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自棄とお酒は人のテンションをおかしくする

作者: ピッチョン
掲載日:2019/06/28


 高校のときから10年付き合っていた彼氏に振られた。そろそろ結婚を視野に入れて話し合おうという矢先のことだった。

 それは新堂(しんどう)理央(りお)という女の人生が崩壊した瞬間だった。

 結婚後の新居のことも、仕事のことも、将来の子供のことも想像した未来の何もかもが無かったことになった。

 結婚が全てとは言わない。それでもこれからずっと一緒にいると思っていた人間から絶縁状を叩きつけられた気持ちというのは筆舌に尽くしがたいものがあった。

 ここで泣きわめいたり彼氏にすがりついたりすればまだ可愛げがあったのかもしれない。でも私はそんな情けないことをしたくなかった。寝込んで会社を休むことも、泣き腫らした目蓋をメガネで隠すようなこともなく、いつも通り朝起きて仕事に行って帰宅して就寝した。あんなやつの為に自分の生活が乱れることこそ腹立たしい。泣き言を言うくらいなら罵詈雑言を吐き出せ。後悔するなら復讐をしろ。私だけが悲しむなんてバカらしすぎる。

「――それでなんて言ったと思う? 『後輩の子から告白されてさ……あぁ、俺この子のこと好きなんだなって気付かされたんだ』――知るかっ! そんなのお前が惚れやすいだけだろっ!! しかもそのまま後輩の子の家に泊まった? お前の脳みそ下半身かよ!!? 彼女の私に操を立てるのが筋ってもんだろ!!」

 金曜の夜。大勢のビジネスマンたちで賑わう繁華街から少し離れた小さなバーで、私は度数の高いお酒を飲みながらわめき散らした。

 カウンターの向こうでグラスを磨いていたちょび髭のマスターが苦笑する。

「浮気性の彼と早めに別れられて良かったんじゃないですか? 結婚してからだと悲惨ですよ」

「そりゃそうだけど……でも結婚してたら慰謝料取れたのに」

「内縁の妻でも取れると聞きましたが」

「同棲してたわけじゃないからそれも無理。婚約もしてなかったし」

 どんよりとした気分でため息を吐く。別れたことで何か得るものがあればまだ納得できたのだが、結局得たものと言えば自由くらい。失ったものの方が多い。

「男なんてやっぱりダメね。若くて可愛い子に言い寄られたらすーぐなびいちゃうんだから」

「お客様も十分お若く見えますが」

「ありがと。じゃあマスター、私と今夜付き合ってくださる?」

「お気持ちは嬉しいのですが、申し訳ありません」

 そう言ってマスターが左手の薬指の指輪を見せる。私は羨望のこもった眼差しを指輪に向けてどんよりと息を吐いた。

「世の男どもがマスターくらいしっかりしてくれればいいのにねぇ」

「しっかりした男性もおりますよ。お客様にもそのうちご縁があるかと」

「ないない。ていうか今回のことで懲りたから当分恋愛はするつもりないし」

「それは勿体ない。お客様でしたら相手などすぐ見つかりそうなものですのに」

「ふふ、お世辞でも嬉しいわ」

 おそらくはこうやって酔っ払いと話す機会が多いから自然とマスターも口がうまくなるのだろう。実際マスターと話すことで鬱屈した気持ちが幾分か軽くなった。

 私は追加のお酒をオーダーしてからグラスの残りを飲み干した。

 ふとカウンターの隅に座っていた女性に気が付いた。明るい髪をショートカットにしたボーイッシュな雰囲気のある女性だ。耳のピアスが店内の暗い照明を鈍く反射している。デニムジーンズにカーキ色のジャケットを羽織り、ひとりでカクテルをちびちび飲んでいた。どうやら連れはいないようだ。

 女性がちょうど私の方に顔を向けた。私よりも年齢は若い。二十代前半くらいか。

 その女性は私と目が合うとにこりと微笑んだ。私も微笑み返し、席を立って女性の方へ近づいていく。

「ねぇねぇ、あなたもひとり?」

「そうだよ」

 話し方も少年のようだ。だが見た目とマッチしていてクールに感じる。

「もしかしてあなたも誰かに振られたとか?」

 初対面で聞くようなことではないが、お酒で高揚した私の頭はそこまで回らない。女性の横の席に腰掛けると肘を付いて顔を向けた。

 私の質問に女性が静かに笑う。声を押し殺したような笑い方は格好いいと思った。

「もともとひとりだから振られようがないんだ。だからおねえさんみたいになっちゃう心配もない」

 私は目をぱちぱちさせた後に「あはは!」と笑った。目尻を指で拭いながら言う。

「聞こえてた? ごめんねぇ。ほんっとロクでもない男に引っ掛かっちゃったって思うわ。付き合ってた十年を返せっての。……あ~あ、もし時間を戻れたら過去の私にその男はやめとけって言いに行くのになぁ」

