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運命の赤い糸を、繋ぐ。  作者: 増田みりん
第一章 赤い糸と夜会
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後始末

 扉をきっちり三回叩く。そして扉を開き中に入れば綺麗に整理整頓された事務所がある。普段なら誰かしらいるこの場所も、今は先日あった九尾の事件の処理に追われているため無人だ。

 しかし用があるのは事務所ではなくその奥の部屋であったため、気にすることなく通り過ぎようとして、ふと自分の机に目を向ける。

 普段ならそんなに溜まっていない書類が山のように積まれている。自分の机の惨状にため息をつきたくなるのを堪えてとにかく奥に向かう。

 ―――あとで睦月を絞らねば。

 そう固く決意をした。


 奥の部屋の扉の前に着くと、中から話し声が聞こえた。目当ての人物の他にも誰か中にいるようだ。


「…どういうことでしょうか、父上。確かにあの後、九尾の気配は消えたはず…」

「わからない。だが、これだけは間違いない。九尾は、まだ生きている」


 聞こえてきた会話の内容に、僕は思わず部屋に飛び込む。


「それはどういうことだ?」

「帷様…聞いてしまいましたか」


 勢いよく扉を開き部屋に入って来た僕を、西園寺公爵と朔夜が同時に見つめる。

 僕は二人の視線を受け止め、彼らを睨むようにして言う。


「九尾が生きているとは、どういうことだ?僕は確かにあの時この手で奴を仕留めた。その感覚があった」

「…わかりません。ですが、俺はこの目で確かめたのです。殺生石が壊れていない(・・・・・・・・・・)ことを」

「壊れていない…?馬鹿な…あり得ない。この鬼丸で斬ったのに…」


 僕は常に持ち歩いている刀を見つめる。この刀の名を、鬼丸国綱という。

 この鬼丸には特別な(まじな)いが掛けられており、妖怪を(あや)める力がある。妖怪を殺める他にも縁の糸を切ることもできる。しかし、縁の力が強いものは切ってもすぐにくっついてしまう。完全に断ち切れるのはごく僅かだ。どんなに強力な霊力で呪いを施してもできるのはその程度。糸をほどくことができる環が異常なのだ。

 その鬼丸で斬ったにも関わらず、かの妖怪は生きているという。通常ならばあり得ないことだ。

 そう、通常ならば(・・・・・)


「…そうか。僕の血を舐め、兄上の精気を吸ったからか」

「恐らくは、そうなのでしょうね」


 西園寺公爵が苦々しく頷く。

 皇家は神の血筋であると云われている。故に、その身に宿る霊力は通常の人よりも遥かに多い。しかし、それに反してその力を扱える者は稀にしか現れない。宝の持ち腐れだ。

 だが、それでもその身に宿る膨大で強力な霊力は妖怪や物の怪を惹き付ける。皇家の者が幼い頃病弱だったり、早世したりするのは妖怪や物の怪に取り憑かれやすいからだ。

 それは兄である桐彦も例外ではない。例外は、むしろ僕の方だった。

 霊力を扱えない兄は物の怪や妖怪に取り憑かれてもその姿を視ることはできない。だが、僕は幼い頃から妖怪や物の怪の類を視ることができた。とある人物にこの力の使い方を教えてもらうまでは、妖怪や物の怪に怯える毎日で、何もないところで騒ぎを起こす僕を周りの者は気味悪がり、僕の周りに人は寄り付かなくなった。

 この力の扱い方を知ってからは、僕は兄に憑いたものを退治するようになった。その結果、今現在の兄は健康そのものである。ただし、放っておけば妖怪や物の怪にすぐ憑かれるという体質は今でも変わらないが。


「…厄介だな。それでは益々、環が狙われる可能性が高くなる」

「それはあなたも、ですよ、帷様」

「わかっている。だが、僕はなんとかなるだろう。問題は彼女と兄上だ」

「桐彦様は現在よりも厳重な警備をひきます。場合によっては、帷様にも頼むことがあるかもしれません。環に関しては、私はそれ程心配しておりません。帷様が傍にいらっしゃるので」

「…僕を過信し過ぎていないか?」


 からかうように僕を見て言う西園寺公爵に、僕は呆れ顔で言う。

 自分でも言うのも癪だが、僕はまだ齢十四の餓鬼だ。至らないところも大いにあるはず。


「それだけ信用していると受け取って下さい。ああ、もちろん警護の者もつけますよ。それに、()も近々帰って来る予定ですし。彼にも帷様と共に環の警護に当たって貰うつもりです」

