視点力点作用点
「セリ! セリは何処じゃ!」
定時十五分前、帰り支度を始めたセリは自分名前を呼ぶ子供の声を聞いて、反射的に隠れる。
ギルドの情報管理部長である声の主は何処じゃといいながら、真っ直ぐに私の方に向かってくる。
すでに私の居場所を分かっているのか、それともここが私のデスクだから向かって来ているのか。これからの私の行動で帰り時間が変わってくる。
「あ、宇迦さま! セリならそこですよー。セリぃ、宇迦さま呼んでるよ!」
「ハナ! 何でばらすの!?」
「うえっ!?」
親友の裏切りによって私が隠れていたのが宇迦の御霊様にバレた。
帰りが一番長くなる最悪のパターンだ。
宇迦さまがニコニコしながら私の元までくる。赤い浴衣に狐耳のカチューシャ、そしてキャラ付けのための狐の尻尾がお尻のところで揺れている。
格好だけ見れば可愛らしいのだが、細めて瞳の奥が底冷えするほど冷たい。
「来い」
「……はい」
私より一回りも小さい宇迦さまに連行されて、宇迦さまの執務室に入った。
一枚の紙切れを差し出された。
「これは何だ?」
「これは……先程提出した報告書です」
「これが?」
「はい」
「メモ書きだろ」
「……はい、そうです」
「ダメだろうがぁー!!」
宇迦さまの咆哮が飛んだ。
扉の向こうでハナの驚いた声が聞こえた。
「はあ……ま、メモ書きを読む限り、意味のわからん内容で報告書が書きにくかったのは分かる。定時も近かったしな。明日に持ち越さず直ぐに報告してくれたことも褒めてやらんでもない。」
おや、おやおやおや? 定時は過ぎるが早く帰れるかもしれない。
「ただ、上司にメモ書きを寄越すのはいただけないな」
ダメだこれ、長くなる奴だ。
私はお説教を喰らう覚悟を決めた。
☆★☆★
上がってきた報告書の紙束の隙間から一枚のメモ用紙が落ちた。それを拾い上げ、内容に目を走らせると、思金は眉をひそめてしまった。
緊急ということで、報告書の体をなしていなかったが、そこに書かれた内容はとても見過ごせるものではなかった。
私は主である天照様の執務室の扉をノックした。中からどうぞという声が返ってくるのを待って扉を開けた。
「天照様」
「何? どうしたの?」
天照様は目を落としていた住宅カタログを閉じて姿勢を正して下さった。
我が無言でメモ書きを天照様に見せて、しばし、天照様は頭を抱え深い息ををついた。
「……ついに犠牲者が出たのね」
私は何も言わなかった。
運が悪かっただけ、覚悟の上で選択した結果、天照様がお気になさることではありません、慰めの言葉はたくさんあったが、天照様は何を言われても自分を責めることを止めない。もっと上手く出来ていれば、未然に防げたかもしれないとお悩みになる。
私に出来ることはただ後ろに控え、天照様が自己解決するまで支えることのみ。
「それから、大首が溶けた。能力を複数有する妖怪の可能性……」
「前回の掃討作戦で複数の能力を持つ妖怪の記録はなかったと記憶しています」
「……なら、そういうことでしょうね」
「しかし何故前回はーーーー」
「まだ見付かってなかったからよ」
ちょうどその時、扉がノックされた。
「思金様、宇迦です。報告を受けた者を連れて来ました」
私は天照様に目を向けた。天照様は頷き、さすがねと微笑をたたえて下さった。
★☆★☆
ちょちょちょちょちょっと待ってぇえー!?
うそうそうそ!? ギルド長執務室って、ギルド長執務室って書いてある!
