掛け算の魔法少女①
『――おい、起きろ、もう朝だぞ!』
まどろみを切り裂くように、声が聞こえる。
聞き慣れた憂鬱な目覚ましのアラームをバッグに聞こえるそれは、アラーム以上に聞き慣れた、鈴を鳴らすような声。すなわち、
「――暦ぃいいい!」
愛しの暦の声だった。
「朝起こしてくれるなんて、やっぱり私が大好きなんだね!」
一瞬で意識はまどろみから脱出して、毛布をはねのけて声の主に向かって抱きつく。だが、その体は虚空を切った。
『寝ぼけるのも大概にしろ、今日から学校じゃなかったのか』
宙に浮きながら、ジト目でこちらを睨むのは、暦ではなく――カレンである。半透明の姿で、私と何故か糸で繋がっている異世界人。
どうやら一昨日のことはやっぱり夢じゃなかったらしい。もっとも、屋上爆発で休校していた昨日はほとんど疲れで寝ていたのだが。
「……仕方ないじゃない、声もそっくりなんだから」
私は照れ隠しをするように咳払いをしてから、目覚まし時計を止めた。
「――って、もうこんな時間!」
このままでは遅刻しかねない――私は急いでパジャマを脱ごうとして、
「あっち見てて!」
こっちをまじまじと見つめるカレンに叫んだ。
『めんどくせえやつだなあ』
私の家には父親しかいない。
そして父親は現在絶賛出張中である。
すなわち、私を起こしてくれる人間はいないし、朝ご飯やお弁当なんて気の利いたものを作ってくれる相手もいない。
ゆえに私は大急ぎで準備を整えて、ダッシュでコンビニに突撃した。朝と昼ごはんのためである。
「いらっしゃいま――きゃあああっ!」
自動ドアを開き入店すると、店員が悲鳴を上げた。
『やっちまった、あいつ魔力保持者だ、私が見えるんだ!』
私の傍ら、宙に浮いたままカレンが言う。
たしかにその髪色は青――私は逃げるようにコンビニから出て、すぐさまにカレンが私に憑依する。異物感。ああ、私のプライバシー権が蔑ろにされていく。
(どうやら外に出るときはこの格好じゃないと駄目らしいな)
「ああ、めんどくさい!」
私は苛立ちに髪をかきむしりながらも腕時計を確認し、もうコンビニでご飯を買うことを諦めた。
(安心しろ、体はお前に使わせてやる)
(そういう問題じゃないわよ、バカ!)
(……ねえ、今更気づいたんだけど、あなたが走ればギリギリにならなかったわよね)
朝のホームルームを聞き流しながら、私は本当に今更な事に気づいた。クラゲに追われてたときのように走れば良かったのである。
(ああ、そのとおりだな。わたしは最初から気づいていたが)
(言われなかったから……ってことね)
まったく、暦とは真逆、気配りのきの字もない。あるのはキ○ガイのきだけだ。
(聞こえてるぞバカ野郎)
(前々から気になってたんだけど、なんで私あのときあんなに速く走れたのかしら)
(魔力強化だ。お前の体に溜め込まれた魔力で脚力を強化したんだよ)
(それって、私だけでも出来る? 私の魔力だし)
(現状無理だろうな。魔法少女になってるときしか今のお前に魔法は使えないよ。いろいろ勉強しないと)
(……うわあ)
勉強という言葉に思わず顔を背ける。
(本当にバカ丸出しだな)
(うるさいわよ。それで、なんで魔法少女になったら魔法が使えるようになるの? ていうか、魔法少女って何?)
考えてみれば、今の今までなぜ質問しなかったのかという程に基礎的な質問。
(魔法少女っていうのは、魔力強化のための手段だ。厳密に言えば、体に蓄積された魔力を全て引き出せる状態にするだけなんだがな。それで、魔法少女――私たちの場合の例外だが――になったとき、私とお前の意識の一部は共有され、魔法についての知識も共有されているわけだ。だから、魔法が使えるようになるんだ)
(……なるほど)
(本当にわかってるのか?)
