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ふたりでひとつの魔法少女①

『……ごめんセツナ、好きな人、出来ちゃった』

 申し訳なさそうに、けれどもどこか恥ずかしそうに、そしてなによりも喜びを隠せずに、暦はその小さな薄い唇を動かした。

『……』

 何を言ったか理解できない。

 ただ、唇の動きだけが見える。

 そうだ、あの日、確かに重ねたはずの唇が意味不明の文言を漏らしている。

『……なんで謝るの。私、謝ってもらうようなことしてないよ。私と暦は恋人じゃないもん』

 勝手にこちらの唇が動いていた。

 ああ、そのとおりだ。私と暦は恋人同士ではない。

 ならば、なぜ私は彼女と唇を重ねたのだろう。

 ちょうどこの教室と同じで、真っ赤な夕日が差し込み、少し開かれた窓からは夏の風に乗ってセミの鳴き声が届く。今でもその柔らかい感触が、容易に思い出せる。

『恋人なんて、そんな吹けば飛ぶような関係じゃない』

 そうだ、ずっと一緒にいたかったからだ。

 他の友達とは絶対にしないようなことをして、彼女をつなぎとめていたかった。

 二人だけの特別な関係になりたかったからだ。

『……だから、そういうの、もうやめない?』

 だというのに、暦の唇はさらに破滅を紡いだ。

『なんで、なんでそんなこと言うの? 私、暦になにかした?』

 ひどくカサついた、自分のものとは思えない声が耳朶を打つ。

 実はこれは全て他人の経験であり、眼の前の彼女もまた、暦のそっくりさんではないか――そんな淡い希望を、見紛うはずもない、何度も見つめられた瞳が塵芥に還元させる。

『別に、嫌いになったとか、そういうのじゃないの。でも、今の私たちの関係はおかしい』

『おかしくてもいい。世界なんて関係ないもん。私と暦がいれば、それだけで』

『やっぱりそういうのって、不健全だよ。……私とセツナはずっと一緒にはいられないから――』

『いられる! いられるもん! こうやって高校だって一緒に入った! これからも一緒にいられるもん!』

 幼子を諭すような言葉を遮り、叫ぶ。

 暦とずっと一緒にいられるならば、私は何でもする。

 その“好きな人”とやらを許容したっていい。最後に自分のところに戻ってくるならば、私が一番ならば、そんなことはどうでもいい。

『無理だよ。現に、せっかく入った高校だって別のクラスになっちゃったし』

『そういう問題じゃ――』

 今度はこちらの言葉を遮って、暦が抱きついてきた。

 細く華奢な体に包まれて、彼女の長い黒髪の芳しい香りが鼻をかすめる。

 お人形さんみたいに整った目鼻と、緑の大きな瞳が至近距離にある。

 あのときとは逆だ。

 あのときは私が暦を無理矢理に抱きしめた。

『もう、終わりにしよ? このままじゃ、セツナは私なしじゃ駄目になっちゃう』

『もうとっくにだめになってるもん。……だから一緒にいよう? 責任とってよ』

『駄目。責任はとれない。だってこれは、あなたの人生だから。そして、私の人生は私だけのもの』

 そこで言葉を一度切って、こちらをひときわ強く緑の瞳で見つめると、暦は静かに、しかし力強く囁いた。

『もう、おままごとは終わり』


 次の瞬間、視界が暗転する。

 再び明るくなった視界に飛び込んでくるのは、心臓にナイフを突き立てられ、血まみれの床に倒れ伏せる一人の少女。

『……嘘でしょ、なんで、暦が』

 真っ青な顔でこちらを見上げ、力なく手を伸ばす少女は、まごうことなく間宮まみや こよみだった。


「うわああああ!」

 叫びを上げて、私は飛び上がった。

 一番最初に飛び込んでくるのは真っ赤に染まった机、そのまま私が腰掛けていた椅子は後ろに向かって倒れて、背後の椅子にぶつかって元の場所に戻ってくる。

「ぐえ」

 そのまま胸をしたたかに己の机にぶつけて、その痛みで正気に戻った。

「……夢か」

 初夏、放課後の空き教室。夕日が山の端に沈むのが見て取れる窓に私――天音セツナが映り込んでいる。泣きはらしてひどい事になっていた。

 一応は、暦いわく可愛いらしい顔。

 釣り眼がちな目に縁取られた青い瞳の周りが、夕焼けに負けず劣らず真っ赤になっている。頬も同様だ。いつもやけに白いだけにその落差が怖い。背中の中ほどまで伸ばされた淡桃の髪はふて寝のせいで主に前髪がボサボサになり、総合的に見て人様の前に出せる状態ではなかった。

