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運命の赤い糸を、繋ぐ。  作者: 増田みりん
第五章 赤い糸と運命
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運命と別れ1





 今思えば、予兆と呼べるものは確かに、あった。

 一つは先日起った大神家の儀式の件から、環は体調をよく崩すようになったこと。人一倍、健康に気を遣っている彼女が寝込むことが多くなった。

 そしてもう一つは妖怪やもののけが起こす騒ぎが多発していること。日を追うごとに増えていく騒ぎに対応するのに追われ、僕はまるで周りが見えていなかった。

 もし僕がきちんと周りが見えていたなら。もっと環を見ていれば、彼女の変調に気付くことができたかもしれないのに。


 いいや、それはただの言い訳だ。

 僕は、本当は気付いていた。彼女が何かを隠しているということに。

 いつも通りの穏やかで温かい微笑み。その裏になにかを隠しているということを、僕は知っていた。時折具合が悪そうにしていることも。

 だけど彼女はいつもと同じ表情で、いつもと同じようにしている。自分の具合の悪さを悟られまいと必死に隠す彼女に気を遣い…ああ、違う。

 彼女に気を遣ったというわけではない。僕は、怖かったのだ。彼女を問い詰めて、彼女の顔を曇らせることが。彼女の秘密を無理に暴くような真似をして彼女に嫌われることが。彼女が僕の届かない存在になってしまうことが。

 ―――どうしようもなく、怖かった。


 だから、忙しさを理由にして彼女から逃げた。

 僕がそうして逃げている間に、彼女がどれほどの恐怖と痛みに耐えているかを考えもせずに。

 そしてあの日、縁側にじっと何かに耐えるように座り込む環を見たとき、僕は後悔した。

 なぜもっと早く彼女に聞かなかったのかと。

 逃げている場合ではなかった。僕が逃げている間に環はこんなにも苦しい思いをしていた。

 浅く呼吸を繰り返す環を見て、自分の弱さに嫌気がさした。

 だが自己嫌悪に陥っている場合ではないと、僕は医者を呼びに行こうとすると、環が弱々しく僕の袖を掴み、少し休めば大丈夫だと、どう見ても大丈夫ではなさそうな表情で告げた。

 環の目は必死で、そっとして置いてほしいと僕に語っていた。

 しかしこんな状態の環を放っておけるわけもなく、僕は彼女を部屋に運ぶことに決めた。ここでこうしているよりも落ち着けるだろうと考えて。


 環の部屋に入るとそこには布団がひかれていた。環からは石鹸の良い香りがすることから、きっと風呂に入ってすぐに寝るつもりだったのだろう。

 僕は環の布団の上に体に障らないように気を付けて、そっと彼女を下ろすと彼女は微笑んで礼を言った。

 先ほどよりも顔色がほんの少し良くなっている。時間が経てばと治ると言った彼女の言葉は本当だったようだ。

 そのことにほっとしつつ、いつからこの症状が出ているのかと彼女に問いかけた。

 彼女のあの台詞と行動からして、これが初めてではないように見えた。いったいどれほどの間、環はこの不調に耐えていたのだろうか。

 環の回答を聞いたとき、カッとなった。二ヵ月という短くはない期間、ずっと一人で耐えてきたと、彼女は言う。どうして僕に相談してくれなかったのか。それほど僕は信用がないのか。という、怒りというよりは嘆きと、それほどの期間、環の不調になんとなく気付いていながらも見て見ぬふりをした自分に腹が立った。