「よっぽど堪えたんだね」

「そりゃそうよ。私の貴重な青春を全部あの男に取られたんだから。あーっ、話してるだけでまたムカついてきた……!」

 これまでの記憶を思い出せば思い出すほど元彼に対しての怒りがわいてくる。マスターが注文したお酒を目の前に置いた。それを半分ほど一気に飲んでからグラスを強くカウンターに叩き置いた。

 私の隣で女性が楽しそうにくすくすと笑う。

「あんまり怒ってばっかりは良くないと思うよ」

「いーの。こうやって発散させてるんだから。美味しいお酒飲んで美味しい食べ物を食べて、愚痴をぶちまける。これが一番のストレス発散法よ」

「それもいいけど、ボク、もっといいストレスの発散法知ってるよ?」

 一人称がボクというのに珍しさを感じたが、初対面の人間がどんな一人称を使っていようが気にならない。むしろ話し口調も相まって自然な風に聞こえる。

「もっといい発散法? なにそれ、教えて教えて」

「新しい恋愛をすること」

 私は「はっ」と一笑に付した。そんなものが出来たらとっくにそうしている。

「残念だけど男にはもう懲りたの。これからは気ままなシングルライフを送っていくつもりだから。自分のためだけに全部の時間を使えるって最高じゃない?」

「でも恋愛で出来た傷は恋愛で癒した方がいいよ」

「相手がいたらね。でも私にその気がないから無理ー。それともあなたがいい男でも紹介してくれるの?」

「いい男は紹介できないけど」

「ほら、やっぱり」

「ボクで良かったら」

「…………?」

 頭の回転が鈍っているせいで、数秒考えてからその言葉の意味に気が付いた。

 私は笑いながらボクっ娘の腕を叩いた。

「も~、そんな顔して冗談とかやめてよ。男がダメだから同性に行くなんてありえないでしょ~」

 私がお腹を抱えるなかボクっ娘は涼しい顔で聞いてきた。

「名前聞いてもいい?」

「私? 神堂理央だけど」

 ボクっ娘が私の手に自分の手を重ねてきた。その手はひんやりとしていて今の火照った体には気持ちいい。

「ボクだったら理央を悲しませるようなことは絶対にしない。浮気をされることはあってもすることは絶対にないって誓うよ」

 彼女の手の甲の上にさらに私が手を乗せる。

「かっこいいこと言ってくれるじゃない。あなたがタイプの男性ならくらっといっちゃってたかも」

「それってつまり、ボクじゃダメ、ってことか……」

 しゅんと肩を落としたのを見て申し訳ない気持ちが湧いてくる。この子はこの子なりに私を励まそうとしてくれたのかもしれない。だったら真面目に返答せずにもっとおどけた感じで返せばよかった。

 よし、と私は意気込んでグラスの残りを飲み干した。

「あなた名前は?」

「……詩杏(しあん)」

「シアン、ね。外国っぽくて素敵な名前」

「あ、ありがと」

「じゃあ次のお店行きましょうか、詩杏」

「え?」

 きょとんとする詩杏に私はウィンクをしてみせる。

「私にそうやって言ってくれるってことは今夜はとことん付き合ってくれるんでしょう? 愚痴なんて腐るほどあるんだから良い聞き役になってよね」

「そ、それは嬉しいんだけど、ボク手持ちがあんまりなくて」

「お金の心配なんてしなくていいから。結婚前のOLの財力なめないでよ~?」

 結婚資金も今となってはむなしいものになってしまった。一晩飲み食いしたくらいで無くなるものでもないし、こんなときくらいパァっと使わないと。

「マスター、お勘定! この子の分も合わせてね」

 会計をさっと済ませて、いまだ戸惑い顔の詩杏の腕を取って連れ出した。バーで飲んでいたうらぶれた独り身の女性二人が出会って意気投合する――うん、まるで映画の始まりのようだ。邦画なら最後に涙ながらに抱き合って別れる感じのやつ。

