セミの魔法少女、クラゲの魔法少女③
「人間の細胞が全て入れ替わるのに、どれほどの時間が必要か知っていますか? 諸説ありますが、数ヶ月から数年で私たちの細胞は全て入れ替わっているのです。もっとも、私はすでに純粋な人ではないのですが。……しかしそれでも、すでに私が不老不死になってから500年が経っているのですよ。あなたの能力は分離。ならば、とっくの昔、完全に私の体の一部になっているヤオビクニを取り除くことは出来ません」
分離剣――私たちの切り札は、しかしフォスフォラスと深く結びつきすぎたヤオビクニの前に無効化されていた。
「……はぁ、はぁ」
私たちは男を無視して、ポケットからミヅキの血液を取り出し、そのまま傷を治そうとする。
「させませんよ」
「……ッ!」
しかしその血液は小瓶ごと触手の剣によって破壊され、蒸発させられた。一滴たりとも、その残滓は残らない。
「さあ、いい加減私に従ってください。大丈夫、悪くしませんから」
(駄目だ、治らない、魔力治癒が効かねえ!)
仕方なしに魔力を使って止血を試みるが、しかし血は一向に止まる気配を見せなかった。
「魔力治癒も無駄ですよ。私の刃には、魔力治癒を無効化する魔法術式が仕込まれているのですから」
苦し紛れに傷口を抑えるが、血は止まらない。
「だけど、この程度の傷でっ――がっ」
ナイフを捨て剣を召喚、そのまま片手で斬りかかろうとするが、吐血とともにすぐさまに膝をついてしまう。
「そうだ、いいことを思いつきました。そもそも私は、暦さんよりあなた方に興味があるのです。もしも暦さん以外にクラゲからもとに戻ったサンプルを提供してくださるなら、彼女のことは見逃してもいいかもしれません。そうですね、それが妥協点ですよ。ウィンウィンな関係というやつです」
「……」
魅力的な提案だった。心がぐらついている。
……正直なところ、赤の他人と暦の命の価値は比べようがない。暦のためならば、きっと私はこの星さえも犠牲にできる。全人類のためにごく一部を犠牲にする男のやり方と、まさしく真逆を行く思想だ。たしかにそれは、邪悪と呼んでもいいかもしれない。
……だが、それでも。
「――断るっ」
暦に危害を加えた男の言うことなど、誰が信用するというのだろう。
ゆえに私たちは立ち上がり、融合剣を振るった。
「腹部の傷が――」
驚愕の声。
そうだ、腹部の傷はもはや塞がっている。
魔法術式は分離剣で少し体に傷をつけるだけで、容易く分離したのだ。
「――ですが私は殺せませんよっ!」
知っている。
ゆえに私たちの融合剣が攻撃したのは、男ではなく床であった。
反響音の大きさ、先程見たフォスフォラスの過去、見覚えのない部屋――そこから導き出される結論は、階下の存在である。
「なるほど、勝てないなら戦わなければいいということですかっ!」
男が崩れる床とともに落ちていきながらも、感心したように叫ぶ。
「今行くからねっ、暦!」
私たちはそれ尻目に、崩れていく大理石の破片たちを踏み台にして跳躍、暦がいるであろう扉を目指した。
「させませんよっ」
そのまま巨大な穴を横断しかけたとき、私たちの足にワイヤーのようなものが絡みつき、その奈落の底まで私たちを引っ張っている。
見やれば、未だに着地さえしていない男が落下しながら左裾からそれを伸ばしていた。
「そんなに嫌ならば、手足を斬り落としてあげますよっ」
そのまま、触手剣が私たちに襲いかかる。一方、私たちは足がかりもなく、ただ自由落下にその身を任せるしかない。
(どうしよう、カレン!)
(そんなの簡単だっ)
迫りくる紅い光刃を、剣が真正面に受け止めた。
その勢いのまま、私たちの体が上方に跳ねる。
狙いを外された刃は勢いのままに、私たちの足にまとわりついたワイヤーを分断した。
(こんな曲芸、どこで覚えたのよ!)
そのまま私たちは空中で一回転、ただ落下するしかない男に向かって襲いかかる。
カレンが私の疑問に答えるよりも早く、融合剣・簡易式の剣がその体を斜めに一刀両断した。
「……ッ」
そのまま私たちは落下し、奇妙な化け物たちをホルマリン漬けにした巨大なガラス管を大量に割りながらも着地した。見やれば、あちこちにそんなホルマリン漬けが満ち満ちていて、光源は上部に開いた穴しかない。
「……なるほど、あなた達の目的は、私を殺すことではなく、魔力融合装置を破壊することにあったのですか」
私たちより数十m離れた位置、ホルマリン漬けの瓦礫の下から男が立ち上がる。流石に肩で息をして、その背中にあった魔力融合装置はビリビリとスパークを上げていた。ここからは見えないが、おそらくは斜めにすっぱり斬られているのだろう。
「そのまま、磔にでもしてやるわ」
殺せないならそれが一番だ。
「ですが、残念でしたね。コアは一つだけ残っています――」
男の仮面の後頭部から触手が伸び、背後につながる。
(おいセツナ、バリアを用意しろ!)
