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運命の赤い糸を、繋ぐ。  作者: 増田みりん
後日譚 君に言えなかった言葉を、今
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挨拶

後日譚、開始です。そんなに長くはならない予定です。




 桜の花も散り、新緑の季節となったある日、僕たちはとある場所を訪れていた。

 今日は快晴で青空が広がり、ぽつりぽつりと浮かぶ白い雲がそよそよと空を漂っている、初夏を感じさせる日だった。


「体調は大丈夫なのか、環?」

「大丈夫です、帷さま。と、何度お答えすればわかっていただけるのかしら」


 環が困ったように笑う。

 確かに、ここへ来る間にも何度も訊ねていた自覚は、あった。

 だがそれも無理ないことなのだと、僕は一人で言い訳をする。


「…仕方ないだろう。少し前まで君は寝込んでいたのだから」

「それにしても心配のしすぎだと思いますわ。私は子供ではないのですから、帷さまに心配をお掛けしてまで出歩こうとは思いません」

「わかっている。わかっているんだが……心配なんだ、君が」


 また、目を覚まさなくなったらどうしようかと。

 小さく呟いた僕の手を、環がそっと握った。


「…そんな顔をされていては、おばあ様に心配をさせてしまいますわ。今日はおばあ様にご報告にやってきたのですから」


 大丈夫だと、安心させるように環はふんわりと微笑む。

 ここは西園寺公爵家が所有する墓地の一角。

 そこに彼女―――珠緒が眠っている。

 まだ環への心配は消せない。けれど、故人を心配させるのも忍びない。


「…そう、だな。君の言う通りだ」


 なんとか頷くと、彼女はよくできました、と言わんばかりの笑みを浮かべた。

 その子ども扱いな態度に思わないところがないわけでもないが、確かに先ほどの僕の態度は子どものようだったと自覚があったので反論はしない。

 彼女は手に持っていた白百合の花束をそっと墓前に供え、線香をあげる。

 僕も彼女に倣い、線香をあげて二人そろって手を合わせた。


「…お久りぶりです、おばあ様。先日は、ありがとうございました。ようやく、おばあ様に挨拶に来ることができました…帷さまと共に」


 環は墓に向かって微笑み、僕を見つめた。

 僕はその視線を受け止め、視線をそっと墓へ移す。


「僕たちは来年の水無月に籍をいれることになった。その報告に今日はやって来たんだ」


 祝福して貰えるだろうか、と墓前に訊ねると、それに答えるように優しい風がそっと吹き、僕たちを包んだ。




「それで?」


 僕は目の前にいる人物を見つめ、首を傾げる。

 僕の背後には睦月と夕鶴が控えていて、二人からも目の前にいる人物――兄上と同じ気配を感じた。

 が、僕には彼らが何を言いたいのか、さっぱり見当がつかない。


「それで、とは?」

「…まさか、祖母君に報告をしにいっただけなのか?」

「それだけですが、なにか?」


 その言葉に頷くと、前からも後ろからもため息が漏れた。

 ムッとする気持ちと、いったいなんなんだ、という気持ちが合わさり、僕は不貞腐れた顔になる。


「おまえは…なんと言えばいいのか…まあ、ある意味では帷らしくもあるが…」

「だから、なんなんですか?言いたい事があるならはっきりと仰ってください、兄上」

「図体がでかくなっても子供だって桐彦様は仰っているんですよ、帷様」

「…なんだと?」


 ムッとして僕は背後を振り返り、会話に割り込んできた睦月を睨む。

 睦月の隣では夕鶴が少し焦ったような顔をし、「睦月さん、もっと包んで…」と言っていたが、それは決して僕を庇うものではない。

 睦月は僕を小莫迦にした態度を崩さず、フッと鼻で笑う。


「だってそうでしょう?やっと自覚したのに、それを環様に言えないなんて。それに正式に求婚すらしていなんでしょう」

「……気持ちは言った」

「意識のない時に言ったものが伝わるわけがないでしょうに」


 うっと僕は言葉を詰まらせた。

 まったくもって、睦月の言う通りだからだ。


「言おうとは…もう一度言おうとは思っているんだが……その、なかなか言う機会が…」


 もごもごと僕にしては珍しくはっきりしない言い方をすると、これ見よがしに睦月がはあ、とため息をつく。


「…お可哀想な環様。きっと今頃、帷様の気持ちがわからなくて不安になっているんだろうなぁ…」 

「………」


 とうとう黙り込んだ僕を睦月はチラチラと見て、そのたびにため息を大袈裟に吐く。

 その仕草にイラッとしたが、今回の事は僕の意気地がないだけだと理解しているので、僕はイライラをぐっと堪えた。


「…帷」

「はい、兄上」

「言葉にすることも、大切だと俺は思うぞ。言葉にしなくても伝わることもあるだろう。だが、あえて言葉にすることで相手を安心させることも出来る。古来より、言葉には魂が宿ると言われているが、俺はそれを信じている」