上司がその扉にノックした。
「思金様、宇迦です。報告を受けた者を連れて来ました」
お、思金……様、そんな方からも怒られないといけないのか。
早く帰りたい一心であんなメモを提出するんじゃなかった。
確かに私は巳人の事務長を嘗めてはいた。
意味はわからないけどなんかヤバそうな冒険話。定時ギリギリでメモ書きを提出した私。
理解の早い事務長は午後からの私を分かっているから、再提出をさせてもどうせ適当なのがまた提出されるだけと諦めて、代わりに報告書を作ってくれるか、明日の朝に再提出を求めてくれると計算してメモを押し付けたのに。
これからは影で蛇務おじさんと呼んでやろうかしら。
扉の奥から入室の許可が下された。
私は罪人、今度は判決が下される番だ。ははっ、笑えない。
扉が開く。やけにスローモーションだ。躓いて転けるとき、たまにこうな風になる。これは大怪我の予兆だ。
ああ、頼む。天照様は不在で。
天照様から怒られたら、さすがに立ち直れない。
いないで下さい。いないで下さい。いないで下さい。
扉が開いた。
思金様が眼鏡をあげるその横に、暖かな髪色の、白い麻布のアフタヌーンドレスの、私の憧れの女神。
「どうぞ、入って」
いたぁぁぁ、いらしゃったぁぁぁ。
これがファーストコンタクトォォ。
今直ぐに泣きじゃくりながら逃げたしたい。
天照様にセリという職員はメモを報告書として提出する女として認識されるんだ。
私、ムリ。誘ってくれたハナには悪いけど、もうギルドやめよう。
「貴方がセリね。定時過ぎてるのに来てくれて感謝するわ。それに直ぐに報告もくれて助かったわ。ありがとう」
あ、ーーーーヤバい。
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
深く頭を下げた。そしてもう上げられない。
天照様のお顔をもう一度みたら、今度こそ逃げ出してしまうから。
いっそ跪いてしまいたい。そしたらこの濁った涙を見られなくてすむ。
「畏れ多いと感じるなら膝をついても構わない」
思金様がそうおっしゃった。すぐに天照様の叱責の声が聞こえたが、私は有り難く膝をつかせて頂いた。
「セリ、膝を付かないでいいのよ。自然体で話しましょう、ね?」
「いいえ、こうさせてください。どうか、このままで。そうでないと私の心が持ちません」
「………そう。なら、それでいいわ」
許しを得た私は滲み出る涙を、制服のシャツに落とさないように、ゆっくりと瞼を閉じた。
「ここからは私が話を聞こう、この報告をしにきた冒険者は誰だ?」
口調こそ厳しいが、思金様の優しい気配りに感謝しかなかった。
私は質問に対し、正直に全て答えた。
ヒルコ様とホスセリ様が話している内容、シラ様の様子、その時感じたこと、思い出せる限り全て。
ほんの少しでもギルドで働いていいと、私が私を許せるように。
☆★☆★
セリが退室する最後の最後。やっと上げてくれた彼女の顔が少しだけスッキリしていたことに安堵の息を漏らした。
セリは私を見た瞬間に怯えた表情をした。
メモ書きを事務長に提出したのを怒られると思ったのだろう。
チラッと宇迦に視線を向ければ、宇迦は瞬きを返した。
もう宇迦から小言を言われたなら、私から加えていうことはない。
セリのことは宇迦から聞いている。何かセリにいうことがあるとすれば、ありがとうだ。例えこのメモ書きにどんなに計算があったとしても。
セリのキラキラした瞳に手を振ってあげると、可愛い反応が返ってきた。
「天照様、やはり瓦礫ごと大首が溶けて逃げたというのは」
「そうみたいね。ごめんなさい、ちょっと席をはずすわ」
私は執務室を出て、私の自室、天岩戸部屋に入った。そこにある今にも壊れそうな首飾りにそっと触れた。
「未だ穢れは健在なようです、お父様」
生きているかも分からない、行方不明のお父様へ向けて呟いた。
★☆★☆
わしの後ろを歩くセリの顔を盗み見た。晴れ晴れとした覇気のある表情じゃ。
午後の彼女を知るものが見たら、時計を確認すること間違いない。事情を知るわしでさえ、今が何時か心配になるほどじゃ。
一時間ほど天照様の執務室で質問に答えていたが、実は日付が変わって午前ということはあるまいな。
彼女の改心具合は予想以上じゃった。それも天照様のおかげ。
今回の問題行動の原因はセリの働き方が原因じゃった。
聞くところ、セリのワークスタイルは午前中にその日の仕事を全て片付け、代償に午後からの気力を失う、じゃ。
定時が近くなると仕事がなげやりになり、ひどい有り様になるという。
事務長含め、ほとんど職員は午前と午後の勤務態度の違いに困惑しているそうじゃ。
セリは午前と午後の間くらいで十分な働きを見せられる。わしは彼女にペース配分を覚えてほしかったのじゃが。
「宇迦さまっ!」
後ろからわしの名を呼ぶセリの声は、乙女のように華やいでいた。
「ぉん?」
「私、頑張ります。午後もバリバリ働けるように体力つけます!」
「ぉ、ぉん」
わしは、セリが天照様に強い憧れを抱いていることを、独自のルートで知った。ま、ハナから聞いたんじゃが。
じゃから、セリの憧れの存在から一言頂ければ、午後のセリの性格上、怒られないために気力のセーブを覚えると踏んで、天照様にお願いしますとアイコンタクトを送ったんじゃが、まさかのお褒めの言葉が飛び出した。さらに感謝のお言葉も。
それを正面から言われたセリがこれじゃ。
やれやれ、まだまだわしも人を育てることが下手なようじゃ。
「セリよ、生まれ変わらんとするお前に仕事をやろう」
「はいっ! 何なりと」
「これを貴重な情報を持っていた帰ったヒルコらに渡してくれ」
わしは浴衣の袖から三つのペンダントをセリに渡した。ペンダントにはそれぞれ狐の象篏が施してある。
「これは……?」
「何、ただの褒美じゃよ」