割り算の魔法少女①
「……よし、決めた。自分の気持に嘘はつけない」
本木武夫は、ついに決心した。
片思いのあの子に告白すると決めたのだ。
あの放課後、目が合ってから、片時も頭から彼女の姿が離れない。まるで網膜に焼き付いてしまったかのように。
ゆえに本木は決死の覚悟でスマホを取り出し、電話帳のその番号に電話をかけた。
「……もしもし、間宮? 話があるんだ、今から時間あるか?」
真っ白でだだ広い床、強化ガラスの向こうで、もはや成人男性ほどのサイズとなった、真っ赤な丸いコアが鎮座している。その表面に真っすぐ走った亀裂から覗くのは、ただひたすらの暗黒だ。
そしてその暗黒からぬっと、細い暗黒よりもさらに黒い触手が伸び、強化ガラスをムチのようにしなやかに叩いた。
「……おや、もうご飯の時間ですか」
ガラスの向こう、研究机に座してモニターに向かい何やら作業をしていた仮面の男――フォスフォラスがつぶやいた。次いで、机の隅にあったリモコンを押すと、赤いコアがある空間の扉が開き、何十匹もの青いコアのクラゲ――ブルーフェイズがわらわらと出てくる。
「たんとお食べなさい」
男の声よりも速く、その触手が伸び青いコアに巻き付き、そのままそれを抜き出した。次いで、ごちゃりという鈍い音とともに球体だったはずのコアが潰されていき、硬貨のように薄っぺらく加工される。そしてそのまま、触手はコアだったものを暗黒の亀裂に引き入れた。そうして貯金箱のようにコアに取り込まれたあと、バリバリという音が内部から聞こえる。
「……いつ見てもユニークな光景ですね」
とはいってもすっかり見慣れたもので、モニターがアラームを鳴らすとすぐに意識は画面に向かった。
「……おやおや、これは」
自作した魔法アシスタントプログラムが『異常あり』と見つけ出したのは、男が上空に設置している監視衛星が記録した画像だった。日時は三週間以上前――ちょうど、魔法少女もどきが生まれたあの時だ。
「おかしいですね、こんなはずは……」
興味深いのではなく、おかしい。
そこに映っている画像は、少女たちがナイフで即席の魔法陣を制作し、魔法少女になろうとしている寸前の姿だった。しかし、その魔法陣こそが曲者だ。
「こんな魔法陣では、2人はお互いを区別することさえ出来ないほどに融合してしまうはず」
何度もシュミレーションを走らせてみるが、100万回の施行は全て、過融合の結果を出していた。
「となると彼女たちにはまだ何か重大な秘密が――」
そこでガラスが割れ、アラームが響き渡り、男の右腕が吹き飛んだ。
「おや」
その下手人は、レッドフェイズだった。先程はひび割れさえも与えられなかったはずの触手が、いとも容易くガラスを吹き飛ばしている。見やれば、赤い玉そのもののサイズが一回り大きくなっていた。
おそらく、おかわりを要求しているのだろう。ただ、力が制御できていないだけだ。
「まったく、おいたはいけませんね。これで何度目ですか。この大食漢」
右腕をこともなげに再生させると、呆れたようにボタンを押した。追加の食料――ブルーフェイズの群れが投入される。先程の倍。
「さて、一体この魔法陣はどういう理屈なのでしょうか」
そうしてすっかり静かになった部屋で、男は何事もなかったかのようにモニターに再び向き直った。
その机の一角、そこには名前のメモと共に少女たちの写真が貼ってある。
『天音セツナ』、『カレン』――そして『間宮暦』
そう、セツナは今はまだ知る由もない、己の命よりも大事な間宮暦がフォスフォラスの射程内に存在することを。
「……うう」「……おお」
フォスフォラスと、彼が率いるクラゲと魔法少女――それと同等、あるいはそれ以上の脅威が私たちに迫っていた。
連中がやってくる期限まで、あと3日もない。
「許ぜん、期末テストめ」
私の部屋、ちゃぶ台に突っ伏して、ミヅキが呻く。
そうだ、我々が直面している脅威とはすなわち、期末テストである。
放課後、私たちは女子高生らしいことをという甘い理由で勉強会を企画していた。
しかし、蓋を開けてみれば両者が両者ともにバカだったため、ただ地獄が広がっている。
中学生の頃はよかった、暦が懇切丁寧に私に教えてくれたのだから。だが、今私たちに頼れる相手などどこにもいなかった。
「……ねえ、3人よらば文殊の知恵ってよく言うじゃない。……文殊って仏教の神様なんだけどさ、それに3人で匹敵しようとか無理無理の無理じゃない? 特に、私たちみたいなのはいくら束になっても天才小学生にも勝てなさそう」
むしろ集まれば集まるほど、ひどくなっていきそうだ。
『ギアッチョみたいなマジレスしてる場合じゃないだろ』
私から離れているカレンが、咎めるように言う。
「やだあああ」
私もミヅキに倣って、数学のノート越しに机に突っ伏した。
「それもそーですねー。文殊様も怒ってそう。たかが人間風情がーって。……それにこうも言いますよね。バカの考え休むに似たりって。でも考えるのは休むより疲れるし、だったら休んだほうが合理的ですよ」