 新しい出会いが新しい世界を拓く。

 元彼がどうした。あんなやつがいなくたって私は人生を楽しんでいるんだ。

 新しい友人の手を引っ張って飲み屋通りを進みながら、私は声を出して笑った。



 一夜明けた土曜の朝。休日の始まりの朝というのは自然とうきうきしてくるものだが、今の私はそんな気分にはなれなかった。二日酔いというわけではない。お酒には強い方だし今まで酔って記憶を無くしたことは一度も無い。

(いっそ記憶が無い方が良かったかも……)

 私は隣で安らかに寝息を立てている詩杏に目をやってから深くため息を吐いた。

 詩杏は裸だった。ついでに言えば私も。

 どうしてこんな状況になってしまったのか。昨夜の流れを私は頭の中で思い返していた。

 あの後私達は何軒かバーや居酒屋をはしごした。それで詩杏が結構酔ってしまったので帰宅することにしたのだが、詩杏が私の家で飲みたいと言ったのだ。まだ飲み足りなかった私は何も考えずに了承した。そうしてマンションに戻り飲み直し始めて少ししてからのことだ。詩杏が突然私に抱き着いてキスをしてきた。

『ボクじゃ本当にダメ……?』

 ここまでされて断れるわけがなかった。お酒の力もあったが何よりもまっすぐな好意を向けられたのが久しぶりすぎて不覚にもときめいてしまった。

 結果、今に至る。

 詩杏の言葉が冗談ではなかったことには驚いたが、それ以上にすんなり受け入れてしまった自分に驚いた。

(ノーマルだと思ってたんだけどなぁ。あいつに振られたのが同性愛に目覚めちゃうくらい実はショックだった、とか?)

 なんにせよ起きてしまったことはしょうがない。振られた勢い、飲んだ勢いで誰かと一夜を共にすることもそう珍しいことじゃない。……私にとっては初めてのことだけど、そういうことにしておこう。でないと昨夜のことを思い出す度に顔から火が出そうになる。

(とりあえずそろそろ起きよう。ご飯とか、あと洗濯もしないと)

 体を起こしたところで私の腕が掴まれた。見ると詩杏が薄目を開けたまま微笑んでいた。

「おはよ、理央」

「えぇと……おはよう。もうちょっと寝てていいから起きたら帰る準備してね」

「……なんで?」

「いや何でって、帰らないの? まぁ今日一日くらいなら居てもいいけど、私も色々やることあるし」

 詩杏が掴んだ手の力を強くする。

「帰りたくない」

「そんな終電逃した女子みたいなこと言わないの。はい、とりあえず私はご飯の準備してくるから呼びにくるまで寝てなさい」

 布団から出ようとしたとき、後ろから詩杏に抱き着かれて再びベッドに倒された。

「~~っ、詩杏離して」

「ヤダ」

 ぎゅっと抱き締めた腕にさらに力がこめられた。私の背中に密着した詩杏の肌から伝わるぬくもりが昨夜の行為の熱を思い出させて私の頬が熱くなってくる。

 心境を悟られないように私は詩杏の腕にそっと指で触れる。

「子供じゃないんだから。昨日のは勢いというかノリというか、一晩だけの遊びみたいなものだったの」

「ボクは本気だった」

 とりつくしまもない。ここで気になるのは何故こんなにも詩杏に懐かれてしまったのか、だ。

「一応聞いておきたいんだけど、私たち昨日が初対面よね?」

「そうだよ」

「なんでそんなに私のこと慕ってくれるの? 同性から告白されたことなんて一度もないのに」

「理央がボクの好みの女性だったから」

「……それだけ?」

 私が聞き返すと詩杏が少しムっとしてから言い返してきた。

「第一印象が見た目になるのは普通のことだよ。なんだったら一目惚れって言った方が良かった? 自分が一目惚れした女性が男に振られてくだを巻いてるのに、口説こうとしない人なんていないよ」

 確かに言われてみればおかしいことではない。もし詩杏が男性なら私はすぐに下心を見抜いただろうし、そのあと同じように寝たとしてもわざわざ理由を聞くようなことはしなかっただろう。男女を分けて考えるからこんなことを疑問に思ってしまうのだ。