(そうか、死なないんだったら――)
「自爆くらいは出来ますよ」
魔力融合の反動、かつて私もしたことのあるもの、その拡大版。
男の体をひときわ巨大なスパークが包み、その直後、私たちの視界は閃光に塗りつぶされた。
「……私のしたことが、ついつい殺してしまいました。ですが、流石に死体くらいは残ってるでしょう」
爆煙が晴れて、男の姿が現れる。
あまりの高エネルギーに、ホルマリン漬けたちはガラスごと蒸発し、その存在を失っていた。
魔力融合装置は木っ端微塵、上半身にまとった軍服は吹き飛び、漆黒の機械めいた筋骨隆々の体が露わに、十字の仮面の右側が破損、あまりにも鋭い三白眼があたりを見据えている。
「お前、めちゃくちゃ目つき悪いな」
「……!」
しかし男の予想は、見事に大外れする。
晴れた煙の先には、左右非対称、ピンクと黒、青と緑のオッドアイの魔法少女――私たちが、ほとんど無傷で立っていた。
「どうして、まさかっ、融合魔力を分離させたのかっ!」
私たちの手に握られたそれを見て、初めて男の声に焦りが混じる。滑稽だ。
「そのとおり。分離剣って本当にすごいんだな。応用性高すぎだろ」
分離してしまった魔力など、たかが二種類のそこそこの出力の魔力に過ぎず、私たちは容易く受け止めることが出来ていた。
「なんとおぞましい力。……やはりあなた方はなんとしても捕らえる! その力、不安定で邪悪な子供には重荷が過ぎるでしょう!」
焦りを隠しもせずに、男の触手剣が襲いかかる。だが、魔力融合していないそれは、威力も速度もあまりに劣っており、クラゲの触手よりも今の私たちには遅く感じられた。
「知ってる? 人の細胞が一定周期で入れ替わるって、嘘らしいわよ?」
私たちはそれを回避しながら、余裕綽々で講釈を垂れる。
「確かに入れ替わる細胞もあるけど、死ぬまで入れ替わらない細胞もあるんだって」
「だから、どうしたのですかっ!」
大ぶりの一撃を、軽々と回避し、私たちは男の懐に潜り込む。
「500年だか知らないけど、暦と私の絆を断ち切れるんだから、出来ないはずがないわ」
そして私たちは再び、その心臓に刃を突き刺した。
私たちの境界が、曖昧になっている。何度経験しても、決して慣れない感覚。
時が進むごとにそれは加速していき、彼我の区別がどんどん無くなっているのがわかる。
そんな私たちは、フォスフォラスの先程よりも前の過去を見ていた。
『やりましたっ! これがヤオビクニの最適量! 生命がまだ続いている!』
私たちは、クラゲが初めて生み出された光景を見た。その周囲には、枯れたように萎びれたクラゲの死体が山程に積み重なっている。
『ふむ、いくら高寿命の人々を調べたところで、特に発見はありませんでしたね』
私たちは、平均寿命が300年を超える種族が暮らす異世界で残虐の限りを尽くし、屍の山を見つめながらつぶやく男の姿を見た。
『駄目だ、やはり一般人の精神体化は出来ません。……どうやっても、途中で精神が崩壊してしまう。魔法使いとの溝はそこまで深いのでしょうか』
私たちは、発狂して叫び暴れる人々が収監された檻を見つめ、真剣に悩む男の姿を見た。
『……どうしてなんだ、どうして私以外の人間にヤオビクニを与えても、こんなものになってしまうんだ』
私……違う、私たちは萎びれたクラゲを見つめて、懊悩するように頭を抱える男の姿を見た。
『……うあ』
そして私は、砂漠に倒れている男の姿を見た。
私? 私は一体何者なのだろう。わからないが、しかしやるべきことはしっかりと覚えていたし、それだけじゃない、いろいろな記憶が確かに私にはある。だが、そのひとつひとつが整合しない。まるで同じ時間軸に自分が二人いたかのように。
……まあ、それはどうでもいい。今は男の動向が大事である。
『……水を、水を』
男の目の前には、オアシスがあった。
小さな水の池であり、男はそこに向かって骨と皮だけのミイラめいた手を伸ばすが、しかしそれは届かない。当たり前だ、両足の腱が切れている上に、足首についたアンクレットが魔法の発動を禁じているのだから。これでは、いかに近くに天国があろうとも、そこに到達することは出来ない。そもそも、そのからからに乾いた瞳にオアシスが見えているかも疑問だが。
『あははは、まるで人生みたいだね』
突然、そんな男を見下ろすように少女が現れた。銀と赤の髪の少女。
『人生ってさ、最後は死ぬのが決まってるじゃん? みんな知ってるけど、目の前にあるような気がする、届きもしないオアシスを目指して無意味に生き続けて、結局そこに微塵も届かないまま死んでいく。……人間ってバカだねえ。でもそんなところも可愛いんだ』