「うわ、落としちゃってるし」

 ポケットの中にあるはずの重さの不在に気づき、それを床に落としていたことに気づく。そのままかがんで拾おうとして、

「こんなの誰かに見られたら通報――」

「通報?」

 隣の席に誰かと目があった。

 ひと目見て、そのまま釘付けにされる。

 そこには、異質な存在がいた。

 幼い、中学生になりたてくらいの顔立ち、しかしうちのセーラー服を着ている。しかし、その横顔に差した陰のようなものは、少女を中学生にも高校生にも見せない。

 金色の五芒星の髪飾りの、首筋まで伸ばしたおかっぱ頭。それは絹めいた銀髪、その前髪の真ん中が帯状に真っ赤な紅色に染まっている。全く異質な髪色。

 それさえも抑える、何よりも強い印象――こちらを見つめる、神秘的な琥珀色の瞳。それが夕焼けを吸い込み、燃えるように煌めいていた。

「……っ!」

 このままでは琥珀に取り込まれた羽虫になりかねない――そんなとりとめない妄想とともに首を振り、視線を払う。そして、思考もまたその瞳から逃れるように、声を振り絞った。

「すごい髪色だね」

「……あなたには言われたくないですよ。ピンク色だし」

 少女がこらえきれないと言ったふうにふっと笑うと、先程までその身にまとっていた異様な雰囲気は雲散霧消し、年頃の少女がそこにいるだけになった、

「生まれつきだし」

「私もです」

 髪がカラフルなのは、よくあることだ。AB型くらいの希少度である。だが、少女のように前髪の真ん中だけ色違いなのは見たことがない。

「で、そんなことより、それ、ナイフ?」

 視線を床に遣って、少女が問う。

 その先には、黒々とした鞘に無骨な刀身を包んだそれが、二人の間に生まれた陰にその身を投げ出していた。

「……まあ、ね。ほら、私中二病なの!」

 ひどく重苦しい言葉の次、聞かれてもないのに早口で続ける。

「こういうナイフに憧れちゃうお年頃っていうか直死の魔眼っていうかなんていうか!」

「へえー、そうなんですかー」

 ことなげにいいながら少女はナイフを拾い、その鞘から刀身を抜いた。

 新品の鉛筆ほどはあろうかという刃渡り。白銀の刃が、夕焼けによって血のように真っ赤に染まっている。

「………」

 その刃を見つめていると嫌な思い出が頭をよぎり、私は顔を背けた。

「中々ごついね。こんなの持ってるのがバレたら怒られるだけじゃ済まないかも。セツナさん嘘つくの下手くそみたいですし」

 鞘に再び収めて、ぽんと手のひらに置かれる。

「――は?」

 なぜバレたのか、頭の中が真っ白になった。

 いや、そうじゃない。

「待って、なんで私の名前を――」

『助けてえええええっ!』

 私の疑問は、突然響いた叫びに遮られた。


『髪の毛がピンク……! やった、魔力保持者だ!』

 その少女はどういうわけか、叫び以外の一切の音を立てずに教室に侵入し、私の目の前に立っていた。

 すなわち、床を踏む音も、扉が開く音も、一切させずに。

 しかし、あのときの私はその異常性に気づかなかった。だって、

「……暦、嘘でしょ、どうして」

 その少女は、ここにいるはずがない少女の姿をしていたのだから。

『暦?』

 腰まで伸ばした、さらさらな黒髪。私の大好きだった、あのロングヘア。

 大きなタレ目がちな緑の瞳。

 雪のように白い肌、人形のように整った目鼻立ちに、華奢で私より少し小さい背。

 そう、間宮暦――私を拒んだはずのあの少女が目の前にいる。何故か魔法使いが着るような黒いローブ姿だが。

(いやでも、おかしい、そんなはずがない。……だって暦は、暦の――)