「……」

「とはいえ、色々と心の準備もあるだろう。幸い、式までには時間はまだある。それまでに心の準備を整え、環嬢に求婚の言葉を伝えてあげるといい。きっと彼女も喜ぶし、安心するだろう」

「…はい」


 素直に頷いた僕を、兄上は優しい目を見て見つめる。


「愛し愛されることを恐れるな、帷。おまえは愛されるべき人間だ。環嬢はおまえを受け止めてくれる。陛下も俺も、おまえと環嬢の婚姻を心から、喜んでいる」


 兄上らしい温かい言葉に、僕はそっと目を伏せた。

 そして「ありがとうございます」と礼を述べて頭を下げた。




 三年前から、僕の住居は西園寺邸ではなく、昔、僕が住んでいた屋敷へと移している。

 そこには睦月も共に移り、僕を心配してか、親戚の家に身を寄せていた夕鶴までもが越してきた。

 兄上のところから帰ると、小さな男童が僕を迎える。


『あ、宮さま!おかえりなさい!』

「ああ、ただいま」

『宮さま、宮さま。今日の晩ごはんは獲れたてのしんせんなお魚だよ』

「そうか。それは、楽しみだ」

『ねえねえ、宮さま。環さまはいつ来るの?』

「体調が良くなれば、近いうちにくるんじゃないか」

『そっかあ。また環さまに遊んでもらいたいなあ…』


 少し残念そうに言った男童――亀吉(かめきち)の頭を僕は撫でてやる。


「きっとまた遊んでくれる。楽しみにしているといい」

『…うん!』


 元気を取り戻し、にっこりと笑顔で頷いた亀吉は僕の後ろで僕たちを見守っていた睦月と夕鶴へ向かって突進していく。


『睦月、夕鶴くん!ぼくとあそぼ!』

「なんで夕鶴が“くん”付けでオレが呼び捨て!?」

「あはは…」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも、睦月は亀吉と遊んでやることにしたらしい。

 遊んでいる間にも「オレのことも“睦月くん”または“睦月さん”、もしくは超素敵でカッコイイお兄様と呼ぶこと!」『やだ』という、不毛なやり取りを繰り広げていた。

 そのあとに夕鶴が続き、「まあ、まあ睦月さん…相手は子供ですし」と睦月を宥めている。

 そんなやり取りをする睦月たちに呆れていると、「…宮さま」と声が掛けられた。

 僕に声を掛けてきてくれたのは通いで来てくれている者だった。


「どうかしたか。なにか、問題が?」

「いいえ、特に問題はございません。ただ、宮さま宛にお手紙が届いております」

「そうか。手紙はどこに?」

「宮さまのお部屋の机の上に置いておきました。差出人はご婚約者さまでしたわ」

「…そうか。わざわざ知らせてくれてありがとう。今から帰るところなのだろう。気を付けて家に帰るように」

「はい、お気遣いありがとうざいます。それでは私はこれで」


 丁寧に一礼をして去っていく彼女の後ろ姿を見送り、僕はさっそく部屋へ向かう。

 彼女の言う通り、僕の部屋の机の上には、可愛らしい便箋が置かれていた。

 その他にもいくつか手紙が届いているようだったが、僕はそれらには触れず、真っ先に環からの手紙の封を切った。

 親愛なる、帷さまへ、と始まる環からの手紙。

 別々で暮らすようになってから、こうして環との手紙のやり取りをするようになった。

 毎日までとはいかないが、週に二、三回はやり取りをしている。

 環からの手紙はその日にあった出来事や、僕を気遣うものがつらつらと書かれている。

 優しくて穏やかな彼女らしい手紙を読み終わり、丁寧に畳んで机の抽斗にある文箱へと仕舞う。文箱の中にはこれまで彼女から送られてきた手紙を入れてある。もちろん、初めて貰った手紙も大切にこの中に入れて保管してある。

