正体
更新お待たせしました!
本日より毎日20時に更新し、25日完結です。
帷視点です。
あれから環は熱を出して寝込んでしまった。やはり無理をしていたのだと思う。
すまないと謝る僕に環は「謝らないでください」と微笑んだ。
自分の方が辛いはずなのに、彼女は僕を気遣う言葉ばかり言う。そんな彼女を見て、僕が彼女に無理をさせているのではないか、と思った。
もしそうならば、こうして見舞いに来ることが彼女の負担になっているのではないか。そんな考えが浮かび、彼女に会いに行くのを控えるべきなのかもしれないと思った。
会いに行くのを控えるくらいならば、我慢できないこともない。だけど、彼女を諦めるという選択だけは、どうしてもできなかった。
環の傍から大人しく離れることだけは、どうしても嫌だ。例え彼女に無理をさせるとわかっていても、彼女を手放すことだけはできない。
三年前の僕では考えられないことだった。あの当時の僕が今の僕を見たら、きっと驚くだろう。それくらい、彼女は僕にとってかけがえのない存在になっていた。自分自身ですら気付かぬ間に。
「帷様、眉間に皺が寄ってますよ?ただでさえ不愛想なのに、周りから怖がられても知りませんよ」
「………」
僕の少し後ろを歩く睦月が楽しそうに言う。こういう場合、反応すればするほど睦月は面白がると長い付き合いでわかっているため、僕は無視を決め込んだ。
「ま、気持ちはわからなくもないですよ。環さまのために色々考えたでぇとが散々な結果になってしまったんですからねぇ。いやあ、そういう時もありますよ、帷様ドンマイ」
睦月はバシバシの僕の背中を叩き、わかるわかると勝手に僕に同情する睦月にイラッとした。勝手に僕の気持ちを知った気でいる睦月に「おまえと一緒にするな」と言いたいのをぐっと堪えて、「叩くな」と言うだけに留めた。
「帷様」
「…なんだ」
不意に真面目な声で僕を呼んだ睦月に僕は足を止め、後ろを振り返る。
そして見た睦月の顔はとても優しい顔をしていて、僕を見つめていた。そんな睦月の表情に思わず息を飲む。
「帷様のことですから、自分が環様にとって負担になっているんじゃないか、とかそんなことを考えているんでしょうけど、それは帷様の勝手な思い込みですからね。環様は帷様が見舞いに来て貰えて嬉しいと、喜んでいらっしゃいましたよ」
睦月の言葉に僕は一瞬、呼吸をするのを忘れた。
僕の悩みを睦月に言ったことはない。それなのになぜこうもあっさりと見破られてしまうか。僕は表情が豊かな方ではないし、感情が顔に出る方でもないはずだ。
これも付き合いの長さの賜物だろうか。睦月は普段はお調子者なくせに、たまに鋭い。そして時に優しく、時に厳しく僕を諭す。
「環様は今のままの帷様をきちんと受け止めてくれます。だから怯える必要はないんです。さっさっとトキワ座の妖怪を退治してでぇとの再挑戦をしてくださいね!今度こそ環様に笑って過ごして貰えるように」
「睦月…」
にかっと笑った睦月に勇気づけられた。
礼を言おうと口を開きかけ、それは僕らしくないとやめて、「…ああ、そうだな」と頷くだけにした。きっとそれだけでも睦月に感謝の気持ちは届いているはずだ。
「それで…本当にトキワ座に妖怪がいるんですか?」
「恐らく、な。環も気になることを言っていた」
「環様が…」
「トキワ座の周辺には妖怪の気配はなかった。これは間違いない」
「トキワ座の中にいる、と?」
「僕の予想ではな」
再び歩き出した僕の横に睦月が並ぶ。睦月はトキワ座に妖怪がいる、ということに半信半疑なようだ。
それもそうだろう。ここ、浅草六区は人が集う場所。人が集うということはそれだけ様々な想いが交錯する、ということである。それは誰かを大切に思う気持ちであったり純粋な好意であったり、はたまたは誰かを妬み、恨む気持ちであったりする。そういう場には妖怪が集まりやすい。そのため、人が集まりやすい場は定期的な巡回を行っている。特にここ、浅草六区はその中でもさらに細心の注意が必要とされてる場だ。他の場所よりも巡回の回数が多く、より細かく視るようにしている場でもある。
