新しい家族 −後−
2話連続の更新となっております。
前話からお読みください。
主従の契約とは、霊力を操る者が人と意思の疎通のできる高位の妖怪と結ぶものである。それに必要なものは術者の血。妖怪は術者の血を得ることによりその術者の力によって妖力を強化することができる代わりに、その術者の命には絶対に従わねばならない。
人と意思の疎通ができる妖怪は自尊心が高いものが多く、滅多な──例えば、致命的な怪我を負ったというような──ことがない限り、契約を結ぼうとはしない。主従の契約を結ぶのは人間が好きだという、妖怪の中でも変わり種ばかりである。
妖怪といえども、人に悪さをするモノや座敷童のような人に恩恵を与えるモノ、人に無害なモノとさまざまなモノが存在しており、すべてがすべて退治をしなければならないというわけではない。だからこそ、この主従の契約は生まれたともいえる。
この契約は人と妖怪の双方の合意のもとに行われるものであり、どちらかといえば、人よりも優れた力を持つ妖怪たちが人間を守護しようという考えのもとに生み出されたものであるらしい。
そのためなのか、人間側にやや甘い内容となってはいる。とはいえども、異種間の縁であるがゆえに、それなりの危険は双方に伴う。妖怪であれば滅される危険が、人であれば力を奪われその身に取り憑かれる危険があるのだ。この契約には双方の信頼関係が必要となる。
本来ならば、出会ってすぐの妖怪と結ぶようなものではない。だが、奴は亀吉が招きいれたモノ。それだけで十分に信頼できる。
では早速、とゴローに提案しようとし、何気なく環の方を見ると、環の顔色が悪いことに気付き、僕はその提案を一時置いていくことに即決した。
そんなものよりも環の方が大切だ。彼女は僕のかけがえのない伴侶なのだから。
「環、顔色が…」
「す、みません…さっきまでは、へい、き、だったの、ですけれども…」
「あまり無理をするな。待っていろ、今医者を呼んでくる」
「…は、い…申し訳ありません……」
「謝るな。これくらい、君の夫としてやって当たり前のことだ」
すまなそうな顔をしていた環は僕の言葉にほんの少しだけ顔を赤くし、照れたようにはにかんだ。
環に微笑みを返し、僕は医者を連れてくるために部屋を出ていこうとすると、ゴローが『おれとの契約はどうするんだよ!?』と聞いてきたのであとだと答えると、ぎゃあぎゃあと騒いだ。
環の具合が悪いというのに環のすぐ近くで騒ぐゴローに、僕のなにかがプチンと切れる音がし、僕は無言で鬼丸を抜いた。
『な、なんだよ…そんなのでおれを黙らせ……ヒッ!』
ゴローが何かを言い終わる前に僕はゴローの尻尾ぎりぎりで鬼丸を振った。ゴローの毛が何本か切れ、ふわりと宙を舞う。
「…いいか、よく覚えておけ。僕はあまり気の長い方ではない。僕が黙れと言ったらすぐ黙ることだ。おまえの命が惜しければ、な」
『ヒィッ』
ゴローはブルブルと震え、頭を抱えて丸くなった。少し脅し過ぎたかとも思ったが、これくらいは普通だと結論付け、ゴローを一瞥すると僕は医者を呼ぶために部屋を出ようとすると、環が慌てたように大丈夫だと言ったが、僕はそれを軽く睨んで見せることで黙らせ、部屋を出た。
その時に亀吉が『よしよーし。宮さま、おこるとこわいんだよ。きをつけてね』とゴローを慰めている姿が見えた。
医者を連れて環のところへ戻り医者に環を任せると、僕はゴローと契約をするために奴と自室へ向かった。そこならいろいろと道具も揃っているし、なにかあっても対処ができるはずと考えたからだ。
医者を呼びに行く前はあんなに震えていたのに、今ではもうすっかり最初の頃のような不遜な態度だ。まるで先ほど震えていたのが幻だったのでは、と思えるほどにすっかり元通りである。
『ほら、さっさっと終わらせよーぜ』
「ああ、もちろん」
契約、と言っても大層な準備が必要なわけではない。必要なのは術者とその血と、契約をする妖怪のその身のみ。
僕は鬼丸で不自由のない箇所を切り、血を流す。それをペロリとゴローが舐め、互いの力を流し合う。それのみで“契約”という名の縁が僕とゴローの間に結ばれ、それで契約は終了となる。
言葉にすればそれだけなのだが、その契約した証として、離れた場所でもゴローを呼び出すことが出来たり、集中すれば互いの意思を伝え合うこともできる。
『…すげえ…じっちゃんに封じられる前に近いくらいまで力が戻ってる…』
「僕の血は特殊だからな」