 そのためか、自然と僕の目つきは鋭くなり、声も硬くなった。

 そんな僕を見て環は体を震わせた。


 ―――怖がらせて、どうする。

 僕はすぐさま反省し、環に謝った。

 そして改めて環に症状のことを訊ねると、これは力の強くなった反動だと彼女は言った。

 どうやら大神家の司にも相談をしていたらしい。そのことに少しムッとしたが、そんなことに腹を立てている場合ではないと思い直す。

 環の不調が力が強くなったことによるものなら、彼女の症状を抑える方法が、ある。

 簡単なことだ。環が清らかな体でなくなればいい。

 そうすれば環の力はこれ以上強まることはなく、むしろ衰えていくだろう。


 そう、簡単なこと、なのだ。

 そしてその相手を担うのは僕が適役であることもわかっている。

 環さえ了承すれば何の問題もないことだ。僕たちは婚約しているのだし、成人してすぐにでも結婚すればいい。

 環が清らかな体でなくなったことなど、黙っていれば誰にもわかりはしない。子が、できない限りは。


 障害などないに等しい。事情を説明すれば斎も朔夜にも理解して貰えるだろう。

 そんなことはわかっている。だけど、どうしても僕は躊躇ってしまう。

 環に辛い思いをさせたいわけではない。環の体調がよくなるのならば何でもしたいと思う気持ちだって確かにある。

 だが、どうしても、躊躇ってしまうのだ。

 理由はわかっている。

 僕は家族というものを知らない。家族の愛がどういうものなのか知らずに育った。

 そんな僕が家族を持っていいのだろうか。

 僕は誰かを愛せるのだろうか。

 そんな不安が、僕にそれをすることを躊躇らわせている。


 しかし、これは僕の問題であり、現状で環の体調よりも最優先させるべきことでもない。

 いろいろな不安と躊躇いを抱きつつ環に提案をすると、彼女は平気だと微笑んだ。

 一番辛いのは環であるはずなのに、そんな時でさえも彼女は僕に気を遣い、平気だと、時間が解決してくれると、そう告げた。


 環に気を遣わせていることを情けなく思うのと同時に、心のどこかでほっとしている自分を見つけ、嫌気がさす。

 僕はなんて弱いのだろう。そして、どこまで環の優しさに甘えれば気が済むのだろう。

 せめて彼女の心を軽くしたいと思い掛けた言葉で環は涙を溢した。

 声を押し殺して泣く環に、僕は彼女を追い詰めていたのだと知る。

 以前よりもいっそう細くなった肩を震わせた彼女の背を、そっと抱き寄せる。


 環に安心して頼られる、そんな人になりたい。

 環がもう気を遣わなくても済むように、強い人になりたい。肉体的な強さだけではなく、精神的に強い人に。

 心から、そう思った。



 しかしその想いと反比例するように妖怪や物の怪の騒ぎが増えていった。

 それこそ環の傍にいることが難しいほどに。

 妖怪や物の怪騒ぎが起こるのは連日で、それも一箇所だけではない。その対応に僕も睦月も夕鶴も出なければ、とてもではないが騒ぎを収めることが困難になっていった。

 今はなんとか対応が間に合い、情報規制もされているため、大きな話題になることはないが、それも時間の問題だった。

 しかし環を一人にするわけにもいかない。体調が悪いのなら、なおさらだ。

 そのため、出来れば頼りたくなかったが、僕たちは司を頼ることにした。彼ならば環の力にも詳しいし、いざということがあれば、僕たちなんかよりも適切な処置を施すことができるだろう。

 とても不本意だったが背に腹は代えられない。僕は彼に環を任せることにした。


 実際、彼が環の傍にいるようになってから、環が以前ほどあの症状に苦しむことはなくなったという。

 症状自体は以前と変わらず――いやもしかしたら増えているのかもしれないが――あるのだが、その症状に苦しむ時間が減ったのだという。

 ちらりと見かける環の姿は以前よりも健康的であるような気がした。

 どうやって症状を抑えることができたのかと司に問えば、大神家から古くから伝わるまじないがあり、それが効果的だったらしい。

 その報告を受けたとき、なるほどと納得をしつつも、僕は面白くないと感じていた。

 どうしてそう思うのか。環が必要以上に苦しまずに済んで良かったではないか。

 そう頭では理解しているのに、心はそう捉えてくれなかった。

 僕が自分の気持ちを持て余していると、司は言い淀むような表情をして、こうも告げた。


「…宮様。僕が視る限り、環さんの力は落ち着いてきていると思います」

「力が落ち着いている?だが、症状自体は治まってないのだろう。むしろ悪化していると」

「ええ、その通りです。“異能”の力は落ち着いてきているのは間違いありません。しかし、“霊力”の方に何か細工をされているようです」

「……細工?細工もなにも…環は霊力を扱えないのだろう?」

「はい。だからこそ、この症状が出ているとも言えますが…環さんは生まれ持って霊力を扱うことができない体質です。膨大な霊力も使わなければただそこにあるだけ。最近では縁が視えたり、妖怪の気配を感じたり、物の怪を視たりすることができるようにはなったようですが…それも霊力のある者なら訓練さえすれば誰でもできることです。縁を視ることに関しては異能の力があるからそれに付随して視えるようになったとも言えますが…ですが、環さんにできることはその程度なのです」


 環は生まれつき霊力が扱えないということは聞いていた。

 つまり環は兄上と同じだということだ。霊力はあるのに使えない。霊力を扱えるというのも一種の才能らしい。

 それでも霊力があるのならば、人には視えないモノを視ることくらいは出来る。それは霊力を持つ者の特典みたいなもので、それだけでは霊力を使えているという風にはならない。


「環さんの最初の方の症状は、異能の力が増していったからなのでしょう。ですが、今は違います。環さんがあの症状に苦しんでいるのは、“他の力”が環さんの霊力に干渉しているからなのです」

