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聾者と電車、私は勇者

高校でいじめられている聴覚過敏のまどかと、同じく会社で孤立している聾者のゆかりが出会います。初めて聾者に話しかけられてドキドキの円。

会社の昼休み前、腹痛で倒れた。昨夜から鳩尾の左側を、見えない針で刺されるような痛みがあった。時間の経過とともになくなるだろうと思い、会社の机で前傾姿勢で耐えていたが、結局体をくにしても治らないほどの激痛に進化した。脂汗を浮かべて呻いていると、ようやく同僚の一人が「お腹痛い、早退する」というメモを上司に代わりに渡してくれた。

歩くたび差し込むような痛みが辛かったが、縁は上司の付き添いを拒否した。どうせ一緒に付き添ってくれるとして、耳が聞こえないのをいいことに、車内で散々暴言を吐かれるに決まっている。言葉は聞こえなくとも、目つきや表情、相手の雰囲気でどんなことを言っているのかくらいはすぐに分かるのだ。

それに、この前1人で残業していたら、突然後ろから胸を触られ、とても怖い思いをした。呼んでも返事しないから体に触れて気づかせたのだ、というようなことを言っていた。その表情にはいやらしいものしか読み取れなかった。こんな奴と2人きりで車に乗るなんて自殺行為だ。


(それにしても…)


これから行く病院は自分をちゃんと受け入れてくれるだろうか。テレビの手話ニュースで、『手話のできる看護師が勤めている』と紹介されているのを観てから、次に体調が悪くなったらあの病院に行こうと決めていた。例え最寄りの病院から二駅分離れていて、電車賃も時間もかかるとしても、やっぱり自分の納得できる説明をしてくれる医者がいい。キリキリとしたお腹の痛みに耐えつつ、そんなことを考えていると、突然座席にガンという振動を感じとった。


(なに?)


驚いて顔を上げると、怒った顔の中年男が、縁を指差しながら何か言っている。しまった。また、話しかけられていたのに気づかずに放っておいてしまったパターンだ。補聴器はガタンゴトンという、大きな電車の音ばかり拡張して、男の声は聞き取れない。だがこの場面で、相手が言いたいことは大抵1つだ。


私の障害は見て分からないから、支援が必要だと気づいてもらいにくい。


ため息をつきつつ傍の鞄を開け、内ポケットに入れた障害者手帳を男に見せ、横側の髪をかきあげて補聴器も見せた。ところが、男は事情を理解して謝るどころか、縁の胸ぐらをいきなり掴んだ。


「…‼︎」

「…ぃおえ☆い…ら*で…」


恐怖で固まった。殴られる?引きずりおろされて、もっと酷い目に遭わされる?胃の痛みでろくに抵抗もできない縁のシャツを掴む手に、すっと伸ばされた別の手があった。

綺麗な顔の男の子だと思った。けれどすぐに制服の脚元がズボンではないことに気づく。両耳の横以外をベリーショートに刈り込んだ髪と、膝丈のプリーツスカートが、恐ろしくアンバランスだった。その顔は自分と同じく、恐怖にひきつっている。

まだ年端もいかない少女が、自分のために、大の男相手に立ち向かってくれているのだ。男が、【若い女が生意気な】という顔になる。少女の手が小刻みに震える。しかし、彼女は果敢に男を見据え、口を開いた。


「ガタンゴトン…かぁ、き…ぇな●ひ@ぁ…ゴトン…け#ば…ぁい」


また大きく電車が振動して、女子学生の声が掻き消される。けれど、彼女は自分の伝えたいことを、完璧に代弁してくれたと確信した。男の顔が赤くなって引きつる。遠巻きにしていた、周りの乗客の視線が冷たくなる。



「聞こえないくらいで、優先席に座るなっ」

「電車の緊急アナウンスが分からないから、聞こえない人は車掌の誘導を受けるために優先席に座らなければいけないんです!」


目の前の男の顔がひきつる。次の瞬間円はブンと手を振り払われ、電車の床に尻餅をついた。


「紛らわしいんだよ、そんなら顔にでも書いとけ!」


物凄く頭の悪い台詞を吐いて、謝りもせず男は別の車両へ歩き去って行った。見ていたギャラリーの中で助けてくれる人はいない。だがそんな状況下で、円は恐怖よりも高揚を感じていた。やった、地獄のような人生から這い上がるチャンスを掴みとった。その時ふっと、いい香りのする長い髪が円の頬にかかった。