なんでもないように答えながらも、僕は内心驚いていた。
僕のこの身に流れる皇家の血は神の血筋。その血を舐め、契約を交わすとなれば、普通の妖怪ならばその妖力は倍近くまで膨らむはずだ。更に僕はその血に加え、鬼の力まで加わっている。それでも尚、力を封じられる前に戻らないとは。
(小五郎…といったか。それほど力の強い妖怪だったのか)
亀吉はとんでもないモノを連れてきたものだと、僕は内心冷や汗をかいた。
『──そうではなくちゃ、な。おれのご主人さまとなるくらいだ。これくらいの力はねえと』
「君に認めて貰えたようでなによりだ」
『おう。このおれ様に認められたんだ、誇るといいぞ、にんげ……いや、我が主』
不意にゴローは改まった言い方をし、人形を取り、僕に跪く。
『我が身にかけて、主を守りましょう。主が、我が主として相応しくあらん限り』
僕に忠誠を誓うような言葉だが、僕は正しくこの言葉の意味を理解していた。
これは決して僕に忠誠を誓う言葉ではない。むしろその逆で、これは脅しだ。
僕が少しでも気を抜けば僕を喰らうぞ、と奴は脅しているのだ。そしてそれをしてのけるだけの自信があると告げている。
「…いいだろう。僕は生涯をかけて、君に相応しい主であるよう、心を砕こう」
『……へっ。せいぜい頑張れよ、ご主人様』
「ああ。これからよろしく頼むぞ、小五郎」
『仰せの通りに、帷様』
不敵に輝く金色の瞳と視線が交わる。
これを従わせるのには骨が折れそうだと思いながらも、それが楽しみだと感じている自分を見つけ、そんな自分に呆れる。
まだまだ僕も若造だということか、と思った時、亀吉が慌てた様子で飛び込んできた。
『宮さまっ、たいへん、たいへんだよ!!』
「どうした?なにがあった」
『おねえちゃんが…』
「環…?環がどうかしたのか?まさか、なにか病に…?」
慌てた様子の亀吉に、ただことではないことが環に起こっているのだと察し、僕は返事を聞く前に部屋を飛び出た。
そして環の部屋に駆け込むと、環が両手で顔を覆っていた。それを慰めるように医者は肩に手を置いていた。
「環…?なにがあった?」
「帷さま……わ、たし…私…」
僕を見ると環はその瞳に涙を貯めて、再び顔を手で覆った。
そんな環の様子にやはりただごとではないことが起きているのだと確信し、僕は医者に視線を移す。
「…環になにを言った」
「なにも。ただ私は診断結果を告げただけですが」
「ならばなぜ環は泣いているんだ?」
なにか酷いことを言ったのだろう、という言葉を視線に込めて医者を睨みつけると、医者は困ったように肩を竦ませた。
「言え。なにを言った」
「ち、違うのです…帷さま、違うのです…」
「じゃあなぜ泣いている?」
「そ、それは…」
環はなぜか言いにくそうに口ごもる。
そんな環を見かねたのか、医者が口を挟む。
「旦那様、そう奥様を問い詰めるような言い方をされてはなりません。今は大事な時期ですゆえ、奥様への負担を少しでも減らして差し上げねば」
「……大事な時期?」
どういうことだ、と僕が戸惑った顔をすると、医者は微笑ましそうな視線を僕と環に向けて、にっこりと笑って告げた。
「おめでとうございます。私の診たところによりますと、三月を過ぎたあたりかと」
「……は?」
医者の言葉の意味が理解できず環を見ると、環は恥ずかしそうにはにかんで、自分の腹部を撫でながら僕に告げた。
「…帷さま。どうやら私のお腹に子が…帷さまと私の赤さまがいるようなのです」
「……」
僕は驚きのあまり言葉を失っていると、環の顔が段々と曇っていく。
それに僕は慌てて環の傍により、その手を握った。
それを見た医者はにんまりとした笑みを浮かべて立ち上がり、ぴたりと部屋の戸を閉めて出て行った。その笑みにイラっとしたが、今はその苛立ちを抑え、環に向き合う。
「違う、違うんだ。これはその…突然の事に驚いただけで」
「帷さま…あの、ご迷惑じゃ」
「迷惑じゃない! そんなこと、思うわけがないだろう。正直なところ、実感はないが…」
突然のことに実感は湧かない。正直に言えば、喜びよりも戸惑いの方が大きい。それに様々な葛藤や不安もある。
だが、それを今口にするべきではないことくらいわかっている。
色々な感情を抑え、その中から喜びだけを拾い上げて、僕は微笑む。
「…ありがとう、環。元気な子を産んでくれ」
「……はい、帷さま。必ず元気な子を産んでみせますわ」