「ねぇ理央。昨日の、良くなかった?」

 昨日のベッドで、ということだ。

「…………」

素直に答えるのは恥ずかしくて私が答えずにいると詩杏は抱き締めたまま私のうなじに唇を寄せた。

「――んっ」

 そのまま何度かついばむようにキスをしたあと、舌先を肌に押し当てたまま背中へと降りていった。

「っ、待って、背中は――ひぅっ」

 悪寒とは別種のぞくぞくとした感覚が背中から上にあがってくる。その刺激に私の背中が勝手にのけ反るが、詩杏は舌を動かすのをやめない。それどころか抱きしめつつ指でおへそを弄りだしたり脇腹をこそばしたりする始末。

「ちょっ、くっ、くすぐるのっ、なし、だって――」

「じゃあ昨日の感想教えて?」

「わ、わかった。良かった! 良かったから!」

 ようやく解放されて息を整える背後から、満足そうに微笑む息遣いが聞こえてきた。そんなに嬉しかったのか。

 実際昨夜のことは、なんというか、悪くなかった。具体的な出来事は言及しないでおくが、決して不快なものではなかった。さぞかし経験も豊富なのだろう。

「……詩杏いまフリーだって言ってたけど、今まで何人の女の子と付き合ったことあるの?」

「え? 理央が初めてだよ」

「いやいや、嘘でしょ。手慣れてたし、そもそも初めてなのにバーでいきなり口説いたりする?」

「本当だって。あのとき『ボクで良かったら』って聞いたのも実際心臓バクバクしてたんだから」

 驚愕の新事実。まったくの未経験者と寝所を共にしていました。

 驚くやら感服するやら。よくもまあそれであんな口説き文句が飛び出てきたものだ。

 詩杏が後ろからおでこを当てて呟いた。

「ボクが男の子より女の子の方が好きだって気付いたのが中学にあがったくらいのときでさ、それ以降はずっとこんな喋り方してるせいでボクと会う人はだいたい痛い子を見るような目で見てくるんだ」

 確かに詩杏のような少年っぽい喋り方をしていれば、眉をひそめる人も出てくるだろう。ましてや子供は自分の気持ちを隠したりしないので露骨に態度に出たであろうことは想像に難くない。

「でも、理央はボクと話しても気にする素振りもなく自然に接してくれたし、ボクの手を引っ張って外に連れ出してくれた。それがすっごく嬉しかったんだ。だから今は最初に会ったとき以上に理央のことが好きになってる」

 傷ついた野生動物を治療して森に帰そうとしたら懐きすぎて野生に帰せなくなってしまった、みたいなやつだろうか。

 懐かれること自体は嬉しいが、だからと言って居着かれるのは困ってしまう。私には元から動物を飼うつもりはまったくないのだ。今回のことは本当に“たまたまその場に居合わせただけ”だった。

「……ごめん、詩杏。気持ちは嬉しいんだけど……」

 私の謝罪を受けて詩杏が抱き締めた腕の力を緩めた。

「そう、だよね……ごめんね、困らせるようなこと言って」

 後ろをちらりと窺うと、詩杏が寂しそうに微笑んでいた。その表情に私の胸がちくりと痛む。思わず私の口が滑った。

「今日一日だけだったらいいよ」

「え?」

 同情か憐憫か。少なくとも私はこのまま詩杏を家から追い出すようなことはしたくなかった。

「今日一日、詩杏の恋人になってあげる。そのかわり、明日の朝には家に帰ること。それでいい?」

 詩杏の表情がみるみる喜びに変わっていく。

「理央!」

 詩杏が私の上から覆いかぶさるように抱き着いてきた。体を密着させたまま私にキスをする。詩杏の舌が当然のように侵入してきて私の口内をくまなく舐め回す。昨夜からとはいえ、その舌の動きは本当に私が初めての相手なのか疑わしいくらいだ。

「――んぁっ、ふぅ、やっぱり手慣れてるじゃない」

「ん、はぁっ、そんなことないよ。無我夢中で動かしてるだけ。……キスも初めてだったし」

 視線を逸らして恥ずかしそうにする詩杏を『可愛い』と思ってしまうのは庇護欲をくすぐられるからだろうか。見た目がクールなだけに子供っぽい仕草や表情がギャップになって不思議な魅力を感じさせる。

(まぁ、今日だけは恋人なんだし、私も楽しむとしますかね)