 しかし、不整合な現実への思考は、目の前の圧倒的な現実感を前に脆くも崩れていく。

「――暦っ!」

 故に私は考えるのをやめて、そのまま少女に抱きついた。しかし、

「あれっ」

 そこにはなにもないかのように、その抱擁は虚空を切るだけだった。そのまま勢い余って床に向かって倒れる。

「ゆ、幽霊!?」

 両手で受け身を取って、振り返りながら叫ぶ。よくよく見れば、暦そっくりの少女は半透明な上に、床から数㎝上にプカプカ浮いていた。

『違うわ! そんなことより――』

 幽霊? の反論を遮って、ちょうど直線上にある教室のドアが派手に吹き飛んだ。

「――!」

 そのままドアの残骸は倒れたままの私に向かって来る。

 凄まじい速度。

 だが、重油の中を進むかのごとく、その鉄塊はゆっくりと見えた。

 走馬灯。

 しかしいくら思考が加速されようとも、体はピクリとも動かない。

 私にできることと言えば、予想される惨状から逃げるように目をつむることだけだった。

「……あれ」

 しかし、いつまで経っても衝撃はこない。

 代わりに、破壊音、それこそ背後で鉄塊が壁にぶつかるような大きな音が聞こえた。

「……生きてる?」

 恐る恐る目を開けて、手を何度もぐーぱー開く。

「悪い、勝手に体借りた」

 声がした。どこか聞き覚えのあるような声。

 しかし、視界内には声を発しそうなものはない。

「バカ野郎、お前の声帯からしてるんだよ」

 言葉とともに、腕が勝手に親指を立てて下に向けられた。

「ちょ、なにそれ、わけがわからない!」

「わけわかるのは後でだ、今はあれをどうにかしなきゃな!」

 そう言って、私の視線は勝手に動き、その“あれ”を捉えてしまった。

「――ひいいいっ!」

 それは、巨大なクラゲだった。

 それ以外の何者でもない。

 教室の天井に頭がつきそうな巨体、きのこのような笠に、触手がいくつも連なった、人間大の透き通るゼリー状の化物。

 その頭部には通常のクラゲには存在しない、バスケットボール大の真っ青な青い目が浮き上がっている。それが、ぎょろりとこっちを見た。そしてそのまま、こちらに向かって机を倒しながら駆けてくる。

「―――」

 悲鳴をあげようとしたが、何故か出なかった。

 代わりに私の体は勝手に動き、もう片方の出入り口に向かって駆けていた。ただし、床ではなく机を踏み台にして、自分でも信じられないような速度で。

《ぎいいああああああっ!》

 鳴き声とも悲鳴ともつかないノイズめいた何かとともに、こちらの背に向かって触手の一本が襲いかかる。

「させるかっ!」

 私の体は振り返りざま、ポケットからナイフを抜き取り、紫色のオーラを帯びた刃で触手を弾く。同時、凄まじいスパークが上がり、刃にヒビが入った。

(なんで私は、こんな事ができるのよ!)

「そりゃ、私が操ってるからだろう、が!」

 思考に返答する叫びとともに、私の足が目の前に迫ったドアを勢いよく蹴破り、廊下に転がり出ると、間髪入れず走り出した。

 つい先程までいた場所を、いくつもの触手が穿つ。それだけでリノリウムの廊下は穴だらけになり、余波で窓ガラスは割れ、廊下一帯を地割れが支配した。

(あれ当たってたらどうなってた!?)

(死ぬに決まってるだろ、バカ!)

 今度は心の中で返されて、私の体はそのまま廊下を疾走した。

(――だけど、バカのくせにナイフなんて持ってたのは褒めてやろう! これがなければ、何もかも詰みだった!)

 ああ、そのとおりだ。

 この忌々しい刃がなかったら今頃私は廊下よりもひどい惨状になっていただろう。だけど、それでも――


 そもそも、こんな物騒なナイフはなんのために用意されたのか?

 言うまでもなく、暦と無理心中するためである。

 当たり前だ、暦がいない世界で、私が生きていけるはずがない。どうせ死ぬならば、暦と一緒に死にたい。

 そういうわけで、放課後のチャイムが鳴ってすぐ、私は自分のクラスから最も遠い、廊下の最南端にある暦のクラスを目指して歩いていた。

 肩にかけられたスクールバッグの中には抜き身のナイフ。ジッパーは開いているので、手を入れてすぐに取り出せる。

 あちこちを放課後の喧騒が席巻し、そこにセミの鳴き声が加わる、さぞややかましいのだろう。けれども、その全てが今の私にはひどく遠く感じられた。

『……私、暦のいない世界なんて考えられないんだ』

 やっと教室の前にたどり着くと、ナイフをバッグの中で強く握り込む。

 そしてそのまま、私は教室に向かって一歩を踏み出した。


(どこいくの! このままじゃ屋上で追い詰められるよ!)