『そっちも開き直るなよ』
「……だったら、私に憑依しなさいよ。そうしたらテストなんて余裕でしょ」
「ずるいよー、私も憑依されたいですー」
巨人との戦いの翌日、私たちはこの身が糸で繋がっていることをミヅキに告げて、さほどの衝撃もなく受け止められた。
『無理だし、自分の実力じゃなかったら意味ないだろ』
そういった後、カレンは少し黙ってから、少し照れくさそうに告げる。
『……仕方ないな、私が教えてやるよ。これくらい簡単だ』
「えっ、まじで!?」
『ああ、マジだ。……別にお前のためじゃないからな。ただ補習になったら私もついていかなきゃならないだろ』
「あ、ありがとう!」
ツンデレだなんだと茶化す暇さえないほどの、圧倒的感謝。泣きそう。
「そうだ、この戦いが終わったら夏休みに三人で出かけましょう! 女子高生らしく海にでも! もしくはTDL!」
しかしミヅキの言葉に、私は涙腺は固まった。
「え、ちょっとまって、今なんて言った?」
「てぃーでぃーえるは東京ディ――」
「そうだ、もう夏休みなんだ!」
私は思わず叫び、ちゃぶ台を叩いた。がちゃん、結露したカルピスが跳ねる。
すっかり忘れていた、長期休暇などたくさん寝れる程度の認識しか今の私にはなかったから。
「……夏休み、それはひと夏のロマンス」
声が震えている。
「……つまり、カップルはその開放的な雰囲気にうかされて、挙句の果てにいとも容易くえげつなく一線を――」
私の中に、ひたすらに憂鬱なビジョンが見えた。暦とモブ男のロマンスが、私に吐き気を催させる。机に飛び散ったカルピスがどうしようもなく嫌なものに見えた。
「――そんなの許さないからねえええっ、暦ぃいいいいい!」
私は絶叫とともに、ちゃぶ台に頭を打ち付ける。
「……あの、セツナさんって暦さんのことが関わると、いつもこうなんですか?」
『……まあな、だいたい』
2人のなんとも言えない視線を浴びながら、夏休みなんて来なければいいのに――そう願いを込めて、何度も何度も。
その翌日には、それが杞憂に終わることなど露も知らずに。
ただし、それ以上に地獄を以てして、だが。
あのあと、やっと落ち着いた私とミヅキにカレンは勉強を教えたけれど、そのハイセンス極まりない教え方に私たちはついていくことが出来なかった。
「ふんふんふーん」
それでも翌朝、私はとても上機嫌に登校していた。
テスト対策はまったく出来ておらず、さらに夏休みは刻一刻と迫っている。何一ついいことなんてないはずの私だが、しかしそれでも軽やかにスキップを踏んでいた。
(出来てないぞ。不気味な踊りに見える)
ああ、カレンの嫌味も今の私には甘美に感じられる。
なぜ私がこんなにも元気なのかと言うと、たった一つのメッセージが理由だった。
『放課後中庭のベンチで会おう』
今朝スマホが受信したメッセージは、要約すればそれだけの文章だったが、しかしその送り主が送り主。なんと私の大好きな暦なのだったのだ、これが喜ばずにいられるだろうか!
(きっと、あのモブ男に嫌気を差したのよ! やっぱりセツナが一番だったって!)
(引くほどポジティブだな)
(だってすっごくうれしいんだもん、暦と2人きりなんて振られたとき以来よ! ……まあ今回は2人きりじゃないんだけどね)
(……邪魔者で悪かったな)
(仕方ないわよ、それでも今の私には幸せがすぎるくらいだわ)
ああ、本当に幸せだ。おそらくは私の想像通りではないんだろうけど、それでも、うれしいものはうれしい。こんなにうれしいのは一体いつぶりだろうか。
あまりの多幸感。昨日の杞憂がゆえに、それはかつてないほどに肥大化していた。
暑苦しい太陽は私を照らすライトに、鳴き喚くセミたちは私へ降り注ぐ歓声に、アスファルトに生まれた陽炎は私へのあまりの嫉妬でぐらついているように見え、汗をかいて登校する生徒たちは皆私を羨望の眼差しで見ている気がする。
世界のすべてが、私を中心に回っているように感じられた。
(本当に暦が好きなんだな、お前。昨日も頭おかしい感じになってたし。引いてたぞ、ミヅキ)
(今更よ。私の人生は暦のためにあるんだから)
そんなことを脳内で語り合いながら、私たちは校門を抜けて、昇降口の靴箱にたどり着いた。
そのまま靴箱を開けると、内部に異物を捉える。
「……手紙?」
白い便箋が入っていた。可愛らしい四葉のシールで止められている。
(ずいぶんと古典的だな)
(いいじゃない、ロマンチックで)
私はおもむろにシールを剥がし、その手紙を読んだ。
『あのとき目が合ってから、片時も貴方のことが離れません。放課後、屋上でお返事を待っています』
きれいで整った、几帳面そうな文字で書かれた、簡素な文章。
「……!」
しかし私はその差出人の名前を見た途端、反射的にその手紙をグシャグシャに丸めて、トイレに駆け込むと朝ご飯をすべて吐き出し、手紙をナイフでバラバラに刻むと、吐瀉物とともにトイレに流した。