 淡く染まったその頬に唇を付けながら詩杏の耳たぶを指で撫でた。今はピアスを外している。

「年上としてされるばっかりってのは情けないからね」

 唇を頬から耳の方へ移動させてからその耳たぶを咥えた。ぷるぷるとした弾力を楽しむように唇や歯で押し潰し、耳の枠に沿って舌を滑らせていく。私が刺激を与える度に詩杏の口から切なそうな吐息が漏れた。その反応が楽しくてさらに指や舌を動かしていく。

(うーむ、意外と私もノリノリだな。そんな趣味はなかったはずなんだけど、目覚めちゃったのか……いやいや、これはあくまで詩杏に合わせているだけで、私自身が変わったわけじゃない。そうだ。そうに決まってる)

 そのあともご飯を食べるとき以外はずっとベッドの上で過ごしていた。こんな堕落しきった生活を送るのは大学時代に元彼と半同棲していたとき以来だ。

 熱はいつか冷める。それは恋愛も同じだ。もしもあのときの熱が今も続いていたのなら、別れることもなかっただろうか。

 ぽつりと詩杏に聞いてみる。

「もしこれから十年二十年経ったとして、今日みたいにずっと私を愛せるって自信はある?」

 言って、この聞き方はズルかったなと思った。これでは『はい』と答える以外の選択肢がなくなってしまう。それに現段階の答えがどうであれ、未来のことは誰にも分からないのだから聞くだけ無駄だ。

「……自信は、どうだろ」

「え?」

 詩杏の反応は予想外だった。てっきり『当たり前だ』と即答すると思っていたのだが。

「それは、なんで?」

「だってその、体力的にもつかどうか分からないから」

「…………ぷっ」

 私はつい吹き出してしまった。まさかそんな理由で返答を濁らせるなんて。

「誰も一日中ずっとベッドで愛してなんて言ってないわよ。気持ちの問題」

「そんなの当たり前だよ! おばあちゃんになっても理央のこと愛してるに決まってる」

「……ありがと」

 たとえ今どれだけ愛してくれていても、人の気持ちなんて簡単に変わってしまうものだ。そのことは私がよく知っている。

 けれど詩杏から向けられる恋慕の熱は確かに今後何十年も冷めないのではと私に期待させる熱さがある。今日だけの恋人だと分かっていても少しも気にする様子のない詩杏の言葉や態度は、詩杏自身の熱を少しずつ私の心まで伝えてきていた。


 夜になり、私は晩ごはんの準備をしていた。さすがに裸で料理をするのは危ないのでTシャツとジャージを履いている。

 詩杏はまだベッドの上だ。半分寝ていたのでそのままにしてきた。こうやってつい面倒をみてしまうのは私の良い所であり悪い所だと思う。恋人から便利な家政婦になってしまったらそこで恋愛は終わってしまうから。

(結局あいつにとって私はその程度の存在だったんだろうな)

 元彼の顔が自然と思い浮かぶ。あれほど好きだと思っていた相手だが、今となってはどうでもいい。あんな振られ方をすれば百年の恋も一気に冷める。

(やめやめ。あいつのことを考えるだけ脳のメモリの無駄遣いよ。さっさとご飯作って詩杏を呼びにいこう)

