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番外編 従者の嫁

環視点です。



「…まあ。睦月さんが、ご結婚を?」


 ようやく泣き止んだ銀をそっと布団に寝かせ、起きない事を確かめてから、私は帷さまの顔をまじまじと見つめた。

 帷さまは相変わらずの顰めっ面だったけれど、すやすやと寝ている銀を見ると、その表情を緩めた。


「ああ…あいつも、家族から結婚を勧められていたらしくてな。今までのらりくらりと逃げていたんだが、今回は逃げきれなかったらしい」

「そうだったのですか……あの睦月さんが、結婚…」


 私の頭に浮かぶ睦月さんは愛想が良く、とても調子の良い方だ。綺麗な女性を見ては口説き、振られる。見た目は良いのに、ちょっぴり残念な人でもある。


「信じられないだろう?実は、僕も信じられない」

「まあ」


 あの睦月がな…と、どこかを見て目を細めた帷さまに私はくすりと笑いを零す。

 恐らく、帷さまが思っている事と私が思っている事は、似たり寄ったりなのだろう。


「では、睦月さんは住まいを移されるのですか?」

「…そうなるだろうな。まあ…この家は広いし、ここで暮らしてくれても僕は一向に構わないが…睦月の嫁となる人が嫌がるだろう」

「そうですか…では、少し寂しくなりますね」

「…どうだろう。むしろ、静かになって清々するかもしれないぞ」


 冗談めかして帷さまは仰ったけれど、きっと心の奥底では寂しく思っていらっしゃるはずだ。

 帷さまと睦月さんの付き合いは長い。長い間、ずっと一緒に過ごされてきた相手がいなくなる──もう会えなくなるわけではないけれど、身近にいた人が急にいなくなったら寂しく思うはずだ。


「睦月さんの奥方となれる方は、どのような方なのでしょうか?」

「それが…珍しい事に睦月が口籠ってな」

「…睦月さんが、口籠る?」

「ああ。なんだかとても言いにくそうだったぞ」

「まあ…それは、また…」


 興味深いですね、という言葉を飲む込む。

 睦月さんは女性に対してとても饒舌だ。息を吸うように女性を褒める。しかし、一方で睦月さんの好みではない女性に対しては、愛想良く笑い、無言になる。自分好みの女性ならば、きっと睦月さんは軽快に口を開くだろう。しかし、そうではないという事は──。


(睦月さんの奥方となられる方は、睦月さん好みの容姿をしておられないのね)


「今度、睦月が相手を連れて挨拶に来ると言っていた。……ものすごく、気が重たそうにな」

「まあ…それは……とても楽しみ、ですね?」

「少し怖くもあるがな。…まあ、何にせよ、めでたい事だ」

「そうですね。…そうだわ。お祝いを用意しなくちゃ」

「…お祝い、な……あいつが僕にもう頭が上がらなくなるような、立派な物を贈ろうか」

「ふふ…素敵だと思いますわ」


 私が思わず笑うと、先ほどまで寝ていたはずの銀が「きゃっきゃっ」と笑い出し、帷さまと私は顔を見合わせた。

 銀の顔を覗き見れば、銀はとてもご機嫌そうに手足を大きくばたばたさせて笑っている。そんな銀の、まるまるとした手を掴むと、銀は更にご機嫌になった。


「銀も睦月さんの結婚を喜んでいるのね」

「そう、みたいだな…」


 ぎこちなく、おずおずとした様子で帷さまも銀の手を握る。すると、銀は更に嬉しそうに笑い声をあげ、恐々とした様子だった帷さまの表情が和らぐ。そして反対の手で優しく銀の頬に触れると、銀もまた喜んだのであった。




   *




 睦月さんの結婚の話を聞いた翌日、睦月さんは改めて帷さまと私に結婚する事になったと報告をしてくれた。

 しかし、睦月さんの様子は結婚が決まり浮かれている、という感じではなく、むしろ哀愁を漂わせていて、どこからどう見ても幸せそうではなかった。


「あ、あの…睦月さん?」

「なんですか、環様」

「えっと……その…お元気、ですか…?」


 なんと聞けば良いのか悩み、私の口から出たのは、当たり障りのない、けれどもいつも会っている人にするにどうかと思われるような質問だった。

 睦月さんは違和感があるはずの私の質問ににっこりと笑ってみせた。

 しかし、その笑顔はどこか作り物めいていて…なんといえばいいのか…そう。疲れているような…悟りを開いてしまったかのような…そんな、何かの境地に至ったように感じられるものだった。


「ええ、もちろんですとも!この睦月、いつでもどこでも笑顔いっぱい、元気百倍、皆に愛と平和を唱える平和主義ですので!そんな愛の使者たるオレもとうとう身を固める事になり、幸せいっぱい、胸いっぱいですとも!あははははは!…………ははは……はぁ…」


 空元気で明るく言った睦月さんだけれど、最後の方は悲壮感たっぷりのため息になっている。


(睦月さんがこんな風になるだなんて…本当にお相手の方というのは、どんな方なのかしら…?)


