夜会のその後で
「お父様、どういうことなのか、説明をしてください!」
私はお父様が帰宅するのを玄関で待ち構え、帰って来たお父様に詰め寄った。
お父様は私を見て、困った顔を浮かべた。
「なんの話かな?」
「帷さまのことですわ!」
「…ああ、そのことか」
お父様が納得したように頷く。そして私の後ろから顔を出した帷さまを見て、私に視線を戻す。
「帷様から聞いてないのかい?」
「聞きました。けれど、お父様からも説明して頂きたいのです」
「…なるほど」
お父様は顎に手を当て、悩むように私と帷さまを見比べる。
そして私を見て、にっこりと笑う。
「予行練習だよ。帷さまとはいずれ夫婦になるのだから、今のうちに慣れておきなさい」
「……説明になっていません」
「だから、何度も言っているだろう。君を守るためだと」
お父様の頓珍漢な回答に私が脱力していると、帷さまが会話に加わって来た。その声音には若干の苛立ちと呆れが含まれている。
「君の力は特殊なもので、妖怪たちから狙われる可能性が高い。だから僕が君の護衛として傍に付き、君を妖怪から守る。何度説明すれば理解するんだ、君は」
「皇子殿下であられる帷さまに守って頂くのはどうかと。むしろ帷さまは守られる側でしょう。そんな方が私の護衛だなんて、恐れ多いですわ」
「……安心しろ。僕の皇子という身分はただの飾りだ。それに、僕以外の妖怪に対抗できる者は皆出払っている」
帷さまは表情を硬くして答えた。
私はそんな帷さまの様子に戸惑う。なにか気に障ることを言ってしまっただろうか。
そんな私たちの会話を聞いていたお父様が、私を諭すように言う。
「環、帷さまはとてもお強い。下手に護衛をつけると逆に足手まといになってしまうくらいに。だから、安心して帷さまに守られなさい。私も帷様ならおまえを任せられる」
「ですが…!」
「環」
尚も食い下がろうとする私をお父様は真っ直ぐ見据えて、言い放つ。
「これは私が決めたことだ。――わかるね?」
人が変わったように威厳を放って言ったお父様に、私は反論の言葉を飲み込む。
お父様の決定は西園寺公爵家の決定と同意義。それに逆らうことは許されない。
「……はい、お父様」
私は唇を噛んで俯き、なんとか返事をする。お父様はそんな私を満足そうに見つめた。
「では環。帷様にきちんと挨拶を」
「…はい。帷さま、ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致します」
そう言って頭を下げた私を、帷さまは複雑そうな顔で見つめ、頷く。
「……ああ、任せてくれ。君は必ず守り通す」
力強くそう言ってくださった帷さまに、私は微笑を浮かべて「ありがとうございます」と言った。
朝起きて普段通りに身支度を整え、居間に向かう。
居間に入ると炊き立てのご飯と焼き魚の香ばしい匂いがして、自然とお腹が空く。私はいつも座る席に腰を下ろそうとして、固まる。
「お早う」
「お、おはようございます?」
「なぜ疑問形なんだ」
私の真向かいの席に座っている帷さまがむっつりとした顔をして私を見つめる。帷さまは我が家の慣習に従ってのことか、萌葱色の京小紋を着ていた。
「いえ…帷さまが我が家の居間にいることに驚いてしまいまして…馴染みがない、といいますか…」
「慣れろ。これからは毎朝こうして顔を合わせることになるのだから」
「申し訳ありません。善処しますわ」
そう言って軽く頭を下げたあと、私は自分の席に座る。
そして帷さまの隣に、睦月さんも座っていることに気づく。
私と目が合うと、睦月さんはにっこりと、人好きしそうな笑みを浮かべた。
「お早うございます、環様。本日より、帷様の世話係としてこちらにお邪魔することになりました、朝霧睦月と申します。帷様共々よろしくお願い致します」
「は、はあ…こちらこそ、よろしくお願い致します」
睦月さんが丁寧に挨拶をして頭を下げてくれたので、私も同じように頭を下げる。
そして私が顔を上げた時、お父様とお母様がやって来た。
「どうやら皆揃っているようだね」
「待たせてしまって、ごめんなさいね」
いつ見ても仲の良い、熱々なお二人だ。仲良く寄り添って、二人同時に席に座る。
私にとっては見慣れた光景だが、帷さまや睦月さんはとても驚かれただろう。そう思って二人の方をちらりと見たが、帷さまは顔色が全く変わらず、睦月さんは少し羨ましそうに見ていた。どうやら、驚いてはいないようだ。
「おはようございます、お父様、お母様」
「お早う」
「お早うございます、閣下、奥様」
私たちが口々に挨拶をし、お父様とお母様も挨拶をし返す。こうしている間に、お手伝いさんたちによって朝食が運ばれてくる。
出来立ての良い香りが居間に広がる。全員に朝食が行き渡ったのを確認したあと、お父様が音頭を取り、「いただきます」と言って朝食を食べ始める。