 そのとき、家のインターホンが鳴った。こんな時間に誰だろう。居間に設置されているインターホン用の液晶を見ると一人の男性が映っていた。

「――――」

 今し方思い浮かんでいたその顔に、私は知らず拳を固く握っていた。

 パネルの通話ボタンを押して話しかける。

「……何しに来たの?」

 自分でも驚くくらいの低い声。画面の相手はその声の意味に気付いているのか無視をしているのか、愛想笑いを浮かべながら答えてきた。

『その、お前と離れてから色々と気付かされたというか、理央が普段何気なくやってくれてたことが俺にとってかけがえのないものだって分かったというか……』

 新しい彼女と何があったのかなんて知らないし知りたくもない。私としては一分一秒でも早く会話を終わらせたかった。

「あっそ。だから何? 私にはもう関係のない話なんだけど」

 画面の男が頭を下げた。

『頼む理央! もう一度やり直してくれ! ほら、お酒も持ってきたんだ。結構いいとこのやつでさ、理央が前に作ってくれたつまみと一緒に飲(や)ったら最高だろ?』

 私は呆れてものも言えなかった。謝罪の次はアルコール。酔わせてしまえばこっちのものだとでも思っているのだろうか。

 思いっきり罵声を浴びせてやろうと息を吸い込んだ私の横から、急に人が割り込んできた。

「さっさと帰れよクズ野郎」

 詩杏だった。詩杏は顔を険しくさせたまま語調を強める。

「自分で振っておいて寄りを戻そうとか、男として、人として恥ずかしいと思わないの? あんたにちょっとでも理性が残ってるなら警察呼ばれる前にとっとと帰りな」

『な、なんだよ、誰なんだよお前は!?』

 外のインターホンは声しか聞こえないので詩杏のことを知らない元彼は怒りと戸惑いを混ぜたような反応を示した。

 それに対して詩杏がきっぱりと告げる。

「ボクは理央の新しい恋人だ」

『――――』

 元彼が息を呑んだのが伝わってきた。詩杏はさらに畳み掛ける。

「もう理央の心のなかにあんたが入り込める隙間なんて1ミリも空いてないんだよ。あんたが空けてくれた空間は全部ボクのものだ。まさかそれに対して不満なんてないよね? あんたにぴったりの言葉を教えてあげる。“自業自得”」

「ち、ちょっと、あんまり煽るようなこと言わないで」

 私は小声で詩杏に注意した。こっちは二人いるとはいえどちらも女だ。もし元彼がキレて暴れでもしだしたらどうすることもできない。警察を呼んでもすぐ来るわけではないし、最悪ケガをする恐れもある。

 不安になる私に詩杏が突然キスをしてきた。

「んっ――!?」

 キスをしたまま私の顔を両手で挟むとインターホンのスピーカーの前に持っていき、音を大きくたてて吸い始めた。ちゅぱっ、と唇を離して詩杏がスピーカーに話しかける。

「聞こえた? ボクと理央のキスの音。あんたはせいぜいそこからボクたちのキスする音を指を咥えて聞いてなよ」

 私が止める暇もなく詩杏が再びキスをしてきた。ぢゅるる、と吸ったかと思うと唇を離し、またキスをする。何度も何度もキスを繰り返し、わざとらしく音を響かせること数分、玄関の前から元彼が姿を消していた。

 私は詩杏の背中を叩いてキスを中断してもらう。

「――大丈夫、もう行ったみたいだから」

 それを聞いて詩杏が安堵の息を吐いて頷いた。やっぱり詩杏も不安だったらしい。感謝の意味と安心させる為に詩杏の頭を撫でてあげる。

「あんまり無茶しないでよ。もしあいつが家に入ってきたら、そんな格好のままじゃ危ないんだから」

 詩杏の姿に目を移す。裸の上から毛布一枚だけを羽織ったあられもない姿。

 私に指摘されて詩杏は恥ずかしがるように毛布のなかに縮こまった。

「だって、あんなへらへらと笑ってたのが頭にきて……」

「それは同感。詩杏が言わなかったら私が言ってただろうね。そういう意味ではありがと、詩杏。あれだけやったらあいつももう近づいてこないでしょ」

「どうかな。ああいう手合いは隙あらばまた来るかもしれない」

「そのときはそのとき。警察呼んで近所の人に大声で助けでも求めるわ」

 楽観的にあははと笑う私とは対照的に詩杏は思い詰めたような顔で何かを考えこみ、やがて決意のこもった眼差しを私に向けてきた。

「理央」

「ん?」

「やっぱりこのままだと心配だよ」

「玄関はちゃんと鍵かけとくし、万が一あいつを見かけたら全力で逃げるから大丈夫だって」

「それでも心配なんだ。だからせめてボクが理央のそばにいて何かあったときには助けてあげられるようにしたい」

「……一緒に住みたいってこと?」

「住むのはボクもちょっと厳しいけど、学校が終わったらすぐこの家に来るから、夜が深まるまでは一緒にいたいんだ。もちろん土日は泊まり込みで」

 学校、ということは大学生だったのか。まぁ見た目も社会人ぽくはないので妥当ではある。

 それよりも詩杏の要望はすでに恋人の範疇に入っている気がしなくもない。あくまでも私達が恋人同士なのは今日一日限定。明日からはそれぞれ違う道を歩きだす約束だ。

 詩杏が私の背中に腕を回したまま見つめてくる。彼女の腕に力が入った。それは決して私を離すまいとしているかのようだ。

「理央と恋人でいられるのが今日だけなんてイヤだ。明日も明後日も、その先もずっと恋人でいたい。理央のそばにずっといたい。ボクの人生から理央がいなくなるなんて耐えられない……!」