「…帰って来るのか、彼奴(あいつ)が」

「ええ」


 にこにこと頷く西園寺公爵に僕は頭が痛くなった。


「――ところで、帷様」


 僕と西園寺公爵の会話が途切れたのを見計らって朔夜が話しかけてくる。僕がのろのろと朔夜に顔を向けると、彼は父親そっくりの笑顔で僕に尋ねた。


「環とはどうでしょう?」

「…どう、とは?」

「上手くやっていますか?学園生活はどうですか?まさかとは思いますが、妹を泣かせてはいないでしょうね?」


 笑顔で低い声音で彼女とのことを尋ねる朔夜に、僕は思わずたじろぐ。


「学園生活にも漸く慣れてきたところだ。環とは上手くやっている……と思うから安心しろ」

「思う、ですか」

「いや、上手くやっている。だからその顔はやめろ」


 口角はあがっていて表情としては“笑顔”の部類に入るのだろうが、その目だけは笑っていなく、見ているだけで寒気がするような色で朔夜は僕を見ていた。下手な妖怪や物の怪の相手をするよりも怖い。


「なら、良いのですが。言っておきますが、帷様。環にこっそりつけてある警護の者は、環の身を守るだけでなく、帷様と環の観察もしています。環を泣かせるようなことはしないでくださいね?あと、うちの妹に手を出さないでくださいね?いくら婚約者とはいえど、節度あるお付き合いを…」

「わかった。わかったから皆まで言うな」


 朔夜は不満そうに、そして不安そうに僕を見つめる。

 泣かせる云々はともかく、最後の方の心配はない。

 僕は人を愛せない(・・・・・・・・)のだから。手を出すことなど、その必要がなければあるわけがない。


「……大切なものを作って、失くすのはもうこりごりだ」

「帷様?」


 僕の呟きが届いたのか、西園寺公爵が心配そうな目で僕を見つめる。僕は首を横に振り「なんでもない」と答える。

 西園寺公爵だけは知っている。僕が昔犯した罪を。そしてその罪ゆえに、彼女を―――環を守ると言ったことを。

 大切な存在なんて作らない。大切なものが失われる恐さを知っているから。

 彼女と話すたびにその恐さを思い出す。彼女はとても似ている―――あの人に。

 彼女が笑うたびに胸がざわつく。そしてあの人と重ねて見てしまう。

 最期まで笑っていた、あの人に。


「―――そう言えば、帷様。こんな噂をご存知ですか?」


 物思いにふけていた僕は朔夜の言葉に意識を朔夜に向ける。


「噂?」

「ええ。なんでも、女性が恋文を出すとその女性が不幸に見舞われるとか。ですが、男性が恋文を出してもなんともないそうなのですよ」

「…女性だけ、か?」

「ええ、そうらしいですよ。まあ、ただの噂ですし被害報告もありませんので、気にかける程度で良いと思いますが」

「…わかった。一応、気にかけておこう」

「こちらでも調べてみますが、よろしくお願い致します」


 僕はしっかり頷く。そして部屋を出ようとした時、思い出したかのように、西園寺公爵が僕に声を掛ける。


「―――ああ、そうだ。帷様」

「なんだ」

「婚約のお披露目の日程が決まり、二週間後の土曜日になりました。家に戻ったあと、環にもそのように伝えて頂けますか」

「…わかった。言っておく」

「よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた西園寺公爵に頷き、今度こそ部屋を出る。

 そして外に出れば大きな銀色に輝く月が真上にあった。月を少しの間眺め、歩き出す。

 早く帰らないと、環が寝てしまうかもしれない。健康に気を遣っている彼女は、早寝早起きなのだ。夜に帰ってくればもうすでに彼女の部屋の明かりが消えていることが多い。

 気持ち足を速めて歩く。カツカツと響く自分の足音しか聞こえない夜道。この世界には自分しかいないような、そんな錯覚を覚えてしまうほど人気がない。

 あともう少しで家に着くと少し気を緩めたその時に、ちりん、と鈴の音が聞こえた。咄嗟に鬼丸を手に取り、辺りを警戒する。だが、なんの気配も感じない。

(―――気のせい、か?)

 九尾の話を聞いて、少し過敏になりすぎているのかもしれない。そう思い、体の力を緩めて家に向かってまた歩き出す。

 家の門に入るとき、狐のお面を付けた男の姿を視界の端に捉え、はっとしてそちらを振り向く。だがそこには誰の姿もない。

 暫く周囲を警戒したが、なんの気配も感じられずに家に入った。

 そして縁側を通るとき、風呂上りらしい環とばったりと出くわす。普段は色気など感じられない彼女だが、お風呂上りで艶やかな黒い髪をしっとりと濡らし、少し上気させた頬はほんの少しだけ、色っぽいといえなくもない。


