虐げられる。これが、人と違う私達の日常
「皆はもっと頑張ってるし、運動会の練習なんて数百人の生徒がやりとげてる道なんです。こんなことで倒れるとは思わなかったですよ。まったく」
謝罪もなく、面倒そうな口調で体育教師が言う。「健常者と同じ計いで満足しない障害者が1人でもいると、こんなに迷惑だとは思わなかった」という気持ちが、その表情からひしひしと伝わってくる。
「で、でも…娘は普通の子とは違うから、少しでも運動会で配慮してほしいと何度もお願いしたのに…」
体育教師と父親が向かい合うダイニングテーブルが、父親の震え声と共鳴してカタカタ揺れる。買ってまだ年数が経っていないテーブルなのに、脚が曲がっていて不安定だ。母親の咀嚼音が不快すぎて、円が食事を中断した時、「私が傷つくだろ!」と怒り狂った母親がテーブルをひっくり返したからだ。
「でもね、聴覚障害?じゃない生徒だってね、多少徒競走のピストルや応援の声がうるさくても、頑張って練習はやってるんですよ。みんなも我慢してるんだし、障害者だからって1人抜けると、みんなも迷惑ですからね」
迷惑。みんなも我慢してる。たった17年しか生きてないのに、何百回も何千回もたたきつけられた無理解で愚かな凶器の言葉を、円はまたぶつけられた。
「聴覚障害じゃなくて聴覚過敏なんですけど…娘の病名くらい、ちゃんと覚えて…」
父の抗議は尻すぼみになって消えた。台所の引き戸の隙間からやりとりを覗いていた円は、心の中で海より深いため息をついた。
円が運動会で倒れた時、父は怒って「あれだけまどかの障害のことを事前に伝えてたのに!責任者に文句を言ってやるからね!」と意気込んでくれていた。
…が、いざ筋肉隆々で日焼けした、名門高校教諭の肩書きを持つ体育教師を前にした途端、この態度だ。
-不要な音は気にならないよう無意識にフィルターアウトすること。全ての音を必要以上に拡大して聴覚処理野に届けないこと。普通の人には当たり前に備わっている脳の機能が、円には生まれつきなかった。それがまともなら、17年間生き地獄みたいな人生じゃなかったのに、どうして。よほど前世で悪いことをしたんだろうか。
涙がこぼれそうになったが、泣いてもどうにもならないから、両腕に爪を立てて耐えた。まもなく引っ掻いた跡が蚯蚓腫れで痛痒くなるだろうから、痒み止めを塗らなければ―そっと扉の隙間を閉め、自分の部屋に向かおうとすると、廊下に仁王立ちした鬼の形相の母と目が合った。恐怖が全身を駆け巡るより先に、びちゃん!と生の鶏肉を思いきりまな板に叩きつけたような音とともに、左頬を腫らした円はものも言えずに廊下に倒れこんだ。
「バカじゃないの。運動会ごときでぶっ倒れるなんて。あんたは障害だなんて嘘だ、私を困らせるためにわざと怠けてるんだろう!」
息をするのもやっとの円は、頭を庇いながら必死で言葉を紡ぐ。
「違います…怠けてなんか」
「嘘つくな!チョウカクカビンなんて病弱気取ってんじゃねえ、甘えたれが」
甘えだ、怠けだ、嘘だ。この障害が分かってからというもの、毎日円が言われ続けている言葉を、母親は汚物を見るような目で吐き捨てた。
聴覚過敏や聴覚障害については、参考文献を読み、なるべく史実に基づいた情報を書いているつもりです。しかし、当事者の方やその近親者の方々が、間違っている、不快だと思われる表現があればお申し付けください。真摯に対応させていただこうと思います。