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番外編 家族という存在【捌】



 ソレと相対すると、どこか懐かしく感じた。

 それもそうだろう。ソレは僕の“鬼の力”の一部であったらしいうえに、ソレは僕の母親の姿を象っている。だから、懐かしく感じるのも無理はない。


 そんな事を頭の隅で考えながら、鬼丸を握り直す。

 ソレを倒すのに時間はそうはかからないだろう。どうやら随分とゴローがソレを痛めつけていたようだから。

 ソレはあちこちに傷を負いながらも、僕を見て嗤っている。その姿が、声が、僕にとって不愉快で、忌まわしい記憶の象徴である事を知っているのだ。

 僕を痛めつけ、絶望させる事だけをソレは目的にしている。ソレの力のほとんどは僕の中にあるのだ。母と同化したのはごく僅かな部分で、意思を持っているわけではなく、ただ僕を恨み、僕に復讐する事だけしか考えられないのではないだろうか。


『許さない…赦サナイ…あなただけが幸せになるんだなんて許セナイ…!』

「……!」


 素早いソレの動きに一瞬戸惑う。

 しかし、その速さも思っていたよりは(、、、、、、、、)というだけで、対処に困るほどの動きではない。

 ──そのはずなのに、僕は動きを一瞬、止めてしまった。

 通常の女性では考えられないほど強い力で、伸ばした爪で襲いかかってくる彼女の攻撃を辛うじて防ぐ。


『許サナイ…絶対ニオマエダケハ許サナイ…!ワタシヲ苦シメタオマエダケハ…!』


 許さない、と何度も繰り返すその言葉を聞くたびに、胸がざわつく。

 それが僕の動きを鈍くさせている事はわかっていた。だが、なんとかしようと思ってもどうにもならなかった。

 爪と刀がぶつかる音が響く。早くなんとかしなくれは、と思うのに、僕の体の動きは悪い。その中でソレに攻撃しようとすると、ソレは囁くのだ。

 ──母を斬るのか、と。

 その囁きに躊躇いが生まれ、その隙にソレは上手く逃げる。そんな事を何度も繰り返した。

 それは、何度目かの爪と刀がぶつかった時だった。


『…何を躊躇っているの、あなたは。あなたには守りたい人がいるのでしょう。ならば、その人のために躊躇いなど、捨ててしまいなさい』


 ソレが、そう言ったのだ。

 思わず目を見開き、ソレから距離を置いて凝視すると、先ほどまでとは違う表情で僕を真っ直ぐに見つめていた。


『珠緒さんはあなたをそんなひ弱な子に育てていないはずだわ。さあ、わたしが抑えられているうちに、わたしを倒しなさい』


 突然、様子の変わったソレに僕が戸惑っていると、ソレはさらに僕を叱責する。


『戸惑っている場合ではないはずよ。──さあ、早くおやりなさい、帷!』


 僕はその言葉に弾かれたように動いた。そして、鬼丸を構え、ソレに向かって行く。僕が目の前に来ると、ソレは慈愛に満ちた笑みを浮かべ、両手を広げた。

 ──そして僕は鬼丸で、ソレの体を貫いた。


【ギャアアアアア!!!ナニヲスル…ナゼ邪魔ヲスル…!】

『馬鹿ね。わたしはあの子の母親だもの。あの子のためならば、なんだって差し出すわ。…たとえ、自分の命であっても、ね。さあ、大人しく帷の力の一部とおなりなさい』

【オノレ…オノレェエエエェ!!!】


 二重になって聞こえる声に呆然としていると、僕の中に力が入ってくるのがわかった。これはもとは僕の中にある力の一部だからなのか、すんなりと僕の中に取り込まれていった。


『……これで、やっとあなたとちゃんと話が出来る』


 鬼丸に貫かれたまま、ソレ──その人は、微笑んだ。

 それは今まで僕が向けられることのなかったもので、幼い頃、ずっと欲しいと心の中で願っていたものでもあった。

 その人には実体はないはずなのに、赤い雫がたらりと鬼丸を伝う。

 僕は鬼丸を抜く事も出来ずに、ただ呆然とその人の顔を見つめた。


『…こうしてきちんとあなたと話をするのは、初めてね』

「……」

『ずっと、ずっとあなたに謝りたかった…酷い事をしてごめんなさい、って。でも、ね。あなたはわたしを許さなくていいの。それだけの事を、わたしはあなたにしてきたのだから』

「……」

『最後の最後に“本当のわたし”としてあなたと話す事が出来て良かったわ。今までわたしがずっと思っていて、死ぬまで言えなかった事を、どうか言わせて頂戴ね。──帷、わたしの可愛い息子…わたしはあなたを愛しているわ』

「……っ!」

『わたしは母親らしい事を何一つしてあげられなかった最低な親だった…あなたは何を今さら母親面をしているんだと思うかもしれないけれど、わたしは心から、あなたたちの幸せを願っている』


