想いは流れる水のように
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川には自浄作用がある。汚れたとしても流れてゆくうちに薄まって、さらにはそこに住まう生物たちの働きで澄んだ元の流れに戻っていく。
想いは流れる水のようだ。何度ケンカをしてもオレは美砂を嫌いにはなれなかった。ご近所さんなうえに母親同士が親密となれば、長々と睨み合っているわけにもいかない、というのが理由のひとつだ。そして決定的なのは、いつの間にやら温かい気持ちがしっかりと根づいてしまっていたこと。悔しいことに、嫌いにはなれなかった。
濁っては澄んでを繰り返すうちに、元の流れ以上に透き通ることもあるだろう。それは心の自浄作用。想いは流れる水のように限りなく澄んでいく。
昼下がり、ファーストフード店、お悩み相談。相談者は清浦美砂、先月末をもって19の華の大学生。高校卒業を期に染めたセミロングも馴染み、大学生風のファッションも板についてきている。格好に従うように、元来の男勝りな気質もずいぶんとなりを潜めてしまった。くわえて四六時中つけている化粧の魔力か、少女から女性へ、可愛いから綺麗へと生まれ変わって来ている。脱皮の様――変遷を見て来ている者にとっては面白おかしく、興味深いものだとは思う。ただ、少しの居心地の悪さと妙な苛立ちを覚えているのも確かなわけで。
ともかく美砂は、そう経たないうちにかなり変わったと思う。何、と言われればはてなマークを出すしかないが、きっと色気の類。あ、イヤ〜ンな意味ではなく、目に見えないか、目につきにくい変化なんだろうと思う。単純に変化した、と言う意味ならお互い様だろうし。
その一回りか二回り成長したハズの2人が、相変わらずの店で相変わらずのことをしているのはどうだろう。本質的には変わってないもんだなーと喜ぶべきか否か。……きっと泣くべきだ、この状況は。美砂がわざわざおごるからと声をかけてきて、しかもこの店、ぶっちゃけたいに決まっている。おそらく内容は、考えるまでもないだろうが色恋沙汰。悲しすぎて涙も出ねえ。
美砂は軽くパーマをかけた髪をかきあげ、大きな瞳を潤ませながら、ちょっと大げさに語った。その様はやはり相変わらずの悪い癖が出たな、としか言いようがなかった。思わずため息が出る。
「――ってわけ。ああもう、私の何が悪いってのよ」
そのまま机に突っ伏して泣き叫ぶ。傍目にはどうにも格好のつかない状態だが、慣れというのは恐い。美砂もどうせ半分おふざけだ。本気にする方がどうかしている。
「今度は何? 1ケンカ、2別れた、3不慮の事故。さぁどれ」
「……2番」
「またか」
「何、それが傷心の乙女に言うセリフ? なんていうか、傷口えぐられて、塩水で揉み洗いされた気分。あー、考えただけでも痛いよ……。このドS魔人」
「誰がドSだ。勝手な想像膨らましておいて……。こっちは何度も同じような愚痴聞かされてんのに、また聞いてやってるんだぞ。この広い心を評価しろよな」
「んー、やっぱ心身ともにチェリーくんじゃ相談相手にならないか。いやいや、私が悪かったよ」
「……何度も別れ話で泣いてる奴とどっちがマシだろな」
ひっどーいと口では言いつつ苦笑いを浮かべる。ああ、一応気にしてはいるんだな。
こういう愚痴に付き合わされるのは、ひとえに腐れ縁のせいだ。良く言えば頼られているんだろうが、男に非ずという扱いの気がして素直に喜べない。
恋愛話なら女同士でやってろよ、とツッコミを入れてはみるが、いい加減愛想をつかされたらしい。無理もないか。付き合って別れてのサイクルが異常なんだ、コイツは。天性の惚れっぽさと持ち前の行動力をフル活用して、かなりの俊敏さで恋人関係まで持ち込めてはいるらしいが、気付いた日には相手が変わっているという始末。ひと月続けば良い方で、日替わりの時もあったな。モテカワスリムで恋愛体質の愛されガール、なんてどこぞの漫画のようなキャラ設定した女が目の前にいる気持ち、分かるだろうか。
「つか、なんでオレなわけ。頼りにならねえっつーんなら他を当たれ」
「毎度のことでしょ。いまさら気にしない気にしない」
「気にする。だからなんでオレなの?」
「幼稚園から高校まで連れ添った仲だっつに、つれないなあ。ホラ、イメージしてみなさいよ。苦悩する幼なじみに救いの手を差し延べる、ああ、なんて素晴らしき……隣人愛?」
「最後、何て言うか迷ったろ」
こうやって美砂お気に入りの店で慰める……慰めるというかストレス発散に付き合わされるのは毎回のパターンだ。内装はわりと小洒落ていて美砂好み。喫茶店でなくハンバーガー屋なのも美砂らしい。美砂はポテトをくわえて遊びながら、傷心の乙女にあるまじき呑気な顔で疑問を口にした。
「しかしまあ、なんでこう長続きしないのかなぁ」
「どうしてだろうね」
「こんな美女が彼女で何の不満があるだろうか、いや、ない」
んな力説せんでも。が、こんだけ自分に自信持てるのもすごい話だ。ノリ的にはドロップキックかまして目を覚まさせてやるのが礼儀だろうが、ツッコむにツッコめない容姿をしているから悪質だ。そこだけは認める。冗談抜きで可愛いと思う。絶対言ってはやらないけど。
