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婚約者への手紙



『親愛なる環へ


 手紙をありがとう。

 君の考えた通りに、いつも家で会っているのに手紙なんて、と思ってしまい深く反省している。確かに、たまには手紙というのも悪くない。』



 僕は手紙を書く手を止め、ふう、と息を吐いた。

 きつく握り締めた万年筆のせいで中指が痛い。万年筆を机の上に置き、軽く指をもみ解く。

 なんで手紙と言うのはこうも書くときに緊張してしまうのだろうか。普段ならそんなに力を込めずにすらすらと書けるのに、手紙を書くと変に緊張してしまう。

 これが睦月や夕鶴へ宛てたものならここまで緊張せずに済んだのだろうが、これは環への手紙だ。異性へ、それも自分の婚約者に宛てた手紙は内容を考えるのも苦悩する。


「なに書いてるんですか?」


 ひょいっと睦月が後ろから手紙を覗き込む。

 睦月が部屋に入って来たことには気づいていたので僕は特に慌てることなく、睦月を睨む。


「…ああ、環様への返事ですか。やっと書く気になったんですね?手紙貰ってからもう結構経っているのに。今更過ぎませんか?」

「…うるさいな。色々と時間が取れなかっただけだ」

「へえーそうなんですかー。いやあ、俺はてっきり帷様は逃げているのだとばっかり」

「逃げているだと?この僕が?」


 ハッと鼻で笑って見せる。


「そんなわけないだろう。確かに手紙を書くのは苦手だが、環が一生懸命考えて書いてくれたものに対して返事をしないほど僕は薄情じゃない。それに、御守りの礼も伝えたいしな」


 僕は服の下に紐を通して吊り下げている環が作った御守りを服の上からそっと触る。

 触れるだけで温かい気持ちになる。環が一生懸命作ってくれた物だと思うと、余計に心が不思議とぽかぽかするのだ。

 これさえあればどんな嫌な事だろうと苦ではないと思ってしまうほどに。


「…そうですか。ですが、御守りのお礼が手紙だけというのはどうなんですかね。やっぱりここは帷様もなにか贈り物をした方がいいんじゃないですか?」

「…確かに、そうだな。だがしかし…なにを贈れば…」

「もう一度鏡を贈ってさしあげればどうですか?前に帷様が贈った鏡を割ってしまったことを気に病んでいらしたようですし、こちらも御守りとして渡せば環様も躊躇せずに受け取ってくださるんじゃないですかね」

「鏡、か…そうだな。前回よりも少し強めに(まじな)いを掛けて…」

「いや、それよりも可愛らしいものを選びましょうよ!環様が好んで持ち歩けるようなやつを。さあ、帷様、今から行きましょう」

「は?だがそれだと環が一人に…」

「大丈夫です。夕鶴が今来ているので。さあさあ、帷様。行きますよ」

「お、おい…僕は行くとは一言も…」


 半ば連行されるように僕は睦月に引っ張られて歩く。そうして廊下を歩いているとばったりと環と鉢合わせをした。

 環は僕と睦月を見て目を一瞬だけ見張り、すぐに柔らかく微笑んだ。


「お二人とも、お出かけですか?」

「あ、ああ…そんなところだ」

「そうですか。ではお気を付けて。いってらっしゃいませ」


 僕はそう言った環の言葉に、なんともいえないくすぐったさを感じた。

 "いってらっしゃい"と見送ると言葉。環と一緒にいるようになってからよく聞くようになった言葉。僕は環に「いってらっしゃいませ」と言われるのがとても好ましいと思う。

 それから「お帰りなさいませ」の言葉も。


「…行ってくる」

「はい。お帰りをお待ちしておりますわ」


 にこにこと玄関まで僕を見送る環を見てまるで新妻だな、などと考えてしまい意味もなく焦る。

 いったい何を考えているんだ、僕は。その思考を追い出すように頭を振る。

 そして環の好みそうな手鏡を買うために、睦月と共に歩き出した。




***




「まあ…うふふ」

「どうかされましたか、環様?」


 私は突然くすくすと笑い出した環様に近づき、環様が手に持ち読んでいた紙を覗き込む。

 そこには見慣れた帷様の達筆な字で何かが書かれていた。ざっと見た感じだと、お礼の手紙だと思われる。


「一か月前に帷さまに出した手紙の返事を先ほど頂いたの。それを読んでいたのだけど…帷さまらしくて」


 そう言って堪えきれないように環様は笑う。

 帷様はどんな返事をしたのだろう。帷様のことだからきっとすごく真面目で堅い内容だとは思うけれど。


「夕鶴君も読んでみる?」

「…いいのでしょうか」

「変なことは書かれていないし、大丈夫よ。でも帷さまには内緒にしてね」

「はい」


 私は環様から手紙を受け取り、その内容を読む。

 そして読み終わり、顔を上げた時、環様はとても愛おしそうに可愛らしいレースの模様が描かれた手鏡を見つめていた。




『親愛なる環へ


 手紙をありがとう。

 君の考えた通りに、いつも家で会っているのに手紙なんて、と思ってしまい深く反省している。確かに、たまには手紙というのも悪くない。

 だけど手紙を書くのはとても緊張するものだな。無駄に手に力が入ってしまう。

 手紙なんて碌に書いたことがないので、なにを書けばいいのかよくわからないのだが…不作法があったら許してほしい。


 僕は君に気を遣っているつもりはないからその辺りは気にしなくていい。だが、その気持ちだけは受けてとっておこう。

 僕の方こそ、君に甘えてばかりで情けなく思っている。男として、少しでも君に頼りになれる存在になるように僕も頑張ろうと思う。

 僕も今では君と婚約して良かったと心から思っている。こちらこそよろしくお願いする。

 …口には絶対出せないことを伝えられるのは、手紙の利点だな。今回で学んだ。


 最後になってしまったが、わざわざ僕のために、あんな手の込んだ御守りを作ってくれてありがとう。きちんと大切にする。



追伸

 最近気づいたことなのだが、僕は君に「いってらっしゃい」と「お帰りなさい」と言われるのがとても好ましいと思う。できればこれからもそう言ってほしいと思うのは、我が儘だろうか?』



―完―





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