 言葉を隠すことも飾ることもせず、どこまでもまっすぐな気持ちをぶつけてきた。

 24時間以内に同じ相手から告白を3回も受けるとは思わなかった。想いを告げられることは何回あっても嬉しいものだ。それが本気だと分かれば尚のこと。

(女は愛される方が幸せだって言うんだっけ。キンキキッズの歌の歌詞では逆だったかな。いやあれは男性目線だから結局女としては愛される方がいいのか)

 考えている途中で詩杏の性別に気付き、心の中で苦笑する。私達に関して言えば性別がどうこう考えるのは意味がない。ただ相手を好きか否かだけ。

 詩杏のことを好きかと聞かれれば、好き、なのだと思う。そもそも嫌いな相手と一夜を共にしないし、一日だけとはいえ恋人になろうなんて思わない。問題は、それがずっと続いていったときにどうなるのか。

 女性同士ということでつらくなる日が来るかもしれない。後悔をする日が来るかもしれない。結婚や出産、私が望んでいたことの多くが実現しなくなるなかで、はたして私は幸せだと自分で言えるようになるのだろうか。

(いくら自問自答しても答えなんて出ないって分かってる。これは自分で選んだ道の先にたどり着くことでようやく答えが分かるものなんだ)

 勢いや熱意に任せて選ぶことが出来ないのは、失敗してしまったときのことを考えてしまっているのだ。次失敗すればもうやり直す時間はないかもしれない。だから踏ん切りをつけることができない。

 我ながら臆病になったものだと思う。でもしょうがないじゃないか。一度きりの人生を幸せなものにしたいと願って何が悪い。

 心情を吐露するように私は詩杏に問いかけた。

「……もし私が詩杏の想いを受け入れたとして、私が絶対に幸せになるって保証出来る? 出来るなら根拠は? 理由は?」

 口先だけで幸せにしてみせる、なんて言って欲しくない。何か、たいしたものでなくてもいいから私が納得できる理由が聞きたい。

 詩杏は目線を伏せてしばらく考えたのち、ゆっくりと口を開いた。

「もちろん理央を幸せにするつもりだけど、ボクの方が年下だし、具体的に何がどうできるのかっていうのはまだ分からない。でも、これだけは言える」

 言葉を選びながら詩杏はしっかりと自らの想いを述べた。

「理央が一緒にいてくれるなら、ボクが幸せになる。ボクの分の幸せならいくらでも分けてあげられる。これだけは絶対に絶対だって言い切れるよ」

「――――」

 憑き物が落ちたかのように、私の心が軽くなっていった。

 なんだ、そんなことでいいんだ。

 私の隣で幸せそうに笑う人がいてくれる。その未来の光景は、決して嫌なものなんかではない。私自身が幸せだと言えるかどうかはともかく私のお陰で幸せだと言ってくれる人がいる限り、この胸の内側をくすぐられるような喜びは、いつだって私の心をあたたかくしてくれる。それで十分だ。

 私は詩杏の背中に手を回し、抱き寄せてキスをした。

 目を丸くする詩杏にいたずらっぽく微笑みかける。

「じゃあ詩杏が幸せになるところを特等席で見させてもらおうかな」

 花が咲くように笑顔へと変わった詩杏は、力いっぱい私を抱き締めた。詩杏の息遣いが、体温が、喜びを全身で表現している。

 幸せなんて目に見えるものじゃないけど、そのときの詩杏は誰がどう見ても本当に幸せそうだった。



 時間は飛んで翌日、日曜の夜。晩ごはんを食べ終えてリビングで二人並んでまったりとテレビを観ていたときに詩杏に聞いてみた。

「今は独り暮らし? それとも実家?」

「実家だよ」

「へぇ、じゃあこっち生まれなんだ。お金も掛からないしいいねぇ」

「あんまり家にはいたくないんだけどね」

 口ぶりから察するに両親とうまくいっていないのか。会ったときもバーでひとりで飲んでいたし、色々とあるのだろう。

「なら」と私は切り出した。

「ここに来て一緒に住んじゃえば? 住むのは難しいとか昨日言ってたけど、実家なら飛び出してきちゃえばいいじゃない。ダメな理由は何?」

「その、親が……」

「親なんてほっときゃいいのよ。そろそろ就活でしょ? 自立しちゃえばこっちのもんよ。エントリーシートの書き方とかだって私がアドバイスしてあげるし――あ、もしかしてもう決まってたりする?」