「実際不満があるから別れるんだろ。問題があるのは確実、お前の方だろうけど」
ま、いくら綺麗所でも、目の前にいる男の気持ちも知らずのほほんとしているような鈍感娘とじゃ続けようにも続かないだろうよ。そう言ってやりたいのは山々だ。が、言えたらとうの昔に言っているわけで、言っていたらこんな状況にはいないだろうとわけで。喉元でうねる言葉をハンバーガーごと飲み込んだ。
「まあ、向こうさんから切り出されるのも初めてじゃないですからね、ショックを乗り越え理由の方はしっかりと問いただしてやりましたよ。そしたら何て言ったか」
美砂の言葉をBGM程度に聞きながら、ナゲットを口にほりこみジュースで飲み込む。ああ、この場から逃げ去りたい。
「あいつ、私といるのつまらないって! 感性が合わないなんてよくあるじゃん、知る努力くらいしろっての」
それは感性の合ってないやつをわざわざ選んでるからじゃねーの? とはさすがに言えない。感性の一言ですませられるならオススメがココにいますよ。……とも言えない。
「マジで男見る目ないよな。前のは元カノが押し掛けてきてうやむやになって、その前のはケンカ別れ。さらにその前は3股だっけ?」
呆れすぎてむしろ口数が増えるよ。たいした豪遊ぶりだ。それを把握している自分もどうだろうとは思うけど。
「んにゃ、4股だったね、あれは。君が1番だ〜〜とか言われたけど、どうだか」
「余計悪いだろ。よくそんだけ別れられるなって感心するよ。一緒にいて楽しくねえって思えるやつの気もしれねえけどさ」
ポテトをつまみ、間をおいて一人青くなる。
――しくった。うっかりにもほどがある。本心もらすバカがどこにいるっつーんだよ、ここにいたよ!
時間的には短かったと思うけど、赤くなったり青くなったりを繰り返した。いくら恋愛体質だっつっても変な顔してるだろうな。まあ、告ったわけじゃないし、さらっと流してくれる……わけないか。基本抜けてるくせに、そういう揚げ足取りは上手いんだよ、コイツ。恐る恐る顔を上げてみると、美砂は案外あっさりとしていた。
「何それ。あんたは楽しいってか?」
「……放送事故だ。忘れろ。お前といると疲れる」
ハンバーガーに手を伸ばすとさっと掠め取られる。美砂はそのままパクリとかぶりついて、唇の端に残ったソースを指でぬぐった。
「あ〜〜、これ美味しいじゃん。こっちにしとけば良かった」
美砂は自分のをちぎるとスッと差し出す。お返しのつもりか。とりあえずさっきの発言は気にしてないらしい。良かった良かった。おかげで喉渇いたよ。ふう。
「ね、私と付き合ってみる気ない?」
がふっ。うげ、気管に入った。……つーか、今何をのたまわれやがった、このアマは。
「考えたらさ、生まれた時からほぼ一緒にいるじゃん。それって実質最高記録なわけ。お互い相性バツグンってことっしょ?」
美砂はにこりと微笑み頬杖をついて見つめてきた。ったく。待たれなくても答えはもちろん……。
しばらくのち、オレたち2人は同じ店にいた。くしくも同じ席、同じメニュー、服は若干厚着になっている。大きく違うのは、美砂がきらきらと瞳を輝かせている点。――ただし、その口から漏れるは知らない男の名前だった。そうだ、オレは付き合って半月もしないうちにあっさりと恋人関係を解消されてしまったのだ。いや、分かってたよ。分かってたつもりだよ。そりゃちょっとは期待したけどさ。
恋多き乙女の頭はすっかり新しい男のことで占められている。救いはといえばまだ美砂の片思い、という状況。おしむらくはその状況を打破するための恋愛相談に付き合わされている、という追い討ち付きという点。オレにトドメを刺したいのか?
「別れた男にそういう話するか? しかも別れたほとんど直後に」
「直後って、別れたのは昨日。あんたなら24時間もあれば十分っしょ」
時間の問題じゃ……いや、時間の問題か。せめて傷が癒えるまで待ってくれてもいいだろ? そんなにタフじゃないんだよ、オレは。んな短時間で復活できると考えられる美砂の神経が信じられない。
「まあ、普通、元彼にはしにくい話だろうけどね。まして、こっちから振ったわけだしさ。でも、友達相手にゃ構わないでしょ」
「友達てお前……」
赤い糸は切れても他の糸はしっかりつながっていることに、不覚にも安堵をおぼえた。やべぇ、涙出そう。物理的にも心理的にも、前と同じ場所にいる自分が情けない。美砂は、今でも不思議なフェロモンを撒き散らしているのだ。
「でもやっぱ、ここが一番落ち着くかも。ありがとね。あんたがいて本当に良かった」
プラス満面の笑顔。どうしてこんなやつを好いてしまったのか。今世紀最大のミステリーだ。
美砂の言葉を適当に流してほおばったハンバーガーは、やたらパサパサとしていて、味なんてわからなかった。
一滴の水はめぐりめぐって元の水源にたどりつくのだという。想いは水だと言うのであれば、万が一に賭けてみるのも悪くない。それが何日、いや何年、下手をすれば何万年先になるかは分からないが。
想いは流れる水のように柔軟に、そして限りなく澄んでいく。