炊き立ての白米と温かいお味噌汁が体に滲みる。これがないと、私の朝は始まらないと言っても過言ではない。お父様の拘りで、朝食は炊き立ての白米にお味噌汁と決まっているのだ。それが幼い頃からの習慣になってしまっているので、たまに白米以外のものを食べるとなんとなく落ち着かない。
朝食を食べ終わり、のんびりとお茶を飲んでいると帷さまが私を呼ぶ。
「環」
「なんでしょうか」
「君の、今日の予定は?」
「今日の予定は…特になにもありませんわ」
「そうか。では今日は一日家に?」
「ええ、そのつもりですが…なにかありまして?」
「いや、家にいるならいい。ここなら安全だしな…」
「安全…?」
「いや。こっちの話だ、気にするな。僕はこれから少し出掛ける。もし急に出掛けなくてはならなくなったら、これを持って出かけてくれ」
帷さまは懐から小さな包みを取り出し、私に手渡す。
「これは…?」
「鏡だ。鏡には魔を祓う力があると言われている。気休めだが、なにもないよりはいいだろうと思ってな。少しだが、まじないもしてある。出掛ける際には必ずこれを持ち歩いてほしい」
「わかりました。わざわざありがとうございます」
私が笑み帷さまにお礼を言うと、帷さまは私から視線を逸らした。
そんな私たちの会話をにこにことして聞いていたお父様とお母様がぽつりと呟く。
「斎さん、若いっていいですわね」
「ああ、そうだね、安曇さん」
「私たちにもこんな頃がありましたわね…懐かしいですわ」
「そうだね。だけど、安曇さんの美しさと愛らしさは今も昔も変わらないよ」
「まあ…斎さんったら…。そういう斎さんの方こそ、昔から変わらず素敵ですわ」
「安曇さん」
「斎さん」
そう言って手を取り合い、お互いをうっとりと見つめるお父様とお母様に、私は思わず半眼になった。ちらりと帷さまの方を見ると、帷さまも私と同じような表情をしていた。
ただ睦月さんだけは「羨ましいなぁ…」と二人を見つめている。睦月さんのこの神経の太さを見習いたい。
私がわざとらしく「おっほん!」と咳払いをすると、二人は二人だけの世界から帰還されたようだ。そして同時に照れくさそうに笑う。どこの新婚さんですか。いつものことなのだけれど、そう突っ込まずにはいられない。
「…そうだった。環」
「はい、なんでしょう、お父様」
少しじと目でお父様を見てしまったのは仕方がない。朝から熱々の二人を見せつけられて、こちらは胸やけがしているのだ。
「帷さまとの婚約の件だが、昨日、陛下から二つ返事で承諾を頂けた。近いうちに婚約のお披露目をするからそのつもりでいておいてくれ」
「…まあ、そうですか。わかりましたわ。心の準備をしておきます」
私は笑顔が引きつりそうになりながら、答えた。
そんなに早く陛下から許可が下りるとは思っていなかったのだ。正式な婚約はまだ少し先の話だと勝手に楽観視していた。
お母様がとても楽しそうに「忙しくなるわね」と私を見て言う。私は笑顔が引きつらないようにするので精一杯だった。
朝食後、部屋に戻ろうとした私のあとを、なぜか睦月さんが付いてきた。
くるりと振り返り睦月さんを見ると、彼はにっこりと笑って「どうぞオレのことはお気になさらずに」と言う。そうは言われても気になるものは気になる。
「睦月さん」
「なんですか、環様」
「なぜ私に付いてくるのですか?睦月さんは帷さまの従者なのでしょう?」
「確かにその通りですが、その帷様に今日は環様の傍についているように、と言われましたので。オレとしてはあんな不愛想なクソガキのあとを付いて回るよりも、可愛らしい環様に付いて回る方が楽しいので丁度いいです」
「そ、そうですか…」
皇子殿下をクソガキ呼ばわりする睦月さんの神経の太さを、本当に尊敬する。それだけ仲が良いのだろうけれど。
「睦月さんは、今おいくつですか?」
「オレは朔夜様と同い年ですよ。学園でも一緒だったので、よくして頂きました」
「まあ、そうだったのですか」
そんな話をしながら廊下を歩いていると、私の部屋の前に到着する。私は背後を振り向き、睦月さんと向かい合う。
さすがに私室に睦月さんを入れるのは躊躇う。婚約者がいる身なので、余計に睦月さんを私室に招きいれるのはまずい。
どうしようか、と考えていると、睦月さんは私をおや、と見つめ、頭の先からつま先までじっくりと眺めたあと、にやりと笑った。
「どこか可笑しなところでもありますか?」
「…いえ。環様に可笑しいところはありません。失礼しました。オレは環様の隣の部屋で待機してますので、何かあったり出掛ける際には声をお掛けください」
そう言って彼は敬礼をすると、隣の部屋に入っていく。
一体なんなのだろうか。私は首を傾げて、自室に入った。
帷さまは遅くに戻られたようで、お風呂から上がり帷さまの部屋の前を通りかかると明かりが灯っていた。