(わかってるわよ。わかりすぎて新たな疑問が生まれてくるくらいに。……魔法少女のとき、私とあなたで攻撃のときのオーラが違ったわよね? それはどういうこと? 私の魔力を使ってるんでしょ?)
思い出す。刃を覆うオーラがどちらが使ったかで紅と紫に変化していたことを。思えば、合体しているという状況から考えると何やら少しおかしい気がする。
(これは推測の域を出ないんだが、おそらくは私という意識が魔力を使うことで魔力が変質してるのだと思う)
(……変質?)
(お前が使えば紅く、私が使えば紫。……そして二つの魔力は混じり合わない。水と油みたいにね)
彼女の言葉に、私は合点がいく。
(なるほど、まるで私たちそのものみたいね)
(はは、言えてるな)
そんな議論をしている間に時間は過ぎていって、1時限目開始のチャイムが鳴った。
(――おい、起きろ、バカ!)
「――っ!」
まどろみかけていた意識が、頭に響いた大声に現実に引き戻された。ビクリと体が跳ねて、膝が机の裏にぶつかる。
(……ああ、寝てた)
カレンに起こされるのは本日二度目だ。これからこんなことが続くと思うと、まったく憂鬱である。
目を開けると、黒板には数式が山程。4限目の授業だった。ノートに無秩序なシャーペンによる横線が踊っている。
窓際にある私の席には、カーテンが柔らかくしてくれた夏の陽光が降り注いでいて、これにクーラーが合わさることで私をまどろみの縁に連れて行ったのだろう。
(お前はバカなんだからちゃんと勉強しろよ)
頭の中でカレンは呆れるように言う。
(……だって仕方ないじゃない。疲れてるのよ、昨日一日ずっと寝てるだけじゃ全然疲れが取れない。朝からドタバタしてたし)
まあいつも居眠りはしてるのだが。
(ふん、情けないな。私は全然元気だぞ。それに、この授業の内容だって理解できる。数学と言ったか? この世界には面白い学問があるな)
(……なんで分かるのよ、基礎も勉強してないくせに)
(小テスト42点のお前と違って天才だから)
(ちょっと、なんで知ってるの!?)
(カバン漁ってるときに見えてたぞ)
ああ、プライバシーが死んでいく。こんなふうに毎日バカバカ言われ続けたら、私はいつか本当にバカになってしまうんじゃないだろうか。
(とにかく、お前が寝たら授業が聞けないんだよ。……ほら、小テストの範囲言ってるぞ。お前友達いないんだからちゃんとメモっとけ。42点は嫌だろ)
(余計なお世話よ!)
そう言いながらも、私はしっかりテスト範囲をメモっていた。
当たり前だろう、私に暦以外友達なんて一人もいないのだから。
(購買使わないのか)
(……コンビニのほうが高いけど混雑してないのよ)
私はそっけなく答えながら、昼休みの喧騒に包まれた廊下をひとりぼっちで歩く。別に寂しくはないが、最近は教室で一人で食べていたから、外がこんなに騒がしいものだとすっかり忘れていた。自分に関係のない言葉の奔流たちはまったく意味を捉えることが出来ず、ただの雑音と化している。
「……あれ」
そんな私の視界が、嫌なものを捉えた。
(おお、あれって暦ちゃんと――)
名前は覚える気のないモブ男が連れ立って廊下を歩いている。この距離からでは会話の内容も表情もうかがい知ることは出来ない。
(おい、ちょっと、どこ行くんだよ)
(当たり前じゃない、ストーカーよ、予告どおりね)
そんな言葉とともに、私たちは二人を追った。
(やめとけバカ、こんなん見てても辛いだけだぞ)
視線の先、二人は木漏れ日差し込む中庭のベンチに座っている。少しばかり距離をとっているのが、私に希望を与えた。
ちなみに私たちは近くの茂みに隠れ潜んで、二人の姿を見ている。会話は聞こえないが、しかし姿は前から見ることが出来るので悪くない位置取りだ。
(だって気になるんだから仕方ないじゃない。もし暦があのモブ男に騙されたり、ひどい目に合わされたりしたらどうするのよ)
(で、もしそうなったら?)