『……水、を』
少女の言葉はまったく届かず、しかし男は亡者のごとく少女に向かって手を伸ばした。
『仕方ないなあ』
少女はその手を取ろうとして、
『――今だっ!』
私はそれよりも早く、男の手を取った。
「――ッ!」
目を開ければ、私たちは再びに彼我の境界を取り戻していた。
私は天音セツナで、彼女はカレンだ。
(……危なかった)
(ああ、あのままじゃ、私たち完全に融合してたな)
改めて、この分離剣がいかに重要な役割をしているかがよく分かった。
「……そうじゃなくて!」
私たちの目の前には、急速に萎びていく巨大な触手の断片と、その近くで倒れている仮面の男がいた。
「成功だ、分離できたっ!」
「……嘘だ、こんなことが」
先程少女の手を取ろうとしたときのように、必死に男が触手に向かって手を伸ばす。だが、妙な挙動の一切を私たちは許さない。
「ごがっ」
そのみぞおちを蹴り上げて、男は仮面から覗く目を苦悶に歪めてもんどり打った。
「……私を、殺す気ですか?」
鋭い三白眼が、しかし力なく私たちを見上げて、絞り出すように言う。
「ええ」
私たちは即答した。二人の総意だった。
「……私を殺せば、今まで私が殺してきた10万、否、100万を超える人々の犠牲が、まったくの無駄になりますよ。それどころか、これから救うだろう数えきれないほどの人々を殺すことになります」
「人は死ぬわ」
「……その摂理から反逆したのがそのナイフだというのに、よくいいますね。結局のところ、あなたも私も、いいや、この世に生きるすべての人々は死から逃れようとしている時点で、同じ穴の狢でしょう」
「だからどうしたのよ。命乞いのつもりならもっと言うことがあるでしょう?」
「ええ、まあ――命乞いではありませんからっ!」
男が急に立ち上がり、私たちを蹴った。
すぐさまに両手で防御するが、しかし男はその反動で私たちから距離を取る。
「私は死にませんよ、絶対に!」
((――何、これ))
天井に開いた穴から、等身大の人形がこちらに向かって落ちてきていた。
数え切れないほどのそれらは、全身が真っ白で、デッサン人形のようにシンプルで表情どころか顔さえもない。
「時間稼ぎだったのかっ!」
私たちが幾度となくやってきた行為の意趣返し。
着地した人形たちが私たちに向かって群がってくる。
「数が多すぎる、このままじゃ逃げられる!」
私たちはそれらを斬っていくが、もはやフォスフォラスを捉えることなど出来ないほどに、視界は人形で埋め尽くされていた。
「――だったら、これで!」
人形どもを、私たちは融合剣で一気に蹴散らす。
そして開けた視界の端に、異様な光景を目にした。
男の体から、半透明の男が――つまり精神体が現れて、人形に向かっている光景。
(そうか、これはスワンプマンだ!)
スワンプマン――そうだ、精神体を飛ばすことが出来る魔法使いは、その時点で不老不死に近い存在なのである。
「させるかっ!」
再び雪崩のように押し寄せる人形たちを無視して、私たちは銃を今にも人形に触れそうな精神体に向かって放った。
『――ごげっ』
カエルが潰されたかのようなうめき声とともに、人形たちが動きを止める。
「……今度の今度こそ、やったな」
「ええ、カレンがいなかったら出来なかった」
「お前もな」
私たちはお互いを称え合いながら、人形を払い除けてフォスフォラスの精神体に向かった。
『……そうですか、私は死ぬのですか』
男はすでに動かなくなった人形の目の前で、その腹に大きな穴を開けて倒れていた。
「報いだ。せいぜい地獄で頑張れ」
『……不老不死さえ実現すれば、天国に行けると思ってたんですがね、あなた方のせいで大失敗ですよ』
「だとしたら最悪ね神様」
『ええ、神様は最悪ですよ。知らなかったんですか』
「そのとおりね」
私は思わず深くうなずいてしまった。
神様はいつも私のいちばん大切なものを奪っていくのだから。
『……最後に、もう一度だけいいます。今ならまだ、あなた方が魔力を分けてくれれば、それでなんとか一命を取り留められるでしょう。……もう悪事はしません。暦さんも返します――だから』
「勘違いしないでよ」
私は思わず、その仮面に向かって再び銃を突きつけていた。
「あなたが死ねば暦は開放されるし、少なくとも私があなたを殺そうとしたのは、その所業じゃなくて――」
そこで引き金に指をかけて、
「あなたが暦に危害を加えたからだわ」
私は引き金を引いた。
『……なるほど、邪悪、ですね』
「ただのバカだ」