僕たちの厳しい注意の目を掻い潜り妖怪が潜んでいる。普通ならば考えられないことだ。
(だが、ここは浅草六区。様々な想いが交錯する場。そういうところは負の感情が集まりやすく、それが僕たちの目を鈍らせる。妖力と負の感情の集まりは似て非なるもの…力の弱い妖怪の妖力程度ならば、負の感情に紛れ見つけられない可能性が高い)
通常、力の弱い妖怪やあやかしは人にさほど害を与えることはない。あったとしても、ほんの少し気分が悪くなったり感情が不安定になる程度だ。負の感情に紛れる程度の妖力しか持たない妖怪は人間に悪さを出来るほどの力はない。
この前にあったことも、よくあることと言えばよくあることだ。恋人が仲違いをし喧嘩をする。そんな些細な出来事。その件数が一つだけなら見過ごすことも出来るが、今回の場合は何件も続いていることで、トキワ座の営業自体に影響を及ぼしている。ましてや、その喧嘩の度合いが件数を重ねるごとに悪化しているという噂も聞いた。そのうち殺傷事件に発展する可能性もあるため、もしこれが妖怪の仕業ならば見過ごすことは出来ない。
「トキワ座の主人には連絡は済ませてあります。不思議そうにしていましたが、とある調査がある、と押し切りました」
「その主人の反応は当然だな。いきなり軍人が来て調査をさせてほしいと言われれば誰でも不思議に思うだろう」
「そうですね。まあ、調べる了承はとってありますし、調査の間は人を近づかさせないようにとも言ってありますので心置きなく調査できますよ」
ああ、と頷いたところでちょうどトキワ座に着く。
足を止めトキワ座の外観を眺めたが、特になにか変わった様子は見られないし、妖怪の気配も感じられない。
(だが、ここになにかあるはずだ)
そんな確信めいた予感がある。僕のこの手の予感は外れない。
トキワ座の扉に手を当て、ゆっくりを開く。トキワ座の中はガランとしていて薄暗い。劇場も兼ねているこの場は夜になれば人が多く集まり、とても賑わう。しかしそんな様子も打って変わり、昼間はとても静かだ。
広い館内を僕と睦月は共に回る。しかしこれと言っておかしな点も、妖怪がいる気配も感じられない。
(おかしいな…僕の勘が外れたか?)
最後に映画を上映している部屋に入る。足を踏み入れた時、ざわりとしたものを感じた。
「…ここか」
「みたいですね」
どうやら睦月も感じたらしい。先ほどの手ごたえは微かなものだった。これでは外からではわからないだろう。それくらい、小さなものだ。
―――しかし。
「かなりの数がいますね」
「ああ。そうみたいだな」
「久々に腕が鳴るぜ…!」
睦月は不敵に笑う。その笑みはとても楽しそうなものだった。元来、睦月は好戦的だ。普段はお調子者の仮面を被りそれを隠しているが、ふとその仮面が外れるときがある。
残酷で冷酷で、無慈悲に裁く、執行者。生来、朝霧睦月という人物は、誰よりも冷酷だ。世話係と称して幼い僕の傍についたのも、鬼の力を宿す僕の監視と、恐らくだが僕が暴走した時の始末をする役目のためのはずだ。
睦月は任務に関しては忠実だ。そして自分の信念に対しても。一度身内と認めた者に関しては優しいが、それ以外の者はどうでもいいと思っている節がある。例えば、僕や環を救うためなら一般人が死んでも仕方ない、と睦月は割り切ることが出来るのだ。
「あまり建物や備品を壊さないように気を付けろ」
「わかってますって」
口の端をぺろりと舐めて、睦月は好戦的に口角を上げた。どうやら暴れたくて仕方ないらしい。そんな睦月に一抹の不安を覚えながらも、僕も腰に釣る下げた鬼丸を抜く。
「時間を掛けずに片付けるぞ」
「承知しました」
僕は指先を少しだけ傷つけ、ぷつりと血を一滴だけ垂らす。
この身に流れる血は妖怪やあやかしたちにとっては魅力的な食べ物だ。そんなものが突如現れれば、当然のごとく奴らは集う。
素早く止血を済ませた頃には、ギラギラと輝く禍々しい目が無数に僕たちを囲んでいた。
「殲滅を開始する」
僕がそう告げたのと同時に、奴らが僕たちに襲い掛かって来た―――