 そして、さてなんと返事を書こうかと考える。こうして、環への返事を考える時間がとても心落ち着く時間となっていた。


 環が目覚めてから早数か月。

 あの日から、彼女の時間(とき)は流れ出した。しかし、それはどうやら僕たち普通の人間とは違う速さで、であった。

 どうやら彼女の体の時間は、僕たちよりもゆっくりと流れているらしい。そのため、爪が伸びる速さも、髪が伸びる速さも、人よりもずっと遅い。怪我をして傷を負えば、血はなかなか止まらないし、その傷の治りも遅い。

 それは彼女が人の領域を超える力を使った代償なのかもしれない、と司は言っていた。

 

 そして、彼女が支払った代償はもうひとつあった。

 それは“健康な体”である。

 目覚めて以来、彼女は寝込むことが多くなった。

 始めこそは数年ぶりに目覚めたため、体力が落ちているのだろうと、そういう診断をしていた。

 だから彼女も少しずつ体力を取り戻そうと努力をしていたが、その努力をするたびに寝込んでしまうのだ。

 そして司が下した診断が、あの時の代償だろう、というものだった。

 それでも彼女の努力のかいあって、少しずつだが、起きていられる時間が長くなった。

 医者にも司にも外出して大丈夫だという判断を貰い、先日ようやく珠緒の墓参りができたのだ。


 彼女は以前より大切にしていたものを失った。誰よりも健康に気を遣っていたはずの彼女が健康を失ったのだ。

 きっと辛かったに違いない。なのに彼女は、私なら平気です、と笑うのだ。

 思うように動けない体で不自由で窮屈な思いをしているだろうに、彼女は平気だと、何でもないと笑う。


「本当に、私は平気ですわ、帷さま。確かに起きていられる時間は短くなってしまいましたけれど、少しずつ起きている時間も長くなっていますし、いずれは以前までとはいかなくても、普通に起きていられるようになるはずですわ」


 だからそんな顔をなさらないで、と彼女は微笑んだ。

 だが…と僕がなおも食い下がると、彼女はそっと僕に内緒話をするように顔を寄せて小さく呟いた。


「健康よりもなによりも、こうして帷さまの傍にまた居ることができて、それだけで私は幸せなのです」


 僕が驚いて彼女を見つめると、環は悪戯を仕掛けて成功したかのような笑みを浮かべて、ふふっと笑った。

 からかわれたのだと思った僕が眉間にしわを寄せると、「私の本心ですよ?」と可愛らしく小首を傾げた。

(環は…妖怪よりもたちが悪い)

 僕は頭を抱えたくなった。そんな可愛らしい事を言って、彼女は自分の忍耐を試しているのだろうかと疑いたくなるが、環がそんなことをするわけがないともわかっているので、余計に頭を抱えたくなった。

 きっと、彼女の中で僕は三年前のままなのだろう。あの時よりもずっと逞しくなったと自分では思うが、環にはそう映っていないのかもしれない。

 二重の意味で頭が痛くなり、額を押さえて顔を伏せた僕を心配したのか、環が不安そうに僕の名を呼ぶ。

 

「帷さま…?ご気分が悪くなられたのですか?」

「…いや、なんでもない。気にするな。君は、君の体調のことだけを今は考えろ」


 僕がなんとかそう言って微笑むと、彼女も安心したように微笑んで頷いた。

 きっと環は言葉通りに、自分を気遣う言葉だと受け取っただろう。

 「体調のことだけを今は考えろ」とは僕自身に言い聞かせる言葉でもあったことに、彼女はきっと気付いていない。

 僕がどれほど彼女に焦がれているか、触れたいかと考えていることなんて、彼女は知らない。知るはずもないのだ。


 ―――なぜなら、僕は彼女に自分の気持ちを伝えていないから。


 彼女に気持ちを伝えられないことの根底に、僕は愛されるわけがない、という思い込みがあることを知っている。

 それは幼い頃からずっと根付いているもので、簡単には取り除けないことであることも。

 環ならばきっと受け止めてくれる。そう頭では理解しているのに、いざ口にしようとすると言葉にならない。

 意気地ない自分が、心底嫌になる。

 強くなりたいと願いならがらも、僕の心は結局幼い頃となんら変わらない。

 成長しない自分が恨めしかった。




 

 

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