「…他の力…?」


 疑問に思い呟いた僕の言葉に、司がしっかりと頷く。

 いわく、霊力を扱うことができないために、いつの間にか取り込まれた異質な力に対しての拒絶反応がでているのだと。

 それゆえに環にあの症状がでているのだという。


「そうですね…僕が視る限り、その力は宮様の持っているものに近いかと」

「…まさか…僕が?」


 環があの症状に苦しんでいる原因が自分だったなら、僕は決して自分を許せない。

 そして環の優しさに甘えて留まってしまったことを激しく悔やんだ。

 しかし、司は首を横に振った。


「いいえ、あれは宮様の力ではありません。別の誰かのものでしょう」


 司のその言葉に僕はほっとした。

 その安心もつかの間、次に浮かんだのは「では誰が?」ということだった。


「…恐らく、ですが。環さんに鬼が接触したのではないでしょうか。自身の正体を上手く隠し、人間のふりをして環さんに接触をしたのではないかと僕は思います」

「…鬼が、環に…?いったい、いつ…」


 考えてもここ最近僕は環の傍にいれなかった。

 そのため思い当たる節がまったくなかった。


「…宮様。僕が環さんにしているまじないは気休めです。本来あれは異質な力に取り込まれた者の正気を一時的に保つためもの。完全な解決とはなりえません」


 それだけは重々、承知しておいてくださいますよう―――

 そう言って司は重々しく頭を下げた。

 完全な解決とはならない。それはつまり環があの症状から解放されるわけではないということで。

 僕は司の言葉の重さに、思わず強く拳を握っていた。


 環のあの症状をなくすためにはどうすればいいのか。

 どんなに手を尽くして調べても答えは見つからない。

 焦りばかりが募っていたとき、それは起こった。


「帷様、大変です!帝都のあちこちで、物の怪が…!」

「なんだと…?」


 僕が状況を確かめようと腰を上げたとき、ちょうど近くにいた朔夜が「お待ちください」と僕を呼び止めた。


「ここは俺たちにお任せください、帷様」

「しかし…」

「先ほど、環につけている護衛から連絡がありました。どうやら環は司の制止を振り切って家を出たそうです。司は環の力によって動けない。ですので、ここは俺たちに任せて、帷様たちは環のもとへ向かってください。…嫌な予感がするんです」

「…朔夜…わかった。すぐに向かう。聞いていたな、睦月、夕鶴?」

「勿論ですよ!」

「環様を追いましょう」


 二人とも僕の顔を見てしっかり頷く。

 僕は今度こそ立ち上がり、環を追うために進みだそうとしたとき、朔夜が僕を呼び止めた。

 いったいなにかと振り向くと、朔夜はいつになく真剣な顔をして、僕に深く頭を下げた。


「帷様…妹を、環をよろしくお願いします…」


 頭を下げたままでいる朔夜に僕は目を見開き、見えないとはわかりつつもしっかりと頷いて「任せてくれ」とはっきりと朔夜に告げた。

 そして環のもとへと駆け出した。


 環の居場所は、僕と環を繋ぐ縁を辿ればすぐにわかる。

 それを辿っていくうちにだんだんと賑やかな街並みから遠ざかり、辺りは深い緑のもとへと変わっていく。

 随分遠くへ来たものだと、僕は半ば感心する。

 しかし、なぜ環はこの場所へやってきたのだろう。なにが目的なのだろうかと考えて、僕はこの場所になにがあるかを思い出した。


 この場にあるのは殺生石。以前に僕が倒したはずの、妖怪九尾が封じられている石が納められている場所だった。

 僕がこの場所へ足を運ぶのは初めてだった。だいたいの場所しか把握していなかったため、すぐには殺生石を結びつけることは出来なかった。

 殺生石がこの場にあると思い出し、僕は嫌な予感を覚えた。

 早く環のもとへ行かなければ、と自然と足が速まる。


 そしてようやく環を見つけたとき、環は銀色の髪の男に追い詰められていた。

 その男に僕は見覚えがあった。

 以前、飛縁魔を追い詰めたときに現れた狐面の男。その男が、環を追い詰めていた。

 男の顔が環に触れそうになる。その瞬間を見たとき、僕は燃えるような激情が胸に芽生えた。

 怒りにも憎しみにも似た感情。僕はその男を許せないと心から思った。

 僕が動き出すと同時に、睦月と夕鶴も動き出した。

 夕鶴は走りながら弓を引き、その男めがけて矢を放つ。

 男が怯んだその隙に、僕たちは環の前に立った。

 ちらりと環を見ると、環は目を大きく見開き、ぼんやりと僕たちを見ていた。


「夕鶴君、睦月さん…」


 信じられない、というように二人の名を呼んだ環に、僕は安心しろという意味を込めて環の名を呼んだ。


「環」

「帷さま…」


 環は僕を見て、今にも泣きそうな顔を浮かべた。ほっとして気が緩んだのだろう。

 環が無事で良かったと僕は胸を撫でおろし、今度はきちんと言葉にして環に言う。


「君は、僕たちの後ろに。安心しろ、君には指一本触れさせない」

「……はい」


 心から安心したように微笑み頷いた環を見て、僕の表情もかすかに緩んだ。

 しかしすぐに気を引き締めて、銀色の髪の男を睨む。


「―――さあ、僕たちが相手だ。覚悟をしろ」

「…面白い。いいよ、ボクがキミたちの相手をしてあげる」


 銀色の髪の男は、とても愉快そうに僕たちを見て嗤った。







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