「しゅうかつ? エントリーシート?」

「ちょっと詩杏、まさか就活やってないとかじゃないよね? それとも院に行くとか?」

「いん?」

「大学院のことよ。もー、なにとぼけたフリ、して……」

 詩杏の表情を見て私は言葉を止めた。明らかにおかしい。とぼけているのではなく本当に知らないようだ。

 ものすごく嫌な予感を覚え、おずおずと尋ねてみる。

「あのー、詩杏さん。年齢っておいくつだっけ……?」

 詩杏の目が泳いだ。それでも私が見つめ続けると言いづらそうに数字を口にした。

「……17」

「じ――」

 じゅうなな。高校生。未成年。

 お酒は二十歳になってから、なんて悠長なことを言っている場合じゃない。

(未成年とお酒飲んで、家に連れ込んで、一緒に寝て……あ、あはは、あははは)

 ちまたでよく見るニュースの文字が頭を流れていく。未成年者と淫行。みだらな行為。逮捕。

 まずいとかいうレベルじゃない。私の人生が今崖っぷちに来ている。このままでは幸せになる前に豚箱行きだ。

「……さっきの住む話は無しね」

「えぇ!?」

「えぇ!? じゃない!! こっちは捕まるかどうかの瀬戸際なのよ!? それより私のこと誰かに話したりしてないでしょうね!?」

「は、話してないよ」

「今後誰かに言うのも禁止! 親はもちろん友達もダメ! 分かった!?」

「う、うん」

 ここまで釘をさしておけばとりあえず大丈夫だとは思うが、帰る前にもう一度念を押しておこう。詩杏だって恋人が出来てそうそう犯罪者になることは嫌なはずだ。

 ふと詩杏が眉をハの字にして私の方をじっと見ていた。

「なに?」

「えっと……土日に泊まるのは大丈夫?」

 呆れるより前に笑いが出た。私がバレるのを恐れているときに、この子はそんなことを心配していたのか。

「いいよ。泊まりに来て。そのかわり、誰にも言わないこと。いい?」

 現金なもので、詩杏はとたんに元気を取り戻す。

「わかった!」

 ときおり見せるこどもっぽさは年齢相応だったんだな、と今更ながらに思った。最近の女の子の年齢は見た目では分からなさすぎる。

「あ、そういえばおとといからのことはご両親には何て言ってるの?」

「友達のとこに泊まるって」

「それだけ?」

「うん。平日はダメだけど休みの前の日ならそこまで言われないから」

 節度を守る範囲内なら多少のことは目をつむってくれるらしい。まぁあまり他所様(よそさま)の家庭に首を突っ込む気にはなれないが。

(他所様じゃなくなる可能性はあるんだけどね。結婚は無理としてもパートナーシップ証明書っていうのもあるし。そのときは挨拶に行った方がいいのかなー。でもまさか私が挨拶に行く側になろうとしてるなんてねぇ。人生何があるか分からないもんだ)

 それもまた人生の妙というものか。先が分からないからこそ面白い。しかもそれが二人分なのだから、退屈なんてする暇がなさそうだ。

 私は詩杏の肩を抱き寄せて、その手を握った。

「二十歳(はたち)越えたら、『恋人のとこに泊まる』って言っていいよ」

 詩杏が小さく頷き、私の手をぎゅっと握り返した。

 ひんやりとした詩杏の手が私の手であたたまっていく。それが嬉しいと感じるのはあたたまった分だけ詩杏が幸せになってくれているんじゃないかって、そう思うから。肩を寄せて手を握るだけで私の心が穏やかになっていくのが分かる。 

 もしかしたら幸せなんていうのはこういうちょっとした積み重ねで出来ていくのかもしれない。

 ――いやいや、こんなことで幸せを感じるのはさすがに安易がすぎる。

 だってこれからもっともっと詩杏が私に幸せを見せてくれるのだから、そのときがくるまでは幸せは抑え気味でいかないともったいない。

「ねぇ?」

 聞かれても何のことかわからない詩杏はきょとんとするばかりだった。

 その様子を見てひとりでくすくす笑ってから、お詫びとこれからの期待を込めて、可愛らしいほっぺにキスをした。



            終

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 短編なのかぁ…長編じゃないのか…読みたいなぁと思いました。
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