(斬るわ)
そう言って、今や変身アイテムと化したナイフをポケットの中で触る。
(どうせ出来ないくせに)
(あによ、私はやると言ったらやるわ――)
そこで思わず思考が止まった。
(……てててててててて)
(手?)
暦が少しばかりモブ男との距離を詰めて、ランチボックスから弁当箱を取り出していた。……いや、それだけならいいのだが、あろうことかそれをモブ男に手渡したのだ。それも、可愛らしくはにかみながら。
(手作り弁当だああああああああっ!)
そう、手作り弁当。
可愛らしい小さな弁当箱を、モブ男がうれしそうに受け取っている。
かつてはよくご馳走になった、暦の手作り弁当。ごく普通のメニューのはずが、暦が作ってくれたという事実だけで天に上るほどに美味しかった、あの弁当。
(……ゆゆゆゆゆゆゆゆ、許せん!)
それがあんなどこの馬の骨かもわからない男の胃袋に収められると思うと、怒りで頭の中が沸騰しそうだった。
(よし、斬る!)
(器ちっちゃ!)
私はもはや衝動に任せてポケットからナイフを取り出そうとするが、それを何かが邪魔し、手が動かない。
(やめろバカ野郎! たかが手作り弁当だろうが!)
(放しなさい、あんたにとってはそうでも、私にとってはそうじゃないのよ!)
(暦だってそんなことされても喜ばないだろうが! あんな地味で華のないモブ男だって暦にとっては――)
(なんですって、それ以上言ったら先にあんたを斬るわ!)
(き、キレどころかわからない!?)
そんな話をしている間にも現実は進行していき、モブ男は暦特製の砂糖多めな卵焼きをその口に収めようとして――
「させるかああああっ!」
ついに私の手が抜き身の刃を空気に触れさせた。
(――この、バカ野郎ッ!)
カレンの怒号が脳の隅々まで響き渡る。同時、私の意識はほんの少し途切れた。
(……あれ、ここは)
気がつけば私は非常用階段に座っていた。時計を確認すると、昼休みはまだ半分以上残っている。すなわち、ほんの少ししか時間は経っていない。
(そうだ、暦は――)
そこで、私が声を出せないことに気づいた。
「おい、バカ野郎。……いいや、キ○ガイ野郎」
代わりに怒りに満ち満ちた声が、私の喉を震わせて聞こえた。カレンだ。
「いいかげんにしろよ。カジュアルに刃物を取り出すな。お前が警察のお世話になったら私だって困るんだよ。それに、お前にあのカップルを邪魔する権利なんてねえだろ」
カップルって言うな――そんな言葉さえも引っ込むほどに、恐ろしい剣幕だった。
「まだバカはいい。扱いやすいからな。だが、キチ○イは駄目だ。特に刃物を持ったのは」
そこには冗談のニュアンスなど欠片もなく、ただひたすらな侮蔑を感じ取る。つまり、本気で怒っているということだ。まるで自分のことのように――否、本当に自分のことだ。
「お前が今度刃物をあいつらに持ち出してみろ。その時は、ずっと体をこうして乗っ取る」
(………)
間違いなく私が悪いというのに、なぜだか私は謝れない。
誰も頼んでないのに勝手に人の体を間借りして、朝からバカバカ言いまくってくる――そんな相手にいくら説教されても、素直になれるはずがなかった。
「別に謝らなくていい。謝罪が必要なのは両者にある程度近い知性がある場合だ。……お前は馬や鹿が粗相をしたときに本気で謝罪を求めるのか?」
(――あんた、流石にそれはいいすぎでしょうが!)
怒りのままに私はカレンの顔を殴りつけようとして、しかしピクリも腕は動かなかった。
「お前は本当にバカだな。無意味だよ。仮に成功しても自傷行為にしかならない。バカは素直に――」
そこでカレンはぴたりと動きを止め、同時、声が響く。
「きゃあああああああっ」
遠くから響いた、女子生徒の悲鳴。
「……クラゲだ」
私の体はそうつぶやいて、一気に駆け出した。
同時、その髪をナイフが斬る。
「――変身っ!」




