遂げていたけれど、ここもそういう感じなのかもしれない。
ただし、似ている一方、たくさんのことが全く違う。
天に届かんばかりの大樹に囲まれ、ぽっかりひらいた空間の中に広がる畑は、機能的でありながら決して周りの景観を損なわないよう、キャンバスに絵を描くイメージで設計されている。人工物は目立つ原色をなるべく使わず、シンプルに乳白色で統一。質感は石英に似た感じを出していた。
心地良く、周りに調和した世界――それはかつてドームという世界において、何より重視される要素だった。
限られた空間の中に押し込められている事実を意識させない、息苦しさを感じさせない、隙間なく並ぶ建築物に違和感や不快感、圧迫感を覚えさせない。
どこへ行ってもさりげなく快適に過ごせること。そういった空間デザインや景観デザインは、安全性と同じレベルで比重を占めていたのである。
そぞろ歩きながら畑と畑の間を抜ける。
本物の空の下、本物のそよ風を頬に受け、恐ろしいほどの大樹を目前にし、胸がつまった。
「……これをなぎ倒したのか」
直径が己の背丈を遥かに超える巨木の幹が、根の浮き上がる勢いでばっきりと折れている。同様の光景が、あちらからこちらまで続いていた。
最初は着陸時の衝撃がピンときていなかったけれど、これを目にして初めて、その凄まじさを肌で感じた。
しかしもっと畏怖を覚えるのは、巨木の折れた部分から既に苔や草が生え、芽が出ているものすらあったことだ。
生まれてこの方、これほどに巨大な樹々を、これほどの生命力を間近にしたことはなかった。
公園のたおやかで上品な植木しか瀬名は知らなかった。葉擦れの音とはこんな音なのか。鼓膜をそのまま通り抜け、全身に浸透してくるような音。
本物の土の地面。靴の裏でさくりと音を立てる感触に身震いしながら、天を仰ぎ、流れる雲の彼方に視線をやる。
あの向こうには天井などないのだ。
どこまでも果てしなく、空が続いているなんて信じられない。
(――知らなかった)
本物は、こんなにも凄いのか。
◇
ARK・Ⅲが用意したのは剣だけではない。服もそうだ。
肌にぴったりフィットする長袖の黒いインナー、七部袖の白いシャツに黒地のベスト。
シャツの裾はズボンの中には入れず、膝上くらいの丈があり、動きを阻害しないよう両サイドにスリットを入れている。要所にダークブラウンの糸で蔓草模様の刺繍があり、シンプルでいてさりげなくお洒落なデザインだ。
黒いズボンは思いのほか肌触りがいい。飴色のブーツはカウボーイ風だが、爪先はとがらせていない。
しなやかで丈夫な黒い手袋は、剣がすっぽ抜けないよう、滑り止め加工が施されている。
どれも〈スフィア〉内の縫製工場で作られた一点物だった。
例の鉱物を繊維状に加工し、各種合成繊維と織り込んでどうとか、誰かが説明していたような気がするのは気のせいだろう。たかが〈たびびとのふく〉や〈たびびとのくつ〉の防御力は、せいぜい五から十もあれば上等だ。
まさか初期装備の防御力が、既に各種九九九などと、そんなはずはないのだ。
胸当て等も作成中らしいが、きっとただの〈かわのむねあて〉的なものだろう。
そうに違いない。
《純粋な革製品は材料を調達できないため、現時点では作成不可能です。ですので、植物性の合成繊維に強度を持たせるためのア》
「あーあーあー!」
瀬名は耳を塞いだ。
それはともかく。
全身を鏡に映し、ARK・Ⅲの意図を理解した。
これも魔改造の影響か、〈東谷瀬名〉より背が高くなっている。記憶にある身長はぎりぎり百六十センチに届いた程度なのに、さらに何センチか伸びていた。
毎日運動しているからか、しなやかな筋肉がついて、全体的に骨格がしっかりしている。
無駄な贅肉が減った分、胸も減った。以前は寄せ集めてBはあったのに、今はどう足掻いても余裕でAカップ程度。今後成長するかは未知数である。
少しくせのある黒髪はショートカット。少なくともこの大陸の女性は皆、髪を伸ばしているのが普通だ。例外としてごくまれに、女戦士などがベリーショートにしているぐらいか。
女性的な要素をなるべく排除している。服装のデザインからそうではないかと感じていたけれど、つまりここで生きる上では、そのように振る舞った方が賢明ということだろう。
「首に何か巻いたほうがいい? 喉仏出てないのばれるよ」
《個人差で喉仏の目立たない成人男性もおりますので必要ありません。性別の印象は骨格や姿勢、表情、仕草、声質など、様々な要素を複合した全体の雰囲気が決定付けるものであり、あなたは容易くクリアされています。むしろ下手に首を隠そうとするほうが注目を集めますので、堂々としていればよろしいでしょう》
「そう? よかった。言ってみたはいいけど、ハイネックとか首を覆うのって苦手なんだよね、なんか息苦しくて」
左肩に手をやり、ちょこんとそこにとまっている〝小鳥〟を撫でた。
駒鳥の形をベースに、配色は瀬名の好みを反映させてくれたのか、頭部から尾羽にかけて鮮やかな青、腹部は深い紺色になっている。
――その正体は、ARK・Ⅲの子機とも呼べる鳥型ロボットだ。
ちなみに犬型や猫型にしなかった理由は、「狭い隙間から侵入したり上空から偵察できない」からだそうだ。
可愛らしい青い小鳥は愛玩用と見せかけ、実は諜報用だったらしい。
帰宅すれば家の中に犬猫が侵入していた。
帰宅すれば家の中に小鳥が侵入していた。
発見した家人が騒いで追い出したりしない可能性が高いのはいったいどちらか。
そんなつぶらな瞳の愛くるしい小鳥の中身は、ARK・Ⅲである。
……これのジャンルはSFかホラーか、どちらに分類すればいいのだろう。
瀬名はしばし、本気で悩むのだった。