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聞こえないえんちゃん

「いじゅ●ごぉウウンッうし▼から…みが□△●いま…ぅ。みぃ@*ピリリッ…あぁぁは…っき@#しのての…かで…」


 隣の席の同僚が洟をすすりながら、ハンカチを目に当てていることに、ゆかりははっと気づいた。新婦の母親の口の形を、全神経を集中して凝視していた彼女はそこでやっと周りを見た。普段は小言しか言わない庶務のおばさんは派手な原色のハンカチを、セクハラまがいのスキンシップを毎日してくる課長代理は『日本英霊』というロゴが入ったハンカチを、それぞれ赤い目に当てている。


-まずい。また空気を読まない冷たい人だと思われる…


縁は式場の皆が、ただ1人周りとは違う反応をしている自分に気づく前に慌てて鞄を漁った。


「こんあ●…あ☆*が…っ#カシャカシャす…な@え…パチパチ」


 とりあえず感動的なエピソードを述べているのは雰囲気で分かるものの、どんなにその声と口の形に集中しても、内容は半分も分からない。花嫁母の声はただでさえ小さく、嗚咽も入っていてこの上なく聞き取りづらい。ときおり混ざるカメラのフラッシュ音とすすり泣きの声が、音の取捨選択ができない縁の聞き取りをますます困難にさせる。せめて結婚に至るまでの経緯ぐらいは知っておかないと、結婚後も仕事を続けるという先輩に失礼だ。縁は意を決して、いつも持ち歩いているメモを取り出した。


『筆談してください』


ボールペンでそう走り書きしていると、ワインを飲んでリラックスしている様子の同僚がこちらを向き、目が合った。


【ええ〜、今?うざっ】


他の同僚と楽しそうに笑いあっていた彼女の表情が、縁のメモを見るなり、そんなことを言いたそうな険しい顔になった。ガーン、縁の心に金づちが振り下ろされたようだった。


(だから、手話通訳も付かないなら結婚式なんて出たくないって言ったのに!何よ、『耳が聞こえる人だって、嫌でも同僚の結婚式には顔を出すんだ。聞こえないからってわがままだ』なんて!みんなの言ってることも式の流れも、1人だけ分からずにぽつんと座ってるのがどんなに辛いか、想像もできないからそんなこと言えるんでしょうよ!これだから聴者は…!)


なんで自分だけこんなに悲しくて悔しい思いをしながら、華やかな結婚式で無理矢理笑ってなきゃいけないんだろう。縁はついに俯いてぽろぽろ涙をこぼし始めた。だが、感動泣きする人が大勢いる中で、その涙の理由に気づく者はいない。


「…わぁ△まぁ、」「ワーーーッ」


 突如沸き上がった拍手に、スピーチが終わったことを知る。顔を上げると、新婦親族席の人と目が合って、にっこりと笑いながら会釈をされた。縁は自分も笑顔を作り返して拍手をしながら、内心は疲弊していた。ただでさえ、ほとんど聞き取れない音声言語が飛び交っている中で、披露宴の雰囲気を壊さないよう、全力で周りの状況を伺って合わせなければならない。しかも、何の話をしているのかも分からないのに、人の笑顔に相槌を打たなければいけない。辛いなんてものではない。それでも必死に、次の行動こそ周りから浮くまいと、キョロキョロ目を彷徨わせていたその時。


「…い、お…や△●ち!あぁに…キョロ#@し…呼ばれてえぇん…ろ!」


 耳元で大声で叫ばれびくりと肩をすくませながら振り返ると、いつもの、『面倒くせえなあ』という上司の小杉の顔が眼前10cmに迫っていた。


(な、何?)


小杉は身構える縁の肩を掴んで強引に立たせ、人差し指で縁の横を指した。見ると、にこやかな表情の式場スタッフが、こちらへおいでと手でジェスチャーしている。


(え?え?)


 頭の中に疑問符と恐怖をいっぱいに浮かべながら、縁はやってきたスタッフに手を引かれ、先ほど花嫁の母親がスピーチしていた檀上に引きずられていった。


(しまった!)


 頭の中に氷の棒を差し込まれたように、全身の体温が下がった。だがもう遅い。縁は何も分からないまま、スタッフに檀上で何か歌うように指名されてしまったのだ。

壇上から小杉の顔を見つけ睨みつけるが、彼はにやにやした表情でこちらを一瞥した後、すぐに別の女性部下の方にとっておきの笑顔を-縁には1度もくれたことがない笑顔を、振りまいている。

他の同僚も、小杉に意見して自分の立場を揺るがしたくないのか、あるいは厄介者の縁が恥をかかされそうな場面に助け舟を出す必要がないと思っているのか、誰も何も言ってくれない。


(そんな…!)


 今大地震でも起こって、結婚式どころじゃなくなってくれたらどんなにいいだろう。ついでに小杉の頭の上に何か落ちてほしい。けれどそんな都合よく、縁の切なる願いを聞いてくれる神様はどこにもいなかった。


「…たって@ださ…の、●△…!」


 怒りと恥と絶望に押しつぶされそうな縁の横で、花畑でも広がりそうなスタッフの呑気な声が響いた。


聴覚障害の方の体験談を調べ、あまりにも腹が立ったエピソードをもとに書いた章です。飲み会でも結婚式でも、聴覚障害の人に手話通訳も付けずに出席を強要する人って最低。

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