 ヒビの入ったナイフを逆手に持ちながら私の体は疾走を続け、何故か階段を登っている。五段飛ばし。ジェットコースターに乗っているかのようにあっという間に景色が流れていく。

「それでいいんだよっ!」

 ついに最上階、私の足は屋上の扉をヤクザキックめいて蹴破った。

「「――っ!」」

 夕焼けはもう沈みかけ、眼下の街を夜の帳が包みかけているのが見える。

 そこに人影が二つ――二人の生徒が手をつないでベンチに座っていた。

 反射的にお互いをかばうようにするカップル。

 一人は、私の中では相も変わらず顔さえも認識できない男子生徒。

 そしてもうひとりは、美しい黒髪を短く切りそろえた、人形のように美しい少女――本物の間宮暦。

「いちゃついてるんじゃねえええええっ!」

 私の言葉を代弁するように、勝手に口が動き、間髪入れずにその両手が二人の首筋に手刀を叩き込む。瞬時、二人はベンチの背もたれに体を預けるように、意識を失った。

 しかしそれでも、二人は確かに生きている。

 当たり前だ、私のナイフは情けないことに、誰ひとり傷つけられなかったのだから。


『………』

 放課後の教室、暦のクラス、出入り口。

 そこから先、私の体は震えるだけで、それ以上進むことが出来なかった。

 震えの原因は何か。

 視線の先には、地獄が広がっている。

 暦のチャームポイント。

 私の薄桃色とは違う、つややかな美しい黒。

 腰まで伸ばされた長く、さらさらと絹めいてきれいな黒髪。

 しかしそれは、うなじが見えるほど短く切られていた。

(……なんで、なんで)

 いつも砂みたいに手を抜けていくさらさらな絹髪が、私の大好きな黒髪が、ばっさりと切られてしまっている。

『やっぱり似合ってるな』

 声が聞こえる。低い男の声。

 相貌さえ認識できない、暦の隣にいる男子生徒。

 だというのに、その声は放課後の喧噪を通り抜けて、私の耳に確かに届いた。

『でしょ? ――の言う通りだよ』

 名前は聞き取れない。あるいは脳が拒否している。でも、猫撫でるような声の、黄色い声の、聞いたこともないような暦の声は聞き取れる。

(あの男が切らせたのか。暦の黒髪を)

 ついさっきまでどうでもいい存在だった男が、嫉妬の対象でさえなかったモブ同然の男が、私の中で敵となった。

(……なのに、なのに)

 それでも、私の体はピクリとも動かない。

 のっぺらぼうの男に向けるその表情は、今まで私が見てきたどんな彼女の表情よりも幸せそうで――

(……きっと、私は暦と話してるとき、こんな顔をしているんだろうな)

 私は泣きながら廊下を駆け出した。

 敗北者がそこにいた。


 できたてホヤホヤの黒歴史。

 誰も傷つけられなかった刃が、失恋(によく似た別の何か)の刃が、全く関係のない作業をしている。

 具体的には、屋上の床に幾何学模様の魔法陣のようなものを刻んでいた。足元に広がる、大きな円形。絵心のない私では絶対に描けなさそうな複雑な文様が、滑るように迷いなく私の腕で描かれていく。