 知りたいような、知るのが怖いような…そんな複雑な心境になった時、気を取り直した睦月さんが咳払いをし、改めて私たちに向かい合う。


「…また改めて、つ…つつつ…ま……と共に挨拶をさせて頂きたいと思います」

「あ、ああ…わかった」


 明らかに様子のおかしい睦月さんに、帷さまも引き攣った顔で頷いた。




   *




「お初にお目にかかります。この度、睦月の妻となります、瑠璃(るり)と申します。以後お見知りおきを」


 そう言っておっとり微笑んだのは、とても美しい人だった。

 まるでお雛様のように可憐で品のある女性。けれど、どこか凛とした雰囲気もあり、まるで武家の姫君のような方だ。

 想像していたのは違う彼女に、私は内心戸惑って、首を傾げていた。こんなに美しい人なのに、面食いの睦月さんはなぜあんな悲壮感を漂わせていたのだろう。普段の睦月さんなら、喜んで自慢をしてきそうなものなのに。

 ちらりと隣を盗み見ると、帷さまの表情は変わらなかったけれど、僅かに目が見開いていたので、きっと私と同じように戸惑っているのだろうな、と思った。


「初めまして、環と申します。睦月さんにはいつも大変お世話になっております。どうぞ、仲良くしてくださいまし」


 返事が出来ないでいる帷さまに代わって私が挨拶をすると、瑠璃さんは嬉しそうに顔を綻ばせて私を見つめた。


「はい、喜んで。睦月さんから環さまの事はよく聞いております。とても可愛らしい方だと…勝手ながら、環さまに親近感を覚えておりました」

「まあ!とても嬉しいですわ」


 話をしてみれば、瑠璃さんはとても朗らかな方だった。

 彼女は私よりも二つほど年上なのだという。もともと武家のお生まれで、睦月さんとは幼馴染みでもあるのだとか。睦月さんと瑠璃さんは昔から家ぐるみで付き合いがあり、いわゆる親同士が決めた許嫁であるらしい。


(幼い頃がお付き合いがあるのに…どうして睦月さんの顔は浮かないのかしら?気心が知れていて良いと思うのだけど…)


 不思議に思ってじっと睦月さんを見ていると、その視線に気づいたのか、睦月さんが顔を顰めた。


「許嫁といっても、オレの母親と瑠璃の母親が勝手に言っていただけものです。結納もしてませんし、何より、オレは瑠璃が許嫁である事をつい最近知ったんです。そもそも、幼馴染みといっても最近はめっきり会う事もありませんでしたし」


 苦々しく言う睦月さんに、瑠璃さんはにっこりと笑いかける。


「あら。そんなに照れなくても良いのですよ、睦月兄様?」

「……照れてない」

「ふふ。久しぶりに会った私が良い女になって戸惑っているのでしょう。瑠璃にはわかっております」

「そんなんじゃねえ」

「睦月兄様のために花嫁修業も頑張りましたし、容姿を磨くのも怠りませんでした。そんな瑠璃の、何がご不満なの?」

「そりゃ、おまえ……胸がちいさ」


 シュン!と何かが高速で睦月さんの顔のすぐ横を通り過ぎた。

 何が起こったのか私にはまったくわからず、きょとんとしてしまう。


「…何か仰いまして、兄様?」

「……とうとう本性現しやがったな、この暴力女め…!」

「暴力、女…?」

「おまえ、散々オレをボコボコにしてきたじゃないか!年下の女の子に手を出すわけにもいかないオレは、ずっとやられっぱなしだった。おまえに会うたびに青あざだらけになったあの苦い日々……忘れたくても忘れらない…」

「嫌だわ、そんな昔の事をグチグチ言うだなんて…男らしくありませんよ、睦月兄様」

「グチグチ言いたくなるような目に遭ってるんだよ、オレは!!」


 わあわあと騒ぐ睦月さんに、瑠璃さんは最初こそ困った顔をしていたけれど、その表情が段々と剣呑になり、最終的ににっこりと笑った。そして後ろに置いてあった長い棒状の物を手に取るや否や、それを振り回し、開けてあった戸から睦月さんを外へ放り投げた。