「あら、帷さま。今、お帰りですか?」

「…ああ」

「そうでしたの。お帰りさないませ、帷さま。お勤めご苦労さまでした」


 微笑みながら言う彼女に、僕は一瞬目を見開く。そして彼女から目を逸らし「ただいま」とぼそりと答える。

 そんな僕の様子に彼女は気にした様子もなく、にこにこと「お風呂に入るなら今から入った方が良いですわ。丁度いいお湯加減でしたもの」と話し掛けてくる。

 僕は気もそぞろに返事をし、彼女の父親からの言伝を彼女に伝える。


「僕たちの婚約のお披露目の日が決まったそうだぞ」

「………まあ」


 返事をするまでに間が空いたことが気になったが、敢えて突っ込まずに伝える。


「二週間後の土曜日だと」

「………そうですか。わかりましたわ。わざわざ伝言を届けてくださり、ありがとうございます」


 彼女は微笑んだままそうお礼を言うが、僕は彼女の頬が僅かに引きつっていることに気づいてしまった。

 そんなに嫌なのか。

 やはりこんな普通の人には視えないものが視えるような、忌み子として避けられてきた僕と婚約者になるのは苦痛なのだろう。

 僕は自嘲の笑みを浮かべて、彼女に言う。


「嫌かもしれないが、我慢してくれ。君の安全が確認でき次第、この婚約を解消するように僕からも頼もう。こんな、気味の悪い奴が少しの間だけでも婚約者なんて嫌だろうが」


 ―――僕は何を言っているんだ。

 こんな卑屈なことを彼女に言っても困らせるだけだ。そんなことわかりきっていることなのに、なにを言っているのだろう。

 その証拠に彼女も目を大きく見開き、僕を凝視している。僕は彼女を見ていられず僅かに視線を逸らす。


「まあ。なにを仰っていますの、帷さま?気味が悪いだなんてそんな…」

「世辞は要らない。自分のことは自分がよくわかっているからな」


 他の者と変わらない世辞を言う彼女に苛立ち、僕はさらに卑屈なことを言ってしまう。

 きっと彼女は困っているだろう。これ以上彼女を困らせる前に立ち去るべきだ。

 そう考え、僕は彼女に部屋に戻ると伝えようとした時、彼女が静かに言う。


「帷さま、こちらをご覧になって」


 そう言われても、僕は頑なに視線を逸らしたままでいた。

 彼女はもう一度僕の名を呼び、僕の手を取った。僕はぎょっとして彼女を見ると、先ほどよりも近い距離に彼女の顔があった。ほんのりと石鹸の良い匂いがする。僕とほとんど変わらない目線で、僕を見つめた彼女は優しく微笑んだ。


「手が冷たいですわ。もう秋ですものね。さすがに夜は冷えますね」

「…そう、だな」

「知っていますか、帷さま。手が冷たい人は心が暖かいのですって」

「は?」

「ですから、帷さまは心が暖かいのでしょう。ふふ、手の暖かい私は心が冷たいということになるのかしら」


 彼女は僕の両手を自身の手で温めるように包む。

 じんわりと、彼女の体温が冷えた僕の手に伝う。


「帷さまの心が暖かくて私の心が冷たいのなら、私たち二人で丁度良くなりますね?」


 ふふ、とからかうように僕を見て笑う彼女に、僕はなんて言葉を返せばいいのかわからずに戸惑う。


「私は帷さまとの婚約が嫌なわけではありませんわ。きっと私の態度で誤解をさせてしまったのでしょうけれど…ごめんなさい、帷さま」

「…嫌では、ない?そんな世辞は…」

「お世辞なんかではありません。私は逆に、帷さまのような方が婚約者で良かった、と思っておりますのよ?」

「だが、君は…」

「私が嫌なのは、お披露目をすることですわ。自分が主役なそういうものが、苦手なのです」


 そう言って苦笑する彼女に、僕は思わず凝視してしまう。

 今まで散々、気味が悪いだとか忌み子と言われ続けてきた僕は、僕が婚約者で良かったと言う彼女の言葉を信じられないでいた。


「それに私、帷さまのことを気味が悪いだなんて思ったことはありません。むしろ、美しい方だと思いますわ。私のような平凡な娘が婚約者で良いのかしら、と悩むくらいに」

「……」


 なにを馬鹿な、という言葉を僕は飲み込む。彼女の目があまりにも澄んでいて、嘘を言っているようには思えなかったのだ。


「帷さまは素敵な方です。まだ出会って数週間しか経っていませんけれど、私は胸を張ってそう言えます。ですから、どうかご自分を卑下なさらないでくださいませ」

「環…」


 環は彼女の体温で温まった僕の手をゆっくりと離す。

 彼女の手がゆっくりと離れていく様を見て、物寂しいような気持ちになった。


「改めて、不束者(ふつつかもの)ですがよろしくお願い致します」

「…ああ、こちらこそ、よろしく」


 そう言って顔を見合わせると、彼女はふふ、と笑う。


「なぜ笑う?」

「ごめんなさい。嬉しくてつい…。弟ができたようで嬉しいのです」

「…弟?」


 ええ、と頷く彼女に、何故か僕は酷く動揺した。怒りを覚えるのではなく、動揺した。自分でも自分の感情がよくわからずに戸惑う。


「…ご不快でしたか?」


 恐る恐ると聞く彼女に、僕は首を横に振る。動揺はしたが、不快ではなかった。

 彼女はほっとしたように良かった、と胸を押さえる。

 そんな彼女の様子をぼんやりと見つめ、何故か暖かく感じる胸を不思議に思っていた僕は気づかなかった。


 ―――塀の上から僕たちを見つめる、狐のお面を被った男の姿に。





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