《ぎがあああああいいいいあああ!!》

 しかし、そうしている間にも同じように魔法陣が刻まれた屋上のドアがゴンゴンと叩かれ、絶叫と轟音とともに凄まじくたわんでいる。あの向こうにあのクラゲがいるのだ。

「ねえ、あの扉どれくらい持つの!」

「あと三分持ったら御の字だろうな! ああ畜生、描きにくい!」

「ていうかあれは何なの、あななたは!?」

「お前、なんで自分の髪がピンク色か考えたことあるか」

 全く関係ない問答が私の口から漏れた。その間にも、腕は凄まじい軌跡を描いている。

「体に蓄えられた魔力がろくに使われもせず劣化して漏れ出て、髪の毛を変色させてるんだよ。アニメや漫画じゃないんだからな、髪色がそんなカラフルなわけがねえ」

「そして私はそういう魔力の行使手段――つまり魔法が当たり前の世界からやってきたんだ。次元の壁を超えるために体は向こうに置いてきたがな!」

「それこそアニメや漫画じゃない! つまり何か、あなたはアニメや漫画みたいに私の体を使って魔法を使おうっていうの!」

「ああ、正解だ」

 そんな問答をしている間にも、轟音は大きくなり、扉はどんどんひしゃげていく。

「……じゃあもしかして、その気になればいつでも私から出ていけるってことだったり? 私が死にかけたら最悪脱出したり……しないよね? 一蓮托生、だよね?」

「ああ。お前がやばくなったら最悪脱出する。次のやつを探すさ」

 欠片も悪びれない言葉。

「――って、それじゃ私一方的に損してるじゃない!」

 ツッコミ、思わず体がこわばる。

「だからどうしたんだ、死ぬよりはマシ――あっ」

 その身体のこわばりが原因だろうか、あるいは偶然か。クラゲの攻撃を受け止めたヒビを起点に、ぼきりとナイフが折れた。途中まで描かれた魔法陣を置き去りにして。

「ぎゃぁあああああっ!」(ぎゃぁあああああっ!)

 悲鳴が外と内でハーモニーを奏で、ついでそれを打ち消すような轟音が響く。

 扉が吹き飛んだのだ。

《ぎよおううああああああっ》

 視線の先には、あの青い眼球を頭部に浮かせた巨大なクラゲの化け物がいる。心なしか、その瞳は鋭くこちらを睨めつけていた。

 一方、こちらといえば折れたナイフを見つめて、呆然としているだけ――

「――あああもう、仕方ねえ!」

 と思いきや、私の腕が動いた。

 幾何学模様の中心に折れたナイフたちをひとまとまりに配置する。

《ぎやああうううううう!!!》

 触手の群れが襲いかかる。まだ触れていないというのに、体が焼けるように熱い。

 再びの走馬灯。触手たちの動きはあまりにも遅く、その表面に走る微細なスパークの動きさえも見て取れる。

 だがしかし、あのときの、目をつむることしか出来なかった私はいない。

 というよりも、目を閉じることさえ許されない。

 その両手が勝手に動き、床に手をつく。

 同時、幾何学模様が目も眩むような青の燐光を放ち輝く。

 たったそれだけで、襲いかかるはずだった触手たちは魔法陣を中心に発生した半球状の青い半透明に阻まれた。

「ば、バリア……?」

「これはせいぜい十秒しか持たない。問題はこれだ」

 そう言って魔法陣の中心を指差す。

「……ナイフ?」

 そこには、先ほどれたはずのナイフがもとに戻り、それどころか刃が黄金に輝いていた。

「これを使うんだ。最悪消えちゃうかもしれないが、そのときは謝る」

「いや謝れないでしょ!」

 私の言葉を無視して、私の手は勝手にナイフを拾う。その輝きはあまりにも恐ろしく、これを暦に向けようとしていた己の愚かしさに今更気づいた。

「早くしないとどっちみち死ぬ! ちょっとした違いだ」

 ナイフがこちらの首筋に向かって近づく。

(やだやだやだ、死にたくない!)

 もはや声すら出ず、私の手は勝手に動く。

 違う、そうじゃない、もう嫌だ。これは私の手であってそうではない。こんな言い回しはもう嫌だ。疲れた。

 今の状況からすれば全く些末な事を考えている間にも、バリアにヒビが入っていく。

「……カレンだ」

(え?)

「私の名前、カレン」

 私の身体を奪い取っている、かつての暦そっくりな少女は不意打ちのようにそう言って、そのままナイフをこちらに向かって振り下ろし、

(――ぎゃあああああああっ!)

 背中の中ほどまで伸ばしていた私の桃色の髪が、バサリと切り落とされた。

「え?」

 次の瞬間、バリアが触手に破壊され、こちらに降り注いだ。


 粉々に砕け散った透明のバリアが、ガラスのようにその姿を映している。

 本来のそれよりだいぶ真っピンクなツインテール。先ほど髪を切ったはずなのに、二つとも腰まで伸びている。しかしその片方、右側の房が艶のある黒髪と化していた。それだけではなく、前髪に黒いメッシュがいくつも走っている。