 その鮮やかな手際の良さに私は呆然とする。

 睦月さんは情けない悲鳴を上げて中庭に落ちた。そしてすぐに起き上がったのだけど…。


「瑠璃、てめえ何しやが……!」


 ひゅん、と音を立てて璃々さんはそれを睦月さんの首元に突き付けた。

 そのせいで、睦月さんは最後まで台詞を言い切れなかったようだ。


「あれは…薙刀、かしら?」

「そのようだな……しかし、彼女は相当な使い手のようだな…」

「え?」


 ぼそりと呟いた帷さまの一言に私が目を見開いている間にも、瑠璃さんと睦月さんの攻防は続いている。


「──女に投げ飛ばされるだなんて、恥ずかしくはなくて?」

「おま…おまえなぁ!」

「最近、睦月兄様はめっきり稽古をつけてくださいませんでしたものね。丁度良い機会です。瑠璃に稽古をつけてくださいな!」

「稽古って…ちょ、ま…!!」


 睦月さんが態勢を整える前に瑠璃さんは薙刀を振るう。

 その動きはとても綺麗で、まるで舞いを踊っているかのよう。

 優雅な動作なのに、それは確実に睦月さんを痛めつけるために動いていた。


「問答無用!睦月兄様、覚悟!!」

「オレを殺す気か!?」


 睦月さんは瑠璃さんの攻撃を避け、時に受け流しながら逃げ回っている。

 そのやり取りはいつまで経っても終わる気配がなく、帷さまがため息をつく。

 そしてすっと目を細めると、愛刀を手に持ち、二人の間に割って入った。


「──そこまでだ、二人とも」


 帷さまは刀を持つ手で瑠璃さんの薙刀の刃を受け止め、空いている方の手で睦月さんの拳を受け止めた。

 なんなく二人の攻防を止めてしまった帷さまに私は目を丸くする。それは、瑠璃さんも同様だったようだ。一方で睦月さんはほっとした表情をしていた。睦月さんには帷さまなら止められるとわかっていたのだろう。


「帷様!」

「…宮さま?」

「君たちの仲が良い事はわかった。僕はお似合いだと思うぞ」

「まあ…!」

「はぁ!?どこが!?」


 帷さまの台詞に二人は正反対な反応をした。

 瑠璃さんは照れて、睦月さんはぎょっとした顔をする。真逆の反応なのに、どこか息ぴったりな二人に私は笑いを零した。


「…笑わないでくださいよ、環様…」

「いえ…私もお似合いな二人だな、と思いましたの」

「ええ?そうですか…?」


 私の言葉に睦月さんはがっくりと肩を落とす。

 瑠璃さんは恥ずかしそうに薙刀をしまい、帷さまと私に謝った。


「申し訳ありません、宮さま、環さま。私ったらつい、頭に血が上ってしまって…」


 短気な所は直しなさいと言われていたのですが、と顔を俯かせた瑠璃さんに、帷さまは穏やかに返事をする。


「いや…君のような人が睦月の嫁になるのなら、僕は大歓迎だ」

「ちょっ…帷様!?」


 睦月さんの抗議の声を無視し、帷さまは朗らかに続けた。


「むしろ、睦月の嫁になるのならば、君のような人でなければ務まらないだろう。見ている限り、君の薙刀の腕前は相当なものだ」

「いえ、そんな…まだまだ未熟な身です」

「謙遜する必要はない。瑠璃といったか…君のように腕に覚えのある女性が一人くらい傍にいてくれると、環も心強いだろう」


 そう言って帷さまは私の方を向いた。私はそれに答えるようににっこりと笑う。


「ええ、とても心強いですわ」

「…環もこう言っている。どうか仲良くやって欲しい。…なんなら、このままこの家に住んでくれても、僕は一向に構わないぞ」

「はあ!?な、なに言ってるんですか、帷様!?」

「ええっと……その、ご迷惑では…」

「僕は構わない。君が嫌でないのなら、考えて欲しい」

「私も構いませんわ。瑠璃さんと仲良くなりたいと思っていたところでしたから、むしろ大歓迎です」


 戸惑っている様子の瑠璃さんに、私たちは後押しをするように言うと、睦月さんがぎょっとした顔をする。

 瑠璃さんは睦月さんの様子に気づく事なくしばらく考え込んでいたけれど、やがて結論が出たのか、帷さまと私の顔を交互に見た。


「…その…私の一存で決めるわけにはいきませんが…でも、宮さまたちのお役に立てるのなら、私もここに住ませて頂きたいと思います」

「お、おい!なに言ってんだよ、瑠璃!」

「…そうか。では、君たちの家と相談をしようか」

「ちょっと待って、帷様!オレの意見!オレの意見を聞いて!?」

「早速、手紙をしたためよう」

「いい加減、オレを無視しないで頂けませんかね!?」


 なんでこうなるんだああああ!!!


 そう、叫ぶ睦月さんの声が我が家に響き渡った。

 その少し後、隣の部屋からとても楽しそうな銀の笑い声が響き、ほっこりとした。



 結論からいうと、睦月さんと瑠璃さんは我が家に住む事になった。

 銀は瑠璃さんをとても気に入り、瑠璃さんを見るとご機嫌になる。徐々に我が家に馴染んでいく瑠璃さんの様子に、睦月さんはぶつぶつと文句を言いつつも、とても優しい目で見守っている事を、私は知っている。


 そんな睦月さんと瑠璃さんの左手の小指には、赤い糸がしっかりと結ばれている。



  ─完―



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