 ふんわりと、柔らかい笑みを浮かべて言った彼女の表情は、とても満ち足りていた。

 返す言葉が見つからず、呆然としている僕の隣に、いつの間にか環が並び、僕の手に自身の手を重ねた。

 そして、切なそうな顔をしてその人を見つめると、その人は環を見て嬉しそうに笑った。

 それと同時に、彼女の体がゆっくりと、透けていく。


「六花さま…」

『環さん。わたしのお喋りに付き合ってくれてありがとう。とても楽しかったわ。帷を、これからもよろしくね』

「……はい、お義母(かあ)様…」


 涙ぐみながらもしっかりと頷いて義母(はは)と読んだ環に、彼女は安心したように表情を綻ばせる。

 そんな少しの間にも、彼女の体はどんどん透けて、今にも消えてしまいそうだ。

 消えてしまう前に何か言わなければと思うのに、何も言葉が出て来なくてもどかしい。

 僕が言葉を探している間に、兄上も環とは反対側の僕の隣に並び、その人に声をかけた。


「母上…」

『桐彦…とても、立派になったわね。母としてあなたを誇りに思うわ。これらかも、陛下をお助けして差し上げて、あなた自身も立派な帝とおなりなさい』

「はい、必ず。……もう一度、母上にお会い出来て嬉しかったです」

『…わたしもよ。──もう、時間みたいね…』


 そう、少し寂しそうに彼女は呟いた。


『皆…色々と迷惑をかけてしまって、ごめんなさい。わたしはもうここにはいられないけれど…空の上から、あなたたちをずっと見守っているわ』


 さようなら、と口を開いた彼女に、僕は咄嗟に声をかけた。


「母上…!」


 口から滑り出た言葉に、僕自身も驚いたが、それ以上に彼女が驚いた顔をし、泣きそうに顔を歪めた。


『帷…わたしを母と…呼んでくれるの…?』

「…あなたは、紛れもなく僕の母です。正直、あなたを恨んだ事もありましたが、今はあなたに感謝しています。あなたが僕を産んでくれたお蔭で、僕は大切な人たちに出逢う事が出来た。だから……僕を産んでくれて、ありがとうございます、母上」

『……!』


 彼女は口元を手で覆い、涙を流す。

そんな彼女に僕はどうすればいいのかわからず、みっともなくおろおろとしていると、彼女が僕の方に手を伸ばす。

 しかし、その手は僕に触れる事なく、すり抜けた。


『…あなたを抱き締められないのがとても悲しい……けれど、これはきっと罰ね。でも…それ以上に嬉しい事を言って貰えたから、いいわ』

「…母、上…」

『帷、あなたは幸せになっていいの。あなたは愛されるべき人だわ。だから…──環さんたちと、幸せにおなりなさいね』


 そっと彼女は僕から離れ、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


『最後にあなたたちに会えて、わたしはとても幸運だった……桐彦、帷。わたしの子として、生まれてきてくれてありがとう…』


 そう言って、彼女──母は、消えた。

 母が消えた場所をじっと見つめていると、赤い雫がいまだ残っている方の手を、環はそっと握る。

 それはいつか見た光景と似ていて、僕はあの時と同じように、知らず知らずのうちに涙を零していた。

 そんな僕を、環は優しい笑みを浮かべて見つめる。

 彼女の視線から逃れようと、僕は顔を背けた。


「…見ないでくれ……こんな、情けない顔など……」

「情けなくなんてありませんわ。帷さまは実のお母様と“本当のお別れ”をしたのですもの。涙が零れるのは、自然な事です」

「……っ」

「帷さまが見られたくないと仰るなら、見ません。帷さまの気が済むまで、私がこうしていますから」


 ──だから、存分に涙を流してくださいませ。

 そう言って、環は僕を優しく抱き寄せ、背中を撫でる。

 その仕草はとても優しく──それは、幼い頃の僕が母にして欲しいと秘かに願っていたものだった。


「…僕は……ずっと、認めて欲しかったんだ…」

「はい」

「母上に認めて貰いたかった。僕はあなたの子だと、そう認めて…他の子が母親にして貰えるように、優しく抱き締めて、笑って欲しかった…」

「…はい」


 本当は、ずっと寂しかった。


 兄に接する母の姿は、僕に接する時とは違って優しかった。それが、とても羨ましかった。

 こんな忌まわしい力を持つ僕だから仕方ない…そう、諦めたふりをしていた。本当は、欲しくて欲しくて堪らなかったくせに、聞き分けの良い子を演じて、これ以上、母上に嫌われないように必死だった。


「本当は……母上に愛して貰いたかったんだ……」

「…帷さま…」


 背を撫でる環の手が止まり、ぎゅっと僕を抱き締めた。


「あなたのお母様は、あなたをきちんと愛していらっしゃいました。あなたは愛されていたのです」


 環のその言葉に、僕は嗚咽を堪えて喘ぐように息を吸い、環の華奢な体に縋りつく。


「僕は…僕は、生まれてきて、良かったのだろうか…」

「ええ、もちろんです。私は帷さまに出逢えて、今、とても幸せですわ。お義母様も仰ったではありませんか。生まれてきてくれてありがとう、と」


 ──生まれてきてくれてありがとう。


 そう微笑んで消えた母の姿が瞼の裏に浮かぶ。

 その言葉に、僕はようやく自分の存在を肯定出来るような、そんな気がした。




本日、書籍版が発売です。

「あやかし恋愛奇譚 運命の赤い糸を、繋ぐ。」をよろしくお願いいたします。

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