 首元には先程のナイフが変質したであろう、装飾の施されたきらびやかな黄金のそれが、鎖につながって首飾りのようになっていた。

 元々のセーラー服がベースの、フリルを満載にした黒とピンクを基調とした格好。手袋やミニスカートから覗くニーソックス、髪飾りたちは左右で白黒に違う。

 そしてガラスの欠片を見つめるオッドアイ。右は青であり、左は緑であった。

 左右非対称のどぎつい色合いの魔法少女。

 今の私は、いいや私たちは、そんな存在と化していた。

「――!」

 しかしその姿を破片に認めたのもつかの間、触手たちが襲いかかった。

「遅いな、笑えるくらいに」

 嘲るように私――ではなくカレンが言って、右手に魔法陣とともに現れるのは分厚い剣。私の腰の高さほどの刀身は、紫色のオーラをまとい、襲いかかる触手たちをいともたやすく両断する。

 しかしその動きは今までの、身体を無理やり操られている感覚とは程遠く、まるで私が考えて動いたかのように体に馴染んでいた。

「……何これ、世界の破壊者みたいな色合いね」

 他にもいろいろと言いたいことはあったが、気がつけばそんな事を言っていた。

「あれはマゼンダだろ。これはピ・ン・ク。どちらかと言えば世界じゃなくて時間を渡り歩く方だ。憑依してるし」

「なんで知ってるの、異世界人でしょ」

「お前の頭を覗いたんだ。今の私ならばそれくらい余裕。……混ざり合ってるからな、多分」

「なら二人で一人の探偵じゃない。って、多分って何よ。自分でもわかってないの?」

「仕方ないだろバカ。魔法陣が未完成だったからこんな事になってるんだ。イレギュラーな状況なんだよ。死ななかっただけマシだ」

 言葉とともに軽く地面にふれると、魔法陣が屋上を埋め尽くした。

「なにそれ」

「認識阻害魔法。ドンパチし放題パック」

《ぎいいいああああああう!》

 俺を無視するなとでもいいたげな咆哮とともに、先程切り落とした触手たちが再生する。

「あの青いやつを潰さないと倒せないぞ、あいつ」

「知ってる!」

 そう言って、私たちは駆け出す。

 触手たちの数は十を超え、カウンターめいてこちらを迎え撃つが、そのひとつひとつを正確に回避していく。先ほどナイフを弾いたときとは比べ物にならないほどに、それらは遅い。

(遅い、遅い、遅い!)

(バカ、そうじゃない――)

 頭に響く言葉よりも速くカレンの思考が頭の中に浸透し、私たちはとっさに半身を翻した。

 背後には受け流した触手の群れ。

 すぐさま剣で斬り払うが、こちらを立てればあちらが立たず――その真後ろから残った触手たちの猛攻がやってくる。

「バカ」

 カレンの悪態とともに、空いた左手に先程と同様魔法陣が浮かび上がって拳銃が現れる。大昔の海賊が使ったような流れるように滑らかな木製のそれが紫の光弾を吹いて、触手たちをもれなく撃ち落とし、さらに青い眼球に向かって襲いかかった。

「駄目か」

 しかしきのこの傘のような頭部がぐんにょりと変形しながらそれを弾く。

「重火器の扱いが軽いところもますます特撮ね!」

「そんなこと言ってる間にもまた再生している!」

 再生した群れから逃れるようにバックステップ、何もかも振り出しに戻った。

《ギアあああああああっ!!!》

 破壊された床の残骸が地面に戻るよりも速く、再び触手たちが襲来する。

 足元を支えるたった一本を残し、二十を超える触手たちの猛追が。

「つまり最適解は――」

((全部ぶった斬って再生する前に叩く!))

 剣にまとうは紫ではなく紅のオーラ――私が意識的に振るう。

 銃から放たれるのは紫色の光弾――カレンだ。

 触手の一本一本を斬り落とし、撃ち落とし、されど距離を詰めていく。

 再生させる暇など、与えるものか。

(なんか、不思議な感覚だ)

 今たしかに、私の身体は私のものだった。

 けれども、勝手に動いていくこともたくさんある。

 しかしそれの動きに、納得が付与される。

 呼吸をするのに意識せず、しかし違和感を持つ者などどこにもいないかのように。

 そうだ、今カレンは、私にとって呼吸めいた何かになっていた。

 あるいは、カレンにとっても。

(――24!)

((これで、終わりだ!))