警護の都合上ということで、帷さまは私の隣室で寝泊まりをしている。いつなにがあってもすぐに駆けつけられるように、とのことだ。
挨拶をした方がいいのだろうか、と悩んだが、もう遅いし寝る準備をしているかもしれない、と思い私はそのまま帷さまの部屋の前を通り過ぎ、自室に戻った。
濡れた髪をきちんと乾かし、布団に潜る。
隣の部屋で帷さまが寝泊まりをしている。そう考えるとなんだか落ち着かなくて、私は中々寝付けなかった。
翌朝いつも通りに目を覚まし、身支度を整える。今日は学校がある日なので、小袖の下に制服である海老茶色の袴を穿く。小袖には細かい指定がないので、小袖に少しあれんじをしてお洒落をするのが近頃の女学生の間の流行だ。
着替えを済ませて居間に行くと今日はまだ誰もいなかった。私は自分の席に座り、皆が揃うのを待つ。
少しして珍しくお父様が一人で来て、それに少し遅れてお母様がやってきて、そしてとても珍しいことにお兄様が顔を出した。
こうして家族全員揃って食事するのはいつ以来だろう、と話をしていると帷さまと睦月さんがやって来た。
「お早う。遅れてすまない」
「皆様お早うございます。帷さまの支度が遅れてしまって申し訳ありません」
睦月さんはちゃっかりと遅れた責任を帷さまに押し付けている。本当に仲良しだな、と思いながら私は帷さまたちの方に顔を向け、思わず凝視してしまった。そして呆然と帷さまの名を呼ぶ。
「…帷さま?」
「なんだ」
「その恰好は…?」
帷さまは一瞬虚を突かれたような顔をして、思いついたように自分の服を見つめ、「ああ、これか」と呟く。
今日、帷さまが着ているのは、いつもの軍服や昨日着ていた和服ではなく、黒い詰襟だった。手には学生帽と鞄を持ち、どこからどうみても学生にしか見えない。
「今日から君の通う学園に通うことになった」
「え?で、でもお仕事が…」
「仕事は夜にやるものが多く、昼にあるのはただの書類仕事ばかりだ。そちらは睦月に任せたから君が心配する必要はない」
「そ、そうなのですか…」
そう言われてしまうと、なにも言えない。
私の通う神代学園は、この国初の男女共学の学園である。華族の子息令嬢や、成金と呼ばれる、華族ではないがそれに準ずる、またそれ以上の資産を持つ商人たちの子供たちが通う場所である。
通常は男子と女子で学校は別なのだが、この学園では男子も女子も同じような教育を受けることができる。しかしやはり男子と女子で多少の教科科目が違う。例えば、男子には武術訓練があるが、女子にはそれの代わりに裁縫の授業がある、といった具合だ。
人脈作りをしたい華族や、華族と繋がりを持ちたい商人たちがこぞって自分の子供を入学させる場所でもある。
「環、早く食べないと遅刻するぞ?」
帷さまの発言に衝撃を受けていた私はお兄様のその一言にはっとし、慌ててご飯を食べる。時計を見ればもうすでに家を出ないとまずいくらいの時間であった。遅刻は避けたい。
ご飯を食べ終わり、お手伝いさんが作ってくれたお弁当を鞄に詰めて、私が玄関に向かうと帷さまも付いてきた。
私は構わず編み上げブーツを履き、見送りに来てくださったお兄様に「行ってきます」と挨拶をし、家を出る。
学園までは徒歩で十分通える距離なので、私は徒歩で通っている。
かつん、と靴を鳴らしながら歩く私の隣に帷さまが並ぶ。私がちらりと横を見ると、帷さまと目が合う。そして私は思ったままの事を言った。
「…あら。帷さまは私と身長がそんなに変わらないのですね」
私は今編み上げブーツを履いているので、少し踵が高くなっている分、身長も高くなっている。昨日までは踵の高い靴を履いて帷さまと並んだことがなかったため気づかなかったが、こうして踵の高い靴を履くとほんの少し私が帷さまを見下せる。たぶん、踵分くらいの差ではないだろうか。
私はただ思ったままのことを口にしただけで他意はなかったのだが、帷さまは私をぎろりと睨みつけてきた。
「…なんだ。つまり君は、僕の背が低いと。そう、言いたいのか?」
「え?いえ、そういうつもりでは…ただ、背丈が変わらないのだなあ、と思っただけですわ」
「………」
帷さまは余計に私をきつく睨む。
もしかして、背が低いのを気にしておられるのだろうか。
私と帷さまの背後で、睦月さんがお腹を抱えて笑っている。そんな睦月さんを、帷さまは八つ当たりするように「笑うな」と蹴りつけた。
「す、すみません…いえ、オレも昨日環様と向かい合った時に同じことを思っ…いって!そこ脛ですってば!」
睦月さんが最後まで言い終わらないうちに、帷さまが睦月さんの脛を思い切り蹴った。
睦月さんは脛を押さえ、涙目で帷さまを見つめた。
そんな睦月さんからフンと視線を逸らした帷さまは、私を見て高々と宣言した。
「いいか、今に見ていろ!僕は絶対、君を見下してみせる!」
「は、はあ…頑張ってくださいね?」
呆気にとられた私は、そう返すことしかできなかった。