きっと環には僕の気持ちなどお見通しなのだろう。一瞬だけ表情が歪んだが、すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべて答えた。
素直に喜べない自分が情けない。きっとこの子は、環にとっては予想外だが、嬉しい知らせだっただろう。環は以前、子は望めないだろうと告げられていて、それをとても気にしていたのだから。
そんな環の気持ちを汲んで、僕は心から喜ぶべきなのだ。わかっている。だけど、どうしても不安は拭いきれない。
そう、不安は拭いきれないが、嬉しい、と感じたことも確かなのだ。環の中に僕と環の子がいるということが、嬉しく思う。
「…君に似た女の子がいいな」
ぽつりと呟いた僕に、環は一瞬だけ目を見開き、少し泣きそうな顔で笑った。
「私は帷さまに似た男の子がいいと思います」
「僕に似たらきっと生意気な子になる」
「男の子ですもの、それくらいでいいのですわ。むしろ私に似た女の子だと、とてもお転婆な子になりそうで怖いです」
「それはそれで飽きなくていい」
真剣な顔をしてお互いに言い、顔を見合わせてふふ、と微笑む。
「これから大変になるな」
「ええ。でもきっと、それも楽しく思えます」
「そうだな。…名も、考えないとな」
「ええ、そうですね。どんな名が良いかしら」
新しい家族のことを話し合う、幸せな時間。
不安なこともあるが、きっと大丈夫だろうと思えた。
なぜなら、僕の隣には彼女がいるのだから。
『……おい、いつまでそうしてるんだよ』
『しぃっ!コロ、だまる!』
「亀坊の言う通り!今いいとこなんだから黙ってろ、猫すけ」
『おれの名前はコロでも猫すけでもねえ!!!!』
「ま、まあ…落ち着いてください…」
不意に戸の向こうから聞き慣れた声が聞こえ、僕と環は顔を見合わせた。
そして僕は立ち上がり戸を開くと、そこには予想通りの人物たちが聞き耳を立てていた。
「…なにをやっているんだ、おまえたちは…」
「…やべ。あ、あははは。オレたちは環様の具合が良くないと聞いて、心配になって様子を伺っていただけです」
『そうだよ!睦月はしんぱいしてたんだよ!ききみみなんてたててないよ!』
しらっとした顔で言った睦月を応援するように亀吉は言ったが、それは睦月の支援になるようなものではなく、ただ墓穴を掘っただけだった。
それに睦月は表情を変え、焦ったように亀吉を見た。
「あっ、こら!亀坊てめ…!」
「は、はは…」
『あーあ…』
夕鶴は苦笑し、ゴローは呆れた顔をして亀吉と睦月を見ていた。
亀吉を掴まえて八つ当たりをしている睦月を僕は冷たい目で見た。
「…なるほど。睦月、おまえはとても良い趣味をしているようだ」
「と、帷様…あ、あはは。それほどでもないというか…あはは」
「ふふ…」
「はは」
僕と睦月はしばらく笑い合い、そんな僕たちのやり取りに環と夕鶴は困った顔をし、亀吉はきょとんとした顔をし、ゴローは『おれ知らね』という顔でそっぽを向いていた。
僕はすうっと息を吸い込み、にっこりと笑みを作って睦月を見ると、睦月は顔を引きつらせて、忙しなく視線を彷徨わせたあと、ポン、と手を叩いた。
「そ、そうだ!オレちょっと用があるんだった!いやあ、すっかり忘れてたな~。ということで、オレは失礼し」
「…睦月。僕はおまえを明日から朔夜に預けようと思うんだが、どうだろうか」
「え」
「朔夜も人手が足りないと言っていた。僕が見る限り、おまえはとても余裕があるようだし、朔夜の手伝いをしてやったらどうだ?」
「い、いえそんな…オレなんかじゃ朔夜様のお手伝いなんてとてもとても…」
「そうか?朔夜はおまえが手伝ってくれると助かるとよく言っているが?」
「…オレが間違ってましたすみません許してください帷様ぁ!!!」
「それだけは、それだけはご勘弁を…!」と睦月は情けなく僕に泣きつく。
最初からそう言えばいいものを、と僕は呆れていると、僕の背後からくすり、と笑い声が零れた。
「…あなたの家族は楽しい方ばかりね」
環は自身のまだ膨らんでいない腹を撫で、優しい笑みを浮かべて呟いた。
その笑みに懐かしい人の面影が重なった。
そして、聞こえるはずのない、懐かしい声が聞こえた気がした。
───立派な父親におなりなさい、という声が。
そういえばこの妖怪出してない!と思い至り書いた話です。
あともう一話か二話くらいでちょっと帷さまの葛藤的な話を書きたいな、とは思っています。
お盆くらいまでには書ききりたい!
…あまり期待はせず、気長に待っていただけたらと思います。




