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割り算の魔法少女③

「……よかった、間に合った」

「……」

 暦のメッセージ。『午後の6時に学校の屋上で待ってます』

 私は大急ぎで制服に着替えて、カレンを引っ張りながら学校の屋上へ向かった。

 時刻は午後6時ちょうど。

 目の前には夕日を背に暦がぽつんと立っている。

「……それで、一体何の用かしら?」

 恐る恐る、暦に尋ねた。

「……」

 しかし回答はない。

「もしかして怒ってる?」

「……」

 やはり答えはない。

 だが、その表情は怒りではない。……というよりも、そこには表情がない。

 ただ、ひどく虚ろな緑の瞳が虚空を見つめていた。

『……おい、なんかおかしいぞ!』

「ねえ、暦っ!」

 声に焦燥を交えながら、暦の細い肩を掴んで揺らす。だが、やはり無反応。

「大丈夫、暦!? ねえ、返事をしてよっ!」

『この気配はもしかして……! そいつを離せ、セツナ!』

 私はカレンの言葉を無視して、暦の肩を乱暴なまでに揺らした。

 それでもなお彼女は無反応で、それどころかその瞳の虚ろさは加速していく。

『離せ、離すんだ、バカ野郎!』

 しかし突如、虚空を見つめていたはずの瞳が私を見据えて、

《ぎあああああああああっ!》

 聞き慣れた絶叫が響くと同時、私の体はその意志に反して飛び退いていった。

「――!」

 離れていく視界の先で、暦の足元に五芒星が浮かび上がって、その華奢な体が青く発光し、その姿を捉えることができなくなる。

「嫌だ、暦、暦、暦――」

 私はその光に向かって駆け寄ろうとするが、しかし体は動かず、ただ無力にも手のひらが虚空を切るだけだった。

(駄目だセツナ、どうにもならない、こいつはもう――)

 光が晴れる。

 暦が、いいや、暦だったものが姿を現す。

 夕焼けに照らされるのは、ゼリー状の透明の皮膚、キノコめいた頭、そこに埋め込められた青いコア。そう、それは、私たちが幾度ともなく屠ってきたそれの名は――

「――クラゲだ!」


「……嘘、でしょ」

 私は無理やり地面に縫い留められているかのような不安定な気持ちのまま、そのクラゲを見上げていた。現実には、その足はしっかりと床を踏みしめているのだが。

「なんで、なんで暦が……」

 その名を呼ばないことしか、私が現実から逃避するすべはない。だが、カレンはそれさえも許さずに言った。

(フォスフォラスが言ってただろう、クラゲは元々人間だったって! 暦はその犠牲者になったんだ)

「そうよ、これは夢よ、夢。悪夢。さっきの夢の続き――」

「――危ないっ!」

 触手が襲いかかるのを、私の体が勝手に避ける。砕けた床の破片が足をかすり、血がたらりと流れた。……夢だというのに、やけに痛い。

「夢じゃねえんだ! 現実を見ろ! 暦はクラゲになっちまったんだ!」

 そう言って私の手が勝手にポケットまで伸び、ナイフを掴む。

 変身する気だ。私は必死でその動きを止める。

(……嫌だ、やめて! あれは暦なのよ! 殺せない!)

(お前が殺せないなら、私が殺す!)

(駄目、そんなの、私にだろうとあなたにだろうと、暦は殺させないっ!)

(……言ってたじゃねえか、殺したのはフォスフォラスであって、私たちじゃないって! もう暦は死んでいるんだ! これは弔いなんだよ、殺しじゃない! 暦のためでもあるんだ!)

(――!)

 他ならぬ私の言葉に、ナイフを抑える力が一瞬だけ抜けてしまった。

「――変身!」

 カレンはその隙を逃さずに、ナイフで髪を切り、魔法少女に変身した。

《ぎああああああああっ》

 襲いかかる触手を、私たちは流れるように紙一重でバックステップで回避する。

「……わかったわ。あなたの言う通り。これは殺しじゃなくて、弔い。……だったら、私があのクラゲを、暦の体を勝手に使っている化け物を倒す」

(ああ、それでいいんだ。安心したよ。……暦と一緒に心中するなんて言い出さなくてよ)

「……流石に私もそれほどバカじゃないわ! なるべく苦しませずに一撃で終わらせる!」

「ああ!」

 私たちはすべての触手を容易く切り抜け、その刃の間合いに入り込む。

 もはや、青のコアは、暦の命は、目と鼻の先だった。

((――融合剣・簡易式!))