 時間に直せば一秒にさえ満たない、たったそれだけの間に、私たちは触手たちを屠りきった。

 示し合わせたかのようにカレンが左手の銃を捨て去り、私たちは両手で剣を上段に振り上げる――言うまでもなく、その弾性を確実に切り伏せるために。

 紅と紫のグラデーションをまとった剣、私たちの魔力が合わさった刃が振り下ろされ、

「――ごげっ」

 カエルが轢かれたときみたいな声が私たちの喉から鳴った。

 それよりも速く、首に猛烈な痛みが走っている。呼吸が出来ない。

 肘の痛点を思い切り叩かれたときの何倍何十倍もの痛みが、ビリビリとしびれるような激痛が、首のを起点に全身に広がっていく。

 暦に別れを切り出されたときよりもひどいかもしれない、人生最大の痛みの襲来。

(そうか、最後の一本を使ったのか。穴を掘って後ろから攻撃したんだ――)

 全身を包む激痛を前に今の私が認識できるはずもないが、たしかにその足場になっていた触手は床に深々と突き刺さっており、そのまま地面を伝って私たちの首を後ろから締めていた。

 それどころか、頭に響くカレンの声は、あまりの痛みゆえに意識ごと遠のいていく。

(……もしかして私、このまま――)

(安心しろ、私がどうにかする)

《ぎああああああああああっ!?》

 カレンの珍しく優しげな言葉の次、クラゲの絶叫とともに私の意識を引き戻した。

「――はああ、はああああ」

 唐突に呼吸が出来るようになる。荒い呼吸が空気を貪る。痛みは残っているが、かなり緩和された。

「クラゲのくせにずいぶんと知恵が回るな。まあ、私にかかれば大した話じゃないが」

 首に巻き付いたままの触手の残骸を振り払いながらカレンが言う。カレンが触手を斬ったのだと、そこで私は気づく。

「ったく、この程度の痛みでへばるなよ、バカ」

 そうか、痛みか。

 私とカレンでは同じ身体を共用していても、その痛みへの耐性は違うのだ。

 だから私が耐えられない痛みに悶絶している間も、カレンは私の体を使って戦える。

「さあ、これで本当の本当に終わりだ」

 全ての触手を切断され、地面に倒れながら間に合いもしない再生を試みているクラゲ、その青い瞳に向かって今度こそ私たちは剣を振り下ろす。紫のオーラ。

《――ぎやあああああああああっ!!》

 袈裟斬り。絶叫。青い単眼に斜めに深い傷が生まれた。

 身を捩るように床をバタバタと床の上で暴れるクラゲは、どちらかと言えば水揚げされた魚のよう。その単眼を覆っていたゼリー状の半透明の組織は徐々にしゅうしゅうと溶けていき液体になっていく。

「派手に爆発したりしないのね。なんか悪いことした気になってくる」

「特撮の見過ぎだバカ」

「……あなた、さっきからバカバカ言い過ぎじゃない?」

「バカにバカって言って何が悪いんだよ。女に振られたくらいで刃物を持ち出すバカが」

「てめ、それは禁句だろ! 人の頭の中覗きすぎ!」

 こちとらごく一部の情報しか覗けていないというのに。

「しかもそれがあそこのベンチでいちゃついてたカップルの片割れとか」

 呆れたようにベンチに座りながら、未だに昏倒してる暦とその他を見つめるカレン。今思えばかなり危険な場所に放置していた。

「……見ろ」

 唐突にカレンの声が真剣味を帯びる。言われなくても見ていた。

 視線の先には、実に不穏なものがあった。

 先程まで青かったはずのクラゲの単眼が、黄色に染まった上に風船のようにどんどん肥大化していっている。ざっと見て、倍以上大きくなっていた。

 そして何より不穏なのは、斜めに入ったヒビから眩いばかりのオレンジ色の光が漏れ出ていたことだろう。大きくなるたびに、その光もまた強く広くなっていく。

「逃げるぞ! こいつは洒落にならねえ!」

「ちょっと、待って!」

 カレンが逃げようとするのを、無理矢理に足に力を込めて止める。

「暦があそこにまだいるし!」

「そんなこと言ってる場合かよ!」

 そんなこと言ってる間にも、単眼は加速度的に大きくなっていく。少しばかり口論していただけで、さっきの数倍の体積になっている。漏れ出る輝きは今沈みかけている地平線の夕日よりもさらに強い。

「それこそ言ってる場合じゃないわよ、バカ野郎!」

 カレンを無理やり振り切って、私は暦の方へ駆け出した。

 次の瞬間、視界の何もかもを埋め尽くすような閃光が瞬いた。

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