神の憧れの職業一位は冒険者
朱い橋を己の義足で駆ける。何も見えない深い霧を抜けると緑に食い破られた葦原の中つ国——今は名が変わって日本——に渡った。
草本に浸食されたかつての国道がコンクリで出来た小丘の間を縫って山に消える。
そんな解き放たれた自然の宴の真ん中に一棟の木箱が鎮座していた。
壁面は一枚板、肩幅ほどある年輪が均等に入って美しい。
高さ五メートルの大きな門扉が開け放たれている。俺は興奮を抑えながら中へ。
教科書通りの冒険者ギルド。迷うことなくカウンターへ。
「こんにちは、冒険者登——」
「こちらに署名をお願いします」
冒険者登録をお願いしますと言い終わる前に、受付嬢が被せ気味で一枚の紙切れとペンを渡した。
そのあり得ない対応が踊りだしたいほど高まった興奮に冷や水をかけてくれた、と思いたい。
俺はなれない手つきで時間をかけて丁寧に名前を書いた。紙にはグニャグニャの文字が並ぶ。しかしミミズが這ったモノよりは十分に読めると自身を持って言える。
受付嬢が俺の文字を解読している間、キョロキョロと当たりに目を配った。
クエストボード、よし。
酒場、よし。
二階に上がる階段、よし。
そして新参者に向ける厳しい視線、よし。
それから、綺麗な受付嬢、これもよし。
さすが三貴子は冒険者ギルド完璧に再現してみせたようだ。
採点が終わる頃、受付嬢が眠そうな顔を上げた。
「えー……ヒルコ様、ですね? ではこちらがギルド証です。失くさないように。以上で登録完了です。あ、担当は私、セリでした。では」
ギルド証と言って渡されたのは六角柱のクリスタルだった。一緒に冒険者ライフのすすめというタイトルのあまり読む気ならないタイトルの小冊子もゲット。
セリと名乗った受付嬢は一仕事終え、電源が切れたように瞼を閉じた。未人ひつじびと特有の立派な角が重いのかコクンコクンと船を漕ぎ出す。
「セリちゃんセリちゃん、起きなきゃダメよ」
セリの隣の受付嬢がセリの肩を振らしていた。彼女は困ったように犬耳を垂らしている。
「あ、ヒルコ様、良かったらこれ使ってください」
彼女は俺に一本に革ひもをくれた。きっとこれにギルド証を付けろということだろう。俺はそれをありがたく頂いて二人の前を去った。
俺は外に飛び出した。太陽がてっぺんに差し掛かり時間は正午を回ったとこ。腰に佩く愛刀を義手で撫で、遠くに見える山に向かって義足で地を踏みしめた。くだけたコンクリ片がジャリジャリと音を立てる。最終的にその草本の道は山の土砂に埋まって途切れた。
俺は義手でうまくバランスを取りながら森の奥に歩を進める。
太く大きな樹木が乱立していたが、ここから先は見たことのない幻想的な光景が広がっていた。
「何これぇー!?」
十メートルものない木々が見えなくなるまで続いている。その木のはとても明るい。まるでオレンジ色のステンドグラスの下にいるようだった。下は青々とした落ち葉の絨毯が敷かれている。
「まだ見ぬ景色に出会う、これこそ冒険の醍醐味よ!」
爆上げのテンションのまま言葉を吐いた。
落ち葉を一枚拾ってみると驚くほど薄い。しかも薄いだけじゃなくスポンジ状に穴が空いていた。
「ダークグリーンだ」
葉は薄く穴が開いているにもかかわらず緑がかなり濃い。
これを不思議に思った俺は上を見上げると、オレンジの光がちゃんと降り注いでいる。
「こんなに葉っぱは緑色をしてるのに、何でここら一帯は暗くないんだ?」
俺は何の気なしに手に持っている葉を頭上に掲げ下から覗き込んだ。
「……オレンジだ!」
さっきまでの濃い緑が嘘のように、葉はオレンジ色に光っていた。しかし再度上から見ると濃い緑に戻る。
俺は他の葉でも同様のことが起こるのか確認するために屈んでみた。
二枚目三枚目四枚目、同じ現象が起こった。
切りがいい五枚目を最後にしようと考え、ラストを飾るにふさわしい一枚を見繕っていると、ピンと立っている葉を見つけた。俺はビビッと来てそれをつまみ上げた。
「根っこが生えてる……」
ピンと立っていた葉柄から数本の根が伸びている。
それを見て俺はピンときた。
植物には葉や枝から新たな個体を作る栄養生殖という能力を持っている。
つまりこの変な植物は栄養生殖によって繁殖することを選択した種なんだろう。葉がペラペラで穴だらけなのは日光を地面まで届かせて、栄養体——この場合は葉——が光合成できる環境を作るためと考えられる。この木の下がオレンジに見えるのは葉が緑の可視光線を反射し、光合成に必要な赤い光を透過しているからだ。
へんてこな木の謎を解明しスッキリした俺はこの木で出来た明るいオレンジ色の森がどこまで続いているのか気になり、さらに奥へと進んだ。
シャクシャクサワサワと落ち葉を踏む音を聞きながら歩いていると、落ち葉の絨毯が、境界線でもあるかのように、ある場所からなくなった。絨毯の代わりに今度は落ち葉が集められた山が点在している。明らかに誰かが掃除した後だ。
鼓動が早くなる。緊張感を張りつめた。時折木の影に身を隠しながらゆっくりを進む。
「……猿?」
オレンジ色の光のせいで見にくいが一匹の赤い猿が木の枝の上にいた。
しかしおかしい。地球上のほぼ全ての生物は人間の道連れで絶滅した筈だ。生き残った生命体は植物とわずかな昆虫、それからこの星の先住生命体の妖怪だけ。
だからアレは猿じゃないと考えたほがいい。俺は木陰からじっとアレを観察した。
赤い体毛に覆われて、一見するとチンパンジーだ。しかし猿的な要素は上半身だけで足は犬のそれ、尾も柴犬のように巻いている。顔は猿をベースに耳と鼻が犬の物だった。
以上の特徴からアレは猩猩という妖怪だと判断した。
猩猩はまだ俺に気づいてないようで枝に腰掛けて近くの葉を毟っては口に運んでいた。
猩猩までの距離は三百メートルほど。それまでのルートを頭の中で決めて猩猩の隙をうかがった。
命を狙われているとは知らない猩猩がのんきに次の葉に手を伸ばしたとき、俺は数メートル先の木の影に向かって飛び出した。
「ガアァァ!?」
「嘘、バレた!?」
あっさりバレた。
「明るい場所で黒い服は逆に目立ったか」
などと今の格好を後悔していると猩猩は枝から枝へと飛び回りながら接近してきた。
俺は腰に佩いている刀を抜いた。
刀の名は黒縁、俺専用のちょっと変わった刀だ。
黒い刀身に大きな穴が一つさらに、波紋状の溝が、まるで雨の日の水たまりのように、無数に彫ってある。
『起きろ、黒縁』
義手から漏れた体液が刀身に刻まれた溝を通って刀が濡れる。刀身の真ん中の穴に体液の膜が出来る。これで俺の刀に切れない物はなくなった。
無謀にも接近する猩猩に向かって俺は刀を振り上げた。
彼我の距離は五メートル。あと一歩、あと一歩で仕留められる。
そのとき、猩猩が何か口に含んでいるのが分かった。
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