「あい#ぉぅ…⁉︎」


さっき助けた女性が、心配そうな顔でしきりに両腕の付け根を交互に叩いていた。さっき男相手に喧嘩を売ったのとは別種の混乱と緊張が頭を支配する。


「え、えっと〜手話ワカリマセーンうわぁ…待ってください鉛筆とノート…」


自分で自分のテンパり具合に引いた。これじゃ、一昔前の『外国人に話しかけられた田舎のおじさん』だ…と悲しくなりつつ、学生鞄から靴跡のついたルーズリーフと、真ん中が折れているのをテープで補強した鉛筆を引っ張り出して女性に渡す。


『大丈夫?』


円のルーズリーフに達筆で、女性らしい斜がかかった文字が書き込まれる。意思疎通ができて、いくらかは落ち着いた。円は正反対の、角ばって筆圧が強い文字を書き込んだ。


『はい。大丈夫です。一緒に駅員か警察に届けに行きましょうよ』


ラッキーだった。母親はいつも「チョウカクカビンなんてただの怠けだ!そんなもの、私が子どもの頃には無かった。勝手に新しい病名発明して弱者気取りしてるんだ!」と言っていた。それである日、「自分よりも底辺に生きている人間を見れば、あの子も自分の病気は甘えだと気がつくはず」と、難聴や弱視の人の体験談を纏めた本を買ってきた。母親の思想は憎いし、あの女こそ行動も言葉も底辺のクズだと思う。が、母親は買ってきただけで、本には罪はないというのが、無類の本好きの円の理論である。暇つぶしに時々読んでいたが、まさかこんな形で役に立つとは思っていなかった。


「…?」


女性が、怪訝な顔で首を傾げる。え?と円がその反応に戸惑っていると、そのままの表情で女性は文を書き込んだ。


『届ける?物?手紙?なぜ?』

「は…⁉︎」


円はぽかんと虚を突かれた。


『だから、被害を受けたことを届けるんですよ!』


しかし、なおも女性は?マークを顔につけたままだ。


『被害、手紙にする?届ける?」


円はますますぽかんとした。この人の中では、「届ける」という言葉は、「ものを運んで相手に渡す」意味しかないのか?「報告を人に申し出る」という意味を知らないのか?


(ありえない…頭悪すぎデショ)


曲がりなりにも名門高校に通う円は、そんなことも知らない大人がいることにもびっくりしたが、続く女性の文章にさらに驚いた。


『届けるません。これから病院を行きます』

「ぶっ…!」


病院「を」行く?届け「る」ません?それに、「警察に話すか?」とこちらが聞いたなら、「これから病院に行かなければいけないから、すみませんが警察に行けません」とか、理由や詫びの言葉の1つくらいつけてもいいのでは?


(あっ、耳だけじゃなく知的にも障害があるのかも?)


そういうことなら失礼しました。円は心の中で舌を出す。なら少し手間がかかりそうだが、言葉の意味や状況の理解はできているから、そんなに重度でもないのだろう。多分大丈夫だと、円は笑みを浮かべる。


『病院に行くんですか?そういえば、顔色が悪いですね。お腹が痛いのですか?私は試験最終日で午後から暇なんです。よければ病院まで一緒に付き添いますよ』


女性は痛そうにお腹を庇いながらも、汗の浮いた顔一杯に笑顔を作った。


『とてもありがとう。あなたはのような優しい人、とても嬉しいでした。さっき助かったことであなたの力がすごかったと思います』


ほら、やっぱりおかしい。外国人が書いた日本語の文章みたいだ。


若者が電車やバスで優先席に座っていたら、まず『見えない障害』を疑ってください。聴覚障害のみならず、心臓病とかの人も、いきなり「健康なくせに」って蹴られたりする例がよっけあるねんで。しかも加害者、注意されたら「世の中のお荷物のくせにもっと遠慮しないのが悪い」とか逆切れしたらしい。

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