 お互いの魔力と魔力を剣に同じだけ集める、何度も何度も行ってきた、本来ならば容易いはずの工程、だが、それでも繊細極まりない作業。

(……ごめんね、カレン)

 私はそうつぶやいて、

「――ッ!」

 私たちの体をスパークが包み、激痛が走った。


《ぎああああああっ》

 そのまま床に仰向けに倒れる私たちに、触手が襲いかかってくる。

(まさか、お前!)

(ごめん、カレン。……やっぱり私には出来ないよ)

 私は回復しようとするカレンを制しながらも、心から彼女に謝る。

(だからって、お前本当に心中するつもりか!?)

 そうだ、心中。

 魔力融合は、ほんの少しでもその値がズレてしまえば魔力の雷がその身を襲うこととなる。つまり私は、あえて自爆したのだ。

「……ぎっ」

 刺すような痛みが走った。

 腹に触手が巻き付き、私たちはクラゲのもとに軽々と引きずられていく。

(……あなたを巻き込むのは本当に悪いけれど、でもそれ以上に、私には暦を、暦だったものを殺すことは出来ない)

(そんなに暦が好きなのかよ!)

(好きよ、好きに決まってるじゃない! あなただっていつも私と一緒にいるんだから知ってるでしょう!?)

(ああ、知ってるよ! だからキスしてやった! お前が、セツナが暦とまた結ばれることが出来たなら、それは私にとっても同じくらい幸せだと思ったからだ!)

(余計なお世話よ、バカ――)

 私たちの目の前に、クラゲの頭部の真下に位置する、口のようなものがあった。

 口の中から、外にあるのと酷似した触手たちが舌のごとく私たちにまとわりついてくる。

 ぬらぬらと粘液で輝くそれ、その奥に見える青いコア、本来ならばおぞましいはずのそれが、今の私にはひどく妖艶にさえ見た。

(……ああ、やっと私は本当の暦と一緒になれるんだ)

(違う、こんなものは断じて――)

《ぎいいいあああああっ》

 ぱくりと、私たちの下半身が一口に呑み込まれる。

 透明の皮膚ごしに、重油を何十倍の粘土にしたかのような液体がまとわりつき、暴れることさえ出来ない足たちが見えていた。

(……嫌だ、嫌だ、嫌だっ)

(ああ、暦……)

 目の前で、体が溶けていく。靴が、靴下が、服が、皮膚が、筋肉が、血液が、内臓が、あっと言う間に透明の粘液の一部となって見えなくなっていく。そしてついには、あちこちから骨が覗く。

 不思議なことにそこには痛みはなく、それどころか不思議な充足感さえもそこにはあった。

(やっと、一緒になれるんだね。カレン、あなたも一緒に行こう?)

(……駄目だ、こいつは暦なんかじゃあない。私たちの知っている暦は、私そっくりの美少女のはずだ)

(見た目じゃないのよ、愛は)

(お前はどこに惚れたんだ。今それはこの化物にあるのか!)

(あるわよ、とっても優しい。暦はなんにも変わってない)

(……いいや、変わってるな! 暦は言っていたんだろ、このままじゃ自分無しでお前は生きていけなくなるって! それが嫌だから暦は辛いのを我慢して別れたんだろう!? こいつはお前を文字通り取り込もうとしているじゃねえか、真逆だ!)

(……でも、でも、私は――)

 今にも全てが溶けていきそうな下半身を見つめながら、私の心は微かに逡巡していた。

(相手がどんなになっても好きだなんて、んなもんは愛じゃない、信仰なんだよ、バカ野郎が! 神様相手には友愛も恋愛もクソもねえだろ!)

(だけど、本当の暦はもう――)

 そうだ、私はただ、どうしようもない現実に折り合いをつけるために自分を騙していただけに過ぎない。だけど、それしかないじゃないか。

「――諦めるなよ、本当に好きなら! 今まで諦めななかったんだから! ずっと一緒にいるんだろう!? それは消化されることじゃない!」

 ああ、何もかもカレンの言うとおりだ。

 なぜ私はこんなにも簡単に諦めようとしていたのだろうか。

 実に私らしくない、愚かな行為だ。

「ええ、そのとおりね、そうよ――」

((こんなところで、諦めてたまるかっ!))

 叫びとともに、私たちは首元のネックレスについていたナイフ――私たちがいつも変身するときに使っているものが魔力的に変質した、その金色の刃をもぎ取り、

《ぎああああああっ!》

 本当の暦を奪っていった化物の頭部に突き立てた。

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